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聖女宣告は悲劇です

 ヒュルケがアレクシスと会っている間、エルディは使用人達の休憩所で暇を持て余していた。


 周囲の者達のつまらない雑談は聞くに絶えず、王城に仕える使用人だからといって必ずしも全員が品行方正ではないのだとうんざりした。


「それでさ、殿下がサルメライネン家のご令嬢と……」

「ええっ! 悪女だって噂の?」

「そんな女が妃となったら、この国も終わりだな」

「でも美人だって話だぜ?」

「傾国の美女って?」

「止めろよ、冗談にもならない」


 とうとう耐えかねてエルディは席を外すと、パチリと指を鳴らして存在を薄くする魔法を自らに掛けた。

 ヒュルケがアレクシスから婚約破棄を言い渡された時も、こうして王城内を闊歩していた時だったなと思い出し、一人苦笑いを浮かべる。


 彼女は兎角目立つ性分だからなのか、誰に対しても無関心なエルディの興味を引いた。何をしでかすか分からないという天真爛漫な行動を取る為、目が離せないという理由もあるが、何故か憎めない不思議な存在だった。


 まさかこれほどまでに心を奪われるとは思いもしなかった。


 彼女には何か自分を魅了する魔法でも掛けられているのではと疑いたくなる程だ。


 全てを投げうってでも側に居たいという申し入れを、どうにか受け入れさせなければならない。彼女の心を射止める為にはアレクシスの存在が大きな障害となる。


——いっそ、その存在を抹消してしまえばどうだろうか……?


 ふと気が付くと、エルディは礼拝堂に立っていた。アーチ形に伸びる柱は、天井に描かれた装飾へと滑らかに繋がっており、ステンドガラスから射し込む光が、台座に飾られた石像を背後から照らし、あたかも聖人がそこに立っているかの如く神々しい。


 中央に敷かれた群青色の絨毯の先へと視線を向けると、聖卓の奥に緩やかな栗毛の女性が立っている様子が見えた。

 エルディは溜息をつき、パチンと指を鳴らして身を隠す魔法を解いた。


「まだ天上に帰っていなかったのですか。しつこいですね」


 エルディが声を掛けると、ヘリヤは振り返って小さく笑った。


「あんたこそ、封印が解けたのに帰らないのね。ここへは罪滅ぼしにでも来たつもり?」

「なんとはなしに歩いてここにたどり着いてしまうとは、私の信仰心もまだ捨てたものではないということでしょう」


 ヘリヤはニコリと満面の笑みをエルディに向けた。


「良かった。堕天使になってしまったのかと思ったけれどそうじゃないみたいね。あんたってば、すっかりあの子に絆されちゃってたから」


 何も答えないエルディの側へとヘリヤは赴くと、銀色の瞳をじっと覗き込んだ。


「悲しそうね。何かあったの?」

「誤魔化すのもいい加減にしてください。人の記憶を消すなどと、大罪でしょう。主がお許しになるとお思いですか?」


 エルディの言葉にヘリヤはクスクスと笑うと、細い両腕をエルディの肩へと回した。甘える様に向けるアメジストの瞳を不快に思い、エルディは眉を寄せた。


「罰は甘んじて受けるつもりよ。でも、あんたはあたしに感謝して欲しいけれどね」

「感謝どころか、腹立たしいですね」

「どうして?」

「彼女の心や、アレクシスの心を翻弄しておいて、どう感謝をしろと?」


 ヘリヤは唇をエルディに近づけて、小さく呟く様に言葉を吐いた。


「でも、あの子の本心は分かったでしょ? あの子はアレクシス王子を選んだ。だからあんたは、堕天使になっていないんだから」


 もうあと僅かで唇が触れるというすんでの所で、エルディはふっと姿を消して聖卓の方へと瞬間移動した。

 ヘリヤは残念そうに鼻を鳴らし、頬を膨らませた。


「なによ! キスくらいさせてくれたっていいじゃない! あたしのお陰であんたは堕天使にならずに済んだんだからっ!」

「何が言いたいのかさっぱり分かりません」

「『恋愛』について学ぶ事が出来たでしょ!?」

「いささか疑問ではありますが、封印が解けた事を鑑みるとその様ですね。無論、貴方のお陰ではございませんが」

「あたしが二人の記憶を消さなかったら、あんたは何も学ぶ事なんかできずに、一生封印が解けなかったじゃないっ!」

「それは結果論です」


 地団駄を踏むヘリヤに淡々と返すと、エルディはうんざりした様に肩を竦めた。


「ヘリヤ・ハス・サリエル。私の方が天使として上位であることをお忘れですか? その気になれば貴方を強制的に天上へ飛ばすことなど容易いのです」

「……忘れてなんかないわよ、エルディ・アロ・アフリマン」


 苦々し気に言った後、ヘリヤはふいに微笑んだ。


「でも、他人に興味を一切示さなかったあんたが、『恋愛』を学んだんだからすごい進歩だわ。あたしにだっていつかチャンスが来るかもしれないもの、いくらだって待ってやろうじゃない」

「しつこいですね」

「ええ! 寝ても覚めてもあたしの顔が浮かんで離れないくらい、しつこくしてやるわ!」

「そうなれば自らの記憶を消しますからご安心を」


 ヘリヤはコツコツと靴音を鳴らしながらエルディへと詰め寄った。サルメライネン公爵家の執事のお仕着せとして与えられている背広の襟をぎゅっと掴み、顔を近づける。


「しっかりと聞いて、エルディ・アロ・アフリマン。確かにあんたはあたしより上位だろうけれど、『恋愛』に関してはあたしよりも下の下よっ。あのお嬢様はあんたじゃなく、アレクシス王子を選んだの。そして、アレクシス王子もまた彼女を選んだわ。でもそれは幸運な事なのよ? あんたが魔法を使ってアレクシス王子の心を操っていたのなら、間違いなく主はあんたを罰して堕天使にしていたことだろうから!」


 ヘリヤの忠告を聞き、エルディは声を上げて笑った。


「よもや、私がそのような事を予測できなかったとでもお思いですか? 私とて馬鹿ではないのです」


——例え、どれほど堕ちようとも彼女の側にいられるならば……。

 ヒュルケが私を愛してくれるのならば、地獄へ堕ちようとも構わない!!


「私の愛が例え狂気であろうとも、例え罪であったのだとしても、決して彼女の側を離れはしません」


 ヘリヤは悲し気にエルディを見上げた。襟を掴んだ手が震える。


「あんたは、それほどにもあの子を愛してるのね……」


 エルディは鼻で笑い、寂しげに瞳を細めた。


「『恋愛』など、知らなければ良かったのです……」


——そうだ。何も知らなければ、これほどまでに胸が焼かれるような苦しみを味わう事も無かった!!


 ヘリヤはエルディから視線を外し、襟を掴んだ手を下した。


 乱れた服をさっと整えながら、自分はいつまでこの執事の服を着続けなければならないのだろうかと自嘲した。


「……伝えたくは無かったけれど」


 ヘリヤは寂しげにそう言った後、言葉を止めた。


 エルディが苛立って「時間が惜しいので、早く話してください」と言ったが、ヘリヤはなかなかその先を話そうとしなかった。

 しびれを切らし、別にヘリヤの話などどうでもいいと踵を返したエルディの背に、慌てた様に震える声が放たれた。


「あの子は……ヒュルケ・ペルカ・サルメライネンは。主のものよ!!」


 振り返る事なく眉を寄せたエルディに、ヘリヤは更に言葉を投げつけた。


「あたしの言葉が信用できないのなら、自分で確かめたらいいわ。彼女の腿に、聖女の刻印があるの。聖女は主のもの。決して、天使のものにはならないわ!」

「……まさか」


「まあ! エルディったら、方々探しましたのよっ!?」


 ヒュルケの悲鳴の様な叫び声が礼拝堂に響き渡り、エルディとヘリヤは驚いて扉の方へと視線を向けた。ヒュルケは顔を真っ赤にして頬を膨らませ、折角の美人を台無しにしながらも憤然とし、聖卓へともの凄い速さで駆けてエルディの腕を強引に引きよせた。


「ヘリヤさんと随分と仲のよろしい事ですわね、エルディ!」

「……仲が良い様に見えますか?」


 どちらかと言えば言い合いをしていたのですがと、エルディは戸惑った。それよりも、最後にヘリヤが言った『ヒュルケが聖女』であるという言葉が気になり、エルディはヘリヤへと視線を向けた。

 だが、その服の裾をぐいと引き、ヒュルケが無理やりに自分へと向かせた。シーグリーンの瞳に薄っすらと涙を浮かべながら、頬をめいっぱいに膨らませている。


「良くお聞きなさいな! 貴方は私の専属執事ですのよ!? 一生私の側で仕えるのだから、覚悟しなさい!!」

「……お嬢様の一生と私の一生では随分と差がございます」

「余計な事は考えなくて良いのですわ! さあ、さっさと帰りますよわよ!?」


 ヒュルケは強引にぐいぐいとエルディの腕を引いて歩いた後、ハッとしたように振り返り、ヘリヤに向かって「ごきげんよう!」と怒鳴りつける様に声を放って去って行った。


 ヘリヤは二人を見送りながら、ズキズキと痛む胸にそっと手を当てた。


——どうか堕天する未来を選ばないで、エルディ・アロ・アフリマン。

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