今度は美女と野獣の世界に入ってしまいましたの
ヒュルケは家事をしながら、高慢で怠け者の姉たちの世話をしていた。
——なんだか虐められ慣れてきた気がするわ……。物語のヒロインはどうしてこうもいじめられ役ばかりなのかしら。
姉の一人が脱ぎ捨てた靴がポコンとヒュルケに当たり、ヒュルケは苛立って投げ返してやろうかと思ったものの、すっと揃えてベッドの横へと置いた。
——ここは『美女と野獣』の物語の中。ストーリー的には、父親が野獣の居る城に迷い込んでしまい、末娘のベルの為に薔薇を盗み、野獣に見つかって殺されそうになるのだけれど、ベルが父親の身代わりとなって野獣のいる城へと行くわ。次第に野獣の優しさに心が動かされていくベルだけれど、父親が病気になったことを知り、一時的に帰宅をするわ。
けれど、今度は野獣が病気になって死んでしまう夢を見てしまい、慌てて野獣の居る城へと帰るの。野獣に愛を誓った途端、呪いが解け、野獣の姿はハンサムな王子の姿へと戻り、ベルと野獣は結ばれるというお話だわ。
ため息をついて家事に明け暮れていると、青い顔をした父親が家に戻って来て、姉たちがやれドレスはどうした、外套〈がいとう〉の土産はどうしたと騒ぎ立てた。
「すまないね、土産はベルの頼んだこの薔薇だけしかないのだよ。私は野獣の城からこの薔薇を盗んだ囚人となってしまった。明日にはこの身は罪人として野獣の城に一生囚われる事となるのだよ」
姉たちがキャッと悲鳴を上げると、ベルのせいでそうなったのだと激しくヒュルケを責め立てた。
——はいはい。私が薔薇なんて頼むからこうなったのですわ。
「良いですわ。私がお父様の身代わりとして野獣のいる城へ行きます」
「それはならぬ!」
必死になってヒュルケを止めようとする父親を、ヒュルケはめんどくさそうな目で一瞥し、強引に外へと飛び出した。
——こんなところで家事に明け暮れているより、野獣のお城に居た方が数万倍マシだって、きっとベルだって思ったに違いないわ!
「待つのだ、ベル!! 私は娘を身代わりにする気など最初から無かった! 最後に一目お前達の顔を見て別れを告げたいと思い、戻っただけなのだよ!!」
必死になって追いかけて来る父親を見つめ、ヒュルケは驚いて瞬きをした。
——こういった童話には珍しくしっかりとヒロインの名前があるのね。つまり、この父親は娘をちゃんと愛していたということですわ。でも残念ね。貴方は所詮物語の中のキャラクターに過ぎなくてよ!?
「戻って来ておくれ、ベル!!」
「お黙りなさいなっ! 私は野獣のお城へ行くのよっ! いいえ、行かせて頂戴!!」
馬に飛び乗り、ヒュルケは父親の制止を振り切って野獣の居る城へと向かった。
◇◇
野獣の城に到着するなり、豪華な食事が用意され、宛がわれた部屋には『ベルの部屋』と書かれたプレートが飾り付けられており、大歓迎ぶりが滲み溢れていた。
——部屋を開けた途端、クラッカーでも打ち鳴らされそうな勢いですわね……。
幸いクラッカーこそ鳴らなかったものの、室内には鏡が置かれており、父親と姉たちが暮らす様子が映し出されていたため、ヒュルケは——私には関係ないわ——と、鏡に素早く布を被せて隠した。
——さてと。野獣の正体は王子様だから、恐らくアレクシス王子のそっくりさんよね。とすると、エルディは何処かしら?
ヒュルケは城内を探検して回ることにした。まだ野獣の姿すら見ていない。とりあえず顔を会わせない事には始まらないと考えたのだ。
城内はどこもかしこも手入れが行き届いており、清潔で豪華だった。コツコツと靴音を響かせながら歩いて行くと、ふと蝋燭の明かりに影が揺れ動き、逃げる様に消えていく様子が見えたので、ヒュルケはそれを追って駆けた。
「ちょっと! どうして逃げるのよっ!!」
息を切らせながら階段を駆け上って逃げる影を追いかけながら、ヒュルケは怒鳴りつけた。
「お待ちになって!」
ヒールが階段に引っ掛かり、豪快にズシャ!! と転ぶと、あまりの痛さにヒュルケは悲鳴を上げた。
「最悪ですわ。痛すぎる……」
涙目になって膝を抱えていると、ペタリペタリと足音が近づいてきて、そっと影が手を伸ばした。
「大丈夫……ですか?」
蝋燭の明かりに照らされて、その影が巨大な野獣の姿であることが明らかとなった。ヒュルケは涙目で野獣を見上げると、「貴方が逃げるから、転んでしまったのよ!」と、責め立てた。
「すみません。このような醜い姿をお見せして、怖がらせてはいけないと思ったのです」
「別に怖くなんか無いわ」
ヒュルケは野獣の手を借りて立ち上がると、ニコリと微笑んだ。野獣はヒュルケに見惚れる様に見つめており、牙の生えた大きな口を僅かに開けてポカンとしていた。
「私のこの姿が、怖くない……?」
「ええ」
「貴方はそれほどにも美しい容姿をし、美しい薔薇を欲しておきながら、私の姿が恐ろしくないと言うのですか?」
「ふわふわしていて可愛らしいじゃない。ちょっと見せてくださる?」
ヒュルケは野獣の肩に捕まり、手を伸ばして頭部に生えた角や立派な鬣に触れた。
「あら。思ったよりごわついてるのね。ちゃんとケアした方が素敵ですわよ?」
野獣は驚いた顔でヒュルケを見つめた後、恥ずかしそうに俯いた。大きくて立派な尻尾がふわふわと揺れている。
「ねぇ、案内してくださらない? こんな素敵なお城を探検しない手はありませんもの!」
「ですが、脚を怪我されたのでは?」
「貴方が支えてくださるのなら、これくらいどうってことないわ」
「勿論です」
野獣は嬉しそうに尻尾を振ると、ヒュルケの手を取り城中を案内した。野獣に城を案内して貰いながら、ヒュルケはエルディの姿を探したが、何処にも見当たらない事にがっかりと肩を落とした。
「……何かお探しの物があるのですか?」
元気のないヒュルケに野獣が問いかけると、ヒュルケは「なんでもないわ」と、ため息交じりに答えた。
——『美女と野獣』の他の登場人物と言えば、王子様を野獣の姿へと変えた魔法使いくらいね。確かにエルディは元々魔法使いなのだから、適役ではあるけれど。
ヒュルケは窓の外へと視線を向けながら深いため息を吐いた。
——エルディに会えるのは、物語の最期だけだわ。なによ、そんな順番なんか守っていないで、いつものようにさっさと姿を現しなさいよ。
「夕食に同席してもよろしいでしょうか」
野獣の申し出に、ヒュルケはぷっと噴き出した。
「同席も何も、全然構いませんわ。貴方はここの主人なのですもの。一緒に食事しましょう」
野獣はもじもじと手を動かすと、不安気にヒュルケを見つめた。
「ですが、私はこのような身体ですので、不快な思いをさせてしまうのではと。不快であれば仰ってください。直ぐに立ち去りますので」
「気にしないわ。マナーなら、私が教えて差し上げてよ?」
野獣と共に食卓に着き、ヒュルケは食事をする野獣を見つめた。確かに彼が心配するように、大きな手ではフォークやナイフが小さく握りづらい様だ。悪戦苦闘しながらも丁寧に食事を摂ろうとするその様子が、ヒュルケの目には可愛らしく見えた。
——彼の本当の姿は、アレクシス王子のそっくりさんなのだから、緩やかな癖毛の金髪にスカイブルーの瞳をした美青年のはずね。そんな彼があんな風に必死になって食事を摂っているのだと想像すると、可愛らしく思えて当然ですわ。
ニコニコと微笑みながら見つめるヒュルケの視線に、野獣は恥ずかしそうに俯いた。
「すみません。やはりお見苦しいでしょう。私は別室で食事を摂る様にいたします」
「あら、違うわ! 無作法に見つめてしまってごめんなさい。貴方が私を気遣って少しでも綺麗に見せようと食事を摂る姿が、とても素敵だと思って見ていただけですの!」
野獣はライオンの様な大きな耳を平らに伏せて、チラリとヒュルケを見つめた。
「そのように見つめられては、どうにも緊張し食事どころではありません……」
野獣のその様子が一瞬、灰色の髪に銀色の瞳の男、エルディの姿と重なった。
ドキリとヒュルケの心臓が鼓動した。
——なにこれ、心臓がおかしくなった!?
「あ……そうですわよね!? ご、ごめんあそばせ!」
ヒュルケは上ずった声を出すと、黙々と食事を続けた。
——なんだか食事の味がよく分からなかったわ……。
野獣がヒュルケを部屋まで送って行くと、部屋の前で再びもじもじと手を動かした。
「どうかなさって?」
と、ヒュルケが小首を傾げながら野獣を覗き込むと、彼は意を決した様に「私の妻となってください!」と声を上げた。
「え!? あ……う……ううん!?」
——そういえば、野獣は毎日ベルに求婚するのよね!? 危ない、『うん』って言ってしまうところだったわ!!
「い、嫌ですわ!?」
野獣はヒュルケに断られてしょんぼりと項垂れると、「それでは、明日また……」と言って、暗い廊下をトボトボと去って行った。




