私の秘密をご覧になったのかしらっ!?
屋根裏のボロ部屋に設置された粗末なベッドに、眠りについたヒュルケをそっと寝かせると、エルディは彼女に優しく毛布を掛けてやった。
「辛い思いばかりさせてしまい、申し訳ございません……」
——私がお嬢様と関わらなければ、ヘリヤに邪魔される事なくアレクシス王子と結婚していた事だろう。
振り返ると、開け放った窓の外で薄っすらと空が白んでいく様子が見えた。エルディは窓枠に腰かけて暫く日が昇る様子を見つめた後、その身をふわりと窓の外へと投じた。
◇◇
夜が開けて間もなく、王子の家来たちが城下中を練り歩き、ヒュルケが城に残して来たガラスの靴に、ぴったりと足が合う娘を探し回っていた。噂がヒュルケの居る館まで聞こえて来ると、姉達が騒ぎ立てた。
「あの靴が履ければ、王子様と結婚できるのね!?」
「無理やりにでも履くわよっ!」
闘魂を燃やしながら息巻く姉達を他所に、ボロを纏ったヒュルケはぼうっと物思いに耽っていた。思い出すのは昨夜エルディと二人で出かけた夜空の散歩だ。
——本当に、素敵なひと時でしたわ。エルディは物語の世界から帰った後も、お願いをすればまた連れて行ってくれるかしら。
昨夜は帰ろうとするエルディに何度も『もう少し』とせがんで、結局いつの間にか疲れて眠ってしまっていた。屋根裏部屋のベッドには彼が運んでくれたのだろうと思うと、嬉恥ずかしくなってヒュルケは頬を染めた。
とはいえ、睡眠不足がたたり、押し寄せる睡魔には勝てない。ふあ……と、欠伸が出そうになり慌てて嚙み殺していると、姉達に「さっさとお茶を持って来なさいよ!」と小突かれて、ジロリと睨み返した。
「まあ、生意気ねっ!」
「反抗的ですわっ!」
ヒュルケの態度に姉達が怒り心頭に喚き散らしたので、ヒュルケは面倒になって鼻で笑った。
——どうせもうすぐこの物語は終わるんですもの。わざわざ反抗してみせて、厄介な事にするよりは黙って従った方が懸命ですわね。
そんな風に思い直してお茶の準備をしようとすると、館の扉を叩く音が聞こえた。恐らく王子の家来たちが訪れたのだろう。継母は甲高い猫なで声で来客を出迎えて、自分の娘二人を呼んだ。が、呼ばれても居ないヒュルケはさっさとこの物語を終わらせてしまいたい一心でしゃしゃり出ると、館へと訪れた家来たちに向かって「私が履くわ!」と、ドンと脚を突き出した。
「シンデレラ(灰かぶり)のくせに生意気ねぇ!」
「あんたなんかに合うはずが無いじゃないのっ!」
姉たちは怒り狂ってヒュルケを押しのけると、先を争う様にガラスの靴へと脚を突っ込んだ。
——無駄な努力、ご苦労様ですわ……。そういえば、昨夜の舞踏会はトイレで過ごしたと仰ってましたわね。いい気味ですわ。
ヒュルケがしらけた目でその様子を見つめていると、「ちょっと待ったー!」と声を張り上げて、威勢よく館の中へと飛び込んで来た者が現れた。
「あら、眉毛さん。遅かったですわね」
肩肘をついてつまらなそうにヒュルケが声を掛けると、威勢よく飛び込んで来たヘリヤは、栗色の髪を振り乱して「あたしの名前は『眉毛』じゃないわ!!」と声を張り上げた。
「そんなことより、もっと驚きなさいよっ!」
「どうせまた現れるのだろうと予測しておりましたもの。今更驚きませんわ」
「ふ……ふん! 上等じゃないの! エルディは何処!?」
「相変わらず騒々しい方ですね……」
エルディはひょっこりと王子の家来たちの中から姿を現すと、ふあっと欠伸をした。エルディもヒュルケ同様寝不足なのだ。ヒュルケとエルディは互いに視線を合わせると、少々気まずそうに目を逸らした。
夜空の散歩は、思い起こせばロマンチック過ぎる程に素敵なデートだった。
「な、なによ。なんだか仲良さげじゃないのっ!」
二人の様子を感じ取ってそう言ったヘリヤに、ヒュルケは両頬を恥ずかしそうに手で包み込んだ。
「昨夜色々ありましたの」
「色々って何よ!?」
「色々ですわ!」
「……色々は無かったかと存じますが」
エルディが困った様に突っ込みを入れ、コホンと咳払いをした。
突然の乱入者達に呆気に取られている継母や姉たちの前で、ヘリヤが悔し気に歯をギリギリと鳴らしている。
「まあ、とにかくさっさと終わらせてしまいましょう。こうしていても埒が明かなくてよ?」
ヒュルケが面倒そうにガラスの靴へと脚を差し入れようとし、「待ちなさいよ!」と、ヘリヤに突き飛ばされた。
いつもならば簡単に突き飛ばされたりはしないヒュルケだが、寝不足でふらついていた事もあり、バランスを崩して豪快に床に倒れ込み、質素な服のスカートがまくれ上がった姿を、その場にいた全員に披露する羽目となった。
「#$%&☆!!!!!」
シンデレラの質素な服装では、下着すらも適当である。声にならない悲鳴を上げてヒュルケはまくれ上がったスカートを直したが、その場に居た男性達はエルディも含め、気まずい顔を逸らした。
だが、気まずそうな表情を浮かべる者達の前で、ヘリヤだけが唯一人困惑の色を浮かべていた。
「ちょっと、貴方今……腿に……」
「誰も何も見ていませんわよねっ!?」
ヘリヤが口にした言葉を遮る様にヒュルケは甲高い声を発したが、ヘリヤは負けじと言葉を重ねた。
「でも、あんたあの印は……」
「おだまりなさいなっ!!」
必死になってヒュルケがヘリヤの口を両手で塞ぎ、その様子をその場に居た全員が唖然として見守っていた。
一体ヘリヤはヒュルケの腿に何を見つけたのだろう、とエルディが不思議に思っていると、ヒュルケは顔を真っ赤にしながら「貴方方、うら若き乙女のドレスの中を想像するだなんて、破廉恥な事はお止めになって!」と一喝されてしまった。
「いいから早くガラスの靴を試したらどうかしら!?」と、ヒュルケが強引にヘリヤを促し、困惑しながらもヘリヤがガラスの靴へと脚を差し入れた。
不思議な事に彼女の脚はぴったりと靴にはまり込み、ヒュルケは「え!?」と、声を上げた。
「おお! なんということだ。あなたこそ探し求めていた娘に違いない!」
と、家来たちが声を上げて喜び、ヒュルケはキョトンとした。
「あ、あら……。私とヘリヤさんの脚のサイズって同じでしたのね?」
唖然としながら声を放ったヒュルケに、エルディは「いいえ。彼女の魔法でしょう」と、つまらなそうに種明かしをしたが、ヒュルケのそわそわとした様子がどうにも気になって仕方がない。
「お嬢様、一体……」
「貴方こそ、王子の探し求めていた女性に違いありません!」
従者達が大喜びでヘリヤを称える様に頭を下げ、エルディの問いかけた言葉が掻き消されてしまった。ヘリヤは得意げに胸を反らせていたが、ふと不安そうな目をエルディへと向けた。
パッと辺り一面が光に包まれ、エルディとヒュルケの二人だけとなった。エルディは無言で俯いており、ヒュルケはエルディの側へと来ると、彼の肩にそっと触れた。
「あ、あの……『見た』のかしら?」
「いいえ、何も」
そう答えて、エルディは詮索してはいけないと思って押し黙り、ヒュルケは困った様に顔を背けた。
気まずい空気が二人の間を流れる。
「……今回は私に『恋愛』について分かった事を聞かないのかしら?」
沈黙に耐えられなくなってヒュルケが言うと、エルディが僅かに頷いた。
「ええ。私にも何となく解って来たような気がするのです」
二人の脳裏に、夜空を散歩した昨夜の光景が浮かんだ。
ヒュルケはクスリと小さく笑うと、「成程、上出来ですわ」と、いつもエルディが口にしていたセリフを真似た。
眩い光が二人を包み込み、すぅっと消えて行った。