シンデレラはお城に殴り込みに行きますわよ!
床を懸命に擦りながらヒュルケが溜息を吐いていると、ズカズカと廊下に脚を踏み入れて来た継母と遭遇した。彼女は苛立った様にヒュルケを見下し、金切り声でまくし立てた。
「なんてトロくさい娘なのかしらっ! さっさと掃除を済ませて、お茶を運んで頂戴っ!」
「なんですって!?」
ヒュルケは憤然と立ち上がり、手に持っていたタワシをバシリ! と投げつけた。
軽く投げたつもりが思いのほか力が入り、床から跳ね返って天上に当たり、天上から壁、壁から床に落ちた後に何度かバウンドして転がった。が、そんなタワシの悲惨な様子にもお構いなしに、継母に顔を近づけてガンを飛ばし、「何様よあんたっ! おう!?」と、令嬢らしからぬ喧嘩をふっかけてくるので、あまりの迫力に継母はつっと顔を背けた。
「い……いいから早くしなさいなっ!」
と、継母は負け惜しみの様にそう言ってそそくさとその場を後にしたので、その背中に向かってヒュルケは小ばかにして鼻を鳴らした。
——どうやら『シンデレラ』の物語の中へと来てしまった様だわ。
このお話は確か、意地悪な継母とその娘たちにいびり倒されたシンデレラが、ボロを纏っている為、お城の舞踏会に行くことができずに泣いていると、魔法使いが来て素敵なドレス姿に変身させてくれるのよね。ただし、その魔法は十二時までという時間制限付きで、慌ててお城から帰ろうとするシンデレラは、ガラスの靴を片方落としていく。王子様はその靴を頼りにシンデレラを見事見つけ出し、めでたしめでたしというお話だったはずだわ。
それにしても……シンデレラだなんて、『灰かぶり』という意味ですわよね。またしても酷い呼び名ですわね。
ヒュルケは放り投げたタワシを律儀に拾いに行くと、掃除を再開しながらキョロキョロと辺りを見回した。
とりあえず継母や義姉達がエルディではないということは明らかだ。王子役は恐らくまたアレクシス王子のそっくりさんだろうと考えると、エルディが次は一体どんな役どころで登場するのだろうかと、わくわくと期待した。
——エルディはちゃんと私を助けてくれるし、あれでいて結構いい奴だわ。早く登場しないかしら?
「キャア!! 素敵っ! お城の舞踏会への招待状よっ!」
継母の連れ子。つまりシンデレラにとっての義姉たちがキャッキャと嬉しそうに騒ぎ始め、「シンデレラ、早くお茶を持ってきなさいよ!」と、ヒュルケにまくし立てた。
「はい只今」
ヒュルケは気味が悪い程に素直に応じると、ティーセットをトレイの上に乗せて姉たちの部屋へと運んだ。部屋の中ではあれやこれやとドレスを引っ張り出し、姉たちが盛んに化粧を塗りたくっている光景が広がっている。
「お茶をこちらに置いておきますわ」
ニコリと愛想笑いを浮かべながらテーブルの上へとお茶を置くと、ヒュルケはそそくさと部屋を後にした。姉たちはお茶を飲みながら舞踏会へ行く準備を進め、楽しそうに部屋の中で騒いでいる。
いよいよ出かけるとなった時、継母や姉たちはヒュルケを見つめ、「貴方も舞踏会に行きたい?」と、意地悪そうに尋ねた。ヒュルケが答える前に「その恰好じゃ笑いものになるだけでしょうけれど!」と、言って、高笑いを発した。
——なんだか、私もあんな感じだったような気がするから反省しなきゃですわね……。
継母と姉たちが王城へと向かう馬車を見送りながら、反省したのも束の間、ヒュルケはニヤリと意地悪くほくそ笑んだ。
——あのお茶にはたっぷりと下剤を入れておきましたわ! せいぜい舞踏会の最中にトイレに引き籠って苦しんでらっしゃい!
「やれやれ、悪役染みたその笑み。なんとかならないのですか?」
背後から声がかけられて振り向くと、灰色の髪に銀色の瞳をしたエルディが苦笑いを浮かべて立っていた。
「あら? 貴方、今回は元の姿のままですのね?」
そう言って、ヒュルケはマジマジとエルディを見つめた。
「……なんです?」
「いえ。貴方ってこんなにハンサムだったかしら?」
「!?」
驚いて瞳を見開いたエルディにお構いなしに、ヒュルケは「じゃあ、今回エルディには登場キャラクターの役どころが無いのかしら?」と言葉を続けた。
エルディはコホンと咳払いをして自分を落ち着かせると、チラリと庭へと視線を向けた。
「とんでもございません。私の役どころはお嬢様を変身させる魔法使いの役ですよ。さあ、かぼちゃを持って来てください」
「何よそれくらい。魔法使いなら私にやらせなくても自分でできるでしょうに」
ヒュルケの言葉に、エルディはやれやれと肩を竦め、毅然として胸を反らせた。
「良いですか、お嬢様。目的をお忘れになってはなりません。貴方はこの物語を通して、『恋愛』とは何かを学び、私に教えなければならないのですから」
「それとこれと何が関係あるというのよ?」
「多少なりとも与えられた役通りに熟〈こな〉さなければ、なにも得るものが無いということです」
ヒュルケは面倒そうにため息を吐くと、「わかったわよ。ケチねぇ」と悪態をつき、庭へかぼちゃを取りに向かった。
ボロ布を纏うヒュルケの姿がなんとも可愛らしく思え、庭へと向かう様子を見送りながらエルディはふっと微笑んだ。
——元の世界ではあのようなボロを纏う事などない、大富豪のご令嬢だというのに。
「おら、持って来ましたわよっ!!」
ドン!! と、担いできた巨大なかぼちゃ置くと、ヒュルケは手を打って土埃を払った。
「相変わらずの怪力ですね、お嬢様」
「これくらい大したことではなくってよ? そんなことより……」
ヒュルケは僅かに頬を染め、恥ずかしそうに俯いた。
「今回も、王子役はアレクシス王子のそっくりさんですのよね?」
「……恐らくはそうでしょうね。それが何か?」
「私、アレクシス王子と踊るのは初めてですのっ! どうしましょう、上手く踊れるかしら!?」
両手で両頬を包み込み、ヒュルケが嬉しそうに声を発した。エルディは何となく面白く無いと思いながら、「それは良かったですね」と言って、かぼちゃを杖先で三度ほど叩いた。
ポン!! と、音と共に煙が舞い上がり、かぼちゃがたちまちのうちに金塗りの馬車へと変わった。そしてチョロチョロと駆けまわるネズミに向かって杖を振り、今度はねずみが見事な白馬へと変わった。
「凄いわエルディ! 魔法使いみたいじゃない!!」
「魔法使い役ですからね」
「元の世界でも、貴方はこんな魔法を使えるのかしら?」
キラキラと期待を込めた瞳で見つめられ、エルディは片眉を吊り上げた。
「ええまあ。このように簡単にはいきませんが、近い事であれば」
「まあ、素敵! エルディは大魔法使いですのね! 素晴らしいことじゃない。サルメライネン公爵家は、貴方の様な有能な執事を持って幸せですわね!」
ヒュルケに褒めちぎられて、エルディは気持ちが高揚し、妙な気分になった。
——今まで魔法を誰かに褒められても、特に何とも思ったことなどないというのに……。
「さてお嬢様、仕上げと参りましょう。そのボロ服を極上のドレスへと変えてごらんにいれましょう」
エルディがパッと杖を翳すと、ヒュルケのボロ服が瞬く間に宝石の散りばめられた美しく、上品なドレスへと変わった。高く結い上げられた自慢の金髪には上等な髪留めが飾り付けられ、透き通るような白く繊細な肌の首筋には、輝くネックレスが揺れた。
エルディはヒュルケの美しさに暫し見惚れ、彼女が自分の姿を確認するかのようにドレスの裾を持って振り返ったりする様子を、無言のまま見つめていた。
「うーん、もう少し飾りっ気が欲しい気がしますわ」
「何をおっしゃいますやら。この位が品があって丁度良いのです。お嬢様の美しさが一層引き立てられ、良くお似合いですよ」
エルディに褒められてヒュルケは顔を真っ赤にすると、「貴方がそう言うなら別にこれで良いわ!」と、顔を背けた。
「さあ、こうしちゃいられないわ! すっかり出遅れてしまったもの、急がなくちゃ!」
「お待ちください」
エルディは輝きを放つガラスの靴をヒュルケへと差し出して、「どうぞこちらへお掛けください」と噴水の上に自らのマントを外して敷いた。戸惑いながらもヒュルケが腰かけると、エルディはヒュルケのヨレヨレの靴を脱がせて、するりとガラスの靴を履かせた。
ヒュルケはくすぐったく思い、声を上げるのを必死に我慢しながらエルディを見つめた。長い睫毛に縁どられた銀色の瞳で、じっとヒュルケの足を見つめるエルディの様子に恥ずかしくなり、ヒュルケは素早く立ち上がった。
「さあ、これで完璧ですわね? 舞踏会に乗り込みますわよっ!」
ヒュルケは勢いよく馬車へと飛び乗った。エルディはやれやれとため息を吐くと、馬車のドアに手をつき、覗き込んだ。
「ふむ、どこから見ても完璧にお美しいです」
さらりとエルディの灰色の髪が揺れる。ヒュルケはやけに恥ずかしくなり、エルディの方へと視線を向けずに「お世辞が上手ね! さあ、早く向かわせて頂戴!」と口早に急かした。
「……魔法は物語通り、十二時には解けてしまいます。それまでの間、存分に王子とのダンスをお楽しみください」
エルディは低い声でそう言うと、馬車のドアをそっと閉じ、馬に王城へと向かう様にと指示を出した。
エルディの指示に従って走り出した馬車の中、ヒュルケはそっと後ろの窓から外を覗き込んだ。寂しげな顔で見送るエルディの姿が見える。彼はヒュルケの乗った馬車が見えなくなるまでずっとその場に居り、ヒュルケもまたエルディの姿が見えなくなるまで窓の外を見つめていた。