昆布巻きを舐めてはいけなくてよ!?
「もしもし? 大丈夫ですか?」
身体を揺り動かされて、ヒュルケは顔を顰めながら瞳を開けた。緩やかな癖毛の金髪を揺らし、スカイブルーの瞳をした男が、心配そうにヒュルケを見つめている。
「あらどうもごきげんよう……」
寝ぼけた様にそう言ったヒュルケを見つめ、彼はアレクシスと瓜二つのその顔に困った様な笑みを浮かべ、ため息を洩らした。
「こんなところで真っ裸で寝ていては、風邪をひきますよ?」
「え!? 真っ裸!?」
ヒュルケは慌てて飛び起きて自分の身体を見下ろすと、海藻を巻き付けてはあるものの確かにご指摘通り真っ裸であると認識して、悲鳴を上げ素早く岩の影へと隠れた。
「最悪ですわ!! お嫁に行けないわっ!!」
——最悪最悪最悪最悪!! 私の人生終わりですわっ!!
しくしくと泣き出すヒュルケに王子は困った様に笑うと、「大丈夫、海藻が巻き付いておりましたので、私は何も見ておりません」と言って自らのマントを外してヒュルケへと差し出した。岩陰から腕を伸ばしてマントを受け取ると、ヒュルケはそれを羽織って「ありがとう」と顔を真っ赤にしながら言った。
「いえ、礼には及びません。行くところが無いのでしたら、一度私の元へといらっしゃいませんか? 着替えや食事等、多少なりとも用意ができます」
「あの、本当に見ていないのかしら?」
ヒュルケはそっと自らの腿に触れながら言った。王子はニコリと屈託のない笑みを向け、「ええ、何も」と頷いた。
「私はこの国の王子です。この身に誓って貴方に危害を加えないとお約束いたしましょう」
——アレクシス王子も、こんなに親切な方なのかしら?
ヒュルケは驚いてシーグリーンの瞳を見開き、王子を見つめた。王子もまたスカイブルーの瞳をヒュルケへと向け、優しい笑みを浮かべた。
——何かしら、なんだかちょっと妙な感じだわ……。
コホン、と咳払いをすると、王子は紳士的にヒュルケへと手を差し伸べて、ヒュルケはマントで身体を隠しながらその手の上に自らの手をそっと乗せた。
「着替えと、まずは温かいスープを用意させましょう。他に何か欲しい物はございますか?」
王子はヒュルケをエスコートしながら言い、ヒュルケは首を左右に小さく振って大人しくついて行った。
サクリと砂を踏みつける度に、ヒュルケの足が酷く痛んだ。恐らく薬の副作用によるものだろう。いつもの彼女であれば泣き喚いて抱き上げて運ぶようにと要求するところだが、何故かそんな気になれず、唇を噛みしめて痛みに耐えながら静かに歩いた。
王城では舞踏会が繰り広げられていた。ドレスへと着替えを終えたヒュルケが王子の側へと向かうと、王子は驚いた様に瞳を見開き、「なんと美しい」と感嘆の声を上げ、周囲の者もそれに賛同するかのようにヒュルケの姿に釘付けとなった。
——アレクシス王子に、そんな風に言われたことなどあったかしら?
ヒュルケは複雑な思いを抱きながら、寂しげに笑みを浮かべた。
「それにしても、殿下は舞踏会の真っ最中に抜け出したんですの?」
ヒュルケの突っ込みに王子は苦笑いを浮かべると、「少し気が乗らなくて」と、ため息交じりに答えた。
「先日、私の乗った船が嵐に巻き込まれまして。その時助けてくれた女性が忘れられず、毎日隙を見てはああやって海岸を歩く様になりました」
——助けたのは私だわ!
ヒュルケがそう伝えようとした時、王子がすっとヒュルケへと手を差し伸べた。
「もしよければ、一曲私と踊っていただけませんか」
——そんなこと言ったって、足が痛いのにっ。
ヒュルケは唇を噛みしめてつっと王子の手から目を逸らした。その行動を見て、王子は誘いを断られたのだと理解し、残念そうに手を下ろした。
「不躾な申し出をしてしまい、失礼しました。貴方はまだ身体を休ませなければならない身だというのに。配慮の足りない私を、どうか嫌わないでください」
ヒュルケは慌てて首を左右に振ったが、王子は申し訳なさそうに笑みを浮かべた。その笑顔がヒュルケには眩く見え、思わず顔を背けた。
——おかしいわ。声が出るはずなのに、上手く話す事ができないだなんて。
王子の顔を見ることができず、ヒュルケはぎゅっと拳を握り締めた。理解不能なざわざわとした気持ちに不安を覚え、唇を噛みしめた。
——どうしたのかしら。なんだか恐ろしいわ……。エルディ、貴方は一体何処に行ってしまったの? 貴方に逢いたい。早く私の側に来て……!
「……海岸で、貴方を見つけた時。胸が高鳴りました」
王子がポツリと言葉を放ち、ヒュルケは驚いてシーグリーンの瞳を見開いた。
「やっと、探していた方と逢えたのだと思ったのです。ですが、どうやら私の勘違いのようですね」
「そうではないの、私……」
「申し上げます!!」
兵士がパタパタと駆けて王子の前で膝を付き、声を放った。
「殿下。隣国より王女様がいらっしゃいました」
「は!?」
兵士の知らせに、ヒュルケが思わず素っ頓狂な声を上げ、慌てて両手で口を押えた。
——おかしいわ! 物語通りだと、隣国へは国王の命令で、王子が自ら王女に会いに行くはずですのにっ!
奏でられていた音楽がピタリと止み、広間の扉が開け放たれた。近衛騎士を従えた黒髪の女性が優雅に広間へと足を踏み入れると、銀色の瞳を王子へと向けた。
透き通るような白い肌にほっそりとした腰、長い手足。絶世の美女と言っても過言ではない。
王子は思わず数歩王女の側へと進み出ると、驚愕の表情を浮かべたまま王女の前に跪いた。
「貴方はもしや、私のたんこぶの手当をしてくださった女性では!?」
王女はニコリと微笑んだ後、頷き、「お久しぶりです、殿下。お会いしとうございました」と優雅にお辞儀をした。
「それはそれは見事なたんこぶでしたので、心配しておりました。その後のご加減が気になりまして、面倒ではございましたが仕方なくこうして足を運んだ次第にございます」
——なんだか棘のある言い方ですわね……。
チラリとヒュルケが王女を見つめると、王女もヒュルケを見つめており、バチリと目が合った。
——何かしら? 敵意を感じる気がしますわ。上等じゃないの、受けて立ってやろうじゃない!
ヒュルケは腕を組むと、ぐっと顎を持ち上げ、王女に向かってガン飛ばしを決め込んだ。
王女は苦笑いを浮かべると、「そちらのお美しい方は?」と、王子に声を掛け、王子はハッとしてヒュルケへと視線を向けた。
「彼女は先ほど海岸で……出会いました」
流石に拾ったとは言えず、言葉を濁すような形でそう答えた王子に、王女は「そうですか」と言ってニコリと微笑んだ。
「少々二人だけでお話がしたいので、宜しいでしょうか」
そう申し出た王女に、ヒュルケは「は? 私は貴方に話しなんかなくってよ?」と、興味無さげにサラリと言い放った。
「いいから来なさい!」と、突然図太い声を発した王女に面食らい、ヒュルケは王女に連れられて広間から別室へと移動した。
——ちょっと! なんですの!? 脚が痛いというのにっ!!
別室へと入った途端、王女は「ああ、やれやれ最悪です」と言いながらため息を吐き、ハイヒールを脱ぎ捨ててソファへと腰を下ろした。
その様子を見てヒュルケは青ざめて、王女を指さしながらパクパクと口を動かした。
「その話し方、ひょっとして、エルディですの!?」
やっとのことでそう言ったヒュルケを見つめ、エルディ王女は細い肩を竦めてみせた。髪の色こそ黒髪ではあるものの、銀色の瞳は成程エルディであると納得できるほどに美しかった。
「隣国の王女役だなんて、驚きですわ! 何処から見ても女性そのものですわね!」
「私もこの身体になった時は驚きで暫し時が止まりましたよ。それより、何故お嬢様は話せるのです? 人間になる薬と引き換えに、魔女に声を差し出すはずでは?」
エルディ王女の突っ込みに、ヒュルケは気まずそうに目を逸らした。
——強盗した、だなんて言えませんわ。
ヒュルケもソファの上に腰を下ろすと、「ちょっとワケがあって……」と、もごもごと言った。
「それと、王子の頭に巨大なたんこぶがあったのは何故です? まさか、お嬢様。王子を殴ったのですか?」
「ち……違いますわ! 嵐の海で助けようとして、大破した船の破片にぶつけただけですわっ!」
エルディ王女はホッとした様に胸を撫でおろし、チラリとヒュルケへと視線を向けた。
「殴りつけたい程にアレクシス王子が憎いのかとゾッとしました」
「そ、そんな訳無いじゃない! 私はその……彼のこと、殆ど知らないのですもの……」
海岸で優しく微笑んで手を差し伸べた王子の姿を思い浮かべ、ヒュルケは顔を赤らめて俯いた。エルディ王女はヒュルケのその様子を見て不思議そうに小首を傾げた。
「どうしたのです? どこか痛みますか?」
「そ、その……あ、脚がものすごく痛いんですの!」
「そういえば、薬の副作用でそうなる設定でしたが、今まで我慢なさっていたのですか?」
ヒュルケがこくりと頷くと、エルディ王女は細い眉を吊り上げて驚いた顔を向けた。すぐさま両手をヒュルケの脚へと向けて詠唱すると、瞬く間に痛みが和らいだ。
「物語を一つ終える毎に少しずつ私の魔力が戻って来ている様なのです。まだ痛みますか?」
「もう平気ですわ。ありがとう、エルディ!」
「それにしても意外ですね、お嬢様が黙って我慢されていたなどと」
「言いだしづらかったのですわ! 王子があまりにもお優しいものだから。ただちょっと、その……元の世界のアレクシス王子も、あのようにお優しかったかしらと思っただけですわ」
「え……!?」
——なんだか面白く無い!!
エルディ王女が仏頂面で立ち上がり、ヒュルケは驚いて見上げた。