貴方から見る世界の景色
「行ってしまいましたね…」
先ほどまで弟子に向けていたアルカイックスマイルを歪め、その男は後ろにゆるりと視線を向ける。
【『行ってしまいましたね』じゃねえよ、このカス】
のしのし…と片足で音をわざとらしく立てるイタチはいかにも怒っていますという風体だ。
見た目は可愛らしいのにどこかオッサンくさいイタチはもちろん魔王…ではない。
魔王は今、ハクセイを闇に堕とすイベント中だ。
では、このイタチは誰なのか。
「生徒の成長を促すのは良いことじゃないですか。
私、喜ばしいです。
貴方はミルリの成長を喜んではくれないのですか?
………………時空天使筆頭アーモ様」
時空天使筆頭。
それは読んで字のごとく時空天使すべての頂点に存在する者を指す。
アーモがなぜイタチの姿をしているかというと単に使い魔に乗り移っているからである。
【白々しいんだよお前。
第一、自身がサポートするキャラを幸せに出来なかった時空天使がどうなるか、お前も知ってるだろ】
腹立たし気にアーモはクライを睨む。
ミルリは不適任の場合、処理されると認識しているが、それは100%正解ではない。
でも不正解でもないのが厄介なところだ。
「ええ。確か、魂の権限を全て失うんでしょう?
時空天使の力はもちろんのこと、転生する力も、声を届けることも、自らの意志で動くこともできず、やがて消滅するその時まで世界を漂い続ける粒子となる…ですよね。
それは可哀想ですねえ」
【っお前】
同情のかけらもない口調でおおらかに応えるクライに、アーモは批難の声を上げようとする。
アーモは乱暴な物言いで誤解されることはあるものの、実は変人の多い時空天使の中でかなり常識がある。ゆえに、筆頭を押し付けられているのだが。
クライはアーモの言葉を遮り、口を開く。
「まあ、いいじゃないですか。
決めるのはあくまでもミルリ、ですから」
それ以上、クライは何も話す気がないようで、アーモに背をけた。
このままクライに一旦姿を消されると、アーモですら見つけるのに時間が掛かる。
その才能を他に回してくれと思わないでもないが、差し当たって探す理由もない。
この件だけで探すには労力を無駄にするだけだ。
【はあ…、ミルリの担当をあの時無理にでも変えとくべきだったか。やはり、お前は指導能力はあっても人格に大いに問題がある。だから本当は誰の先導者にもする気は無かったのだが…】
あの時は仕方がなかったのだ。
そうとしか言いようがない。
「ふふ、何を今更。私をミルリの師に任命したのは貴方ではないですか。
あぁ可哀想ですね、彼女。本来の寿命すら全う出来ず殺され、転生先は自分を殺した時空天使。
更には師が私。実に残酷…あははっ」
実に晴れやかな笑みで嗤うクライに、アーモはこの日何度目かも分からない苛立ちを抱く。
【同情するか、嗤うか、どっちかにしろよボケ。
まったく、何で世の中は常識人に世知辛いんだろうなっ
だが、ミルリに関してはこの件さえ終われば一人前。
お前と引きはがしてやれる】
「無事にヒロインを幸せに出来れば、ですけどね」
クライが余計な一言を付け加えるが、アーモは頭を押さえるような素振りをして軽く息を吐いた後、ピョンと瓦礫の上に飛び乗る。
遠くではミルリが魔物を蹴散らしながら、風で爆走している音が聞こえる。
相変わらず師匠と違い荒っぽい奴だとは思うが、むしろ師に似なかったことには賞賛を送りたい。
【ミルリが何を見、何を思い、何を選択するか。
それは彼女だけの意志。
俺はそれがお前の望み通りにならないことを願おう。
全ての時空天使に幸せをーーーーーただし、お前以外のな】
アーモは一鳴きして、光に溶ける。
帰っていったのだろう。
クライは特に気にも留めず、己が弟子がいる方向を見やる。
「幸せ、ね。…なるといいですねえ」
ペロリ。
唇に舌を這わせながら蠱惑に口元を吊り上げるその様は天使という言葉は似つかわしくない。
かと言って悪魔のように邪悪でもなく、ただただ妖うい。
そう、禁断の果実、触れてはいけない禁忌…さながら堕天使のようであった。
sideミルリ
「先生はまいたし、他は魔物ばかりで肝心のハクセイがいないね」
ミルリは風魔法で周囲を瓦礫と化しながら低い高度で空を舞う。
勿論、セイレンをしっかり抱きしめて。
「み、ミルリさま、意外に乱雑でらっしゃ…キヤァァアア!」
「あ、ごめんね。ちょっと速度落とそっか」
「大丈夫です!それよりハクセイさまをっ」
ヒロインは歯を食いしばっている姿すら可愛いな。
恋する乙女の可愛さ的な。
ところで勢いで動いちゃったけど、セイレンの今の戦闘力って如何ほどなんだろうね?
それに、この子の幸せの意味はなんだろう。
「お姫様ってハクセイのこと好きなんでしょ?
ハクセイと一緒なら周りが阿鼻叫喚でもハッピーになれちゃう?
ハクセイとこの世界、どっちか大事かな」
「は、い?
あの、当然、ハクセイさまの方が大事ですけど…
だってこの世界は私に冷たかったから。
暖かかったのは家族以外にあの人だけ。
ううん、家族以上」
そっか今は奇麗なお洋服着て、美味しいもの食べてお肌もツヤツヤなセイレンだけど、昔は光の力で誰かを助けてもその度に迫害されてたんだっけ。
セイレンは今はスラスラそのことを話せているけど、どこか表情に翳りがある。
「だからハクセイさまのこと、繋ぎとめたくて光の魔法たくさん練習しました。
私が光の乙女である内はハクセイさまは砂糖菓子のように甘くしてくれるはずだから」
「それはハクセイというより、ハクセイの優しさに依存してないかい?」
「そうかもしれません。
でも、忖度があったって他人に優しくできる人はすごいです。
立派な個性の一つです。
私もハクセイさまの優しさに支えてもらった。
ハクセイさまが好きって気持ちはそこから始まったんです」
優しくできる人…例え忖度が有ったとしても、か。
私はふと、無機質な笑みを浮かべる師を思い出す。
圧倒的に強くて、弱みなんかなさそうな、いつも笑ってる不気味な人。
でも、初めて差し伸べてくれた彼の手は血管が通ってて温かかった。
「でも、世界か彼かと問われれば、いえ、選択する日が来るのだとすれば、私は自決するでしょう。
私は罪の意識に耐えることも、愛する者の居ない世界を守ることもできないだろうから。
それに…どっちか選ばなければならない時は、ハクセイさまはもう私の愛した優しいハクセイさまでは無いのでしょう?」
「…!!」
あぁ、私は何を勘違いしていたのだろう。
ヒロインの、この子の、幸せは…
(私では叶えることができない)
先生に勝つことも出来ず、計略も未熟な私では日の当たる場所でこの子を幸せにすることなど…
「でもね、ミルリさま。
今の一番はハクセイさまの無事。
それと、ただハクセイさまに会うことだけが私の望み」
小さい掌を祈るように重ね合わせるセイレンは、決して神に祈っているのではない。
ハクセイの無事を願いつつも、最後は自分で道を切り開く者の目だ。
…そうだ、未来はまだ決まっていない。
というか、これから決まるのだ。
私が先生に勝てなくても妨害すれば、この子なら成せるかもしれない。
奇跡だって起こるかも。
なにせヒロイン様だし。
「ミルリさま、あそこ!」
闇の魔力で作られた柱が光る。
私は空中で回転し、風を纏い加速した。