第三話:よふかしのうた
どうもこんばんは。凛太郎です。
今回はサイファー回です。気合い入れてバース書いたんで評価の程、よろしくお願いいたします。
サイファー、というものに集まっていた人たちは、行男を含めて四人もいた。
その全員が男性で、みんな一様に僕のことを睨みつけているような気がする。
……何もしていないのにこれからリンチに遭わされそうな気分になるのは、こちらを見ている三人の服装が明らかに一般的なファッションとは逸脱している上にその筋の人間にしか見えないからだろうか。
「おーい! 祝言さーん!」
そんな僕の恐怖心など知らぬ存ぜぬと言わんばかりに大きな声で呼びかける。
「おいユーキ、遅いぞ。早くしないと続きはじめ……って、そこにいる奴は一体誰だ? お前の友達か?」
その一人である祝言と呼ばれた巨漢の男が、怪訝そうな顔でこちらを覗き込んでくる。編み込んだ髪に一重瞼だけでも怖いのに、着ている服は龍虎に桜が描かれたスカジャンときたもんだ。
……夜に出会ったら一瞬で卒倒する自信がある。
「そうなんですよ! こいつ、俺の友達で進藤匠って言うんですけど──」
「おい馬鹿! 見ず知らずの人に俺のフルネーム教えるとか何考えてんだ!」
瞬間的に行男の頭を叩いたが、瞬時にそれがまずいことだと悟って青ざめた。こちらを見つめる三つの両目が鋭さを増した気がする。
「……おい、ユーキ、ホントにこいつはお前の友達なのか?」
「はい! 同じ学部学科の親友です!」
明らかに変わった空気に意にも介さず無邪気に答えるこいつのメンタルは鋼か何かなのだろうか。
「ふーん……そう。で、そいつがどうしたんだ?」
「はい! 俺、タクミにサイファーっていうか、ラップの楽しさを伝えたいんですよ! なのでいきなりではあるんですけど、タクミをこのサイファーに参加させてもよろしいでしょうか!?」
「……ほう」
男の目線が僕の方に向いた。本能的に僕の身がすくみあがる。
品定めのように男の目線が僕の身体を行き来した後、かすれた低い声で男が尋ねる。
「……進藤匠クン、だっけ。君、ラップしたことはある?」
それだけで僕の心臓は軽く飛び出しそうになったが、話が通じる人だと信じて僕は真面目に答える。
その前に……だ。
「……まず、先ほどの行男の非礼をお詫びします。大学の友人とはいえ、今の行動はこちらが失礼でした」
誠に申し訳ありません。と、頭を下げる。男の視線が変わった気がした。
「それで……僕はラップはしたことありません。そもそもこの集まりがサイファーと呼ばれることすら先ほど知りました。なので僕みたいな初心者が入ったら皆さんにご迷惑をかけてしまいますので、まずは見学から始めても……」
「……ぷっ」
僕が丁寧にお願いしようとしたら、男がいきなり吹き出した。そのままゲラゲラと笑いながらこちらに手を差し伸べる。
「いやぁ怖がらせてごめんね、いきなり俺の仲間を叩くもんだからどんな奴かと思ってたら、君はあれだね、結構真面目なんだね」
「あはははは……よく言われます」
「いいよ、入っても。ここは初心者も大歓迎。さっきのはユーキを叩いた君を試すための芝居だよ。俺は槇原典人。ここでは祝言って名前で通ってる。ここのサイファーの主催者をやってるものなんだ。よろしくね」
「あ……はい、よろしくお願いします」
差し出された手を、僕はおずおずと握る。外見と違ってこの祝言という人は礼儀正しい人なのだろうか。
「それにしてもさ、君、ユーキの友達なんでしょ? あいつあんな性格だからさ、苦労してない?」
「……分かってもらえるんですか?」
バっと顔を上げて祝言さんを見つめる。「分かるよ」といった風に頷く彼の姿からは、あいつがこの集団の中でも自由に行動しているのが見て取れた。
迷惑かけるのはせめて僕くらいにしとけよな……と思っていると、とてとてと僕の傍に迷彩柄のパーカーを着た中学生くらいの男の子が近寄ってきた。
「ちょっとちょっとー、祝言さん握手長すぎますよー! 僕にも自己紹介させてくださーい!」
「おっと、すまん韻Rock。ほれ、交代だ」
スッと祝言さんが手を放すと、そのまま韻Rockと呼ばれた男の子が僕の手を握った。
「初めまして! 僕の名前は岩村秀幸! またの名を韻Rockって言います!」
よろしくお願いしまーす! と彼が手をぶんぶんと思い切り振る。あんまりにも勢いよく振るものだから目が回りそうだ。
「……あ、あれ?」
ぶんぶんと手を振り回されている最中に見えた、もう一人の男性。白い髪を短く切りそろえたパンクロック風の服装の彼は、僕と目が合うなり一瞬だけ睨みつけると、不満げに僕から顔を逸らした。
「……あの、秀幸さん」
「韻Rockでいいですよ! 後、僕は中学生で最年少なので呼び捨てにしてもらって構いません!」
「じ、じゃ韻Rock、あそこにいる男の人は……」
「え? ……あー、あの人ですね。あの人は……」
「おい韻Rock! テメェ余計なこと言ったらぶっ殺すぞ!」
やたらとハスキーで高い声を、更にドスを利かせて言葉を打ち消す。
「あははー! ごめんなさーい!」
普通だったらビビってしまいそうなこの状況でも、韻Rockはひょうひょうと受け流しながら返事をした。
「……本名は言えないけど、MCネームだけ教えてあげます。あの人はMCホワイト。僕ら以外の男は嫌いらしいです」
韻Rockこっそりと僕に耳打ちしてくれたおかげで、全員の名前を知ることが出来た。祝言さん、韻Rock、MCホワイトさん。後は行男……もとい、ユーキか。
この前見た時と人数も髪色も違うのは、きっと今日入ってこない人たちがいるのかもしれない。
「よーし、それじゃあユーキも戻ったことだし、サイファー始めるぞー」
そう考えていると、祝言さんがそうみんなに呼びかけた。行男と韻Rockが「やったー!」と無邪気に喜びながら置いてあったスピーカーの前に集まっていく。
「さて、匠クンはどうする? このまま参加してもいいし、しばらく見学しててもいいよ」
「えっ……と、僕はしばらく見てます。サイファーって言うものがまだよく分かってないので」
「そっか。じゃあそこのベンチに座って見ててよ。サイファーがどういうものか、俺たちが一発で分からせてやるから」
祝言さんはそういうと、「ビート何にしようかなー」と呟いて歩いて行った。
◆
「……さて、準備はいいみたいだな」
スピーカーの周りに集まったみんなを見渡しながら、祝言さんは確認を取る。こくりと頷いたのを確認した彼は、「誰が最初にかます?」と最初にやる人を募集した。
「はいはい! 俺!」
「僕です! 僕!」
いの一番に手を挙げたのは、ユーキと韻Rockだった。その二人の様子を、苦笑しながら祝言さんが見つめる。
「うーん、張り切るのは分かるが、いつもお前たちからじゃ芸がないから今回は我慢してくれ」
「えー」
「祝言さんのけちー」
ブーブー言う二人を尻目に、祝言さんはMCホワイトの方に目を向ける。
「ホワイト、お前は──」
「いい。俺は一番手ってガラじゃないし」
「……となると、今日は俺、韻Rock、ホワイト、ユーキの順か。じゃあ一回ビート流すぞ」
言いつつ、祝言さんはスマホを操作してそのビートというものを流し始める。
「……あっ」
音楽が流れた瞬間、僕は顔を祝言さんの方へ向けた。
流れたビートは、春とはいえ夜にしては爽やかなビート。まるで、夢を持つ者を祝福し、夢を探すものを後押しするようなこの曲は──
「TKda黒ぶちの『Dream』だ。ユーキから君がよく聞くって言ってたから、歓迎代わりの餞別さ」
「そんな、餞別だなんて……」
「いいんだ。気にしないで。料理するのはこれからだから」
祝言さんはそういいながら曲を最初の方に戻すと、みんなの準備が万端だという事を再度確認して、再び再生ボタンを押した──
□
まずはトップバッターでかまさせてもらう
俺が祝言 ここの主だ
いきなり出てきて現れた旅人に教えるラップの奥深さ
この界隈はまるで沼
深く沈み込むほど面白くなる
全身どっぷり沈み込むまで
お前を深みに導いてやる
□
瞬間、全身の産毛がブワァっと逆立つ。
なんだこれ。
祝言さんの声は元々低くてかすれた感じだったけど、いざ大声でラップを歌うだけでこんなにも雰囲気が出るのか。
韻を踏んでない……いや、多分ところどころ踏んでる個所はあるかもしれないけど、この人はラップの中身に重きを置いている感じだ。
さっきだって、祝言と出現で韻を踏むかと思ったら出てきて現れたと敢えて離して踏んでいる。
この人にとってラップは自分の世界を表現するための場所なんだ。
油断していた。一気に世界観に引き込まれた。この人たちに韻なんか踏めるのかと思っていた少し前の自分が恥ずかしい。
韻なんか踏まなくてもラップは出来るんだ。
□
YO俺も教えるラップの極意
そして手にする勝利と王位
押韻だったら負ける気はない
俺韻Rock In Da Building!
yeahタクミさん まずは参加してくれてありがとう
YOYO 君に伝える感謝の賛歌
なんかアンタ半端なさそうだ!
□
祝言さんに圧倒されていたら、今度は韻Rockのバースが耳に入ってきた。
素人目線ながら韻Rockのバースも見事だ。
きっちりと「極意」「勝利」「王位」で語尾に韻を踏み、最後のだめ押しに「押韻」で綺麗に持っていっている。
最後のバースも「感謝」「賛歌」「なんか」「あんた」「半端」で踏み切っている。
最も驚くべきは、韻の置き所がある程度整っていて、聞き苦しくないところだろう。
むやみやたらに踏んでぐちゃぐちゃに構成が崩れていないからスッと耳に入り込んでくる。
オーソドックスなスタイルなのかもしれないが、ここまで綺麗な韻を中学生で踏めることが驚きだ。きっと何度も練習したに違いない。
□
初心者だか何だか知らねーが ここにはここなりのルールがある
ヒップホップは痛みの作文 なめんなおめぇは機械翻訳風
みたいな見た目でラップなんかすんな
何が初心者だよ ふざけんじゃねぇよ
ここはそんな生半可なやつはいねぇんだよ!
□
次に耳に入ってきたのはホワイトさんのバースだ。
こちらも祝言さんと同じく内容重視ではあるが、熱量の差という意味ではホワイトさんの方が一歩勝っている。
ハスキーで高い声でかつ、声量が圧倒的に祝言さんに劣っているにもかかわらず、僕にここまで伝わってくる熱と攻撃性は……恐らく、彼の中にある紛れもない経験からくるものなのだろう。
だから、僕のことを攻撃しているであろうバースを聞いても嫌な気持ちはしなかった。寧ろ彼が生きてきた人生をぶつけられて自分も心が熱くなった。
三者三様のラップスタイルを見せつけられて、僕の心は今まで感じたこともない昂ぶりを覚えていた。
世の中にはこんなかっこよくて、自分のことを高らかに表現できる場所があるのかと、まるで新発売のおもちゃを見つけた子どものように感じ入っていた。
ダメだ。
我慢できない。
□
「君の夢は一体何?」
何度も聞かれたはっきりと言えなかったアンサー
夢があることがそんなに偉いかと心の中でそう毒づいた
なぁ 僕は皆に問いたい
「夢があるってどんな感じなの?」
夢を持てない憐れな僕に、夢のすばらしさを教えてくれ
□
気が付いたら体が動いていた。
バっとベンチから飛び出して、ユーキのバースに割り込んでいた。
みんな驚いた顔をしていた。けど、誰も咎めたり迷惑そうな顔だけはしなかった。
拙かったと思う。
韻なんか踏んでなかったし、世界観なんてものなんて一ミリもない。ただ、三人のラップを聞いて湧き上がった叫びをそのまま音に乗せて叫んだだけ。
魂の叫びと呼ぶにふさわしい僕のバースは、彼らの耳に溶け込んだと同時に、大きな歓声をもたらした。
「おー! 流石だぜタクミ! 初めてでそれだけのバースが出るのはすげぇぜ!」
自分のバースに割り込まれたのにもかかわらず笑顔でそんなことを言うユーキが今は素直に嬉しくて。
久しぶりに、心の底から笑顔になれた気がした。
《hr》
「……よーし、もういい時間だし、今日のサイファーはここまでにしよう」
祝言さんの一声に応じてスピーカーからの音も途切れた。
ふと時計を見ると、時刻は既に午後九時を回っている。空もすっかり暗くなってしまい、辺りは完全に夜の世界に包まれていた。
「お疲れっ!」
バンッと背中を叩かれ、振り向いたらユーキがニコニコとこちらを見ていた。
「よかったぜ、今日のサイファー! 初めてなのに滅茶苦茶かましてたじゃん!」
「そ……そうか?」
個人的にはあまり上手くやれた気がしない。
あの体が勝手に動いたあの瞬間以外、しどろもどろで韻は踏めなかったし音にも乗れなかった。
「それでも結構かっこよかったぜ! やっぱお前すげぇよ!」
「そうだな。俺も匠クンはかっこよかったと思うぞ」
後ろから声を掛けてきたのは祝言さんだ。
「初心者の子は大抵韻を踏もうとしどろもどろになることが多い。その中で君は最初に自分の今の気持ちを率直に表現していた。あれはかっこよかったよ」
「ですけれど……」
「最近は韻を踏まないラッパーも増えてきている。それにポエトリーという手法もあるくらいだ。韻を踏むことは確かに大事だしマナーだが、個人的には韻に縛られて表現の幅が狭まるのはよろしくないな」
まぁ音の乗り方はもう少し勉強した方が良いがなと、祝言さんは最後に笑ってそう締めくくった。
「まぁ、それは置いといて、今日はどうだった? 楽しかったかな?」
そう言われて、僕は今日のサイファーを振り返ってみる。
考えてみれば、自分の気持ちをこうやって高らかに表現することは殆どなかった気がする。絵画や小説はやる機会が殆どなかったし、こういう場に参加したことなかったから、新鮮な気分だ。
「すごく……楽しかったです。僕、こういう事初めてでしたから、なんか……自分の思っていることをこうやって吐き出せて気持ちよかったです」
「そうかそうか。楽しんでくれたなら良かったよ」
そう言って、祝言さんはニコリと笑った。
こういう場所って、頭の悪い陽キャがやるものかと思っていたが、意外と頭を使うものなんだと分かっただけでも収穫だ。価値観が一気に変わった気がする。ユーキも一緒だったら楽しくやれ──
「まぁでも、良かったよ。こうして新しい人見つけてきてくれたから。これでお前も心おきなく卒業できるな」
「……うん?」
妙な違和感を覚え、僕は眉を顰める。
今、卒業って言わなかったか?
「あー、言ってなかったっけ。俺、今日でこのサイファーを卒業するんだ」
「……はぁ!?」
卒業って……まさか。
「いやー、俺、来週から児童養護施設で働くだろ? 夜勤もあるし、休みも少ないから、ここに顔を出す時間が少なくなっちゃうんだよ。で、どうしたらいいかなって祝言さんに相談したら、新しい人を見つけてきたら一旦卒業って形にしてまた戻れるようになったら戻ってこいって提案してくれてさ」
「じゃあなんだ!? お前はスケープゴートとして僕を強引に連れてきたのか!?」
「いやいや違うって。確かにお前だったら暇そうだし、頭もいいからすぐ出来るかなーとは考えてたけど……今日のお前見たら、就活上手くいってないんだなって思って」
その言葉に、僕はハッとする。
今までの僕って……一体、どんな顔をしていたんだ?
「見て驚いたよ。目は死んでるしクマも酷いし。こりゃ息抜きが必要だなって感じたんだよ。だから誘ったんだ」
「行男……お前」
感謝しろよと言わんばかりのドヤ顔が少しうざかったが、今回ばかりは行男に感謝だ。このままいっていたら、この先の俺がどうなっていたか分からない。
「まぁでも、今回で俺は卒業するから、お前ひとりになるのは変わらねぇけどな!」
……何故だろう、素直にありがとうと言えないこの気持ちは。新手の詐欺に引っかかったような気分だ。
「まっ、これからよろしくな。匠クン」
そう言いながら差し出された祝言さんの手を、僕は「……よろしくお願いします」と握り返す。
不思議と、悪い気はしなかった。
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