episode.3 強者
「よし、行こう!」
カレナとセイは手を繋ぎ、神社道に降り立ち、駆け出す。セイは着地時に痛そうな顔をしていたが、今は汗を額に浮かべながら、必死に走っている。
カレナは絶対足でまといにならないと、息巻いていた。しかし。
「あっ…!?」
カレナは大きすぎた片足を自ら踏んでしまい体勢を崩す。カレナとセイが繋いでいた手が離れ、セイがカレナの方を振り返り、叫ぶ。
「カレナっ!!」
カレナの背後には妖の集合体が恐ろしくも佇んでいた。セイの背に、冷たい汗が滑り落ちる。
届かない。
届いたとしても、セイの力でも浄化しきれない、それどころか共倒れ。
違う。
セイは汗も震えもそのままで護符を持ち、駆け出す。
わずかでも、可能性がある方へ、護れる方へ。
セイは間一髪、カレナと妖の合間に滑り込み、簡易結界を張る。が、すぐにガラスが割れるような音とともに破られる。
すぐにそこに落ちていた枝を取り、お札を貼り付け、妖へ向ける。すると妖の攻撃を受け止めることが出来た。
「カレナっ! 行って!!早く!!」
カレナは慌てて体を起こし、一瞬躊躇って、セイを背に駆け出す。
が、それを狙った小さくも獰猛な妖が脇から飛び出してきた。セイはそれを横目で見つけ、カレナに体当たりし、小妖怪を振り払う。カレナは足首に鋭い痛みを感じた。
セイはそこでブツブツと何かを言ったあと、その枝を勢いよく地面に置く。セイは懐から札を取る。すると今度は言っている声は聞こえるが、聞いたことの無い言語を話していた。しばらくすると御札から光が漏れだし不思議な力を感じた。
だんだん光が増していく。妖が手を伸ばしてくる。
セイが瞳を大きく開けると同時に、光がいきなり弾け妖達に向かう。カレナはあまりの眩しさに目を手で覆った。
閃光に焼かれた視界が元に戻って妖を見ると、伸ばされた手がパラパラと塵となり空気中に消えた。
だが、妖本体には傷一つない。
セイは膝から崩れ落ちた。カレナはセイに駆け寄り頭を持ち上げる。
「セイっ!? セイっ!!」
「カレナごめん。オレの力じゃ足りない。カレナ、早く逃げて…?」
カレナはその場から動けなかった。さらに先程、足を捻ってしまい、これ以上動かすことも立ち上がることも出来ない。
もう死んでしまうのか、とカレナが諦め、セイの頭をぎゅっと抱きしめた。
妖はその鋭利な爪でカレナの左横にあった本に触れようと、別の腕を振り上げる。
瞬間、斜め上部から、カレナの右横に小さなナイフが突き刺さる。
ナイフと地面の間には、妖の腕だったものと思われるものが。風化して消えた。
おかしい。
ナイフが腕に刺さったり、最悪貫通することはまだ、理解の範囲内だ。だが、腕を切り落としたように、妖の腕は無くなっている。
ナイフの飛んできた方向を、カレナは緩慢な動作で見上げる。
年季が入っているのだろうか、ボロボロの黒い衣服の端が妖しく揺れている。彼は、やや大きい一軒家の屋根に佇んでいた。
電灯と満月の月明かりに照らされて、その銀髪は輝く。美しい顔立ちの青年の紅眼は不快そうに薄められた。
先程の青年。
妖も彼の方を仰ぎ見る。腕を落とされたのを不快に思ったのか、妖は雄叫びを上げながら、別の長い腕を青年に向けて伸ばす。
青年は軽い動作で、またナイフを投げ、妖の腕を引き連れて、地面に刺さる。妖は悲鳴を上げながら痛みに悶えていた。
妖の身体が、カレナに向き直る。『本』を狙っているのだ。カレナは、一度は去ったかのように思えた恐怖に再び身体を震わせる。
瞬間、辺りにぼんやりと『何か』を感じた。そして、押しつぶされるような強靭な殺気。確信は無いが引き寄せられるように、カレナは高所に佇む青年を再び見上げる。
彼に変化は無いように見える。だが、心做しか彼の紅眼がより黒を帯びている。まるでどす黒い血のような。
彼は徐にその眼を閉じ、家の屋根からカレナらに向かって跳躍した。カレナは衝突の衝撃を予感して、セイの頭を抱えぎゅっと抱き締める。セイはまだ意識はあるので、「くるしい…」と言いながらされるがままになっている。
だが、青年はカレナの予想に反し、カレナと妖の合間に割り込み、静かに着地する。カレナは恐る恐る目をあけ、その大きい後ろ姿を震えながら凝視する。
不意に青年は顔だけをカレナに向ける。
先程のどす黒さは無いものの、紅い瞳に見つめられ、目が逸らせない。
長い静寂のように感じられた緊張の瞬間は、妖の雄叫びと砂利の音で掻き消される。
カレナは、はっと妖に視線を向ける。
なのに、青年は変わらずカレナを見続ける。
カレナは妖と青年を交互に見て慌てる。
「えっ、あの、後ろっ…」
不意に青年はカレナに近づき、黒い革手袋をした左手でカレナの両目を覆う。
「…わっ」
突然のことにカレナは驚き、またもセイを抱え込み、セイの視界も覆われてしまう。
青年は、張り巡らされた『紐』の端を右手で引く。
瞬間、音もなく、妖の体は粉砕される。
残った妖の核に、ナイフが投げられ、小さな音を立てて核が弾ける。すると落とされた腕のように風化して塵となった。
『紐』は引っ張られた衝撃で、カレナに緩んだ部分が当たりそうになるが、それがカレナに当たることはなく、消え失せてしまう。
小さな赤の光の礫を残し、『紐』は見えなくなる。
青年はゆっくりと、カレナの両目を覆っていた左手を離す。視界の自由を取り戻したカレナは青年の後ろに居たはずの妖を探すが、どこにも見当たらない。
安堵を感じたカレナは、目を閉じ、ふっとその上半身が傾けた。地面に着く前に、青年はカレナの体を支える。
そうして、初対面の時のように抱きこまず、ゆっくり地面へと下ろした。セイが小刀を青年の首元に当てていたからだ。
セイは疲労に満ちた声で青年に問いかける。
「あんた何者? どうしてカレナに関与する。正体を表せ、さっきの妖は逃がしたのか」
セイはすぐそばにある、 神社__セイの父が現在結界の補修をしているはずの部屋を横目に見る。
青年はその目の動きを見逃さず、そして嘆息する。
瞬間、青年の姿は掻き消え、セイは青年を見失う。セイは慌て、周囲を隈無く見回すが青年の姿がない。一方、青年はセイの背後に降り立ち、首筋に手刀を素早く打ち込む。セイは失神する。
さすがに、砂利にそのまま倒れさせるのも良くないかと思い、青年はセイの体重を受け止め、横たえさせる。
ちょうどその時、セイの父が祈祷場から現れた。
しゃがんでいる青年とセイの父の目がばちりと合う。即座に、青年はその場から消えた。
「カレナちゃん! セイ!」
意識が無いことを確認し、セイの父は急いで2人を結界内に引き入れた。そのまま隣にある自宅に運び入れ、寝かせた。
2人が規則的な寝息を立て始めたあと、セイの父はカレナの家へ向かった。結界が崩壊し、残された『本』の気配を辿り、妖が蔓延っているはずの家へ。
「どういうことだ…」
さすがに不法侵入は出来ず、開いていた窓から、覗き込んだが、妖が1匹もいなかった。
セイは一応、対妖の力を会得している。しかし、『本』の気配に酔って、理性を完全に失っている妖に対抗できるとは思えない。
ならば誰が。
__そこで思い浮かぶ者は1人。
見慣れない銀髪紅眼、黒い服を身にまとい、『本』の力に惑わされず、強い者。
セイの父は、2人が倒れ込んでいた場所の周辺に漂う、感じ慣れない異形の力に危機感を感じていた。