自業自得
先日のテレビ番組でフェイクニュースを打破すると銘打っておりましたので、片手間に視聴していたのですが、番組そのものがフェイクというオチでした。
言いたいことは分かりましたが、方向性としては的外れもよい内容で、あれでは世の中からフェイクニュースも誹謗中傷もなくなりません。
番組内容は感染症に罹患した人物に対する罵詈雑言を非難していましたが、やっていることはこの罵詈雑言を並べ立てていた人々と似たり寄ったりの行為で、何も得られるものはありませんでした。
そもそも、感染症に罹患した人物に罵詈雑言が浴びせられる原因の考察をしていないのは何故でしょうか?
番組内容では、罵詈雑言に対する処罰を優先的に論じていましたが、罵詈雑言が浴びせられる原因については目を向けない偏向ぶりでした。
感染症に罹患した人物は「コロナに感染した辛い」という内容をインターネットに発信していましたが、これでは批判してくれと撒き餌したのと同じです。「自己責任」と批判された上、「演技」とか「お仕事お疲れ様」という揶揄の他、罵詈雑言を浴びるのは当然と言えます。
これを「コロナに感染すると辛いですから、皆さんも気を付けて」と発信していれば、同意を得易く、心配の声もあったでしょう。
違いは何でしょうか?
「コロナに感染した辛い」は主観的な内容で、その背後には「だから優しくして欲しい」という気持ちが透けて見えます。
利己的な内容は批判の的になり易いです。
「コロナに感染すると辛いですから、皆さんも気を付けて」では、どのように捉えられるでしょうか。
これは読む側の心配をしているように見えます。少し穿つと、書き込んだ当人が感染している可能性も窺えます。すると「辛いだろうに、他人の心配をしている」と利他的な行為に受け取られ、却って同情を集めます。
要するに、日教組が否定した道徳教育が情報化社会では最も必要な教育だったと言えます。
殺伐とした社会は、道徳教育を廃止した我々日本人の自業自得です。




