認識
アナトリアの生涯です。命を燃やして描きます。
薄目を開けると青い光が差し込んでいた。
オリーブ油の焼ける匂いがした。
「いつまで寝てるんだ?仕事遅れるぞ。」
あの糞の声がしてステラはふて寝を決め込んだ。
堅い何かが後頭部に直撃した。
「今起きるって。」
モゾモゾと黄ばんだ絨毯が敷かれた床から起き上がった。
「アイタタタ…」
「反応遅いんだよ!」
眼を凝らすと堅パンの塊が部屋の隅に転がっていた。
「食べろ。」
何の変鉄もないパンと豆のスープの朝食だった。
…この兄ときたら兄妹と夫婦の区別もつかないわ料理や裁縫の腕、彼女の眼から見ても不思議な男だった。
…あらん限りの憎しみを込めて。悪い意味で。
黙って食卓(木箱を横に倒しただけ)についた。
「何日前のパンだろう…?」
日干し煉瓦のようにコチコチだった。
「黙って食え。」
兄はバキンと自分のをへし折るとスープに浸した。
食事が終わり荷物を負って外に出ると街が目覚め始めていた。
人々が行き交い、今日の糧を得るためアリのように忙しく歩き回っていた。
「…人間って大変。」
そう言葉が漏れた。
前を見て一口空気を吸い、一気に吐き出して走り出した。
人混みの間をすり抜け石段を一段飛ばしで駆け上がり、土埃を上げて走った。
と殺場から逃げ出す豚のような凄まじい速度で彼女は市場を抜けて更に駆けた。
宝石を売る店の角を全く勢いを殺さずに曲がりアーチ上の陸橋の下をくぐろうとしたとき、そこにいた一人の老人の姿に気がついたのは散々に荷物を散らして、石畳に大の字に落ちてからのことだった。
「ウワー、スミマセン…」
型通りの謝罪をして老人の手をとり立ち上がらせたところで頭を押さえた。
「アイタタタァ…」
「頭を打ったのか?」
老人は心配そうに様子を伺っていた。
「スミマセン大丈夫です…」
ステラは荷物をかき集めると彼に一礼した。鮮血が頬を伝って落ちた。
「言わんこっちゃない。見せなさい。」
老人は彼女の頭上に手を伸ばした。
ズキズキする痛みが嘘のように引いていった。
「?」
ステラは疑問に思って自分の後頭部に手を回した。
拭いとったその手をマジマジと見つめてみると。
赤いものがベットリ。
やっぱり血はとめどなく流れ続けていた。
「気休めだ。」
いたずらっぽくニヤっと笑うと老人は暗い壁に歩いていきボロが敷かれた地べたに座り込んだ。
青錆まみれの銅貨が入った器が置いてあった。
「…変わったじいさん…」
彼女はボソッと自分の手と代わる代わるに見て呟いた。
「じいさん!名前は?」
「ダルウィーシュ!」
それだけ言った。渇いた井戸に反響したような声で。
手品の使える乞食にしては立派な名前だと思った。
ステラは血の跡を点々とさせて歩き出した。