体育館
周囲を木々に囲まれ、風でうねる枝が騒ぐ音が聞こえる体育館。
その中には綺麗に机が整列している。
机と同じように能面のような顔をした少年少女たちが並んでいた。
「ようこそ年若き者たちよ!」
声は続く。
「今までの人生どうだったかな? 考えたくもない将来を考えさせられたり、必要もない事をさせられたかな?」
能面は変わらない。
「それはなんでだと思う?」
能面たちは答えない。反応もしない。
声は続ける。
「君たちを都合のいいように仕立て上げるためだよ」
一部の能面は、面の下で嘲笑を浮かべた。
「そんなことわかってるって? まあそうだよね。色んなところで話題のネタになっていたりするもんね」
声が続く。
「だから、それが何?」
能面の中身が揺らぐ。
「この情報社会、君たちもそんな話題に晒される事も多くて考えることもあるだろう。そのおかげで多少の事をは分かっていたり、そのうえで甘んじて受け入れている人もいるよね。ていうかさ、情報社会って言ったけどさ、それも笑っちゃうよね」
能面は声を聴く。
「だってさ、最近は情報社会とか言ってるのにさ、大事なところで情報が共有されてないんだよ。てきとうに例を挙げるとすれば学校だね。学ぶ場と銘打っていて、何人もの大人が教育のためにそこに居るのにさ、生徒のの情報も共有してなかったりするよね。そのせいで生徒は別の教師から、今は具体的な例が浮かばないけど逆のこと言われたり……あ、今思いついて例を挙げると、ある教師に帰っていいとむしろ帰れって言われたのに他の教師から帰るなって言われたり。まあ、何の状況かわからないけどこんな感じ? ほんと困っちゃうよね。教える立場の人なんだからそんなことぐらい理解できるだろって」
一部の能面が頷いた。
「まあね、難しいことなんだって言われることだよね。でもさ、そんな一言で済ませていい物かな? 情報の共有って言うのは漏洩とかの問題からなんだとか言われるだろうけど問題ない物ならどんどん共有してほしいところだよね。そもそも、共有しようとしていないのはなんでだと思う?」
声は考える間も作らず続ける。
「考えたんだけど、相手の事を知ろうとしていないから。つまり、相手に関心がないからってことなんだと思うんだよね。これが情報社会の悪いところなんじゃないかな? 簡単に色んな人の情報が手に入るからついつい全く知らない相手の事を知った気になっちゃうって感じで」
能面が妙な反応をする。
「なに、そんな事ないって? いやあ、そんなことある気がするんだよね。人ってさ無意識的に効率化をしようとする性質があるんだよ。誰もが経験あるんじゃないかな? スポーツとかでさ最初は意識的に動かしてたのが考えなくても反応しちゃうくらいまで練習することあるでしょ。それと同じ。知らない人を見ても今まで見てきた色んな人の情報と照らし合わせて勝手にこんな人だと決めて、相手を知ろうとすることをしなくなるって話。君たちも今まで生きてきて見たことあるでしょ他人の話を全く効かない人。まあ、このせいでその人たちはそうなったとは言わないけどね。まあ、この人たちは利こうという意識すらないんだろうね。でもね人の話を聞いてると自分では思っている人がいても、全く話を聞いてない人も居るんだよ。まあ、人なんてみんなそんな感じ。聞いてると思っていても聞いていなかったり。でもね、それを自分で分かっているのといないのとでは全く話が違うんだよ」
声は楽しそうに話を続ける。
「例えば、そうだな……どこかで聞いた話で、虐待をしていると勘違いされた人の子供が保護された話、その引っかかった部分の話をしてみようかな。さっきの話と被るけどまあいいか。言っておくけどこの話も僕が聴きたいように聞いたものだからね」
声は続く。
「この話の中で気になったのは保護された子供に対する保護した人たちの態度。この保護した人たちってのが保護した子供に対して全く興味がないみたいでね、子供は服用する薬があったって言うんだけどそのことを保護した人たちは知らないって言うんだ。幸い命を繋ぐための薬ではなかったみたいだけどね。でもさ、子供を保護するのならもっと調べようよって思うんだよ。虐待されている子供が全員持病がないってことは無いでしょう。ああ、もしかしてこう思ってるのかな?」
能面は声を聴く。
「病気持ちの子供は絶対に大切にされるから、虐待されている子供には病気がないとか。でもね、子供の病気を悪化させて、病気に苦しむ子供を真摯に看病する親、を演じている人も居たりするんだよ。ここで、言いたいことがある」
声を大にする。
「無意識の絶対を疑え!」
声が戻る。
「まあ、ほとんどできないんだけどね。でも、何気なく絶対こうだみたいに自分が思っているのに気づいたのなら考えようとしてほしい。僕はそうすることが最良の結果になると信じてる。まあでも、矛盾してるんだけどね信じている絶対もあるんだ。それは」
能面は各々で頭に浮かべた。
「人は死ぬってこと」
声はあっけらかんと言った。
「いつか誰かがその絶対をひっくり返すのかな? 人生は何かを成すには短く、何もしないには長いって言うけけど、もし死ななくなったらどうなるんだろうね。多分今の世界がすべて否定されると思うな。それで新しい考え方が生まれるんだろうね。そして人々は生が絶対になった世界で、その絶対をひっくり返すために今度は死を求めて人生を進んで往くんだろうね。さて、話が大幅にずれてしまった。話を戻そうかな」
――ッドガアアアアアアン
能面が外れた。
声の主は心の底から楽しそうな笑顔だ。
「さて本題だ。君たちの目の前に机がある。それを僕と同じく蹴っ飛ばせ」
外れた能面は戻らない。少年少女たちが感じた。胸いっぱいの抵抗感と落ち着かないような胸騒ぎ。
少年少女はどうしてか落ち着かない。驚いたせいではないのだけは分かった。
「どうした? できないのか?」
声は楽しそうに煽る。
「君たちは身体を拘束されているわけではない。この世界のルールで蹴飛ばすのが制限されているわけではない。君たちには何の制限もかかっているわけではない」
――ッドガアアアアアアン
――ッドガアアアアアアン
少年が蹴飛ばした。そしてもう一人。少年たちの顔には不安が貼りついていた。だが、何かが目に映っていた。
「蹴ったな」
声がよく通った。
「その行動を称賛はしない。そして叱ることもしない」
声が止まる。静かだ。だが、少年少女たちの胸中はとてもうるさかった。
「少年二人が蹴ったのは僕が蹴っ飛ばせと言ったからだろうね。でも、その行動をするまで何を考えただろう? 僕が伝えたい事の意味を理解してこうどうしたのか? はたまた僕の言った事をただ行動に移しただけか? 何にせよその二人は蹴飛ばせることが分かったね」
声の主は盛大に両手を広げ声を大にした。
「その行動は君たちが持つ正当な権利だ!」
ざわめきが体育館中に広がった。
「ま、権利というのもおこがましい。できるという事実がそこにはある。君たちはできるのにしなかった。君たちの感覚で言えばできなかったって言うのが正しいのかな。そうそれこそ最初に僕が言ったことだ」
先まで皆がバラバラに動かしていた視線が一点、声に向き始める。
「君たちとっても都合が良いね」
声は嘲笑った。
「さて、君たちは何故蹴っ飛ばすのを渋ったかな? 床が傷つくから? それとも、机が壊れるから? でもさ、そんなことになったって君たちには実害はないでしょ。君たちの体育館でもなければ、君たちの机でもない。じゃあ何でそうしなかった? 怒られるから? じゃあさ、なんで怒るんだろうね。それってその人にとって都合の悪いことだからだよね。もう一度言うよ」
声はとても楽しそうに体育館に響いた。
「君たちって本当に都合が良いね」
少年少女たちからはひとつまみの笑い声が起こった。
言われたとおりだったと、どうしようもなく都合がいい自分たちがとてつもなく下らなく思えて思わずこぼれた。
「さて、君たちはやろうと思えば何でもできる。世界中の人に感謝されるようなことから俗に言うと人道的に考えられないと言われるようなこと」
「なんてね、そんなことしなくていいよ。馬鹿馬鹿しくてどうでもいいことだから。僕が言うのもなんだけど、君たちがすればいいことは自分の事を考えること。それだけ。その内容は如何に幸せになるかでも、如何に楽しく過ごすかでも何でもいいし、如何に世間をよくするかとか、如何に感謝されるように動くかとか、如何に苦しまずに生きるかでもとにかく何でもいいんだ。伝えたいことはそういう事。極端に言うとだけどこうなるかな」
声は通る。皆は聴いていた。
『考えないは悪』
「検索したら悪は「みにくい」とかの意味があったからちょっとカッコよく? もないけどまあそんな感じかな。ま、普通に「悪い」って意味としてもいいんだけどね」
声が続く。
「さて、そうして考えて人生を進もうとなったところで邪魔なものが見えてくるよ」
机をたたく鈍い音がする。
「そう! それは、君たちの前に佇んでいる机。その障害物は君たちを直接妨害することは無いんだよ。なのに君たちは蹴飛ばせなかった。この先の人生にはそんな障害物がごまんとあるんだ。直接縛らなくとも縛ってくるものがね」
声は嗤う。
「面白いよね。今までそんなものに縛られた人たちが社会に出てそれを受け継いでいるんだから。あーくだらない。あははっ馬鹿馬鹿しくて面白いよね。でも、君たちはその対策を知っている。いままでに話に出てきた事だよ」
声が上がった。
「そう、無意識の絶対を疑う事だ。それこそが縛るものの正体。それさえ分かれば机は蹴飛ばすことが出来る。だけどそこでできてしまうのが傷なんだよ。当然と言ったら当然なことなんだけど、その障害物を作った人はその傷が許せないんだよね。今まで作り上げてきたものがその傷一つで崩れてしまうから」
大仰に動かす手に合わせ声が続く。
「人は変わることを恐れる。それは変わった後のことが分からないから。今ある安定、自分の立場を失うのがとっても恐ろしいから。それをするのは大体のところ後から生まれる人間と決まっている。でも、なんでってことになるよね? それはスタートラインが違うから。先に生まれた人が必死こいて積み上げてやっと今にいるのに、後から生まれる人間は積み上げられた今がスタートラインになってるから。だから後から生まれた人が今より先を見るのは当然の事なんだよね。でもね、過去に生まれた人でも先を目指していれば障害物を作っている余裕はないんだ」
今度は大仰に声を上げる。
「じゃあ何で障害物があるんだ! 僕たちの歩みを遮らないでくれ!」
声は自分に答える。
「それは考えることを止めた……つまり『悪』が居るからに他ならないんだ!」
満足げに子芝居をする声に向かって少女が声を上げた。
「確かにね、障害物を作る人も自分のために障害物を作ることを考えている、まあそう見えるかもしれないけど僕の理論で考える時はそうじゃないんだよね。結局その障害物が影響するのって邪魔される人だよね。後に生まれた人が先に進もうとするときはその行動でその人の立場が変わることがあるけど、障害物を作る人の立場はその行動で変わることがあることは無いよね。つまりそう言う事で、障害物を作っている人は自分のためではなくてその障害物に妨害される人のために考えていることになるんだよ」
声は続く。
「結局考えているじゃないか! って思うよね。だから『自分のことを考えないのは悪』とも言いたいんだけどあんまり印象が良くないからね『考えないのは悪』ってちょっと変えているんだ。こんな感じに自信なさげだと僕が僕の論を正しいと思っていないのか? みたいに思われるかもしれないけど、決してそんなことは無いよ。僕は僕の論を信じてる。だけど絶対に正しいというわけでもないからね。こんな風にするんだ」
声は落ち着いた調子で続ける。
「さてと、とまあこんなものだろうね。さてさて締めはどうしようかな?」
少年が声を上げた。
その質問に楽しそうな声を上げた。
「君の事は君自身が好き勝手に決められる。答えが出なくても考え続けていればそれだけでいいとも思うけど、結局決めるのは君なんだよ」
とにかく机を蹴らせたかったんです。