〇18 素敵なお友達
そもそもサンドリナさん達がここにお屋敷を建てることになった理由は、サフィリス伯爵家の血筋に関するものだったらしい。サンドリナさんはよそからの嫁入りなので、詳しいことは分からないようだがサフィリス伯爵家の大元の血筋にベルフォマ伯爵家があるようだ。ベルフォマ伯爵家といえば、ベルナール様から渡された資料にも記載されていた、元々はこのあたり一帯を治める貴族だった一族だ。
そして、呪われた一族だ。
ベルフォマ伯爵家とラミリス伯爵家は繋がりがあるから、メリルさんが言っていた『近しい』という表現は、彼女がサフィリス伯爵家のご令嬢メリル本人ならば嘘でないということになる。
ベルフォマ伯爵家がああなったことで、ラミリス伯爵家が台頭したわけだがラミリス伯爵家は、昔から伝わる悪魔の伝承をまったく信じていなかった。おざなりな管理に危機感を示したのが、サンドリナさんの旦那様であるサフィリス伯爵だった。彼はラミリス伯爵と話し合い、別荘としてなら屋敷を建てて住んでもいいと許可を得ることができ、ここに滞在することになったのだ。
サンドリナさんが証言するには、サフィリス伯爵は毎日のように一帯の調査をしていたようだ。
「色々な噂のある場所でしたから、不安はあったのだけれど……。夫を信じて、その調査が終わるまではと娘と二人、静かに暮らしていたの。メリルは王都よりもこちらの方が居心地が良かったらしくて」
少し表情が曇ったサンドリナさんが語ったのは、盲目の娘に対する周囲からの差別的な扱いだった。それは酷く精神を病ませるものだったろう。気苦労も多かったようで、いわくつきの場所ではあるけれど静かに暮らせるここは、それほど悪くなかったようだ。
「しばらくはなにもなくて、むしろメリルが楽しそうで、いっそのことここでずっと暮らしてもいいかしら……とも思い始めた頃だったわ……。やっぱり、ここはおかしな場所だった」
サンドリナさんがいつものように、庭でのんびりとお茶をしていた時のことだった。メリルさんが嬉しそうに近づいてきて、こう話したという。
「お母様、素敵なお友達をありがとう」
サンドリナさんは首を傾げた。彼女には覚えがなかったのだ。ここはいわくつきの場所で周辺住民も滅多に足を踏み入れないと聞いていた。でも、その時はさほど気にせず近くの村の子が来たのだろうと思い、嬉しそうな娘に彼女も嬉しくなったそうだ。
けれどおかしなことは続いた。
誰もいないところで、メリルさんが話をしているのだ。独り言かと思ったが、それにしては話し方も反応も誰かと会話をしているようなそぶりだったという。それが日に日に頻繁になっていくので、さすがにサンドリナさんも不安に思った。
「ねえ、メリル。あなた、誰とお話しているの?」
「なにを言っているのお母様。お母様が連れてきてくださった、お友達とに決まっているじゃないですの」
サンドリナさんは背筋が震えた。慌てて夫の元へ駆け込み、娘のことを話すと彼は任せて欲しいといってサンドリナさんには、いつもどおり振舞うよう伝えた。
次の日から、メリルさんの奇行は大人しくなったようでサンドリナさんは安心したらしい。けれど事件は起こる。メリルさんが失踪したのだ。慌てて探したが見つからない。サフィリス伯爵は心当たりがあるといって屋敷で待つようにといわれたサンドリナさんは、不安に押しつぶされそうになりながらも数日過ごした。しかし、待てど暮らせど娘も夫も帰ってこない。
我慢の限界を迎えた四日目の朝、なんとふらりとメリルさんが帰ってきた。
白いドレスを半分ほど、真っ赤に染めて。
「ねえ、お母様。私を愛してる?」
唐突に、そう聞いてきた娘に呆然としたサンドリナさんは、それでも頷いた。当たり前だと。するとメリルさんはとても嬉しそうに笑った。
「私もね、優しいお母様とお父様が大好きよ。でもね? 私は知っているの。私が一番じゃないってこと。お父様は私とお母様に順番なんてつけられないと言っていたけれど、私が一番じゃないのは明白よね。でもそれってとても素敵なことなのだわ」
真っ赤に染まった右手を頬にあてる。娘の白い肌が赤く染まった。
「ねえ、ねえ……お母様。今、私がなにを考えているか分かる?」
色々とありすぎてサンドリナさんは混乱する頭で考えた。しかし、答えは真っ白なばかりでなにもでてこない。声も発しない母親に、メリルさんは少し残念そうな顔をした。
「いいの、いいのよお母様。誰も悪くなんてないの。私がおかしいだけなの」
彼女はそう言って、背を向ける。
「バイバイ、お母様。もうここにいちゃダメだよ。早くおばあ様達のところへ帰って……じゃないと」
----おかしくなっちゃうから。
その言葉と同時に、娘の姿は掻き消えて、再び現れることはなかった。
「メリルには、早くここを出るようにと言われたけど……どういうことかまったく分からなかったし、二人を置いていくこともできなくて。すがる思いでしばらく居続けたの。時々、レオ君達も来てくれていたしね。でもあの子の言葉は間違ってなかった」
どこからか空間が歪みだし、気が付けばサンドリナさんは屋敷の敷地内から外にでることができなくなっていた。空間の歪みは徐々に大きくなり、いつの間にか時間すらも歪んだ。過去の時間軸にいくこともあったらしい。外からの客人は、受け入れられるようでサンドリナさんが生まれるより前の時代の人間が客人として訪れたこともあるそうだ。しかし、どれほど過去に行こうとも夫にも娘にも会うことはない。
ずっとずっと、もうどれほどの時間がサンドリナさんの中に流れたか自分でも分からないくらいに、気が狂いそうなほどの歪みの中で存在し続けている。
「あの子が言っていた意味は、今でもよく分からないまま。でもこれだけは分かったの。あの子は理解を求めていたの。でも私にはそれができなかった……だからあの子は行ってしまった」
サンドリナさんが最初に言っていた『私のせい』というのは、こういう意味だったようだ。といっても、私からすれば他人の頭の中なんて分からなくて当然だとも思うのだが、親子関係だとまた違うのだろうか。こういうとき、同じ目線に立てないのが少し寂しく思う。
「あの……サンドリナさんは、サフィリス伯爵家繋がりの詳しい事情は知らないんですか?」
「ええ、ごめんなさい。なにかの墓守のような役割があるのだということは少し聞いたのだけど」
本家ならともかく分家筋でしかもよそさまの嫁では詳しいことは語られないか。それならベルナール様の資料の方がよほど詳しいかもしれない。
レオルドが興味本位で別荘を建てるような人達には見えなかったと言っていた通り、やはりサフィリス伯爵には重大な考えがあっての行動だったのだろう。
「あの、伯爵の調査資料とかは……」
「そうね……あの人の書斎にならたぶん」
サンドリナさんは、気が重くなるからと夫の部屋にはあまり行かないようにしているらしい。私は場所を教えてもらい鍵を預かって書斎へと向かった。うっかりまた別の空間や時間に飛びそうで怖かったが、案の定飛んだ。しかし、それは悪い方向ではなかった。
お屋敷迷うかもとか思ったけど、そんなことなかったわね。
応接間を出て二歩で書斎に辿り着いてしまった。サンドリナさんも空間に関しては慣れてはいるようだが、自由自在というわけじゃないと言っていたので偶然だろうが、意図的な感じもしてしまう。
私は鍵を使って部屋に入った。
空間と時間が歪んでいるせいか、部屋はとても綺麗でほこりがつもっているなんてこともない。ついさきほどまで使用されていたのではないかと思うほどだ。
私は書斎の中を調べ始めた。たくさんの資料が書斎に積まれていたが、そのほとんどが同じワードで集められていることに気がつく。
「……やっぱり、サフィリス伯爵は『悪魔』について調べてたのね」
大陸神話や聖典などから、土地に根付く伝承、噂話まで多岐に渡る膨大な量の資料だ。大陸をかつて支配していたという悪魔については研究者は多いが、謎は謎のままである。ロマンもあるのか、そういう手の書籍は多いけどほぼすべてが創作だ。
他は、サフィリス伯爵が書いたと思われるまとめ書きのノートや手帳が何冊か見つかった。
「なにかしら……これ」
ペラペラとノートをめくっていると、ひときわ目をひくものがあった。中身の文章や数式などは詳しくないので私にはさっぱりだが、大きく描かれたそれはなにかの文様のようだった。
丸い枠の中に描かれた、大きな木に絡みつく蛇のような形の文様。なにかを示すマークのようにも見える。
大きな木でマークに描かれるのは代表的なのは世界樹だ。これは大陸神話や聖典にも登場する世界を支え、構築し巡る……世界が存続するのに欠かせない命の木とされている。古の時代、女神は大陸にはびこる悪魔を倒し、腐った大地に命の木を植え、世界樹とした話はあまりに有名だ。
そして、蛇だが。こちらは木と同じ場所に添えられると絶対悪として描写されることが多い。『誘惑』とか『破滅』とかそういう意味合いが大きく、木に絡みつく蛇は大きな意味で『消滅』を意味するのだと聖教会で教えてもらったことがある。
絵が描かれたページをじっくり読んでみた。ほとんどが意味不明だったが、なんとなく不安をあおられるような一文が読めた。
「古くから、実在するといわれる組織のような集団のような連中がいる。彼らは自ら名乗ることはない為にそれを知る数少ない人間は、便宜上彼らをこう呼んでいた--≪邪神教≫と」
邪神信仰者という人間はいつの時代にも存在する。いわゆる女神アンチな連中だ。私は信心深い方じゃないけど、女神を冒涜しまくり周囲に迷惑をかける連中なので絶対に関わり合いになりたくない人達だ。
しかしノートに≪邪神教≫という単語がしっかりと書かれていることと、彼らが自ら名乗ることはないという言葉を汲み取ると、ただの邪神信仰者の集団というわけでもなさそうだ。彼らは喜々として自分が女神アンチだということを吹聴しまくるので、悪目立ちするのがほとんどだ。
その実態がほとんどつかめないという≪邪神教≫か。
こういうのは、司教様に話を持って行った方がいいかもしれないな。
……あの人、神聖な女神像の足もとで胡坐かいて酒飲んだり像を足蹴にしたり踏んだりしてるけど。
「手帳の方は……どうしようかな」
個人的なポエムとか日記とかだったら、赤っ恥だろうな。でも調べないわけにもいかないし……黒歴史になりそうだったらそっと閉じて戻しておこう。
中身は……やはり日記のようだったが、黒歴史になるようなものではなかったのでペラペラと流しでめくった。日記は自身が結婚したときの幸せいっぱいな感じのものからはじまっていた。それから娘のメリルが生まれた話。彼の日記からは優しさと愛情が溢れ、人徳者だったんだろうと思われた。
「ここら辺からかな」
伯爵が、なにかを決意しこの地に屋敷を建て引っ越すことを書かれたところからゆっくり読んでいくことにする。
『〇月〇日。サフィリス伯爵家を継ぐときに父から話には聞いていたが、正直半信半疑だった。だが、あの遺跡を見てはっきりと分かった。ここは、触れてはいけない場所だ。もうあそこには中身がないがそれでも異質なものを感じた。ベルフォマの伯父上の為にもなにか手掛かりがつかめるといいが……』
『〇月〇日。家族を巻き込むのは心苦しいが、ベルフォマの血筋が代々継承してきたという秘術を体得した私ならば結界を形成し、屋敷の周囲を守ることは可能だ。二人にはあまり遠出させられないが、我慢してもらおう』
『〇月〇日。どうなるかと不安だったが、娘にはいい環境になったようだ。妻も娘が明るくなって嬉しそうだ。この場所のことが解決したなら、ここで暮らすのも悪くないかもしれない』
『〇月〇日。やはり、すべて順調にいくわけがなかった。どうやら娘が得体の知れないものに魅入られたようだ。本当に悪魔なのか、悪霊か、まったく別のものなのかすら私には分からない。空間の歪みも感知した。この世界ではない場所にも繋がるようだ。異世界転移と呼ばれる術が暴走する形でここにあるのは、なぜなんだ?』
『〇月〇日。恐ろしいことだ。女神にしかできないとされる時間の操作や異世界転移、それらの出来損ないが溢れている。それに伴いこの場所の異様な空気も増した。私の術ではもはや破られるのは時間の問題だろう。口惜しいが家族の安全の為にも一度引くべきだろう。魅入られた娘は、ベルフォマの伯父上に見てもらえればなんとかなるかもしれない』
『〇月〇日。娘の様子がおかしい。早急に伯父上のところへ行きたいが下手に動けない状況になった。邪神教の男だ。世界樹に蛇のマーク……間違いない。マレビトを探している。娘が言っていた友達とは、まさかマレビトのことなのか? ならば、もう』
かいつまんで読むとこんなことが書かれていた。重要そうなワードがいくつか見つかるが、残念ながらどれも私には詳しくは分からない。
世界樹に蛇のマークの邪神教という存在。そしてマレビトか。
マレビトは初めて聞く単語だ。どういう意味だろう。
「とりあえず、こんだけの資料見つけたのに元の場所と時間に戻れないとかふざけたことにならないように、サンドリナさんとどうしたらいいか相談もして--」
考えを口に出しながらまとめている最中で。
「床抜けるとかーー!!」
急に書斎の床が消え、私は真っ逆さまに闇の中に落ちて行った。