〇2 頼むからその呼び方はやめろ
--レオルドがいなくなった。
混乱する頭を落ち着かせながら、時間を少し巻き戻して今日のことを振り返る。
司教様から依頼が届いた。
説明は、大聖堂でするとのことで呼びつけられた形になった私は、なにか色々言われる前にと急いで準備して大聖堂へ向かうことにした。朝からバタバタしていたが、人数分の朝食を用意し、日課になりつつあったレオルドの届け物の確認をする姿を見ている。あの時も確かに落ち込んではいたけれど、一言励ませば心配かけまいと笑顔を作ってくれていた。
彼を安心させてあげようとサラさんの状況を調べる腹づもりではいたんだ。ギルド大会の優勝賞金もあるし、依頼も増えて貯蓄はそこそこできている。姫様達が仕切っている情報屋『黄金の星姫』に依頼できるほどではないけれど、安いところなら可能だ。サラさんの居場所は分かっているし、状況を調べるだけなら難しい仕事ではない。
司教様のところへ行ったら、その後、その足でジオさんのところへ依頼を出しに行こうかと考えていた。ジオさんの『空駆ける天馬』ギルドは、情報収集から依頼の斡旋、業務の委託やサポートまで色々痒いところに手が届くようなこともやってくれるので、小さいギルドにはありがたいギルドなのだ。
ルークもベルナール様のアドバイスを受けて変装が上手くなったし、女性からの上手い逃げ方も戸惑いながら上達しているらしい。まあ、もっぱら全力で走って逃げる--が今一番確かな方法らしいけど。ルークらしいな。彼は今日は、朝食を食べてすぐに出かけた。王国騎士団との合同訓練とかで、張り切っていた。
リーナは、最近は手伝える依頼は手伝いつつも、勉学の方を中心に取り組んでいる。簡単な文字の読み書きはできていたけれど、もっと学びたいと意欲的なのだ。どうも流行りの乙女小説にはまったらしく、最初は私が朗読していたんだけど、忙しくなったし、なにより読んでいると全身が痒くなるのだ。愛だの恋だの、好きだの愛してるだの、イケメンの口説き文句から乙女の恥じらいまで朗読させられている私の精神は、もはや修行僧と一緒である。
私の顔が無になっていたからか、リーナは申し訳なく思ったようで早くこれを自分で好きなだけ読みたいと燃えているのだ。好きなことや目標があれば上達しやすいからと、レオルドや勉強に協力してくれているアギ君は、上手いことリーナにご褒美をあげながら成績を上げているみたいだった。今日もアギ君がギルドまで迎えに来て、リーナを連れて王都図書館へ行った。
その二人を見送って、朝食の片づけを済ませると私も大聖堂へ行く為に、荷物を持った。
レオルドには、予定が入っていなかったからお留守番をお願いした。その時のレオルドの様子は普通だったはずだ。サラさんのことはあったけど、すごく思い詰めている様子でもなかった。ラムとリリを抱えて、笑顔で「いってらっしゃい」と言ってくれたのだ。だから今日も普通に、ギルドに帰ったら「お帰り」が聞けると思っていた。それ以外のことが起こることをまったく考えてもいなかった。
レオルドに見送られた私は、大聖堂へ赴き、いまだに緊張しながら司教様の執務室の扉をノックした。いつもなら神官も一緒に来るのだが人払いをしているようで、一人で部屋を訪れるよう言われた。大聖堂は半年ほど暮らしたこともあるので広いが迷子になることはない。
一度ノックしただけで部屋の中から返事が返ってきた。しかし、その声は司教様ではない。首を傾げたが、入室を許可されたので扉を開けた。
「……え?」
私は驚いて目を丸くした。
圧巻、ともいえる人達の姿に目が瞬く。
「シア、扉を閉めてこっちに来なさい」
鋭い三白眼の瞳と重厚な威圧感を放つイヴァース副団長に言われ、慌てて扉を閉めた。だが、司教様の部屋にいる面子に怖気づいて、どのポジションに行こうか足が迷う。
「シア、こっちだ」
ベルナール様に手招きされたので、厚意に甘えることにした。さすがにこの中では一番ベルナール様の傍が緊張しない。
ちらりと視線を動かす。
部屋の中にいたのは、私を呼びつけた本人で部屋の主である司教様。
王宮騎士団副団長、イヴァース様。
王国騎士団第一部隊隊長、ベルナール様。
王国騎士団第二部隊隊長、オルフェウス様。
地方騎士団隊長、ベイル様。
王宮魔導士長、フォウン様。
そして----。
最後に目が合ったその人は、優雅に微笑んだ。
とんでもなく美しい人だ。目と目が合っただけで、その中に吸い込まれてしまいそうなほど、浮世離れした美貌。淡雪のように白い肌と華奢な四肢は、少し触れただけでも壊れてしまいそうで怖い。衣装の白いドレスは清楚なイメージで肌の露出がほとんどなく、色気はあまり感じないが儚げな姿はまるで妖精のようだ。
ここまでなら印象は真逆だけどラミィ様レベルの超美女だ! とワクワクしたかもしれないが、その美しい女性はそれだけではなかった。
真っ白な長い髪に、血のように濡れた赤い目。
思わずゾッとしてしまうほどの色合いに、思い出さずにはいられない。同じ色を持った、狂った魔人の男、ジャック。そして悪魔のことを。
「んじゃ、重役が来て全員揃ったし、はじめるか」
司教様が、面倒くさそうに言った。
全員揃ったって……まさか私が最後だったの!? 急いで来たはずだったのに、この面子で最後という重役出勤に慄いた。
私が真っ青になってぷるぷる震えていると、くすりと美女が笑った。そして鈴が転がるような綺麗な声で爆弾を投下した。
「まあ、レヴィちゃんったら、そんな意地悪を言うものではないわ」
美女と司教様と私以外の全員が一斉に口元を手で抑えた。
さすが歴戦の人達だけあって、美女の『レヴィちゃん』発言に吹き出すという失態は犯さなかった。私はどちらかというと笑うところじゃなくて、背筋が凍りましたけど。ちらりと司教様を見ると、ものすごい仏頂面だった。
「セラ、頼むからその呼び方はやめろ。司教か、もしくはレヴィオスで頼む」
「えぇ……だって、レヴィちゃん司教様っぽくないし、名前はちょっと長いし」
「長くねぇーだろ。レヴィオスにしてくれよ」
「そんなに恥ずかしがらなくても。ほら、私のこともセラちゃんとか、セラセラとか、白猫とか昔みたいに呼んでくれてかまわな--」
「あーー! あーー! なにも聞こえねぇー!」
司教様が両耳を塞いで額で机を叩いた。
他の人達は、笑いをこらえるのに必死の様子。一番ツボっていたのは、イヴァース副団長だった。元ネタを知っているのかもしれない。
「ご、ごほん。話が進まなくなる。セラ、少し黙っていてくれ」
「はーい」
イヴァース副団長に軽く小突かれ、にっこりと笑ってセラと呼ばれた美女はお口にチャックの動作をして黙った。目が合うと、彼女はウィンクしてくれる。どうやら私の緊張をほぐそうとしてくれていたようだ。色のせいで変にモヤモヤしていたが、なにもすべての悪魔がジャックみたいなわけではない。あれの方が特異だ。
額を赤くした司教様が、ようやく本題を話すため口を開いた。
「シア、今回の依頼の話だが、大元の依頼主は聖教会だが国単位での迅速な対応と解決が望まれている。ゆえにこの面子だ」
「……はい」
この部屋に入った瞬間から、予想はしていた。この面子を集めるのだ、ただ事ではあるまい。
「ギルド大会が終わったすぐ辺りから、王国各地で不可思議な事件が起きている」
「不可思議な事件ですか?」
「ああ、突然意識を失って、昏々と眠り続ける。命に別状はなく、病気でもない。なのにまったく目を覚まさない」
ベルナール様から資料を渡された。
王国各地を巡回する地方騎士団は、いち早くこの状況を知った。彼らの調べたところによると、その不可思議な状態になった人に共通点は見られず、被害地域もまばらで規則性はない。ただ、被害人数が多い場所は特定されていた。
「ラミリス伯爵領、ですか」
その名に、私は苦虫を噛みつぶしたような顔になってしまった。ラミリス伯爵は、レオルドを借金地獄に叩き落した極悪伯爵である。そいつが領主として治める地域に問題があるって、もう嫌な予感しかしない。
「その顔だと君も知っているかもしれないが、ラミリス伯爵は以前から騎士団でも目をつけられているような人物でね」
眉を寄せて、苦々しい様子でオルフェウス様が言った。ベルナール様も同じような反応だ。
「俺ら地方騎士団の方でも色々嗅ぎまわっちゃいるが、臭いことばっかしてるわりに、尻尾は掴ませねぇ。伯爵だけでここまで出来るとは思わねぇし、裏に気を配って慎重にやってはいたんだが」
ガシガシと乱暴にイラつく内心を隠さずベイル様が吐き捨てるように言った。
「ええ、ええ。きな臭いことこの上ないですよ。優秀な魔導士に調べさせたいところではありますが、これがなかなかねぇ……」
フォウン様は、困り果てた様子で白い髭をいじっていた。
やっぱり超問題ある人じゃないか、ラミリス伯爵。騎士団をここまで困らせるとは、かなり尻尾隠しがお上手のようだ。
「んで、シアんとこに依頼したいのは、ラミリス伯爵領での調査だ。騎士団じゃ警戒されるし、聖女の力なら現場で分からなかったこともなにか分かるかもしれんし、新しい情報が見つかるかもしれない」
司教様からの正式な依頼に私は頷いた。体に異常はないのに眠り続けて目覚めない人達。聖女の力なら人の身の分析も可能だ。司教様の言う通り、なにか新情報が得られるかもしれない。
「あとは、このセラがまとめて分析してくれっから、騎士団の連中もなんかあればセラのところに持ってこい」
司教様の言葉に全員が頷いた。
えっと、ところでセラさんの正体を私はまだ知らないんですが。怪訝な顔をしていたのがバレたのか、イヴァース副団長が教えてくれた。
「セラは魔女だ。クウェイス辺境伯と同等だな」
ラミィ様と同等の魔女!? ということはかなり高位だ。だからのこの場所に召集されていたのか。
「ついでにセラは、イヴァースの嫁な」
「ええ!?」
司教様の発言に咽た。噂のイヴァース副団長の奥さんにここで会えるとは。こんな年齢不詳の美女が奥さんとか、イヴァース副団長もやるなぁ。副団長はしきりに咳払いしていたが、恥ずかしいんだろうか。
それから半日ほど、昼休憩を挟みながら打ち合わせを終え、ジオさんのところへ行こうとした時だった。
「シア! 今すぐギルドに戻ってくれ!」
ルークがなぜかわざわざ大聖堂まで迎えに来たのだ。それもかなり慌てた様子で。ルークの話の要領が得なかったので胸騒ぎがしながらもギルドへ急いで戻ると。
「なあ、泣き止んでくれよ。もう俺どうしたらいいかわかんない……ほらほら、お兄ちゃんは怖くないぞ」
「のんちゃんですよ、ぷにぷにですよ」
ギルドにはリーナとアギ君がいた。アギ君は半泣き状態で、困った様子だったが必死にぬいぐるみを手に誰かを慰めていた。リーナも、のんや子猫達と同じようなことをしている。
「ど、どうしたの?」
私が話かけると二人はわっと走り寄ってきた。
「待ってた姉ちゃん! ルーク兄ちゃんは役に立たないし、レオおじさんは飛び出していっちゃうしで! 俺だって女の子の泣き止ませ方なんて知らないのにっ、古代魔術翻訳するより難しいんだけど!」
「あのこ、げんきないです! りーなはどうしたら!」
「ちょ、ちょっと落ち着いて一体なにがどうなって」
二人がこっちに来たことで、リーナ達が誰を慰めていたのか姿が見えた。
小さな女の子だ。栗色の長い髪をポニーテールにまとめあげて、田舎の村人が着るような質素な服のリーナと同じくらいの女の子。その子は蹲って泣いており、顔はよく見えない。
私は二人を落ち着かせると、ゆっくりと女の子に近づいた。初手は大事だ。泣いている幼い子にとって、知らない大人は普段よりずっと怖いものだ。女の子より少し距離をとって、しゃがみ視線を低くする。
「こんにちは、はじめましてだよね? 私は、シアっていうの。あなたの名前は?」
努めて怖がらせないように慎重に声を出した。すると女の子はそっと顔を上げてくれた。とても可愛い子だった。大きな銀色の目から涙が零れている。
「うっ、えぐっ……」
「急がなくていいよ、深呼吸しようか。すってー……はいてー」
深呼吸を促せば、女の子はつられるように深呼吸し始めた。素直な子なんだろう。しばらくすれば、女の子は落ち着いてきたのか、泣き止んでくれた。それから距離を縮めて、女の子の頭を撫でると緊張が緩んだのか、私にぎゅっと抱き着いてきた。
「ねえ、あなたは誰?」
震える手で必死に私にしがみつきながら、女の子は口を開いた。
「……しゃーりー。しゃーりー・ばーんず」
つたないながらも聞こえたその名に、私は驚いて固まった。




