〇1 私が国を滅ぼす魔王になるからね!
ギルド大会を優勝で飾り、順調にランクDに昇格した春。
それからの日々は、一言で言うと怒涛だった。私達の存在を確かめるようになだれ込む依頼。新聞社からは連日記者が訪ねてきて取材を受けたほどだった。彼らの一番の目的はルークで、やはり決勝で勇者に勝ったうえ、聖剣を折った男として世間からの注目度はうなぎのぼりらしい。それに出会った時とはまるで別人のようにたくましくなった彼は、高身長でイケメン過ぎない精悍な顔立ちが受け、女性人気も爆発している。ベルナール様みたいな人は無理でもルークなら……と期待を持ててしまうのが原因なのか、ルーク目的の女性がギルドに押しかけることもあったし、外出した彼を付け回す人もいた。
「ルーク、大丈夫?」
「……だいじょばない……」
今まで女性に付きまとわれることなどなかったのであろうルークはすっかりと憔悴し、外出頻度が極端に下がった。けれど外に出ないわけにもいかない。戻ってきた老師との稽古もあるしね。しかし外があの状況では彼一人で外に出すのも怖い。貴族の間にも自由恋愛が広まる現在、肉食な女の子も増えたしルークが襲われないとも限らないのだ。私がしっかりとルークの童貞を守らなければ。
……あれ? 童貞って守るべきもんだっけか?
まあいいか、不本意で失うのも可哀想だからな。
と、ここまでルークが童貞という想定で話を進めているが、確信めいたものはある。直接聞いたわけじゃないけど、悪戯でくっついてみた時の反応が(私であるにも関わらず)可愛かったのと、そっと彼の部屋に置いたセクシーな本を耳まで真っ赤にして「またお前か!!」と怒っているのか戸惑っているのか判断がつかない顔で返却された。
セクシーな本って言っても女性の裸とかが載ってるわけじゃない。セミヌードもない。美人でナイスバディな水着のお姉さんが載ってるだけだ。
可愛いかよ。
それと、彼の部屋の掃除をしていた時にうっかり色々と物色したのだけど成人男性ならほぼ確実に持っているはずの物がなかった。定番のベッドの下とか本棚の奥とか確認したけどなかった。そもそもルークは物をあまり持たないので見落としはないだろう。
そんなこんなで私の中でルークは童貞で決定した。
「それじゃ私ちょっと出かけるけど……いい? ルーク、鍵はきっちりかけてノックされたらのぞき穴で相手を確認して安全を確かめてから開けるのよ?」
現在、レオルドもリーナも外出中である。依頼も多いので個々で動くこともある。リーナはまだ単独行動をさせられないが、一人で外出しているのは行き先がアギ君のところだからだ。ギルド大会で得たギルド同士の繋がりは忙しくなった今、効果を発揮している。他ギルドと連携をとることも増えたし、蒼天の刃や紅の賛歌とは特に親しい。レオルドはよくバルザンさんに飲みに連れ出されている。リーナも年が近いこともあってアギ君と遊ぶことも多い。それにアギ君もリーナの頭が良いことに気が付いており、王立に入れるかもと勉強もみてあげているようだ。今じゃすっかり懐いて『アギおにーちゃん』と呼び親しんでいる。
ルークは私の言葉に困ったように頭をかいた。
「わ、分かってる。ってか、小さい子供じゃあるまいし……」
「あっまーい。今の君は肉食獣の前に投げられたお肉なんですからね! うっかり食べられちゃったら私が国を滅ぼす魔王になるからね! はい、復唱!」
「か、鍵をかけて、ノックされたらのぞき穴で確認してからドアを開けます!」
「よろしい! ラム、リリ、ルークの護衛を頼んだわよ」
「なーー!」
「なうーー!」
ギルドの可愛い防衛隊がやる気満々で返事をした。
私が向かった先は、貴族街の一角にある薔薇の生け垣のアーチが美しいお屋敷だ。前にも一度訪れた、クレメンテ子爵邸である。用事があるのは子爵ではなくて、ベルナール様だ。彼は城にある部屋で寝泊まりすることが多いが、おいそれと私が城へ行くわけにはいかないのでふくろう便で面会の約束をし、彼の実家で話をすることにしたのだ。子爵にも話を通している。彼的にはいつでも大歓迎らしい。
用件は第一に、ルークのことである。
女性関係の面倒事を回避することに長けている人間を探したら、彼以外にないだろう。ベルナール様もルークを心配していたから、仕事も急いで片付けて相談に乗ってくれるという話だった。
執事のロランスさんに案内され、そのままベルナール様の私室に通された。さすがに私の護衛を勤めていた時も彼の部屋に入ったことはない。城の部屋にも入ったことがない。
「ロランスさん? あの、ベルナール様は……」
「まだお戻りになっておりませんよ」
「あのー、では勝手に部屋に入るのは」
「スィード様の許可は得ておりますので」
それはつまりベルナール様の許可は下りてないのでは?
ロランスさんの笑顔が眩しい。この人、妙にベルナール様のことについて私に期待をしているところがある。子爵も隙あらば妹にしようとしてくるので油断はできない。可愛がってくれるのはありがたいが、さすがに友人とはいえ異性の部屋に上がり込むのはどうかと。本人の許可も得てないのに。得てても絶対に入りたくないけど。
そんな心境をまったく察してくれないロランスさんは。
「きっかり一時間後にお戻りになられますから、どうぞご自由にしてお過ごしください。私どもも坊ちゃまがお戻りになられるまでは部屋に入りませんので」
そう言って、私を部屋に押し込むとパタンと扉を閉めてしまった。
いい笑顔だった。
私は少し考えて、ゆっくりと部屋を見回した。ほとんどの時間を城の部屋で過ごしているからか、実家の部屋は物が少ない。広い部屋なのに大きめのベッドとクローゼット、机、本棚くらいしかなく綺麗に整頓されていた。
うん、これは----悪戯のチャンスだな!
ロランスさんもきっかり一時間後と宣言したので、それよりも早く戻ってきた場合は足止めしますということだろう。となれば一時間、この部屋を自由にできるということだ。思惑は分からないが、チャンスではある。良心や常識という言葉が胸をつつくが、それ以上にワクワクしてしまっている。ベルナール様にはいつも負けっぱなしだし、なにか弱点とか見つけられれば反撃の余地もある。
昔、悪戯を仕掛けて仕返しされた時の記憶が蘇るが、忘れたふりをした。
えーっと、まずは定番のアレを探してみようか。ルークは持ってなかったけど、女性にまったく困らないイケメンでも二十四--もうすぐ二十五の男が持ってないなんてことはないだろう。私も成人したし、アレを見つけたところで咎められることもない。見つけられればからかいの種になるし、彼の嗜好が変わってても華麗にスルーする自信はある。
定番の場所を捜索したけど……収穫はなかった。まあ、生活拠点は城の部屋だろうし、あるとしたらあっちか。残念だ。
ゲスな探索はやめにして、素直に彼の部屋を見学することにした。本棚の上の方や、机の上には色々な写真が飾ってあった。ベルナール様の子供時代と思われる写真もあり、小さい頃から綺麗な顔立ちをしていたのが分かる。一見すると美少女にも見える姿だ。
……あれ?
ちょっと違和感を感じた。写真は色々あるけれど、どれもベルナール様単体か、兄であるスィード様や使用人との写真ばかりだ。ご両親の姿がどこにもない。二年ほど前にスィード様が子爵を継いで、ご両親はここから西の方角にある子爵領で隠遁しているという話は聞いたことがあるけど。
ベルナール様も大人だし、ご両親との写真を置いていないだけかもしれないが、それなら自分だけの写真とか兄との写真はきっちり置いているのが少し不自然な気がした。
なんとなく手に取った写真立てだったが、指先に微力な魔力を感じた。これは隠蔽系の魔法? はずみで魔法を解除してしまった。他意はない。まさか写真に隠蔽魔法がかかっているとは思わなかったのだ。
魔法が解除されると、ベルナール様が映っていた写真は消え、違う写真が現れた。
私くらいの年の子爵とアギ君くらいの年のベルナール様、そして……リーナくらいの年の見たことのない男の子が映っていた。見事な黒髪で、赤い瞳の美しい少年だった。超絶美形な二人と並んでいてもまるで遜色がない。どことなく容姿も似ている、色が違うだけで。
もしかして、もう一人兄弟がいたんだろうか。一度も話に出たことはないし、彼の存在を感じたこともない。それに……。
黒髪に、赤い目か。
黒髪はこの国では珍しい。私と司教様も見事な黒髪だけど、その血筋はおそらく、大陸より海を渡った東の果てにあるという島に住む民族のものが混ざっている。混血の場合、黒が出る確率は低く、東方の血が混ざっていても黒髪になることはほとんどない。たまたま私も司教様も隔世遺伝で黒になっただけだろう。
ラディス王国の貴族は混血を嫌う。今はともかく昔はかなり厳しくて、異民族排他の動きも激しかった。一般市民はともかく代々続く貴族の家系であるクレメンテ家が東方の血を混ぜるとは考えにくい。
そして赤い目だ。白い髪と赤い目は悪魔として忌避されている。現在では、それが病によってなるものだと国では周知されているが、貴族の間では未だに凶兆として嫌われる。
隠蔽魔法で隠されていることといい、そういう要因を考えれば楽しい思考は生まれない。私は魔法をかけ直してそっと元の位置に置いた。クレメンテ家の事情に首を突っ込むわけにはいかない。忘れよう。
さ、さーて気を取り直して本棚を見ようかな!
ベルナール様はどんな本を持ってるんだろう。王立出身じゃないけど、たぶん頭はいいと思うし、難しそうな文献とかかな!
頭を切り替えようと本棚を覗くと、色々と本が置いてあった。でも予想していたものより小難しい書籍は少ない。ほとんどがなぜか工作もので、もしかしてベルナール様って大工職人とか目指していたんだろうかと思ってしまうほど専門的なものまで揃っていた。他は図鑑とか冒険記とか。彼のイメージとはちょっとズレた『普通の男の子』みたいな本ばかりだ。
顔の印象が強すぎるけど、実際のベルナール様って意外と子供っぽいところもあるし、儚い詐欺の兄に連れまわされたせいで貴族らしい潔癖な部分もない。ただし、虫は除く。私が彼の弱点として知っているのは虫がダメというところだけなんだよね。それで遊ぼうとしたらもっと怖い目にあったのでそれ以来はやってないけど。
ちなみにカブトムシの成虫は大丈夫で、幼虫はNGらしい。
ゴキブリが出現した時は私が倒した。
ミミズみたいな気持ち悪いモンスター代表であるワームは、目を閉じたまま瞬殺した。
野宿する時は、完全防備と結界で虫を寄せ付けない。
ある意味潔癖かもしれない。
でも本のレパートリーを見るとなんだか微笑ましい。十五歳で騎士試験を通ったらしいからそのあたりまではこの部屋で過ごしていたはずだ。今はともかく昔はそれなりに可愛かったのかもしれない。
なんてニコニコしながら本棚を見ていたのに、下の隅の方にあった本を目にして凍り付いた。装丁の装飾が美しい、他の本とは異質な存在感を放っていたその本は背表紙にタイトルが載っていなかった。興味本位で開いてみたのが運の尽き。
バン! と勢いよく本を閉じて本棚に突っ込んだ。
あー、いや、まあ……ね?
よくよく考えんでもベルナール様は男ですしね? それに貴族ですしね?
これはおそらく彼の嗜好とは別にして、貴族の嗜み的なもので置かれているやつだと思いますよ。
貴族として必要な知識として持ってるんだと思います。
ええ、はい。
まったくもう、ゲス探索では見逃していたのに不意打ちで見つけるとか嫌ですわ……。
ほのぼのとしていた気分を返せ。
がっくりと膝をついていると、扉の開く音が聞こえた。
まだ一時間はたってない。ロランスさんや使用人、ベルナール様は入ってこれない手筈のはず。ということは子爵だろうか。お邪魔してます、と挨拶をしようと振り返ったが。
無表情の顔とぶつかった。
--無表情でもイケメンですね!
などという軽口は出なかった。背筋が凍り付き、顔色は真っ青になっているだろう。冷や汗が止まらない。
想像していた顔と近かった。だけど違った。子爵よりも若くて、鍛えられた体は細身でもしっかりとしているのだから。
帰ってきた部屋の主、ベルナール様は女神に劣らぬ美貌の笑顔を浮かべた。
「やあ、シア。相談に乗るとは言ったが、部屋に入っていいと言った覚えはないが?」
「ひぃっ!」
ロランスさんの嘘つきーーーー!!
場所を応接間に移し、私は当初の目的を果たす為に相談事を口にした。
「まあ、そんなことだろうとは思った。ルークが手慣れてたら逆に驚く」
「で、ですよねー」
「色々と方法はあるから、ルークにできそうなものから教えていこう。シア達にも対策を協力してもらう必要もあるだろうし、それはそれでまとめておこうか」
「よ、よろしくお願いします」
相談は普通に流れるように進んだ。事前に相談の内容は伝えてあるから、準備もしていてもらえたらしい。資料とか、細かい動きもメモできた。
問題は体勢である。
ベルナール様は明らかに怒っていた。そりゃ、勝手に部屋に入られて色々見られたのだから当たり前である。
なので私は覚悟した。抵抗の一切を諦めた。
そんな私にベルナール様は、笑顔で謝罪スタイルを提案してきた。
一、今度、シアの部屋に遊びに行って物色する。
二、お姫様抱っこ半日。
三、結婚する。
一は嫌過ぎる。三はありえない。っていうか絶対にからかってるだけである。
苦渋の二番。
トイレ以外、お姫様抱っこで過ごすとか重くないんだろうか。邪魔でしかないと思うけど、彼は私への嫌がらせは喜々としてやってのける。他の人には紳士的なのに、私だけ部分的にドSになるの解せぬ。
出会った当初は、すごく優しかったのになぁ。優しいだけじゃない人だということにはすぐに気が付いたけど、彼はしばらくはただただ、優しい人だったのだ。私に対しても。それももう遠い記憶になりつつある。
『綺麗な黒髪だな』
昔、ベルナール様にそう褒められたことがあった。黒は珍しいから、こんな髪でも綺麗に見えたりするんだろうかとちょっと嬉しかった。異民族の色だから好かれる色ではなかったはずだ。王族系男子も黒に近い色を持つが、実際は濃い紺色なのだ。そして毛先の色が別。ラディス王家の証だから純粋な黒髪とは違う。
貴族なのに珍しく黒が好きなのかな。ただ、今まではなんとなく思っていただけだった。
隠された写真に写っていた黒髪の美少年を思い出す。
もしかしたら、彼は黒が好きなんじゃなくて----。
「シア? シア、どうした?」
「え!?」
「ぼーっとしていたぞ。資料のまとめも終わったし、ギルドまで送っていくと言っているんだが」
「は、はい! お願いします」
昔のことを思い出していたら、ぼーっとして彼の言葉を聞いていなかったようだ。反省しつつ、厚意に甘えて馬車に資料を乗せ、私もギルドへ戻ることにした。
「あ、あのー」
「なんだ」
「まさか、このまま帰るんです?」
「当たり前だ、まだ半日終わっていない」
お姫様抱っこで帰宅した私に、レオルドとリーナは笑顔で迎え、ルークは石みたいに固まっていた。ようやく降ろしてもらえた私は、ベルナール様を丁重に追い返し、一心不乱に麺棒で生地をぶったたいて夕飯を作った。
自業自得とはいえ気恥ずかしさで機嫌が急降下していた私に、ルークは果敢にも話しかけてきた。
「し、シア」
「なに」
「な、なんか悩みがあったら聞くぞ? 俺にできることならなんでもやるから、な?」
無言でルークの頭を強く撫でまわした。
このギルドのほとんどは、優しさでできている。
次の日の朝、昨日、叩きすぎた生地の余りで朝食を作っていると二番手に早起きのレオルドがやってきた。そしてギルドに戻ってから日課になりつつある届け物の確認をする。
そういえば、戻ってからサラさんから手紙が届いていない。しばらくは届かなくても不思議じゃないとレオルドを慰めていたが、さすがに一ヵ月近くたってくると私も心配になってきた。サラさんからの手紙は結構マメに届いていたのだ。すんごく分厚くて、便せん数枚の枚数じゃないなとバーンズ夫妻(離縁中だけど)のラブラブっぷりを微笑ましく思っていたのだ。
今日も確認したところ、サラさんからの手紙は届いていない。
レオルドもそれを確認して、溜息を吐いていた。
ギルドの忙しさは嬉しい悲鳴でもあるが、忙しすぎてレオルドの心配事を解消できていない。ここはひとつ、本腰入れてサラさんの状況を確かめないといけないと思っていた。
その日、思いがけず緊急の依頼が入って、私は内容の確認の為に依頼主である司教様の元を訪ねることになった。珍しくはあるが聖教会方面から依頼が来ることはある。司教様直々ということは聖女の力を持つ私が必要な案件なんだろう。どやされる前にと準備を素早く済ませて大聖堂へ向かった。
依頼の内容はなかなか難しそうな衝撃的なものだったが、緊急依頼として引き受けた。他の依頼はなんとかさばいたり、他のギルドと協力して終わらせることにして夕方ギルドへ戻ると。
----レオルドが姿を消していた。




