〇0 きみのヒーローになりたい
俺、レオルド・バーンズは昔、とても体が弱かった。
今の俺を見たら、冗談だろ? って笑われるだろうし、信じてもらえないだろう。だけどこれは本当だ。
生まれたその瞬間から死にかけていた、そんな赤ん坊だったらしい。小さくて脆弱で、すぐに病にかかって、一度かかるとなかなか完治しない。毎日が死と隣り合わせで、母親はいつもうつむいて悲しい顔をしていた。父親は笑顔で励ましてくれたが、俺の治療費を稼ぐ為になかなか家に帰れなかった。
ド田舎の小さな村だ。ほとんどの村人が貧乏だったし、もちろん俺の家も平民だけど楽な暮らしとは程遠かった。それなのに重くのしかかる俺の治療費に家計は火の車だった。それは幼い俺にもわかるほどに切迫していた。それでも両親が俺を責めたことは一度もない。母親の顔色は見るからに青かったが、甲斐甲斐しく俺を看病してくれた。
情けなくて、辛くて、悲しかった。
なにもできない自分が。
『お前がいなくなれば、楽になれるのに』。いっそのこと、そう責められた方が俺もすっきりしたかもしれない。どんなに辛く苦しくても、優しい両親に俺は死にたくなった。
いなくなってしまおうか。
きっと、その方が両親も幸せになれるだろう。
言えないなら、そう思えないなら俺から消えてしまえば両親の責任はない。そう勝手な思い込みで、俺はそっと家を出た。生まれてから八年目、八歳の時にようやく俺は外の世界を少し垣間見た。小さい村、それでも今までの俺の世界はベッドの中から見える窓の景色だけだった。だから、それでもすごく広いと思えた。
どこへ行こうか。
どこならば静かに、誰にも見つからず消えることができるだろうか。
村をうろうろしているうちに、外に出たこともなかった俺の体力はすぐに尽きた。早すぎる終わりに絶望した。こんなところじゃすぐに両親に見つかってしまう。ここで死んだらもっと迷惑がかかるじゃないか。
……どうしよう。
震えながら地べたに転がっていると。
「どうしたの?」
鈴を転がすような可愛らしい女の子の声が聞こえた。重い瞼を上げて、目を開くと星空に重なるように人影が俺の顔を覗き込んでいた。髪の長い、小さな影。きっと自分と同じくらいの幼い少女だろう。
声はかけられたが、返事ができるほど元気は残っていなかった。くてっとしていると、少女はしゃがみ込んで俺の顔を近くで眺めた。俺も近づいてはじめて少女の顔が見えた。
くりっとした大きなこげ茶の瞳が印象的な、可愛い女の子だった。
この女の子を俺は見たことがある。窓から見える景色の中に、時折登場する女の子。いつも楽しそうに外を駆け回って、友達と遊んでいる村の子供の一人だ。
「あ、まどのこ」
まどのこ?
女の子が口にした言葉に、俺は意味が分からなくて首を傾げた。
「まどから、まいにちそとをながめてるこ。だから、まどのこ。だってわたし、きみのなまえをしらないもの」
そこまで言って、女の子は「あ!」となにかを思い出したように慌てて続けた。
「わたしはね、サラっていうの。じぶんからなのるのが、れーぎっておそわってたのに、ごめんね」
慌てて、次に困った顔をして、そして俺の顔を見て笑顔になった。
くるくると、よく表情が変わる子だなと思った。サラは、俺の言葉を待つように少しじっとしていたが、俺がなんの反応も示さないので首を傾げた。
「もしかして、ぐあいがわるい? からだがよわいから、きみとはあそべないのよって、おかーさんがいってたから」
俺は少し迷ってから少し頷いた。
「おとーさんたち、よんでくるね。まってて」
そう言って駆けだしそうになったサラのスカートを掴んだ。振り返ったサラが不思議な顔をした。具合を悪くした子供を助ける為に大人を呼びに行くのは当たり前だ。だけど、俺の目的はそうじゃない。頑張って首を横に振る俺に、サラは再びしゃがんだ。
「おとーさんたちよぶの、いや?」
俺は頷いた。
サラは困った顔で悩んでしまった。
俺はまた、誰かを困らせてしまっている。そういうつもりじゃなかったのに。本当にこの弱い体が怨めしい。
「うん! そうだ、まってて。おとながだめなら、こどもをよべばいーんだよね!」
え?
「ベックとキャリーと……あとは、うーん、いじわるだけどヴェルスもよぼう! なかまはずれだめ!」
パタパタと走り去ったサラを今度は止められなかった。放っておいて欲しかった。困らないで欲しかった。
……見つかるような場所にいた俺が悪いんだけども。
しばらく星空をぼーっと眺めていると、複数の足音が近づいてきた。軽い音だから全員子供だろう。サラは言った通り、三人の子供達を連れてきた。皆、同じくらいの年齢だ。
「よるおそくにそとにでると、かーさんたちにおこられちゃうよ?」
のんびりとした印象の男の子。
「なにいってんのよ、よるのぼーけんとか、わくわくするじゃん!」
活発そうな女の子。
「そいつ、いえからでてこない、もやしじゃん。ぜってぇ、ねくらだぜ」
意地悪そうな男の子。
そんな三人をまとめて引き連れてきたサラは、笑顔で言った。
「いまから、わたしたちは、このこをきゅーしゅつします! だけど、おとなにはたよれません。なぜならこのこが、いやがるからです」
「はーい、なんでいやなの? ぐあいわるくないの?」
「まだぼーけんしたいんじゃない?」
「さっさといえにつれてって、それでおわりだろ?」
口々に言う子供達をサラは、いったん手を打って静めた。
「わたしたちの、みっしょんは、このこのねがいをかなえることです!」
サラはぼーっと事の成り行きを見守っていた俺の目を覗き込んで笑った。
「みごと、きみをきゅーしゅつできたら、たいかをもらいます」
対価? お金とかなにも持ってないけど。
不安な気持ちが出てしまったのか、そう思うとサラは更に笑顔を深めた。
「ふふ、おかねとかとろーってわけじゃないよ。きみのねがいがかなったら、えがおをください」
え?
「わたし、きみのわらったかお、みたことないもの」
この時の俺は、そこではじめて気が付いたんだ。生まれてこの方、一度も笑ったことがないって。無表情で、感情をどっかに落っことしてきたような、陰気な顔だった。
サラが望んだのは、俺の笑顔だけだった。
友達は、特にヴェルスは不服そうだったがサラの突拍子もないミッションを遂行した。
俺は返事ができなかったので、イエスとノーを首を振る動作で伝えた。その結果、俺はサラ達が密かに作った秘密基地にかくまわれることになった。
もちろん翌朝には、俺が部屋にいないことに気が付いた母親が気が狂ったように探し回ったらしい。これにはさすがに子供達も俺の無事を知らせるべきだとサラに言ったがサラは俺を見て首を振った。
サラは、責任を全部自分が負うと言った。
俺が秘密基地にかくまわれて二日目。体の弱い俺は熱を出した。でもここには熱さましの薬もないし、清潔で柔らかいベッドもない。サラは一生懸命、看病してくれた。
「……いえに、もどる? かえりたい?」
心配そうに聞くサラに、俺は首を横に振る。
半ば、意地だったと思う。両親を楽にしてあげたい。自分が楽になりたい。
大好き。
大嫌い。
幸せ。
不幸。
色んな感情がもうごちゃごちゃだった。俺を愛してくれる両親を愛してる。俺に苦しめられる両親を、俺を責めない両親が大嫌い。温かい家庭に生まれて、幸せ。俺を捨てられない家庭が不幸。
苦しい。苦しい。苦しい。
愛されても、愛されても、どこまでも苦しい。
自然と涙が出た。生まれた瞬間すら、泣かなかったらしい俺だから、きっと泣いたのもその時がはじめてだったに違いない。
サラは優しくその涙をぬぐってくれた。
そして、こう言った。
「みっしょん、しっぱいだね。わたしは、きみのねがいをかなえられなかった。でも、ね……きみのことばなら、きみがよんでくれるなら、わたしはとんでいくよ。しってる? そういうのをヒーローっていうの。わたし、きみのヒーローになりたいな」
涙は止まらなかった。
サラは自分が怒られるのを覚悟で、俺になにかあったらと恐れながらも、俺の気持ちを優先してくれた。誰にも言えなかった。言っちゃダメだと思っていた。
でもヒーローになら。
サラになら、言える気がした。
「--けて……たすけて--」
俺を助けて。両親を助けて。苦しみから救って。
なにもできない。なにも返せない。それでも助けを求めるのは卑しいと思った。
サラは俺の手をぎゅっと握った。温かかった。
「わらって。ヒーローはそれだけでだれかをたすけられるから」
サラは本当に俺を救ってくれた。
俺をかくまっていたことで、俺の母親には酷く責められたけどサラは泣かなかった。それから少しずつ、俺の母親の手伝いをはじめた。母親は俺の看病に仕事と二足わらじで疲弊していたから、サラが代わりに俺の看病をしたり、家を掃除して清潔に保ったりと色々努めた。
ベックやキャリーも手伝ってくれるようになったりして、俺の周囲は賑やかになっていった。一人で悩まなくていい環境になって、ようやく俺も母親も気の抜けた顔ができるようになっていった。
助けを求めるのは、悪い事じゃなかった。
それを教えてくれたのはサラだ。
「えっと、ねえ……サラ」
体調が良くて、久しぶりに外の木陰でサラとのんびりと本を読んでいた。サラの父親は村長で村でも比較的、生活には余裕がある。だから俺の暇つぶしにと本をたくさんくれたのだ。サラも村長の娘として簡単な読み書きは習得していて、俺は彼女から色々と教わっている最中だ。
「なぁに?」
「見合ってないと、思うんだ」
俺の言葉にサラは、疑問符を浮かべた。
「いくらヒーローでも、もうちょっとなにか欲しがったら?」
サラのおかげで俺の視野は広がった。両親も悲しい顔をしなくなったし、明るい笑い声も増えた。父親も帰ってくる日が増えたし、俺には友達ができた。全部全部、サラがくれた奇跡だ。
だからその対価が笑顔だけなんて、見合わないと思った。
俺の笑顔って、そんな価値あるのかな?
「うーん、と。そうだなぁ……明日も笑って」
「え? うん」
「明後日も笑って」
「う、うん?」
「その次の日も、次の日も、ずーっと笑ってて。笑顔でいて。幸せでいて」
『レオ、あなたの名前を知った時。あなたが笑ってくれた瞬間に、知ったから。私の幸せは、あなたの笑顔と一緒にあるんだって』
--サラ。
ドスン!
と、派手な音と共に背中に鈍痛が走った。
「いって!」
気が付けば、見慣れた天井が見えた。窓からは朝日が差し込んでいる。扉の隙間からは良い匂いが漂っていた。もうシアが朝食の準備をはじめているに違いない。俺もいつもなら体操をはじめていてもいい時間だった。
……寝すぎた。
懐かしい夢を見て、幸せ心地だったのか。油断してベッドから落ちるとか、もうガキじゃあるまいし。
やれやれと背中をさすりながら顔を洗った。鏡を見れば、もういい年をしたおっさんが映る。幼い頃の面影なんかありゃしない。チビと散々からかわれた背丈は、誰よりも高くなり、病弱でもやしみたいに細いと言われた体も分厚い筋肉に覆われてカチカチだ。病弱だった体も奇跡的に年を経るごとに健康体に近づき、無表情だった顔は、サラに出会って穏やかになった。
……今でもなんでサラみたいな美人で優しくて芯の強い女性が俺の嫁になってくれたのか分からないところがある。
村でも俺よりカッコイイヤツはいた。ヴェルスとか。ヴェルスとか。ヴェルスとか。
王立に行く為に、村を出て王都で生活して生活費稼ぎながら、学費を浮かせる為に必死に頑張って主席とったりして忙しくしていた。バルザン師ともその頃に出会って鍛えてもらって現在の姿に近づいたりして。まさかその後、サラが押しかけてくるとは思ってもいなかったし、ヴェルスと殴り合いになるまでの喧嘩に発展することもなかったし、いつの間にか外堀埋められててサラと結婚するとも思わなかった。
今では可愛い娘もいる。
全部がすでにいい思い出だ。
だがしかし、現在進行形で情けないことに俺のせいで離縁することにまでなってしまって……。シアのところに世話になることが決まってから、ようやくサラに手紙が出せるようになった。愛情たっぷりの手紙に毎度泣かされるはめになってるが、それはそれで幸せなんだろう。
いつかの未来、サラとシャーリーまた三人で家族に戻って一緒に暮らせるようにする。そしてシア達のギルドに貢献する。その目標に向かって毎日鍛えている。
ギルド大会でも優勝したし、ルークも頼もしくなって戻ってきた。
順風満帆とはいかなくても、いい方向へと向かっていると、そう思っていた。
今日も部屋を出てすぐに居間にあるテーブルの上を確かめた。誰よりも早く起きて準備をするシアは、郵便物もすべて検めてテーブルの上に置いてくれるのだ。
「なあ、シア……俺宛の手紙ってきてないか?」
「え? うん、来てなかったわよ」
美味しそうな朝食を運びながらシアが返事をした。
「……そうか」
あからさまに気を落とした俺に、シアは苦笑いを浮かべた。
「三ヵ月間、ギルドにいないって知らせてあるんでしょ? もう少ししたら、届くわよ」
「そうだな」
きっと、手紙を出すにはまだ早いと思っているのだろう。もうしばらく待てば、またサラから手紙が届くに違いない。俺は三ヵ月間あった話を書こう。ギルド大会での話も書こう。
たくさん、伝えたいことがあるんだ。
だが、それからしばらくたっても、サラから手紙が来ることはなかった。




