◇40 ルークのくせに生意気だ!
勇者の顔には、すでに余裕もなにもなかった。ルークに対する侮りも、見下した態度も掻き消えて、顕わになるのは焦りと恐怖。この顔を私は以前、一度だけ見たことがあった。
勇者が勇者に選ばれて、私が彼と彼の選んだ仲間と旅立つことが決まった夜。旅の始まりを女神に告げる祭りが王都で行われた。私は聖女として、そんなに興味も持たれていない勇者の傍についていなくてはいけなくて--あの頃は、まだ彼の仲間になることを諦めていなかった。私は邪険にされながらも、料理をとってきたり、身の回りの世話を焼いていた。今思えばただの雑用係だ。そんな風に、祭りも楽しめずに忙しく動き回っていた私の元へやって来たのはベルナール様だった。
「シア? なにをやってるんだ?」
「あ、ベルナール様。……えっと、勇者がエルベの赤ワインが飲みたいと言うので運んでいる途中で--」
お盆に五人分のワインを乗せながら私が答えると、ベルナール様は眉間に皺を寄せて目を細めた。
「二人分……じゃないな。仲間の分もか?」
「えーっと……」
実は今、三往復目です……とは言えない。勇者と仲間の分でもあるが、それ以外にも勇者が色々ひっかけてきた女性達の分も入っている。当然のことながら私の分はない。お酒はまだ飲めないから、この中に私の分がないのは一目瞭然だろう。
「シア」
「っ! はい!」
ベルナール様とは二年ほどの付き合いだ。大聖堂から居住を王城に移してから、彼が私の護衛を勤めていた。最初は、ものすごいイケメンの優しいお兄さんだと思っていたけれど、それがただの仮面であることはすぐに分かった。昔から人の顔色を窺うことだけは達者な私だ、間違うはずはない。優しい人だけど、それだけじゃないことはもう分かっていた。
だから、いつもは仮面の下に隠している彼の怖い部分が滲みでた低い声音に私は自然に背筋が震えた。司教様のせいで肝だけは据わった性格になったと思ったけど、彼に対してはもう永遠に耐性がつかないんじゃないかと思っている。
ベルナール様は、青ざめる私に綺麗な笑顔を向けた。
「重いだろう? 俺が運んでやる」
「い、いえ! 滅相もないです!」
ベルナール様が怖いのもあるが、彼は正真正銘の貴族である。聖女とはいえ、卑しい身である自分が貴族を使ったと知られたら後が怖い。しかしベルナール様は、問答無用だった。私からお盆を取り上げると、勇者の元まで案内するように言ったのである。ほぼほぼ強制だ。
私はもうすべてを諦めて、彼を勇者の元まで連れて行った。そして今まで生きていて一番、生きた心地のしなかった出来事が起こった。
「クレフト・アシュリー」
「……勇者って呼んでくださいよ、クレメンテ卿」
「跡継ぎでもないし、ただの一介の騎士だ。君こそ俺のことはベルナールと呼んで欲しいな」
笑顔なんてない。猛烈なブリザードが吹き荒れる感覚に、雪も降ってないのに体が寒くなった。
「で、ベルナール様がいったい俺になんの用ですか?」
不遜な態度ではあるが、ベルナール様の方が身分が上の為、勇者の口調は丁寧だ。ベルナール様は、腰にある剣の柄を叩いた。
「なに、盛り上がっているし、余興でもどうかと思ってね」
「余興?」
「ああ、俺と腕試しをしようじゃないか」
つまりは勇者の門出に、ベルナール様が道化になって民衆を楽しませようというのだ。この腕試しは、ベルナール様が勝ってはいけない。勇者に花を持たせるのが目的のものだ。元々、勇者はベルナール様を苦手としているのか、あまり近づかない。彼の目論見が分からなくて怪訝な顔をしたが、周囲にはやし立てられてベルナール様の提案に乗ったのだ。
そして勇者は、その件でトラウマを負うことになる。
見た目は、普通の腕試しだったように思う。だが、それは剣技に対して私がド素人だったからだ。後から聞いた話だと、少しは剣に覚えのある騎士や戦士の目には、地獄が映っていたらしい。
『ベルナール様とは絶対に戦いたくない』
『この国で一番怒らせたらヤバイ人』
『もう夜、一人で寝られない』
『今日は、悪夢』
屈強な男達が口をそろえて言ったのだから、相当なんだろう。私は、ベルナール様が勇者と腕試しを終えて戻ってきた時、すっきりした顔をしていたので、ほっとしたんだけど……。
余談だが、あの余興を見て、司教様は大爆笑していた。あんなに笑ってる司教様を見るのは初めてだったから、ちょっとビビった思い出。そういえばあの頃から、司教様は伝令にベルナール様を使いだした気がする。
--話がそれたけど、ルークと戦う勇者の目が、あの時の……ベルナール様に地獄を見せられた腕試しの時と同じなのだ。ルークはベルナール様ほど怖くない。真っすぐで、どちらかというと分かりやすい。不愛想だけど純粋な優しさが見える男だ。ベルナール様みたいに、器用に仮面をかぶれないだろう。ものすごい気迫は感じられるけど、正直あの時のベルナール様ほどの怖さはないのだ。
「--っ、ベルなー」
「違うぜ、勇者。しっかり見ろ」
ルークの一撃が、再び勇者の手から聖剣を引き離した。飛ばされた聖剣は回転しながら離れたところに刃を突き立てる。
「俺はあの人みたいにかっこよくない。あの人みたいに高潔じゃない。あんたの目の前にいる男は、ただただ失うのが怖いだけの臆病者だ」
ルークの剣の切っ先が勇者の喉元に突き付けられる。
「俺が本当の強さを手にするのは、きっともっと後だ。死ぬほどの努力をした向こう側だ。けど今、負けるわけにはいかない……だから」
青ざめる勇者の顔をあまり見ないようにするように、ルークは思い切り勇者を蹴った。修行の成果か、彼の蹴りはかなりの威力があり、勇者の体は宙に投げ出されてリングの外へとはじき出された。
一瞬の静寂の後。
『き、決まったーーーー!! 勝者、暁の獅子ルーク! この結末を誰が予想できただろう! 遅れて現れた白馬の騎士は、とんだダークホース! 白馬だけどダークホース!』
強張っていた体は、アナウンスの声にようやく緩んだ。緩み過ぎて隣にいたレオルドの肩にもたれかかってしまった。
「大丈夫か? マスター」
「ええ、大丈夫」
よろりとしながらも、私はリングの上に堂々と立つルークを見詰めた。精悍な顔立ちになった彼の横顔は、どこか痛みを押し殺しているようにも見える。彼なりに勇者に対して思うところがあったんだろうか。それでも立派に勝ってくれた彼の姿に、目頭が熱くなった。視界が滲む。
「おねーさん! おにーさんをおむかえにいきましょう!」
「そ、そうね!」
ルークが戻ってきた上に、勇者に勝つことができてリーナもとても嬉しそうだ。ルークに早く会いたくてうずうずしているリーナの手をとり、私達はリングへと駆けだした。
「おにーさん!」
「ん、うおっ!?」
少しぼーっとしてたルークは、リーナの突撃にちょっとよろけたが転びはしなかった。しっかりとリーナを支えて、そのまま抱き上げる。
「リーナ、元気にしてたか?」
「はいです!」
「そうか……あれ、ちょっと背が伸びたか?」
「さんせんち、のびました!」
「おお、成長期だな」
可愛い兄妹の再会シーンを邪魔すまいと、ちょっと離れて見守っているとルークと目が合った。少しばかり見つめあってしまうと、彼はハッとして視線を逸らす。頬が若干赤い。照れ屋なところがあるのに、恥ずかしいセリフも言えるんだから不思議だ。
そんな彼の様子を見ていると、どんどんと『ああ、帰ってきたんだな』という実感が沸いてきて、胸の奥が熱くなっていく。急いで涙をひっこめたというのに、また視界が歪みだした。
「ルーク!!」
「うおっ、お前もか!?」
自然とルークに突撃していた。右腕でリーナを抱えているのに、私の突撃にもひっくり返らなかった。
「お帰り、お帰り! もう、すごい待ったよ!? 焦らしすぎでしょ! ルークのくせに生意気だ!」
「悪い、悪かったって! おいこらシア、頭で胸部をぐりぐりするな! 地味に痛いっ」
頭の上から非難する声が聞こえたので、ちらっと見上げれば、文句を言っているわりには嫌な顔はしていなくて、びっくりするほど赤面した顔があった。
お・も・し・ろ・い・な!!
悪戯心が疼く。頭ぐりぐりが痛いならば、頬ずりに変えてやろう。
「シア! お前、ぜってぇ面白がってるだろ!?」
バレている。
これ以上、くっついたらどういう反応が返ってくるのか試してみたかったが。
「るぅーーくぅーー!!」
「おおう!? ちょ、おっさん! おっさん待った! さすがにおっさんは無理--」
感極まった巨漢のレオルドが、涙と鼻水を垂らしながら猛突進してくるという、もはや恐怖しか沸かない光景。どうすることもできず、私ともどもルークは崩れ落ちた。さすがにレオルドまでは支えきれなかったようだ。
けど、ルークはリーナと私に怪我がないように死守してくれた。彼自身は背中を強打である。
「成長したなあ、ルーク! おっさんは、おっさんは嬉しいぞおおおおーー!!」
「あ、ああ、ありがとおっさん。いいから早くどいて--ぐっ、抱きつくな! 骨、骨が折れるぅ!」
ルークのことを年の離れた弟みたいに思っている節のあるレオルド、愛の抱擁なんだろうけど嫌な音が響いている。ボキボキ軋む音が聞こえてる!
ルークの腕から脱出したリーナは、近づくと危険と判断したのか少し離れた。私もちゃっかり避難している。
慌ただしい再会となってしまったけれど、これほど嬉しいこともない。ルークが戻ってきて、勇者を倒せて、ギルドは大会初参加にして優勝だ。おめでたいことしかない。帰ったら、なにをしよう。ルーク帰還記念に奮発してどこか美味しいものでも食べに行こうか。それともライラさん達がなにかやってくれるつもりかもしれない。
そんな楽しいことを考えていた。
勇者がどんな奴かを私は十分に知っていたはずだったのに。
悲鳴が聞こえたのは、そんな緩みきった油断をしている最中だった。その声に跳ねるように反応すれば、そこには。
「ありえない、現実じゃない、俺が、俺が負けるわけない。全部、おかしい。なにもかも」
どこか虚ろだった。なにかに操られるかのように彼は、勇者は幽鬼のごとく立っていた。
--リーナの首元に聖剣の刃を突き付けて。
 




