◇33 誰得だよ
「うおおらあぁ!!」
電光石火の速さで、カピバラ様は休むことなくラクリスへの攻撃を続けていた。
「おっと」
その攻撃を彼はギリギリのところで避け、余計な体力を使わないように最小限の動きで相手をしている。彼の武器は、おそらく魔導指輪。ということは少なくとも魔法を使ってくるはずだ。メノウちゃんのように格闘タイプにも見えないし、身のこなしはいいが腕力があるようには見受けられなかった。
ならば。
「!!」
カピバラ様の攻撃の合間を縫って、気配を最小限に抑え、隠蔽の魔法で一気にラクリスに近づくと、思い切り強化魔法をかけた蹴りをお見舞いしてやった。
よもや治癒術士と思っていただろう私が直接攻撃を仕掛けてくるとは思わなかったのか、ラクリスはまともに私の蹴りを受けた。といってもさすがにまったく専門じゃない、非力な女の蹴りをいくら強化したところでギルドの人間として戦闘も経験しているであろうBランク者に決定的なダメージを与えられるとは思っていない。
「……えっと、スカートで蹴りをいれるのはどうかと」
ロングスカートローブなので、蹴りづらいことこの上ないが大丈夫、思いっきり足を振り上げたとしても中身は--。
「スパッツ装備なのでご安心を!!」
義父だったシリウスのところへ引き取られた短い間で、私のお転婆ぶりに頭を悩ませた彼が『木登りも禁止したりはしませんが、せめて中に見られても困らないものを履いてください』と言われたので、それ以来中にはきちんとスパッツなどを履いている。
「てめぇのパンツなんぞ、誰得だよ」
「うっさい、スパッツだっつってんでしょ!」
失礼なことを言いつつもカピバラ様はしっかり仕事をしてくれていた。
私の蹴りは大したダメージにはやっぱりなってない。だがそれは想定内だ。彼の注意を一瞬だけ私にそらせればそれでいい。だって、ラクリスはカピバラ様の攻撃を避けるのに余裕を見せてギリギリのところを交わしていたんだから。
そりゃあ、一瞬でも隙ができれば。
「せいっ!」
カピバラ様の前足がラクリスの顔面を踏みつけた。
私の魔法で攻撃力と速度が飛躍的に上がっているカピバラ様の一撃はすさまじく強い。ガードも間に合わなかったラクリスは面白いくらいに吹っ飛んだ。
衝撃でリングを転がりながら、倒れこむ。
「よっしゃ! どうだ」
手ごたえがあったのか、カピバラ様は嬉しそうにリング上に着地した。
ガードゼロでの攻撃だ、私の蹴りと違ってかなりの痛手のはず。……でもなんだろう、背筋を這う寒気は一層増したような気がする。
「ふ、ふふふ……」
リングにあお向けに転がったラクリスから愉快そうな笑い声が漏れた。
「ああ……嗚呼、血……血か。また己の血を見ることになるなんて……やはり君は素敵だね。でもできれば、獣ではなく君に傷つけて欲しかったよ」
ぞわりと、全身の毛が粟立った。
気持ちの悪いセリフではある。けれど私が感じだ寒気はそれだけのせいではない。ゆっくりと立ち上がった彼の。
「目……が……」
ラクリスの黄金色に輝いてた瞳が、いつの間にかほの暗い赤に変わっていた。
この色を見たことがある。
血のように真っ赤で。
光を宿さない、死んだような赤。
まさか……魔人……なの?
そういえば、リーナが言っていた。
ラクリスにはオーラがないのだと。オーラのない者にろくなやつはいないと思ったけど、そういうことなの?
じゃあ魔人の目的はなに? まさか、この会場の人間……。
「さあ、遊ぼうか聖女様。大丈夫、私が遊びたいのは君だけだから……君以外の心配はいらないよ」
彼は私の気持ちを読むようにそう言って笑った。
魔人の姿を現せば普通の人間はそれだけで死に至る可能性もある。ルークも、リーナも、レオルドも。まだまだ実力不足だったとはいえ、リーナはあの時には力を覚醒させていたし、二人は訓練を受けていた。だから、生きていられたんだ。
けれど、ここには一般市民が--幼い子供やお年寄りだっている。
下手をすれば、魔人の魔力圧に押しつぶされて命を落とす。
「じゃあ……なぜ」
彼の言葉を信じるなら、彼は魔人の姿を現すことをする気はないようだ。
魔人は、人間を皆殺しにするものだと勝手に想像していたが違うのだろうか。
「『遊びに来た』んだよ。こんなに楽しそうな催しがあるのに、ただ仕事だけして帰るなんてつまらないじゃないか」
「……?」
言っている意味を掴み損ねる。
彼はどこか愉快犯てきなノリがあるから、『遊んでいる』のは事実なんだろう。
--じゃあ、彼の言う『仕事』って……?
「……カピバラ様」
「ああ……くそ、マジかよ。でもこれはこれでチャンスだな。あの時の魔人野郎を倒せなかった汚名を挽回してやるぜ!!」
……返上じゃないかな。
言うと逆キレされそうなので心の中で突っ込んでおく。
「本気を出せないのがもったいないな……」
彼の指輪が妖しい光を放つ。
人間が持つにはいささかドロドロとした暗い魔力だ。括りで言えば、闇魔法。言葉に分類してしまえばたやすいが、実際は数えきれないほどの、操る人間の数だけ様々な様式があるという魔法だ。
彼から溶け出すように、黒いヘドロのようなものがリングへ広がっていく。
「どうだったかな……? えっと、こうかな?」
彼が腕を振れば、黒いヘドロが形と動きを変える。
「ああ、そうそう。こうだったね。……人間のようにふるまうのは難しいな」
どうやら、彼は人間体での戦い方は慣れていないようだ。もしかしたらさっきまでの動きはウォーミングアップだったのかもしれない。
「ったく、ふざけた野郎だぜ」
「そうね、でも魔人の姿を現さないだけいいわ。修行したとはいえ、勝つのはたぶんまだ難しい相手だし--会場の人間を守るなんて到底できないもの」
いつかは倒さなければならない相手だが、まだまだ分が悪いのは確かだ。
遊んでいるなら結構。
すみやかなる退場が、私の勝利条件だ。
「カピバラ様、あれ--お願いできる?」
「……あぁ、分かってる。あの野郎がここにいて、拒む理由もねぇよ」
私は深呼吸をして、息を整えた。
全身に聖なる魔力を集めていく。カピバラ様も集中を深め、その茶の毛色を徐々に光のように変えていった。
修行の中で習得した、私とカピバラ様の連携技。
あのふざけた魔人の、ただのお遊びで私が倒れるわけにはいかない。
古の聖女だけが、使うことが出来たというその古代の技を--今!