◇31 ちょっと散歩
赤黒い夕日が差し込む中、会場は魔導の明かりに照らされ赤と白の混ざった色合いに染め上げられた。斜陽の光は視界をくらませる。相手との距離を目視しづらいので気を付けなくてはなるまい。
歴戦の戦士ならば、感覚で感じ取り目を閉じていても相手の位置が分かるそうだが私は戦士ではないのでそのあたりのことは分からない。私は相手に魔力帯をくっつけることで確認可能だけど。
レオルドに至っては、今まで長い間、戦士として鍛えていたから魔力感知能力はどのあたりのものかは分からない。もしかしたら戦士的勘の方が上なのかもしれない。
レオルドとメノウちゃんは、一定の距離を保ちながら間合いを図っていた。
レオルドは武器を持たないお馴染みの筋肉魔法。
対するメノウちゃんもまた、武器を使用しない格闘タイプのようだった。
体力の消耗が激しいレオルドは、メノウちゃんの出方を窺い、こちらから攻勢にでることはないだろう。それはメノウちゃんも分かっているようだ。
「たあ!」
猫みたいな身軽さで、メノウちゃんが駆け、しなやかな体術でレオルドに攻撃を繰り出してくる。しかし、レオルドは防御に徹底しているので、メノウちゃんの力ではレオルドにダメージを負わせることはできないようだった。
「むぅ、見た目通り固いんだから。ずるいぞー! おじさん魔導士でしょー!」
「悪いな、筋肉というのは固いもんだ」
これならカウンターでメノウちゃんに勝てるかもしれない。
ぷぅーぷぅーと口を尖らせるメノウちゃんに対して、反対側の選手席から。
「メノウ、真面目にやらないと飯抜きな」
「にゃう!?」
コハク君がドスの効いた声でメノウちゃんを脅した。
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隣で怖い顔をしながら双子の妹を叱るコハクに、ラクリスはクスクスと笑った。
「ふふ、いいですよメノウ。君の楽しいようにやって」
「ラクリス、甘い事言うなら黙ってて欲しいんだけど」
「いいじゃない。別に私達は--勝ちに来たわけではない」
ラクリスの視線が、最初からたった一つに向けられていることにコハクは気づいている。敏いコハクは、それ以上は突っ込まなかった。
「……おや?」
なにかに気が付いたのか、ラクリスは左の耳をそっと抑える。
「ラクリス?」
「少し静かに……通信です」
ざざっという雑音の後に、クリアな音声がラクリスの耳元から流れてきた。
『手筈通りよ。邪魔な騎士は抑えたわ……あとは好きなようにすればいい』
「ふふ、ありがとうございます。助かりましたよ、≪女王様≫」
通信の向こうで、少女の声が不機嫌そうに『ふんっ』と鼻を鳴らした。
『なんで私がこんなこと。黒騎士ならまだしも、あんたみたいな変狂男のサポートなんて……ああ、吐き気がする。今から行って、あんたの頭の上で吐いていい?』
「終わった後でどうぞ。そんなに黒騎士とデートなさりたいなら呼びますか? 仕事があると言えば来ますよ、あの真面目な仕事人間は」
『そうね、呼んでおいてちょうだい。あなたの死体処理、面倒だから』
「……そうですね。面倒ですね、呼んでおきます。ヒステリックな女性は触ると火傷するそうですので」
通信の向こうでしばし沈黙があった。そして。
『ふふふふ』
「ふふふふ」
真っ黒いオーラと共に満面の笑みを浮かべるラクリスとおそらく同じような顔をしているであろう通信の向こうの人物の顔を思い浮かべて、コハクはそっと目をそらした。
そして最後に、通信の向こうの人物は捨て台詞に。
『聖女様に灰にされてしまえ、この異常変質者!!』
--ぶつん!!
最後の音量はマックスだったのか、ラクリスの鼓膜がガンガンと揺れた。
「うわぁ、酷い言われようだ」
「そうですか? 一切、言い返せないですけど俺」
「コハクも酷いなぁ……」
ラクリスは真っすぐと前を見据える。
コハクにはその先が、追わずとも分かった。彼が、彼女と出会ってからこの人はずっと一人の人間しか見ていない。それはとても珍しいことだった。生まれてこの方、この人はなにかに興味を持ったことがない。必要だから、必要な分だけ手に入れて通り過ぎてきた。
時には自分の命ですら、興味を失う。
それは、コハクやメノウが彼自身よりもずっと理解していた。
「俺達の目的、忘れないでよ」
「ふふ、大丈夫忘れてないよ。ただ、私の一番の楽しみがそれとは別なだけ」
ただただ楽しそうに笑うラクリスの視線の先を、仕方なく見れば--聖女様が仏頂面でラクリスの視線を無視していた。めちゃくちゃ凝視されてるし、自意識過剰だと感じる時間はとっくに過ぎているから、感知に敏感な聖女様ならとっくに気が付いているだろう。コハクとメノウ、そしてラクリスの関係性を問いかけられた時から、それは分かっている。
それでいて、あの顔である。
肝が据わりすぎてて、若干怖い。まるでこの人よりももっと恐ろしい視線に晒され続けたことがあるかのようだ。
「ああ、でもやっぱり遊びたいよね。メノウ、彼が可哀そうだから徒に長引かせずに勝っておいで! 大丈夫、次はコハクが負けるから。そしたら私が聖女様と戦えるだろう」
この言葉は、メノウとコハクにしか届いていない。彼とコハク、メノウの間には見えない強い結びつきがあるから。
いよいよワクワクしている彼に、コハクはため息を吐いた。
--この変態ストーカーより恐ろしい人というのが誰なのかちょっと気になる。
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「ぶえっくしょん!!」
「うお!? --おい、レヴィオス汚いだろ書類にかかる」
「そこに置いとくのが悪い。ったく、誰だ俺の噂しやがったの」
大聖堂の一角にある司教の執務室で、レヴィオス司教とイヴァース副団長がプチ会議を開いていたのだが、レヴィオスが何かに気が付いたかのように足を窓際に向けた。
「レヴィオス?」
「……赤いな」
つられてイヴァースが窓際に行き、空を眺めた。
確かに、赤い。だが、夕日が差し込んでいるのだからそうおかしなことでもない。
「もうすぐ太陽が沈む頃だからな……どうした?」
イヴァースが隣を見れば、レヴィオスは眼帯である右目を覆うように手で抑え、鋭い眼光を遠くに向けていた。その方角は、王都郊外にあたる。そこには現在、ギルド大会が行われている会場があるはずだ。リンス王子とエリー姫が抜け出して行ったと報告されて、ベルナールらには伝えているので大事ないとは思っている。のだが、この胸のざわめきはなんだろう。嫌な予感がする。
「レヴィオス、お前の右目は--」
「まったく嫌になる。三十年前の災厄をまた繰り返すつもりかよ……クソ女神のせいで光もん持てねぇーのによ」
身をひるがえし、レヴィオスは扉を開けた。
「どこに行く?」
「ちょっと散歩」
さっさと行ってしまった背を見つめて、イヴァースはため息を吐いた。
「……レヴィオス--頼むから、王都は破壊するなよ」
三十年前、初対面でうっかりレヴィオスに殺されかけた記憶を思い出して頭を抱えながらも、『つか、俺も行った方がいいだろ、絶対!』。仕事とか、任務とかそんなことはレヴィオスの引き起こす惨事の前では二の次だ。
得意の得物である剣が使えなくても、あの凶悪な魔力は健在だ。
彼はいわゆる魔法剣士なのだ。多方面から器用貧乏と称される魔法剣士だが、レヴィオスにそれは当てはまらない。
暗殺ギルド→裏社会専門の探偵→指名手配犯→海賊→聖教会司教という、数奇過ぎる道を歩む彼は、まさしく型にとらわれない。
保護者の立場になって、やっと少しは大人しくなったが、そもそもレヴィオスという男は昔から--。
イヴァースは剣の鞘を握りしめ、全力で走ったがすでにレヴィオスの姿はどこにも見えなかった。




