◇30 かわいそう
試合の為に外へ出ると、空は真っ赤に染まっていた。
夕日が、地平線へ飲まれる寸前。いつもの夕方の時間のはずなのに、その瞬間はなぜかいつもと違って鳥肌が立った。
まるで、お化け屋敷に入った瞬間に寒気がするような感じ。
それを感じたのは、なにも私だけじゃなかった。リーナはぎゅっと私のスカートを掴み、レオルドは太い腕をさする。二人の視線は、同じように真っ赤な空に向いていた。私達は三人とも魔力を持つ者だ。魔力を持つ者は、自然と感覚が鋭くなる瞬間がある。
レオルドと目が合った私は、静かに頷いた。
もう今日ずっと、『彼と顔を合わせた時から感じている違和感』が背筋に冷気となって這い上がる。真っすぐに見つめ直した視線の先は、反対側の入場口。準決勝を競う相手、『闇夜の渡り烏』の三人が佇んでいた。ここからでも三人の異様な気配が伝わってくるようだ。
……なんか、もう『隠す必要がない』みたいな感じだな。
視線が、ラクリスと交差した。にっこりと微笑む顔は、穏やかそうに見えるが実際が肌が泡立つほど不気味だ。例えるならば、そう……。
『蛇みたい』。
一瞬、脳裏に蛇の幻影が見えた。今まで生きてきた中で、蛇を見た覚えはあまりない。王都の中にはそもそも生息していないし、あったとしてもモチーフくらいだろう。たまに森に出て、遭遇する--そのくらいだ。だというのに、なんだろうかこの、鮮明な蛇のイメージは。
『さて! そろそろいい時間だ。準決勝二戦目をはじめさせてもらうぞ!』
元気のいいアナウンスが響いて、私はハッと意識を戻した。同じようなテンションのアナウンスに聞こえるが、どことなく彼の声音が沈んでいるような気もする。無理やり元気を出しているような、そんな声だ。前の試合が、彼的にも堪えているのかもしれない。会場の空気も少し、落ちている気がする。
「……行くわよ」
そう言うと、リーナとレオルドは静かに頷いた。
席に座ると、まず試合の出場順を決めようと口を開く。
「レオルド、あなたまだ体力が回復していないから試合は後に回して--」
「いや、最初に出させてくれ」
「え? なんで?」
レオルドはどっしりと席に座って腕を組み、思案するように目を閉じている。
「正直なところ、少し時間を延ばしたくらいじゃ回復はしないだろう。あまりやりたくはないが、俺が最初に出て、勝てそうなら戦う、そうでないなら……戦略的撤退をする」
本当なら、すべての試合を全力で臨みたいだろう。言った本人が一番、辛そうな顔をしている。でも、その案はとるべき戦略であろう。この試合の一戦目は、ほぼ捨ててレオルドの回復の時間を稼ぐ。そして私とリーナで勝ち越して、決勝へ進む。二戦とも負けることはできない、強いプレッシャーがかかるけど。
「リーナ、どうする?」
リーナは賢いから、レオルドの言っている意味を理解しているだろう。リーナはぎゅむっとのんを抱きしめて、顔を埋めた。しばらくの沈黙の後、ゆっくりと顔を上げてしっかりと私の目を見て言った。
「それでいいです。リーナは、かちます」
「そう……」
大人でもプレッシャーというものは、耐えるのが難しい。私だって、もう負けられない淵に立ったら足が震えてしまいそうになる。だけど、マスターとして怖いなどと言ってられない。リーナだって、立派に覚悟を決めているんだから。
「じゃあ、一戦目はレオルド。無理せず、戦況を見極めて戦って」
「ああ」
「二戦目はリーナ。見極めを怠らず、絶対に無茶と無謀はしないこと。これはギルド大会。生死を別ける場面でもないわ。後々残るような傷は作らない。いいわね?」
「はいです!」
緊張気味に、リーナは大きめな声で頷いた。
そして最後に、二人の顔を見回して呼吸を整え、言い聞かせるように言った。
「最後は私が出る。どんな結果になっても、ギルドにとって糧になるように戦ってくるわ」
「戦況を見極め」
「むちゃと、むぼーはしないこと! です」
私の声音に、少し緊張感があったのかレオルドとリーナはそれをほぐすように笑って私が二人に言ったことを繰り返すように言った。
思わず笑ってしまう。
「よーし、円陣するぞー」
「え、円陣!?」
「するでーす」
それ、確かに気合を入れるにはいいやつだけどー!
強制的にレオルドに肩を組まれ、たたらを踏みながら円陣を組んだ。
「暁の獅子ーー!!」
「ふぁいおーー!」
『ふぁいおー!』
「ふぁ、ファイオー……」
とてつもなく恥ずかしいやつですね!!
会場の視線を集めまくりですね!!
アナウンスのルードさんも笑ってるよね!!
……なんとなく、会場のホットな感じが今の円陣で戻ってきた気がする。
「じゃ、行ってくるな!」
と、レオルドはどっしりとした足取りでリンクへ進んでいった。リンクはレオルドとバルザンの試合で爆散したように粉々になっていたが、魔導士達の協力でリンクを再構成したようだ。
レオルドの背は、大きくて広く頼もしい。だけどそれが少し揺れている。まだ立つのも大変なはずなのだ。
私は左手を心臓の上に乗せて、目を閉じた。
--女神様。どうか、無事に終わりますように。
ギルド大会は本来、死ぬような場所じゃない。
だけど、古竜の大爪のような連中がいないとも限らないのだ。ラクリスから感じる、不気味な気配も正体がつかめないまま。不安だけが募った。
『準決勝、第一試合はどうやら暁の獅子からはレオルド・バーンズ。闇夜の渡り烏からはメノウ・アルスールが出場するようだ。さあ、どんな試合を見せてくれるかな!?』
闇夜の渡り烏からはメノウがぴょこぴょこと可愛らしい足取りでリンクの中央へ向かって弾むように歩いてきた。
「や! 筋肉のおじさん。メノウが相手だぞ!」
「おう、お互い最善を尽くそうじゃないか」
「うふふ、そうだねー。メノウ、料理は怒られちゃうけど戦うのは得意だから」
見た目は、完全に可愛らしい女の子だ。彼女からは、ラクリスから感じられたような妙な気配はしなかったけど……。彼の仲間である以上、なんの関係もないというわけじゃないだろう。二人があの時、言っていた『そういう次元にいない』というセリフも引っ掛かっている。
『それじゃ、試合を開始しようか!』
いよいよ、決勝進出をかけた試合がはじまった。
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「準決勝の第二試合、はじまりましたね」
興奮気味のアナウンスが聞こえてきて、ランディは呟いた。
ベルナール、ミレディア、ランディは引き続き会場内を探索していた。それはひとつの、影から入った情報が元だった。
『異様な魔力を検知。ギルド大会が行われる会場にて終息を確認した。騒ぎが起きる可能性を考慮』
そういう短いものだったが、影らが感知するものはだいたいが事件性を匂わせるものだ。彼らがそれを異様と例えるならば、それはすでに王都では警戒に値する情報である。
ベルナールは、王子でもあり王宮騎士団長でもあるリンスから直々に命を下され、ジュリアスらが制作した魔道具を持って騎士達を秘密裏に会場に展開させた。リンス団長も姉姫の護衛という名目で潜り込んでいる。
というのは、イヴァース副団長は許可していなかったのだが……結果的にこうなってしまったので、もうどうにでもなれである。絶対に後で自分が副団長の愚痴をループで聞くことになるんだろうなと、心の中でベルナールはため息を吐いた。
リンス王子は、団長になる時に自ら王位継承権返上を願い出た。三男といえども継承権第三位を持つ王子が命の危険を伴う仕事をするのは戦時以外は許されない。今まで通りなら形だけの団長として座につくはずだったのだが、リンス王子は名実ともに誉れある団長となる為、継承権を返上し団長の椅子に座った。
なので、本来はすでに『王子』という身分ではなくなっているのだが、他に適当な敬称もないので『王子』と呼ばれているだけだ。身分だけでいえば、すでに王家親戚筋と同じくらいの立ち位置だ。
まあ、それでも副団長は過保護なところがあるので未だにリンス団長を危険な場所に置きたがらないのだが。
「隊長、あの……これ」
広い会場内を魔道具を使いながら歩き回っているとランディが声をあげた。
「どうした?」
「反応--ってほど強くはないですけど、なんか波形がおかしいなって」
確かにランディの持つ魔道具からは不思議な波形が現れている。しかし、ベルナールの手にある魔道具は静かなままだ。
「ミレディア、お前はどうだ?」
「ぜぇんぜん、反応なしでーす」
なんで、ランディのだけ反応しているんだ?
おかしな状況だが、反応が少しでもあるなら確認が必要だ。取り越し苦労ならそれでよし、懸念材料をつぶしていくのが今のベルナール達の仕事である。
それにランディの母親はとても特殊な人だ。
≪悪魔≫と呼ばれる病にかかりながらも、齢四十を数える今日まで無事に生きている。それゆえに備わった、異質な魔力。彼女は大陸最強の魔女と呼ばれるクウェイス卿、ラミィをもしのぐとも言われる。しかし、病により体が虚弱な為、表舞台には一切出て来ない。悪魔と称される白い髪と赤い瞳の容姿もあって、外にもあまり出ないのだと副団長が心配していた。
ランディも子供のころから『悪魔の子』と陰口を叩かれたりもしている。悪魔に対する偏見は昔から強いものなのだ。実際、悪魔なんてものはいないし、髪と目の色が変質するのも病気のせいである。
--バカバカしい。
そういえば、報告にシア達が遭遇した魔人の姿が記されていた。
白い髪に血のように真っ赤な瞳。それはまるで≪悪魔≫のような姿だったと。
シアの話によれば、彼はその問いに『そうでもあるし、そうでもない』というどっちつかずの反応を返されている。
実は、魔人という生き物の生態は、いまだに判然としない部分が多い。魔王と共に現れ、魔王が倒されると魔人の土地は封印される。時折、はぐれとなった魔人が人里に降りて人間と混ざったりもするがかなり特殊な例で、研究材料も少ない。混血児からサンプルを採ろうにも非人道的な行いとして親から隠されるケースが多いのだ。
ランディの母親、セラ・テイラーとはベルナールは面識があった。
とても美しく、儚げで--深い愛情を持った優しい人だった。魔女という呼称が似合わない人だと思ったし、ましてや悪魔など馬鹿げている。普通の、子を持つ人間の母親だ。
不思議な力はあれど、ランディだって普通の人間の青年だ。父親に似て頑固なところがあって、母親に似てとても愛情深い男だ。
もしも、もしも悪魔が魔人になるような場合があるのだとしたら、それはどういう--。
「隊長?」
「あ、どうした?」
「なんかぼーっとしてたんで。波形はこっからたぶん出てますね」
「そうかすまない、考え事をな」
「もぉー、仕事中ですよぉ?」
悪い、と呟きながらランディが扉に手をかけた。そこは会場の中でも奥まったところにあり、迷子になって長時間うろうろしなければ偶然でも入り込むような場所ではないような所だった。
第十番倉庫と書かれているので、会場で使われる備品がしまわれている場所なのだろう。
三人は、警戒しながら扉を開けた。最初に、ランディが部屋に入り続いてベルナールが突入する。ミレディアは外で控えて、緊急事態に備えた。
部屋は薄暗かった。埃臭く、あまり使われた形跡がない。そのはずだが、なぜかなにかを引きずったような跡が奥に続いているのが見て取れた。
「なんすかね、これ」
携帯用のランプをつけて、ランディが首を傾げる。
「荷物でも運んだのか?」
だが、この埃のつもり具合からしてものを片付けるにも不自然だ。
あまり使われていないからこそ、使われたのではないのだろうか。
跡を辿っていくと、先には大きく重厚そうな金庫のようなものが置かれていた。罠に警戒しながらもランディがノブを回してみると。
「……鍵、かかってないっすね」
「ランディ、下がれ俺が開ける」
選手を交代し、ベルナールが扉に手をかけた。緊急時に咄嗟に反応できる運動能力はベルナールが上だ。なのでランディは素直に少し離れて次の動作に移れるよう態勢を整える。
一呼吸置き、ベルナールが扉を素早く開けると。
ドサドサドサ。
なにか、重いものがいくつか落ちた音がした。視界が悪いため、すぐにはそれがなんだか分からなかったが。
--酷い、異臭。血の臭いか?
扉を開ける前にはしなかった血の臭いが立ち込める。ランディが急いでランプでそれを照らすと。
「っげ!」
思わずランディが呻いた。
それもそのはず、それらは--無残にも体をバラバラにされた人の遺体だったからだ。人の死に顔を見る頻度が人より高い騎士職とは言え、こういう猟奇的な死体は見れば吐くこともある。ランディはよく、堪えたほうだ。ベルナールですら、吐きそうだった。しかし、ここに遺体がある以上、軽く検分はしなくてはならない。こういうのは、だいたい騎士がまとめてやるのだ。
--身元が分かるものは……。
死体を探ると、ころりとなにかが手元から落ちた。
それは、カードだった。拾って確かめてみると、どうやらカードはよく見かけるギルドカードと同じものだった。これなら身元もすぐ分かる。そう思って、中身を検め--ベルナールの表情が固まった。隊長の異様な空気にランディは、口元を抑えながらも問いかける。
「どうしたんっすか?」
「……馬鹿な」
ベルナールの呟いた言葉がよく聞こえなくて、ランディが『え?』と聞き返した瞬間。
「! ランディ、戻るぞ。今すぐ部屋を出る!」
「隊長!?」
ベルナールの動きは速かった、死体を放り出し出入り口の方へ身をひるがえして走った。
--だが。
「扉が!?」
二人が出る直前に、扉が勢いよく閉まったのだ。
「ミレディア!? 大丈夫か!?」
ベルナールが叫びながら扉を叩いたが、外から反応がない。
「副隊長--なにが……」
「……はめられた」
「隊長、いったい……カードにはなにが書かれていたんっすか」
ベルナールは無言でカードをランディに寄こした。
ランディはカードの文字を急いで追って。
「なん……すか、これ……」
カードにはこう、書かれていた。
『Bランクギルド*闇夜の渡り烏。
マスター*ラクリス・シルヴァエイル』
「じゃあ今……シアちゃん達が戦っているのは--」
--誰?
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「綺麗なお嬢さんは、好きなんだけどぉ……」
ベルナールとランディが閉じ込められた扉の外で、ミレディアは一人、剣を抜いていた。
彼女の前には、漆黒のドレスを身にまとった少女が佇んでいる。その姿は異様で、ドレスと同じ漆黒の長い髪は艶やかに床まで届き、赤い薔薇の髪飾りだけが赤黒くて気味が悪い。
そしてなにより、一番目を引くのが……黒い革製の目隠し。彼女は目が見えないのだろうか。顔の全容はわからないが、そのたたずまいはとても美しかった。
「私は、嫌い。あいつが嫌い。だけど、仕方がないわ。あの子を幸せにするのはこの私。私なんだから」
少女は、まるでミレディアのことなどどうでもいいような態度だった。けれど、素直に二人を助けだすことも助けを呼びに行くこともさせてくれそうにない。
「いいわ、こうなったらやってやるから。これでも隊長の補佐、副隊長なんだからねぇ!」
ミレディアは、剣の柄を握りしめ戦いを挑んだ。
彼女の腕は、誰もが認める。だからこそベルナールの補佐でもある。
それでも。
「かわいそう」
少女はそう呟いて----ミレディアの剣は砕かれた。




