表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

45/276

◇12 きっと、ずっと、守るよ

 ちらりとシリウスを見上げれば、彼はすっと表情をなくした。

 風のない湖の水面のような静かな顔だ。こういう顔をされると途端に彼の感情が分からなくなる。彼は自分の内心を隠したい時、こういう顔をするのだと私は分析していた。


「司教様、その家名は……私のものと同一と考えてよろしいのでしょうか?」

「そうだ。リフィーノはお前の家名と同じだ」

「その家名を彼女に名乗らせることの意味を分かってますよね?」

「ごちゃごちゃうるせぇな。お前の養子にするつってんだよ。天涯孤独で嫁も子供もいない。司祭以下は縁組や婚姻も聖教会の許可はいらねぇ」


 養子。

 という単語に私の耳がぴくりと動いた。

 流れからしてそういうことなんだろうとは理解できたけど、しっかりと言葉にされるとドキドキする。私は、聖女として聖教会に保護された為、新しく家族になるはずだった人達の所へは行けなかった。立場は聖教会預かりの聖女の資格を持つ娘。

 聖教会は家ではないし、ましてや司教様は家族ではない。他、シリウスや神官達は優しかったけれど私が欲しいものとはちょっと違ってて……。


「なんだ、嫌なのか?」


 面倒臭そうに言う司教様の言葉にはっとして顔を上げた。

 やはりシリウスは感情の見えない顔をしている。


「嫌とかそういうのではなくて……こういうのはやはり本人の意見をきちんと取り入れてからが――」

「お前は細かいことを気にするな」

「お頭は気にしなさすぎです」


 司教様は頭をかきながら、ギロリと私を見下ろした。


「おい、ガキ。お前、父親にするなら俺とシリウスどっちがい――」

「シリウスさん」


 くい気味に答えた私に、司教様は眉根を寄せた。

 だって、その二択しかないのなら答えは決まっているではないか。


「ふん、ほらな」

「……お頭、実は内心傷ついてますね?」

「そんなわけがあるか」


 さっさと手続き済ませて解散しろ。と不機嫌な顔で命じられたシリウスは、若干司教様を無視して彼に背を向け、私に向き直った。


「シア、司教様はあんなこと言ってますけど嫌なら嫌と言ってもいいんですよ」


 私は目を瞬いた。

 シリウスはいつも私に選択権をくれる。はい、いいえ。を選ばせてくれる。それがなんだかとても心地が良かった。だから。


「ふつつかものですが、よろしくお願いします」


 深々と頭を下げた。

 数拍後、司教様が吹き出す音と共に。


「シア……それ、使い方間違ってますよ」


 シリウスの苦笑が混じった声が聞こえた。




 それからの日々は、まさしく宝物と言えるほど眩しくて温かなものだった。

 私はシリウスの養子となって、シア・リフィーノを名乗ることを許された。

 シア、と呼ばれるのが嬉しくて。

 リフィーノさん、と呼ばれてシリウスと一緒に振り返るのが楽しくて。

 ああそうだ。この頃だった。私がお城へ行って、リンス王子や姫様達と出会ったのは。ベルナールと出会うのはもう少し先だけど、この時にはすでに城勤めしていたクレメンテ子爵とも出会っていた。


 順風満帆。これまでが嘘のように私は幸せに満ちた日々を送っていた。

 だからこそ私は、今まで敏感に働かせてきた危機感というものを忘れていたのだ。


 その日は、気持ちのいいほどの晴天だった。

 私は仲の良い神官の少女達と一生懸命にケーキを焼いていた。甘いお酒の入ったパンケーキに、生クリームをぬって、ぶどうを乗せた一品だ。


「ふふ、シア上手に焼けましたね」

「うん! 用意したお酒もぶどうもシリウスの好きなものだから、たぶん大丈夫だと思うんだけど」

「きっと喜んでくれますわよ」


 台所には所狭しと料理が並んでいる。それらはすべてシリウスの好物ばかりで、先ほど出来上がったばかりのケーキもシリウスの好きな物が詰め込まれている。

 だって今日は、シリウスの誕生日だから!

 司教様がそういえば、とぽろりと零すまで養父の誕生日を知らなかった、というか誕生日というものを認識していなかった私は、その意味を知って慌てた。急いで準備をしてお祝いをしなければと神官少女達を捉まえて協力を仰いだのである。彼女達は快く引き受けてくれて、サプライズの為にシリウスにも内緒になっている。といってもシリウスは朝から不在で、どこかに出かけているようなのだが。


 とにかくいないのなら動きやすい。

 彼が帰ってくる前に部屋を飾り付けて、料理を並べておかなくては。

 神官少女達とわいわいと談笑しながら楽しく部屋を飾り付け、料理をすべて綺麗に並べた。あとは主役を待つだけだ。

 だけどいくら待ってもシリウスは帰って来なかった。


「シリウス、遅いな……」

「なにかあったのかしら?」


 帰宅の遅いシリウスに気持ちが重くなっていると、重厚感たっぷりに司教様が扉を開けて入って来た。


「緊急事態だ、メア、セリ、出撃の準備をしろ」


 いつも以上に低い声で命令された神官少女であるメアとセリが慌てて立ち上がり、司教様に会釈をしてから廊下へと走り出て行った。


「司教様、出撃って……?」


 聖教会も時々慌ただしくなることがある。

 神官達の仕事は、祈りに来た救いを求める人々に手を差し伸べ導くことだ。後は、慈善活動など。でもそれ以外の任務もあることを私はなんとなく知っている。怪我をして帰ってくる神官もいるのだ。危険な仕事もやっているのだろうと思う。

 シリウスはそういう任務に行きながらもいつも無傷なのでどこか安心していた。


「シリウスの部隊が消息不明になった。詳しくは言えないが、覚悟はしておけ」

「かく……」


 覚悟、ってなんの?

 そう思いながらも、でもなんの覚悟かなんて本当は分かってる。

 私はもう何度も経験している。

 永遠の別れの瞬間を。


 私は足をもつれさせながらも、部屋を飛び出した。


 なぜ、いつもこうなのだろう。

 幸せが手に入っても、たやすく何かに奪われてしまう。


 嫌……失いたくない。

 名前を与えられ、家名を与えられ、父親もできた。家族の温かさを少し、知った。


 幸せは、一度知ると失うのが極度に怖くなる。その温かさがなくなった前になんて到底戻れない。

 震える足を叱咤しながら、私は走って、そして無我夢中で馬車に潜り込んだ。


「シア、大丈夫かしら?」

「今は自分の心配をした方がいいわ、セリ。シリウス様が敵わぬ相手ならわたくし達だって――」


 聞き覚えのある声は、メアとセリだ。二人とも武装をして、馬に乗っていた。きっとこの馬車もシリウスの元に向かって走り出すはずだ。

 私は悪い事と知りながら、シリウスにどうしても会いたくて身を隠し、馬車に揺られた。



 しばらくすると、外から雨の音が聞こえてきた。

 あんなに晴れていたのに、空は暗く曇り、月や星の明かりなど一切地上に届かない。神官一行は無口に黙々と行軍を続けていた。

 雨の冷たさに震えながらも、私は身を丸くしてじっと耐えた。

 一行が森の中に入り、しばらく行くと前方の方から剣戟と怒号が響いてきた。近くを馬で移動していたメアとセリが前方へと駆けて行く。どうやら敵対勢力とかち合ったらしい。近くに人がいなくなったのを確認してそっと馬車から外へ降りた。

 敵がいるならシリウスもどこかにいるはず。

 危険だと分かっていても、いてもたってもいられず森を探し回った。


「シリウス――シリウス……どこ、どこにいるの?」


 情けない声が自分の口から漏れて、酷い嫌悪感に襲われた。

 あれだけ弱い自分を殺し続けてきた私。幸せに出会って、いつの間にか忘れてしまっていた。

 殺さなきゃ、今こそ。

 でも、私のナイフはあの時、シリウスに放り投げられたまま。


 草陰からのもの音に、期待を込めて振り返った。


「――ヒィッ!」


 だが、そこから現れたものはシリウスなどではなくて。

 黒い、へどろの固まりのようなものが這い出てくる姿にぞわりと背筋が凍えた。

 化け物だ。

 魔物は何度か見たことがあるが、それとも形容しがたいものだった。

 黒い化け物は、私に狙いを定め、咆哮をあげて飛び掛かって来た。私はなすすべもなく、その場にへたりこむだけで……。

 死ぬ、そう悟った瞬間。

 化け物の肉を切り裂く音と、鈍い打撃音、そして化物の苦痛の雄叫びが響き渡った。


「シア!!」

「あなたはもう、なぜこんなところにいるの!!」


 剣をそれぞれ構えたメアとセリが私を守るように化物の前へと立ち塞がっていた。


「メア、セリ……」


 涙ぐむ私に、二人は苦笑を浮かべた。


「仕方のない子ね」

「シリウス様が心配でしたの?」


 頷く私に、二人はまるで姉のように慈愛の笑みを向けてくれた。


「大丈夫よ、シア」

「ええ、シリウス様は強いですから。このような化け物に負けるわけが――」


 セリの言葉の途中で、耳を劈くような化け物の声が響き渡り、二人は臨戦態勢をとった。


「いい、シア。そこから動いてはダメよ!」

「う、うん!」


 再び立ち上がった化け物に、二人は立ち向かっていく。それは普段淑やかに過ごしている神官少女である二人とはまた違った姿だ。勇ましく、かっこいい。

 二人は化け物を倒せないまでも順調にダメージを与え続け、勝負はこちらに分があるように見えた。

 けれどそれはすぐに間違いであることに気が付く。


「はあ、はあ……どれだけ傷つけても意味がないみたいね」

「厄介ですわ……」


 疲労困憊の二人に比べ、化け物の方は疲れがみえない。

 二人の動きが止った瞬間を化け物が見逃すはずもなく。


「メア! セリ!」


 私が叫ぶのと同時に二人は宙へ跳んだ。化け物の攻撃は読んでいたようだ。

 ほっと安堵した――瞬間。


 ドス、と鈍い音が耳朶を叩いた。

 頭上からボタボタと赤い液体が降ってくる。

 見上げればそこには……。


「せ……り?」


 宙ぶらりんと、セリがだらりと四肢を降ろして空中に留まっていた。彼女の胸を貫いた化け物の触手から絶え間なく彼女の赤い血が流れおちてくる。


「――このおおおぉぉぉ!!」


 呆然と見上げた私の意識の先で、メアが剣を振るった。

 けれどその剣が化け物に届くことはなく。


「かはっ!」


 メアは腹を貫かれ、仰向けに倒れた。

 地は彼女の血を吸い、真っ赤に染まっていく。

 それは一瞬の出来事だった。

 脳が、その出来事を理解することができないまま、私もまた最期を迎えようとしている。


 迫りくる化け物に、私はただ座り込むことしかできない。

 無力だ。

 聖女といえど、力を使えなければただの無力な子供だ。

 そしてそんな子供がこんなところに来たせいで、メアとセリは死んだのだ。


 ごめんなさい……。


 あの世の世界で、私はメアとセリに謝れるだろうか。

 シリウスに会えるだろうか。


 そっと目を閉じて、震えながら最期を待った。


「大丈夫」


 耳に、優しい言葉が聞こえた。

 思わず目を開ければ。


「……シア」


 血に濡れたシリウスが立っていた。

 会いたかった。会いに来た。でも、その姿が見たいわけじゃなかった。


「シリウス……」


 シリウスはメアとセリが二人でも苦戦していた化け物をダウンさせていた。だが、まだ死んではいないようだ。

 ぼたぼたと血を流し、地面に吸い上げられながらもシリウスは足を引き摺って私の元まで歩いた。そして跪くように膝をつく。


「ごめんね、長くない」

「……うん」


 分かっていた。

 司教様は、覚悟はしておけと言ったのだから。


「いい、シア、よく聞いて。あれは倒せない。聖女の――浄化の力以外で、あれを葬り去る術はないんだ」


 だから。

 と、シリウスはその真っ赤に濡れた手で私の頬を包んだ。


「私の魔力を使って。出し惜しみせず、全部、シアにあげるよ」

「で、も」

「大丈夫。シアにならできる。君は――聖女様だ」


 そう言うと、シリウスは最期に優しい笑顔を浮かべて青い光となり、私の中に吸い込まれていった。


『少しの時間でも、君と家族になれたことを私は忘れない。きっと、ずっと、守るよ』


 メアとセリの亡骸もまた、青い光となって私の中に溶けていく。

 彼女達の思いもまた、温かい力となって混ざっていった。


 光の力は溢れ出し、そして意識もせずに私は力を使った。


 浄化の力を。


 森の化け物は、消え去り、再び静寂の森が帰ってくる。

 そこには、血の跡も、亡骸もなく――――綺麗で清涼な風が吹いた。




 *********************


「本当に行くのか?」

「はい」


 それから数日後、私は荷物を持って大聖堂の前にいた。司教様もいる。だけどそこには私が愛した人達の姿はない。


「聖女の修行は、大聖堂でやった方が効率がいいと思うが」

「…………」


 口を開かない私に、司教様は渋い顔をした。


「まあ……さすがに俺もお前の気持ちが少しもわからねぇわけじゃない。上がなんか言って来たら俺がなんとかしてやる。好きにやれ」


 私は深々と司教様に頭を下げると大聖堂を後にした。

 これからは王城で聖女の修行をすることになる。

 それは私の罪悪感からだ。

 ここは、彼らとの思い出がありすぎる。


 私は胸に手を当てた。この中に、彼らの魔力が宿っている。私以上の強い魔力が私を守っていた。聖女としての力が発揮できたのも、通常よりも強い聖女の力がでるのも、全部――彼らのおかげだ。


 ――報いよう。


 必ず、世界を救って、平和になった世界で、誰もが幸せになれるように。


 今度こそ、大切なものが守れるように誰よりも強い聖女になろう。





 ************************



 ――長い夢が覚めた。


 私はむくりと起き上がった。目が痛いのは、見せられた思い出のせいだ。


「あー……ちくしょうが」


 目覚めは最悪と言わんばかりに、カピバラ様が呻いた。


「おはよう、シア、聖獣様」


 前を向けば、優雅に椅子に座ってお茶をしているラミィ様が視界に入った。夢はやはり長かったようで彼女は私達が目覚めるのを待っていたようだ。


「で、どうだったかしら?」

『最悪』


 二人同時に言ってしまって、あらあら仲良し、とラミィ様が楽しげに笑う。


「まあ、旅の内容がなんであれ、二人で話し合う時間は必要よね」


 ということで、とラミィ様は私達の分のお茶とお菓子をメイドさんに運ばせると彼女らは揃って部屋を出てしまった。

 重い空気の中、カピバラ様と二人になった私は、カピバラ様の記憶を思い出す。

 カピバラ様にとって悲しいトラウマとなった黒髪の聖女様。

 この髪の色がカピバラ様に辛い印象を与えるのなら。


「カピバラ様、私――――金髪にするわ」

「はあ?」


 髪の色がダメなら染めてしまえばいいじゃない。

 特に黒髪にこだわりがあるわけでもなし。この機会に色んな染め粉を試して新しい自分に会いにいくのもよいのでは?


「……別にそういうの気にするこたぁねぇーよ」

「でも」

「髪の色が気にくわないんじゃなくて、お前自身が気にくわねぇーからな!」


 えー。それでは振り出しに戻ってしまう。


「……お前が」

「ん?」


 カピバラ様が口ごもったので、なんだろうかと聞き返してみると。


「なんでもねー!!」


 ぷいっと背を向けて走り出し、扉を開けて外に出てしまった。

 うーん、これはまったく進展していないのでは?

 カピバラ様は、私の過去になんて興味はないだろうし……。

 やっぱり、カピバラ様は髪が気になるだろうしラミィ様に頼んで染め粉を用意してもらって――。


「おいこら」

「おう!?」


 扉から外に出ようとしてひょっこりとカピバラ様が顔を出したので変な声が出てしまった。先に行ってしまったのではなかったのか。


「準備出来たら、中庭に来い」

「はい?」


 ダ――!! とそのままカピバラ様は廊下を先まで爆走し。


「早く来いよ、シア!」


 脱兎のごとく廊下を曲がって姿を消してしまった。

 なんなんだろう。

 また、説教かな。お酒臭かった?


 首を傾げつつ、歩き出して――。


 あれ? もしかしてカピバラ様、今……私の名前、呼んだ?

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 大抵過去語りは白けて読み流すのにこれは凄い 本当に必要な過去語りだと思いました。 感情をダイレクトアタックしてくる話で辛いけどいつの間にか幸せを願ってしまうそんな話だと思いました。 語彙…
[良い点] 過去回想の手腕が秀逸!! 大抵、過去のエピソードを盛り込もうとすると、リズムを崩したり、元々のストーリーが何だったか忘れちゃったりして、弊害の方が大きい様な 気がするけど、何の違和感も無く…
[良い点] シアの強さの根源が見えたように思わせてくれるエピソード。全く予想出来ずに読んでしまい、ぐっと喉がつまり、不覚にも涙がこぼれてしまったが、泣くのはシアに失礼かと思わせる文章、好きです。 [気…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ