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◇10 さよなら、可哀想な弱い子

 懐かしい光景を見た。

 この世界に創られて、広い広い世界を見た時よりも、もっともっと光り輝く温かな景色だった。


 最初は、ただの契約。

 女神からの使命で、己の生まれた意味。


 聖女の力となり、世界の理を維持する事。

 つまり、魔王を倒す事。


 はじまりの聖女は、異世界からの来訪者だった。

 長い黒髪、焦げ茶の瞳、その姿は地味だったけれど、どこか愛嬌があって面白い人間だった。

 何代もの聖女を見てきたが、あんな奴は一人だけだった。

 あの時の勇者も歴代を比べればとてもいい奴で、仲間思いだった。だからこそ、大事な仲間の一人で大切に思っていた黒髪の聖女を失った後は、俺も胸が痛かった。勇者の周囲に勇者を大事に思う人間達がいなかったら、勇者も聖女の後を追ったんじゃないかというくらいだった。


 勇者達は幸せになってくれた。

 悲しみを背負いながらも、人間は最期まで歩いていく。


 正直、俺は羨ましかった。

 長い長い、途方もなくなるくらい長い時を生きる俺は、この悲しみの気持ちへ施す処理が分からずに、引き籠るような時を経た。

 聖女が現れれば、適当に手を貸した。それが俺の意味だから。

 彼女らが訪れる日を、俺は恐怖に震えながら待った。はじまりの聖女と同じ姿をした聖女が現れたら。はじまりの聖女と同じ心を持った聖女が現れたら。

 あの必死に閉じ込めようともがく悲しい気持ちが、今度こそ止まらなくなって己の体自体を溶かしてしまわないかと。

 聖女が現れるたびに、俺の心は摩耗し……いつしか自身の使命からも逃げるようになった。

 女神は何も言わない。

 俺の姿を見て、観察しているのかもしれない。役に立たない聖獣に代わり次の聖獣を創りだそうとしているのかもしれない。それでもいい。


 大事に守ろうとした、仲間(とも)を失うのは最初の一回きりで十分だ。


 誰かに心を寄り添うようなことは、もうしない。割り切らなきゃ、ただでさえ寿命の短い種族とは付き合えないんだ。長い年月でようやく俺は思い至った。


 怠惰に眠る時を過ごす。

 眠りのまどろみの中にだけ、はじまりの聖女と頼もしい仲間達と会える。あの時の冒険が何度だって繰り返せる。戻れるのなら、戻りたかった。やり直せるのなら、この手で誰も傷つかない未来を導きたい。

 だけど、そんなことは無理だ。

 起こったことは変えることはできない。女神にはあるいは可能かもしれないが、あの女神が個々の願いの為に動くことはない。世界の為にしか動かない、世界を維持する為ならば手段を選ばないような女神である。

 ある意味、俺は勇者と聖女という巡るシステムが途方もない残酷な呪いのようだとさえ思う。

 世界に瘴気が強まれば、魔王は復活し、何度でも選ばれし者達が命をかけて戦う。世界の為に。


 世界に住む生物に、悪の心が消えない限り瘴気は常に生産し続けられる。終わることのない連鎖に選ばれし者は苦しめられるのだ。


『こんな世界なんざ、滅んじまえばいいのになぁ』


 ふとそんなことを呟けば、誰かが俺の言葉に笑った。

 一瞬、女神かとも思ったがどうやら違うようだ。


『ボクもそう思う。組み違えた世界を意地張って守るよりも一度さら地にしてから新たに組み立てた方が、最終的にはよほど幸せなのではないのかなって』


 女性とも男性ともつかぬ声だ。

 俺のような生き物の近くには、人ならざる者は多くいる。中には悪意を持つ者もいるので、あまり声に応えるのはよくないことだ。だが俺は応えずにはいられなかった。


『女神は、絶対に世界を変えないぜ』

『そうだろう。永遠に繰り返す。でもそれは仕方のないことでもある。だって彼女も――』


 その言葉を聞いて、俺は驚いた。誰も知らないこと。そいつが言っていることが本当かどうかは、判断がつかないが、それが真実なら相当やっかいなことだ。


 不思議な邂逅はそこで終わった。

 少しだけ女神を見る目が変わったが、俺としてはそれ以上どうにかできるもんでもない。

 それからまた長い長い時が過ぎて。

 また、聖女は誕生した。


「聖獣様、聖獣様、どうか私に力をお貸しください」


 あー、まただ。

 また、この時が来た。

 そう憂鬱に思いながら、彼らに悟られぬよう聖女の姿を覗き見た。

 ――そして息が詰まった。


 長い黒髪に、焦げ茶の瞳。地味な姿だが、どこか凛とした表情の聖女。

 落ち着け、似ているのは色と地味なとこだけだ。

 きっと中身はぜんぜん違う。気が強そうで、生意気そうな感じがする。メグミとはぜんぜん違うだろ。


 心を落ち着けながら、今度の勇者一行を観察した。

 勇者達の聖女を見る目が、あからさまに冷たい。勇者は、聖女なんてかまわず他の女ばかりの仲間にかまっているようだった。


 ああ、こりゃ外れだ。

 時折いるんだ。聖剣も力ととある能力しか感知しないから、こういうことが起きる。

 聖女も面倒なのにあたっちまったなぁ。

 かといって、手を貸してやろうとは思わないけど。あいつらの傍にいるなんてどんな拷問だ。


 ――黒い髪の聖女。

 その人を見て見ぬふりをする。


 彼女の代が終わるまで、寝よう。深く深く、眠ってしまおう。

 彼女が死のうがどう生きようが、見てはいけない。


 そう思ったが、状況がそうはさせてくれなかった。

 森は瘴気に覆われ、変な化け物が徘徊するようになったのだ。おかげで俺の力はずいぶん削がれ、メグミがカピバラみたいな姿、といった小さな姿から本体へ変化することができなくなっていた。

 引き籠っている間に、森は魔人に好き放題されてしまったようだ。不覚である。

 そしてタイミングの悪いことに、この件にあの聖女が関わることになった。

 聖女は、どうやらあの勇者パーティーから離れ、新たにギルドを作ったらしい。

 おいおい、魔王討伐とかどうなるんだよ。そう突っ込みながらも、俺は隠れて聖女の動向を見守るしかなくなった。彼女の前に出る勇気は、残念ながらない。彼女の後姿だけで俺の足は震えるのだから。


 だが。


 ――皆で無事に家に帰りたい!!


 大きく響いてきた聖女の切なる願いに、俺は気が付いたら走り出していた。

 大切な仲間を失う恐怖。

 大切な仲間を失う絶望。

 己の無力を呪う時間。

 そんなものをあの聖女が一瞬でも抱かなくてはいけないのか。


 そう思ったら、いてもたってもいられなくなった。


 だから助けてしまったんだ。

 後悔しても遅い。でもそれはどうなんだろうか。あの時、俺が聖女達を助けなかったら俺はどうなってただろう。

 道は別れて、その先は分からない。


 でも、これ以上の深入りはしちゃいけないのだけは分かってる。


「ねー、カピバラ様。もうちょっと仲良く――」

『するか!!』


 がぶっ!


「いったあーー!!」


 聖女との距離をはかるしかない。




 ****************


 流れるような記憶の波が止って、俺はトコトコと歩いていた。

 あの魔女がなにをしたのか知らないが、どうやらここは現実世界ではなく精神的なものの中にあるようだった。今まで通って来たのはきっと俺の中の記憶だろう。

 じゃあ、次は。


 俺の前に、ちょこんと小さな女の子が現れた。

 おさげの黒髪に、焦げ茶のまんまるい瞳の地味な少女。でもどこか愛嬌があって――。

 いやいや、この子はメグミじゃない。この姿だとものすごく似ているが、違う。


『聖女か?』


 今の聖女、シア・リフィーノだ。

 現在の姿よりかなり幼くなっているが、おそらく彼女だろう。


「もふもふー」

『ぎゃあ、やめろ触るなぁ!』


 ちびっこになった聖女に、遠慮なく突然もふもふされた。

 意味がわかんねぇ!


「シア、ご飯よ」

「あ、はい! お母さん今行きます!」


 奥の方から女性の声が響く。鋭く尖った刃みたいな冷たい声音だった。

 風景が、変わる。

 薄汚れた白い壁の部屋の中だった。狭い空間に二人の女性と二十人近くの小さな子供達がいて、幼い子は食卓の席に着き、少し大きい子は食事をテーブルに運ぶ仕事をしている。聖女もその中にいて、くるくると手際よく食事を運んでいた。


 様子から見るに、たぶん孤児院だ。

 聖女は、親がなく孤児院で育ったはずだ。となればやはりここは、聖女の記憶か。


「シア、お前はとてもいい子。我儘を言わないし、泣かないし、お母さんの言う事をよく聞く」


 にこりと女性は微笑んだ。それは人にあまりかかわりを持たない俺ですら、作り笑いだと分かるほど気持ちの悪い笑顔だった。それでも聖女は嬉しそうに笑った。

 聖女はすごく働く子だった。

 自分より小さい子の面倒を良く見ていた。


 あの女が言うように、聖女は我儘を一切言わない。

 辛いことがあっても、涙を見せない。

 女の言う事に、反抗せずにいい子にしている。


 普通なら、気が狂いそうな空間だ。

 ここには家族のような温かな空気はなく、言う事をきかなければ女から容赦のない暴力も加えられる。まるで子供は家畜かなにかのようだ。養子縁組で家族ができたと引き取られた子も実は売られただけだったことも……。

 聖女は、それを知っていたんだろうか。


「うえぇっ――うえぇっん」


 子供の泣き声が聞こえる。

 戸棚の中で、身を潜めるようにして聖女が泣いていた。

 我儘を抱かない子供なんていない。泣かない子供なんていない。

 それは当たり前のことで、それが許されない事の方がおかしいのだ。


 泣いている聖女は、ふと落ちた影に引っ張り出された。


「泣いているの? 悪い子ね」


 女は冷たい顔で聖女を見下ろしていた。


「泣く子はいらないの。泣くような弱い子はいらないの」

『ま、待て――』


 精神世界と知りながら、俺は女を止めようとしたが。


 一瞬で真っ赤な血の華が咲いた。

 ボタボタと、大量の真っ赤な血が周囲を染め上げる。


 女の手には銀のナイフが握られ、血の海に沈んで横たわり小さな聖女は事切れていた。


「弱くちゃ生きられない。さよなら、可哀想な弱い子」


 これは現実じゃない。

 現実なら、聖女が今生きていない。

 ならこれは一体なんの冗談だ。

 俺は女を見上げて、そして息を呑んだ。


 ――その女は、聖女の姿をしていた。

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