☆28 後悔させてやるんだから!
リーナは、現れた男をじっと見た。
年齢は、まだ若いように見えた。二十代前半くらいで、背はルークほど高く真っ白な髪は肩までの長さで色白。若干、顔色が悪いようにも見えるが本人は笑顔で立っているので体調不良ではなく元々赤みの少ない顔なのだろう。
騎士王子様、と呼ぶベルナールと比べても遜色ないほど顔立ちは整っていた。
しかし、リーナはベルナールと会った時のように興奮したりはしなかった。
こちらを楽しげに見つめる目が、血のように鮮明に赤くて、どこか底のしれない不気味さと恐怖を与える。それに……と、リーナは彼の背後あたりをちらりと見た。
普通の人なら無意識にそのあたりに湧き出る、その人の内面的なもの。シア達からは『オーラ』と呼ばれるそれが、彼からはまったく感じられない。透明で見えないのか、もしくは意図的に隠しているのか。この力を詳しく試してみたり、研究したりといったことはしたことがなかったので、そのあたりの判断はリーナにはできない。
綺麗な黄金のキラキラなのか。
はたまた、真っ黒いドロドロなのか。
良い人? 悪い人?
鉄格子を挟んで向こう側にいる人が、良い人である可能性は限りなく低い。
だが、いつも『オーラ』を見てそれとなく判断するリーナにとって、彼は限りなく未知だった。
彼はとても『人の良い笑顔』を浮かべて、座り込むリーナに視線を合わせるように腰を落とした。
「こんにちは、お嬢さん」
優しい声音だった。
でもリーナは警戒は一切解かなかった。
ルークからここ一カ月で教わっていたことがある。『優しい顔をした人が、優しい言葉をかけてくる人が本当に優しい人とは限らない』と。つまり、お菓子をくれるからといって知らない人について行っちゃいけない。ということなのだが、リーナはそれをしっかりと実践した。
身を固めるリーナに、男はちょっと困ったように眉を下げた。
「怖い? それもそうだね、私が君だったらきっと怖い。『怖くない』『危険はない』そんなことは一切保障しないから、私はこの言葉達で君を安心させたりしない。でも喚いて泣いて暴れないで。間違って『なんの利益も得ていない』のに殺してしまったら私が怒られてしまうから」
穏やかで、優しくて、怖い。
幼い子供を嘘であやさない。落ち着かせない。果てに最後は脅してきた。
リーナはふとした瞬間に恐怖で泣き叫びそうになる自分を歯を食いしばって口を閉ざすことで耐えた。その様子に、男は満足そうに頷いた。
「良い子だね。……それとも良い子でいることを強要されてきたのかな? 模範的で、徹底された良い子だ。それはもう君に根付いていて、君という存在を形作る一つの土台となっている。必要に迫られて作られたものでも、そうなればもう真実に良い子だ。――健気だね」
どうしてか、うっとりとした表情で見つめられた。
背中からぞくりと悪寒が伝わる。こんな経験をするのは初めてだ。
これは、なに?
「君が幼子で本当に良かった。でなければ私は君に酷いことができない。それは本来の私の目的と反してしまうから」
幼子には酷いことができて、大人ならできない。
リーナは首を傾げた。
今までの七年間の少ない知識でも、人は子供に甘いところがある人が多い。逆に大人だと平気で酷いこともできる。
――ぎゃく、なのでは?
疑問に思ったが、その答えを聞くことはできないまま彼は立ち上がった。
「君には優しい仲間がいるよね。どこで漏れたのか、騎士に勘付かれたみたいだ。こんなに早くギルドが動くとは思わなくて、私も少々焦ってる。ここは秘密の実験場だったけど、放棄することに決めたよ。でもこのまま去るのも勿体ないから『材料』は確保していく。君も、他の子も全員大事に連れて行くよ。――ああ、でも」
鉄格子に触れて、彼はリーナの大きな青い瞳を覗き込むように見詰めた。
「お嬢さんからはおいしそうな匂いがするね。そういう子は良い化け物になってくれる。君を化け物にして彼らを襲わせるのも一興かな」
楽しそうな顔で、恐ろしいことを言った。
「じゃあまたね、お嬢さん」
ひらひらと軽く手を振って、彼は立ち去って行った。靴音が聞こえなくなって、ようやくリーナはけほんと咳込んだ。呼吸が上手くできていなかったのだ。それほどまでに緊張していた。
するとガタガタと体が寒さに耐える時みたいに小刻みに震えはじめた。
両手で自分を抱きしめて抑え付けても、震えは収まらない。
母親にぶたれた時、とても痛くて怖かった覚えがある。
その時だって、こんなになったことはない。いい知れない強い恐怖感が全身を支配した。
わるい、ひとだ。
リーナはようやく、オーラのない彼をそう思った。
ここにいたら、彼が保障しなかったように『怖くて』『危険な』ことになるに違いない。
逃げなければ。そう思ったが、どこを見てもリーナ一人で脱出できるようなところはない。固く、冷たく閉ざされた牢屋が静かに佇むだけ。
それでも、諦めたら死ぬだけだ。
窓からなんとか出られないか、震える膝を叩いて立ち上がり窓の鉄格子に触れようとしたが高さがまるで足りなかった。これでは窓から脱出も不可能だ。
でも諦めきれなくて、窓に向かってぴょんぴょん跳んでいると。
「うぅ……」
同じ牢に閉じ込められていた自分より幼い少女が目を覚ました。むくりと上半身を起こすと、ぼうっと周囲を見回して、こてんと首を傾げる。
「おかーさん? おかーさん、どこ?」
その言葉に、リーナは泣きたくなった。
ここを探しても、この子のお母さんはいない。牢から脱出できなければ、もう一生会えない。この子が自分と同じになるかもしれない事実に、胸がズキンと痛んだ。
しばらくして、現状を徐々に理解できてきたのか少女は目に涙を溜めて泣き始めた。リーナは慌てて、窓から離れると少女の肩を抱きしめた。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ……です」
自分自身に言い聞かせるように、根拠もない大丈夫を繰り返した。
嘘をつくのは忍びない。だけど少しでも安心させるのが先決だ。
「おかーさん……」
「だいじょうぶです、すぐにあえます」
それが功をそうしたのか、少女は落ち着きを取り戻しリーナの腕にぎゅっと抱きついていた。リーナは、鞄を漁ってチョコレートを取り出し、割って少女にあげた。少女はチョコレートを見ると、不思議そうな顔をする。
「これ、なに?」
「ちょこれーと、ですよ。あまくて、おいしい……おかしです」
田舎の小さな村の子供だ。王都ではよく食べられているものでも、こういうところでは高価な贅沢品となり見たことがないこともあるのだろう。リーナが勧めると、少女は少し躊躇ったが思い切って口の中に放り込んだ。お腹も空いていたんだろう。もぐもぐと噛む様子をリーナが見守っていると、少女の表情はすぐに笑顔になった。
「あまーい!」
「ふふ、あまーい、ですよね」
「それにとっても、おいしい。ねえ、おねーちゃん、もっとちょうだい」
リーナはもう一欠けら、少女にあげた。
それを嬉しそうに少女は頬張る。
『おねーちゃん』。リーナは笑顔でチョコレートを頬張る少女を見つめながらその単語を頭の中で繰り返した。そうだ、この子にとってリーナは『おねーちゃん』なのだ。いつもはリーナが一番年下で、甘えていい立場で、家族の役に立ちたいと思いながらも、ついついシアやルーク、レオルドに甘えてしまっている。
でも、今はリーナと子供達だけ。しかもほとんどはリーナと同じかそれより下の年齢の子ばかりである。
近くの牢から子供のすすり泣く声が聞こえてきた。親を呼ぶか細い声も。
チョコレートを食べて、満足した少女は再び疲れているのか眠りについた。鞄を枕として提供し、少女が眠ったのを見守ると、リーナは窓を見上げた。
冷たい月が、夜空に昇っている。
リーナは両膝をついて、祈りを捧げた。
りーなに、みんなをまもる『ちから』は、ありません。でも、みんなをまもる『たて』には、きっとなれます。だから、めがみさま、どうかりーなに『ゆうき』を。
死ぬための勇気じゃない。
皆で生き延びて、大切な人達と再会する為の勇気だ。
リーナは祈りを終えると、壁に背を預けて座り目を閉じた。
チャンスはきっと、ある。
そう信じて、それを逃さないように時を待った。
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ルネスから聞いた話は、こうだ。
黒い靄に呑み込まれたルネスは、気が付いたら暗い場所に閉じ込められており、そこで見知らぬ男に会った。その人は、真っ白な髪に赤い目をした若い男だったらしい。
一日程度、少し話をしたり、ご飯をくれたりしてくれた。
だがその後、閉じ込められた場所から出されて男についていくと赤い不思議な魔法陣が描かれた広い部屋に連れて行かれた。魔法陣の中に入るように言われて、その通りにして――そこからルネスの記憶は途絶え、気が付けばポラ村に戻っていた。
私とレオルドは顔を見合わせる。
ルネスは、恐らくそこで化け物に変えられた。仕組みは分からないが、魔術的何かが作用しているのだろう。人体を変質させる魔法は、変化魔法以外は禁忌とされている。その方法も古の時代に破棄され、現在では大昔、そういう魔法があった。ということしか分からないはずだった。
不可思議な動きをする瘴気に、化け物に変えられた子供。
今回、ここで起きている騒動はもしかしたらF級ギルドが請け負うには荷が重すぎるものなのかもしれない。だが、リーナと村の子供達が攫われている以上、なにもしないなんてことはありえない。
ルネスの状態と証言を考えると、子供達は瘴気に呑まれても吐き出された大人とは違い、生命力を奪われるわけではないようだ。その後は、無事ではいられないが。
「ほかのこも、いたよ。あかいめの、おにーさんがいってたけど、いちにちは、あんてーきかんだから、やさしくするって」
一日は、猶予があると考えていいのだろうか。
だが、リーナが攫われてからもうすでに一日経過している。もたもたしている時間はなさそうだ。
ルネスから色々話を聞き終えると同時に、彼の両親が部屋に飛び込んできた。
泣きながら、無事で良かったと抱きしめあう家族に胸が熱くなる。
でも今も、ポラ村では攫われた子供の安否を思い泣いている親がいる。私達だって、平静とはいられない。何度もお礼を言うルネスの家族達に頭を下げ、私達は出発の為に下に降りた。
ルークは置いて行こうと思ったのだが、起き上がってきて一緒に行くと言い張った。
ヒールは効いているとはいえ、本調子とは言い難い。だが、置いていっても大人しくはできないだろうし、後からついて来るかもしれない。リーナと子供達を攫われた責任も重く感じているだろう。
「行きましょう、ルーク」
「ありがとう、シア。足手まといにはならないようにする」
「それにしてもマスター。行き先の手がかりはあるのか?」
レオルドがもっともなことを聞いてきた。
黒い靄達が去った方角は分からない。だが一つの可能性は導き出せた。
「宿の一階に地方騎士の人がいたんだけど、その人の話だと黒い靄はこの村から一番近い村には現れていないそうなの。周辺地域も他の地方騎士と連携をとって確認したけれど、やはりそれらしいものはなし。完全に消去法になるけど、そうなると一番怪しいのはやっぱり聖獣の森なのよね」
「そうか、確かに黒い靄の目撃情報が多いのは聖獣の森だからな。実際、俺達も化け物に変えられたルネスに会った」
私の答えに納得した二人は、早々に準備を終えて村を発った。
聖獣の森までは徒歩では時間がかかる。魔力は大きく消費してしまうが、ルークの状態などを考えると、転移魔法を使うのが最良だろう。
魔法陣を展開し、呪文を唱える。
白い輝きと共に、私達は聖獣の森まで転移した。
光が収まると、転移先の聖獣の森の様子が以前と違うことがはっきりと感じられる。静寂に包まれ、どこか清廉とした空気があったはずの森は禍々しい気配に覆われ、木々に瑞々しさがなくなっていた。動物達の姿はなく、鳥のさえずりひとつ聞こえない。
リーナ達を攫った目的を持った何かが、ここにいる。そう教えてくれている。
緊張感と、警戒心を全開にしつつ、森の中に足を踏み入れる。
道なりにしばらく進んでいくと、立ち塞がるかのように殺気立った魔物達が現れた。青いスライムと、牙をむき出しにした狼。どちらも普通に見かける魔物だ。ただ、異常なほど殺気立っている。
瘴気の影響か。そう考えていると、その後ろから黒い靄がふわっと現れ、黒い塊を吐きだした。
それは形容しがたい異形だった。
ルネスが変えられていたのは、ドロドロとしていたとはいえ、ちゃんと狼に見えるような形をしていたのだが、それはなんと言っていいかも分からないほど原型をとどめないものだった。
酷い異臭もする。
「あれも……子供が姿を変えられているの?」
「分からんが、とりあえず倒して動きを止めねぇとどうにもならないだろ」
「そうね」
私は、詠唱破棄で強化魔法を二人に重ねがけした。
攻撃力、防御力、早さ。レオルドには魔力増強。今できる、ありったけの強化魔法だ。これは得意な支援魔法だからできる技で、本来は重ねがけはとても難しい技術である。時間と、魔力を多く消費する。短時間で多くの支援魔法を行使できるのが、私の強みである。
ルーク、レオルドがそれぞれ構えた。
私は、真っ直ぐに黒い靄を睨みつける。その向こうにいるであろう何かの存在に向かって、声を張り上げた。
「反撃を開始する! ――リーナと子供達を攫ったこと絶対に後悔させてやるんだから!」
『おお!!』
私達は強く、地面を蹴った。
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ドンッという強い衝撃を感じてリーナは目を覚ました。
壁が揺れている。
なんだろうかと、戸惑っていると小走りに誰かがこちらに走って来た。
「やあ、お嬢さん昨日振り」
真っ白な髪と赤い目のお兄さんだった。
他の人間はいるのか、いないのか。リーナが一日で会えたのはこの人だけだった。彼は困った様子で鉄格子に手をかける。
「急いでいるけど選ぶ権利を君にあげる」
そんなことを言って、彼はリーナに選択を迫った。
「君が、死ぬか。その子が、死ぬか。選ぶといい」
酷いことをする時間がやって来たんだと、リーナは悟った。彼は『悪い人』だが、嘘はつかない。リーナは一度、この揺れでもなかなか起きない少女を見て、そして迷いない眼差しを真っ直ぐに男に向けた。
「りーなは、えらびません」
「……へえ?」
リーナの答えに、男は興味深げに笑った。
「りーなは、しにたくないので、えらびません」
「そう、君は良い子だからすぐに選ぶと思ったよ。自分の死を。でもそうか、そうだね、私の言い方が悪かった。言い直そう。――君が、来るか。その子を、渡すか」
結末は一緒だと分かっていた。
だが、言い直した彼にリーナは、今度は頷いた。
「りーなが、いきます」
「うん、そうしなよ。君は賢いから油断ならない。死にに行くか、生きる為に行くか。君の選んだ選択は、どう転ぶのか、私はとても楽しみだ」
男は鉄格子の扉を開いた。
リーナは歩き出す。
「……おねーちゃん?」
ようやく起きた少女の声に、リーナは振り返った。
とても優しい笑顔だった。
本当は、約束なんかしちゃいけない。
それでもリーナは、声を振り絞った。
「まっていて、きっとあえます」
「おねーちゃ――」
リーナは駆けて牢を出ると、男は冷たい鉄格子を容赦なく閉じた。




