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★4 冷たい湖の底に

 サンドリナは、ふと掃除の手を止めた。

 長い長い間、歪められた空間の中で彷徨っていた彼女はゆるやかな日差しを浴び、風の流れるさまを直に感じられるこの時をとても嬉しく思っている。だが、窓を開けて外をなにげなく見下ろせば楽し気に走り回る子供達と親の姿が見えた。

 たくさんのことを知った。知ってしまった。見て見ぬふりをしていたものを直視した。それはサンドリナの心を酷く傷つけたが、前へ進むことを決めた彼女にそれを嘆く暇はない。もう二度と理解することなどできないであろう娘もまた傷を負っているのだから。


 帝国から帰り、ギルドはサンドリナとシン、コハクとメノウが新たに加入したことにより手狭になったようで新しい場所へと居を構えた。魔法も特技もとくにないサンドリナは受付や雑務を担当することになり、シンは見習いという扱いになっている。無学な彼は今はレオルドを師として彼から様々な学問を学んでいる。もともと賢い子だからどんどんと知識を吸収していくだろう。彼を教えるレオルドも教えがいのある生徒だと喜んでいた。そんな光景を微笑ましく思いながらギルドの仕事に忙しくしていた彼女の元に一通の手紙が届いた。


「ご実家からお手紙が!?」


 手紙はサンドリナの実家、クルーレ男爵家からだった。家自体は地方にあるが縁戚筋は王都に屋敷がある。彼女の奇跡的な帰還の知らせは王都に戻ってすぐに出していたが、もしかしたらもう忘れられているかもしれないと返事をあまり考えていなかったのだが。


「父も母も老体なのですが、王都へ馬車を飛ばして来ているようでして。親戚の家に到着予定だと」

「もちろんお休みをあげるわ!」


 シアはサンドリナの家族が王都へ向かっていることを知ると快く休暇を出し、嬉しそうに彼女を送り出した。サンドリナは嬉しさと不安を抱えながらも身支度を整えて屋敷へと向かった。

 屋敷の前にはちょうど年季のはいった馬車が止まっており、中から記憶の中にあったものよりもずいぶんと老けてしまったが変わらない優しい笑顔で両親が彼女を抱きしめた。

 懐かしいぬくもりと二人の流す涙、再会を喜ぶ声にサンドリナもたまらず泣いてしまったのだった。


 両親は行方不明になったときと変わらない年の娘を気味悪がらなかった。起きたことを真剣に聞いてくれた二人にサンドリナはこの家の子で良かったと改めて思った。時をうめるように言葉を交わすひと時は永遠に続いて欲しいと思うと同時に、彼女はギルドに戻るという現実と決意を伝えた。話し合いは長引いたが、最終的に両親はサンドリナの思いに頷いてくれた。


「ありがとうお父様、お母様。こんな親不孝な娘の話を聞いてくれて」

「もちろん心配よ、あなたも孫のことも……。でもあんな終わりを迎えるくらいなら」

「……あんな終わり?」


 母のこぼれた言葉にサンドリナは首を傾げた。

 父が居心地悪そうに母の腕を肘で突いたが、母は首を振った。


「内緒になんてしておけないでしょう。……ジェシーナのことよ」


 母の口から告げられたその言葉に、サンドリナはしばらく口をつぐみ動くことができなかった。





 その夜、馬車でギルドに戻る途中だったサンドリナは目的地とは違う場所を御者に告げた。白い花、ホワイト・メリルの花束を持って彼女が下りたのは郊外の湖だった。


「……ここが」


 湖のほとりには、ひっそりと小さな墓石がたてられていた。定期的に誰かが掃除をしているのか、その墓はとても綺麗だった。


「ジェシーナ・セルナディン。……あなたがこんなにも静かで冷たい湖の底にいるなんて」


 ジェシーナはサンドリナの年下の幼馴染で親友だった。穏やかで内向的だったサンドリナと違って明朗闊達としていたジェシーナは、年下だったが彼女にとって憧れの女性だった。夫とのお付き合いや結婚も彼女の後押しがあってこそ叶った。たくさんのことを相談したし、甘酸っぱい恋バナだって腐るほどした。誰よりも輝かしく美しかった親友が、己の思考の回廊で彷徨っている間に辛く苦しく悲しいことにあい、湖の底にある冥府へ行ってしまうなんて。

 自分がそのとき、彼女のもとへ飛んでいっていたのなら。たいした力になれずとも話を聞いてあげられたのなら……未来は変わったかもしれない。だがそんなのは、もうなににもならない妄想である。


 ホワイト・メリルの花束を湖へと投げ入れた。

 どうか、この白い花があなたの眠る場所へと届きますように。


「サンドリナ姉さん?」


 湖へと祈りを捧げていると懐かしい声が名を呼んだ。振り返ると一瞬分からなかったが、その目じりにしわの寄るゆるっとした笑みに記憶が蘇った。


「もしかして、ジオ君?」

「はい」


 ジェシーナの弟。二人で遊ぶときによくついてきていた可愛い男の子だった。活発な姉と違って大人しい子で料理や人形遊びの方が好きだった記憶がある。それをジェシーナがよくぶち壊して泣かせていた。懐かしい。


「えっと確か、あのころは騎士団の見習いをしていたわよね。ジオ君のことだから立派な騎士になったのかしら?」

「……まあ、そうですね」


 歯切れ悪く苦笑して返す彼に、サンドリナは返答を誤ったと思った。


「ああ、えっと~その、騎士でなくても立派な仕事はいくらでもあるもの。ええ」

「ふふ……相変わらずちょっと口下手ですね。なんだか安心します」


 ジオはそう言うと持っていた白い花束を湖へ投げた。沈んでいく花はサンドリナが捧げたのと同じホワイト・メリルだ。


「姉さんの好きな花、サンドリナ姉さん覚えていてくれたんですね」

「……もちろんよ」


 忘れるはずがない。ホワイト・メリルは娘の誕生に夢見た花でもあり、親友の愛した花でもある。


「ごめんね、ジオ君……私」


 サンドリナが沈んだ声で言葉を口にしようとするとジオは強く首を振った。


「あなたのことは聞いています。それぞれに苦難と苦境があった……それだけなんです」


 二人はしばらく無言で湖を眺め、そして。


「俺は決着をつけました。サンドリナ姉さんも決着をつけに行くのでしょう?」

「ええ、必ず」


 帰る場所はあたたかく変わらずそこにある。でも失ってしまったかえらぬものもあった。深い傷をどれだけ抱えても人は生きて前へ進まなくてはいけないときが必ずくる。そのときに後悔をしないように、湖の水面に揺れる金の月(ジェシーナ)に誓った。


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