★3 意味のないこと
「……はぁ」
深いため息が流れた。
相変わらず乱雑に散らかった書類だらけの自室は足の踏み場もない。妹達には文句を言われるが、城のものに片づけを頼むのは個人的に嫌だった。
満月が昇る明るい夜空をラディス王国の第一王子、ライオネルは憂鬱そうな顔で見上げた。
床は酷いものだが、机の上はそれなりに整っている。その整えられた机の上にのせられたいくつかの書類は、散らかった部屋の個人的な書類たちとはわけが違った。
「らしくなく、深いため息ですね――兄上」
いつの間にか部屋に入ってきていた可愛げのない方の弟にライオネルは別の意味で頭を抱えたくなった。
「お前はまたどこをふらふらしているんだ。帝国から帰ってきたと思ったら報告もそこそこに……」
「もちろん遊んでました。可愛い妹達や友人を訪ね歩くくらいしたっていいでしょう? 外遊が多いせいで会う機会が少ないのですから」
「……それにしては」
多少言いたいことはあったし、弟フェルディナンドの行動にはいくつか疑問点がある。ただ、彼が国にあだなすようなことをするとは微塵も思わない。実際平凡に少し毛が生えた程度の秀才な自分では、真の天才の考えることなど理解できるわけもないのだ。
どこか狂っているといってもいいほどの彼の国への忠誠心は兄として絶対的に信用している。
ライオネルは少し息を吐いて気持ちを整えると首を振った。
「いや、いい。それよりもなんだ? こんな時間に」
「聖剣、復活したそうですね」
にっこりと微笑んだフェルディナンドにライオネルは苦い顔になった。
「極秘だったはずなんだがな」
「聞いたわけじゃないので誰も罰する必要はないですよ。ただ、計算上そうだろうなって」
「…………」
「兄上は厳しい顔をして実はとても優しい人だ。シアに警告という名の時間を与え、そして帝国から無事に帰ってきた彼らにまだなんの接触もしていない。すでに聖剣は復活していたというのに、私を長く帝国にとどめた。彼女のギルドのランクがAに届くまで時間を稼ごうとするなんて兄上らしいなと」
「……お前は違うからな」
ぼそりとつぶやいた言葉にフェルディナンドは笑った。
「だってそれはあまりに意味のないことですから」
国益にとっては本当に意味のない時間。
ただ人としては最大限に意味のある時間。
国にとって大きな痛手であればライオネルは容赦はしない。だがこの件は人の心があっていい場面だ。だがフェルディナンドにはそれがない。ありそうに見えてないからこそ信頼のおける外交官なのだ。彼の善意と優しさがその先にある目的の手段でしかないのだと気づく人間は少数なのだから。
「決定権は兄上にあります。私もそれに納得している。だから私に対して時間稼ぎなどしなくてもよかったのに」
「お前を帝国に長くとどめたのは保険だ。彼女たちはともかく『彼』には無事に帰ってきてもらわないと困る」
「なるほど」
もちろん全員帰還した報告に安堵しなかったわけではない。だが一国の王子としてルークさえ無事ならばあとは切り捨ててもいいという判断なだけだ。
「そうそう、散歩ついでにサンドリナ夫人の件にも触れました。長年行方不明になっていた夫人の縁戚の人達はとても嬉しそうに彼女を受け入れていましたよ。夫人自身は彼女のギルドに身を寄せるそうですが、夫人にはきちんと帰る実家が残されています。幸運なことですね」
散歩ついでに触れる要件ではないのだが、ライオネルは突っ込まなかった。逆に不運な人間のことを思い出した。
「夫人はある意味で幸運でしたが、不運もありました。……彼女の幼馴染であり親友が残酷な悲劇の中で命を落としたことを知りましたから」
書類を整理していてライオネルも思い出していた。十五年前に起こった令嬢の悲劇。彼女こそがサンドリナ夫人の幼馴染にして親友の女性だった。
「その件で、いまだにセルナディン伯爵家は問題を抱えたままだ。後継ぎの候補でもあったセリ・アイロワ嬢はシアを守って殉死してしまったし、彼女ジェシーナの弟は――家を捨てて出て行ってしまった。もめ続けるようなら身分のはく奪もいた仕方ないところまできている」
「悲劇の女性、ジェシーナ・セルナディン。彼女の悲劇が後の自由恋愛思想に続くとは誰も思いませんでした。まぁ、それはともかく私としては一番残念だったのはジェシーナの弟、ジオラント・セルナディンが騎士団を脱退してしまったことです。国の戦力が著しく落ちたのは彼が抜けたことであると誰もが理解しています。あの後すぐに騎士団を立て直したイヴァースはさすがでしたが、やはり彼には戻ってもらいたいですね。何度もギルド天馬に足を通わせているのですが」
「……ジオさんに迷惑をかけるんじゃない」
彼が騎士団に戻らない理由ははっきりしている。彼を騎士団に戻すことは大きな理だが、心に深い傷を負った彼にそれ以上をのぞむのはあまりに酷だ。
最近色々とライオネルを悩ませてきた話のタネではあったが、フェルディナンドがそんな話をしにここに来たわけではないことをライオネルは気がついていた。話を先延ばしにするのは、心が乏しい彼にはとても珍しい行動だった。
「兄上」
「なんだ」
少しだけ言いよどんで、それでもフェルディナンドは聞いた。
「エリーのことです」
「……」
フェルディナンドが気に掛ける数少ない可愛い妹。マリー、リリーも可愛がってはいるがエリーは特段可愛がっている節がある。それは彼女が王家の中でも『普通』で、とりわけ特別な才能もないからだろうか。それともそれでも懸命にがんばっている姿が彼にも響くのだろうか。
「帝国から帰ってきて、一番先にあの子がなにを聞いてきたかわかりますか? 『ルーク様は無事ですか!?』ですよ、少しは私のことにも興味をもって欲しいです」
「……」
「ちょっと見ないうちに『ルーク様の祭壇』がグレードアップしていましたし、あの子はいったどこへ行こうとしているのですかね?」
「……」
ライオネルはなにも言えなかった。今彼が何に対して自分に問いただしているのか察しているから。
「聖剣が復活し、勇者の再選定が行われる。次の勇者は高確率で彼でしょう。そして彼の肩書の為に貴族以上の身分の女性との婚姻が手っ取り早い。その相手はエリーが一番適任だったはずです」
「そうだな、俺もそのつもりだった。個人的にやらなくていい範囲までルークの身辺調査を行った」
「ではなぜ……今の想定が『リリー』なのですか?」
とても珍しく情に訴えられかけている。
だが王子としてどれだけ胸を痛めようともこの決断は覆せなかった。
「エリーは、山脈を越えた南の古地――ヴィシェッダに嫁に出す」
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エリーは窓際に座って綺麗な満月を眺めていた。
いわゆるオタク部屋といわれた部屋は徐々に片付けられはじめている。
「一年後、か」
少し前まではオタクバレして振られていたのを笑い話のようにしていたのに、オタクバレしようもない遠い地にお嫁に出されるとは想像していなかった。
いつかは、どこかにお嫁に出されるんだろうなぁと漠然と思っていたが、いざそれがはっきりするとなんとも胸がざわついて落ち着かない。
お嫁に行くのは一年後くらいと言われたが、一年は長くて短い。この一年の間に生まれ育った故郷を離れる準備をしなくてはいけない。それができるかどうかエリーは心配だった。
「……どうしよう」
少しづつ片付けはじめたオタク部屋。
それでもこの部屋の半分を占めるルークの祭壇は。
「お嫁に行くギリギリまで片付けられなさそう」
自分自身に苦笑しながらも、エリーは震える手でルークから送られてきたファンレターを抱きしめた。




