□53 大切なものを失っていたんだね
帝国で起こった予想外の大事件は幕を閉じた。
教皇から逃げるため、そして反撃の手段とこれから先への決断と覚悟のための帝国旅行だったが、最終的にはみな一つの壁を乗り越えられただろう。
仲間達と私、そしてベルナール様も。
一時、ベルナール様が意識不明になり呼吸も止まりかけるという事態になったが必死に手を尽くした結果戻ってきてくれた。せっかく無事に解決しそうだったのに最後の最後に慌てさせてくれたものだ。謎に死にかけていたというのにベルナール様はなんだかつきものが落ちたようなすっきりした顔をしていたが、その理由は私にはわからなかった。
ベルナール様の意識が戻って、私達が周囲のことに気を回せるようになったときにはすでに魔人達の姿はなく、ラミィ様が深くため息をついていた。老人に手痛い反撃をくらってしまったラミィ様だったが命に別状はなさそうだ。キングが身を挺して守ってくれたから。
「あの子は、本当に……」
ラミィ様の口からこぼれる小言のような小さなつぶやきは、怒っているというよりは心配しているようでなんとなく声をかけられなかった。キングのことをまるで小さな子供のように言う彼女が少し不思議に思えた。キングの姿を見ると、あの骨の老人はとても長い時間現世にとどまり続けている。ラミィ様がいくつなのかは知る由もないし、聞くこともできないが彼女もまた途方もない時間を歩む人なのかもしれない。
そういえばソラさんもいつの間にかいなくなっていた。彼は自由人なのでいなくてもなにも不思議ではないが。
それぞれ怪我の治療をひとまず終えて、おじいさまがラミィ様を背負うと私達は一度、地上へ戻るために来た道を戻り始めた。道中、ヒース様とアルヴェライトさんと合流し皇帝を……埋葬してあげなくてはいけない。私はコピー品だが、それくらいの手伝いをしても許されるだろう。
「姉上っ!!」
「おふっ!?」
心痛で重い気持ちの中、皇帝が倒れた場所まで戻ってくると急に誰かに抱きつかれた。なにごとかと力強い腕から少し顔を浮かせると。
「皇帝!?」
「陛下!?」
おじいさまも私と同時に驚愕の声をあげた。
彼は確かに私が看取ったのだが……。
「事態がおさめられたようで、よかったですな。隊長もご無事のようでなにより」
「陛下、急に動かれるとお体にさわりますよ」
やれやれといった風にヒース様とアルヴェライトさんが姿を現した。
「あ、あのこれはどういう?」
「蘇生がうまいこといっただけですが? よかったですな皇帝、成功率5%くらいでしたぞ。悪運悪運」
ヒース様がものすごい不敬なことを言っているが、それは私にはどうでもいい。
「皇帝陛下はベルナール殿の魔王化のために血と魔力エネルギーを搾り取られて身体機能が著しく低下した結果『仮死状態』になっていたようです」
「かし……じょうたい?」
つまり完全に死んでいたわけではなかったということか?
「このまま放っておけば死に至りましたが、幸い陛下の生体データが記録に残っており、血と魔力エネルギーの再構築、それから移植までその設備がここに揃っていました。もともと我々がここに残ったのは最悪の事態をさけるためのデータバックアップでしたが、その一部を転用し蘇生にチャレンジしまして」
それで成功率5%の確率の壁を越えて皇帝が蘇生したというわけか。それなりに奇跡だ。
「さすがの吾輩も人体蘇生は専門外でしたが……これはいい経験になりました、データや研究資料も興味深い」
ヒース様がやばそうな科学者の顔をしていたが、問答無用でベルナール様に小突かれてむせてしまった。弱い。
「リヴェルト陛下、ご無事でよかったです……」
自分で思っているよりもほっとしている。抱きしめられた腕のあたたかさが、じんわりと胸に染み込むようなくすぐったい感覚は、他の人間ではならなかったものだ。
「姉上もご無事で本当に……よかった」
途中で鼻をすすっていて、彼が泣いていることに気がついた。それに気がついて、私は徐々に罪悪感を覚えた。
「陛下、私はあなたの本当の従姉ではなくて――」
その先を言わせないように彼の腕が強まって首を振った。
「ごめんなさい、いいんです。ボクの無知と独りよがりがあなたを傷つけた。それでもあなたは……死を前にしたボクを見て悲しんでくれた。意識を手放す直前に見たあなたの顔は、ボクがずっと羨んでいた『家族』の顔でした。……姉上、あなたがどこの誰であってもボクがあなたに抱く親愛は嘘じゃない。無事でいてくれて、ありがとう」
この親愛の情はどこからくるのかな。
世界線すら捻じ曲げた得体のしれない、王家の血筋のコピー人形。知ったことと知らないことがまだほかにもきっとある。だから近いうちに私は司教様と決着をつけなくてはいけないだろう。
『本当』ではなくても、私は深い情を彼に覚えた。仲間はみんな家族のような身内だけれどリヴェルト陛下にはまた違う、もっと身近な姉弟のような感覚。それはコピー元の血の感情なのだろうか。
どっちでもいい。
私が私である以上、そしてこの無事を確かめてほっとして泣いてしまった従弟へ私は泣き止むまで彼の頭を撫でてあげた。
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「じじい、大丈夫か?」
偽女神を倒したところを確認してすぐに離脱した魔人三人は、すでに城の地下中腹まであがってきていた。ここまでの道中、ジョーカーは体が思うように動かなくなったキングを背負って歩いている。
「……すまないな」
「別にいい」
ジョーカーはむすっとしていたがキングを放り出す気はないらしい。
「……ジョーカー、すみませんがキングをお願いできますか?」
「はあ? なんだハーツ、どっか行く気か?」
「はい、少し気になることがあって」
それだけ言うとハーツは瞬く間に消えてしまった。
ジョーカーは誰もいなくなった空間に深いため息をつくと。
「どいつもこいつも」
キングを背負いなおして城を脱出した。
ハーツは高い移動能力を使って、最下層まで戻ると近くにシア達の気配を感じながら別の通路を奥へと入っていった。知っているような、知らないような。嫌な予感と知りたくて知りたくなかった、そういうそわそわとした感覚を持ちながら先の扉へたどり着いた。
扉を開けるとそこにはシア達が道中で見た実験施設と似たような場所がもう一つあらわれる。もう使われていない大きな培養器がいくつかあって、そのどれもがひと一人入れるほどの大きさだ。
ここで何が行われていたのかなど、想像したくもない。
ハーツはなにもない培養器を素通りし、棚にしまわれた資料を抜き出した。時間をかけて、いくつも、いくつも確認した。
そして。
「――ああ、そうだ」
ひとつの資料を手に、彼の視線が止まった。
「私はすでに大切なものを失っていたんだね……シーア」
魔人になってでも守りたかったものがある。死して魔人になった者は記憶を失い、その願いすら思い出せなかった。
道筋になったのは、リーナが持っていた赤い宝石だった。ルークを目覚めさせるために使っていたその石の光は、もやのかかっていたハーツの記憶への導にもなっていた。引き寄せられるようにして見つけたこの場所、そして資料。
完全に思い出した。
シーアが賭けた、最期の仕掛け。
かならず迎えに行く。それは叶わぬ約束となった。
「私のすべては、娘のために」
ハーツ――アレン・メディカは、決意の言葉を口にするとその場からかき消えた。




