□52 ちゃんと聞いたよ
ここに集うほとんどが並々ならない力を持った精鋭だ。それでも半壊したとはいえ機械仕掛けの女神の動きを止めるのは難しいことだった。仲間達すべての力が私とベルナール様のために足止めとなって集約する。
失敗できない。
でも不思議と緊張は少しずつ薄らいでいった。
……機械仕掛けの女神の顔無き表情が、どこか怯えているように感じられたからかもしれない。光と闇が交差する。鮮烈な光は私の目をくらませて、白に焼かれる様に恐怖を覚える。黒い闇に安らぎを感じてしまう私は物語に綴られる聖女あるまじき者だろう。
それでも彼は私を『聖女』と呼ぶ。
銀の剣が力の奔流にそうように輝く。
それは勇者の聖剣でもなく、名高い名剣でもない。
一介の騎士の、ただの剣。
それが力を持ったのは、彼の誓いと彼を支える仲間達のおかげである。
そして……。
「剣が、闇をまとっていく――?」
輝いていた銀の剣が、光に相反するように黒く染まっていく。それは強い闇属性の力だった。私に闇属性の適正はない、ベルナール様もないはずだ。だとしたらこれは誰の力か。
私達の視界に一瞬だけ、微笑む黒い髪の女性が見えた。痛みと悲しみ、苦しみと憤怒の乱れた彼女の顔ばかり見ていたからすぐにわからなかったけど。
「ありがとう、アルベナ」
ベルナール様のこぼしたつぶやきに私はようやく理解した。
彼女の気配が銀の剣にまとう闇へと消えていく。ベルナール様の、古くからクレメンテ家を蝕んできた彼女の意思が消えていく。
銀の剣は、銀と黒が混じり合った不思議な剣となって彼の手におさまり、そして。
振り下ろされた黒銀の剣は、機械仕掛けの女神を切り裂いた。
甲高い機械の軋みがまるで断末魔のように響き渡り、最後にはその鋼の体は粉々に砕け散ったのだった。
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気がついたら、光の中にぽつんと一人で立っていた。
隣にいたはずのシアの姿もない。
ベルナールは白い光の空間で周囲を見回した。怖くはない、おそらく誰かが自分だけをここに招いたのだとわかっていた。
「……君か」
少しため息をつきたくなった。顔を合わせるには少々憂鬱な相手だ。
「そんな顔をするものではないよ。少なくとも『今』の私には」
あらわれたのは、ベルナールにどことなく似た顔の青年だった。見覚えがあるが、『今』はたぶん別人で。別人でありながら本人でもある、存在の定義がしずらい男だ。
「君の……あなたのことは『ヨル』と呼んだ方が正しいだろうか?」
ジャック、いやヨルは静かに頷いた。
「ジャックは、己の生前を思い出した。己の狂気がいったいどこからくるものなのか、自分自身知ることもできず、魔人となって無意識にそれを求め続けた。それは……本当は狂気なのではなくて、ただ純粋に誰かに愛してもらいたかっただけの『僕』の心残りでしかなかったのにね」
ヨルは黒く染まった右手を見た。その手は少しずつ普通の人間に戻りつつある。
「ジャックは『ヨル』じゃない。ヨルは『ジャック』じゃない。彼は本当にここに存在していて、自我をもって生きていた。だけどもうジャックはどこにもいない。僕はジャックが嫌いだけど、少しだけ悲しくもある」
同じ体にいる別人格みたいなものだろうか。ベルナールにその感覚はわからなかったが、ヨルの複雑な心境はなんとなく察せられた。
「その様子を見るに、あなたもすぐに消えるのでしょうね」
少し冷たい言い草だった。ベルナールにとってジャックもヨルもどうでもいい存在だ。情は覚えたが、面倒をかけられた親戚に対して優しくもなれない。
ヨルはそれに少し笑った。
「そもそも僕はもうすでに死んでいるからね。魔人として生きていくなんて僕にはありえない。心残りがあってもそれを無理やり叶えることを僕は望まないから」
魔人のありかたは残酷だ。ジャックとしてやってきたことを考えるとヨルはそれを引き継ぐことを絶対に望まないだろう。ジャックとは本当に真逆の性格をしているようだ。
「それで、あなたはなんのために俺をここへ?」
「……君はもうすぐ死ぬだろう」
不吉な予言をされたが、ベルナールは「そうでしょうね」とすんなりと頷いた。
「気づいていたの?」
「もちろん。俺がどうして今まで生きてこれたのか、なんとなくわかっていた。そして今、アルベナの意思が剣と一体となり消え去った瞬間に確信した」
人形として不安定な自分の命をつないでいたのは、アルベナだったのだと。
「もとより俺はアルベナの器として作られた。ならそれが消えたら俺も死ぬのはありえること。覚醒者となり俺が自立したことによって、アルベナの愛の憂いが消えたのか……彼女は呪いから力に変わったが」
なんの皮肉だろうか。
しかしベルナールは誓いをたてたときから、予感はしていた。
だからこそこう誓ったのだ。
『この剣と肉体が滅びようともこの魂がある限り、その誓いが破られることはない』と。
「この世界から君が去っても、守りたい人は守り通せる。なるほど、命すらもかけたからその加護はとても強いものとなったのか。……ベルナール、君にひとつ答えてほしい問いがある」
ヨルは人間の左手を差し出すと、その手の平に丸い光の玉を浮かべた。
「この魂は本物のベルナールの魂だ」
「……え?」
ベルナールには霊感がない。ゆえに魂の存在をその目にしたことはなかったが、温かい光を放つそれは、確かに生命の息吹を感じる。
「君の体が不安定なのは、君が造られているからだ。本物の魂が肉体にかえれば安定させることが可能になる。……クレメンテ家が、君の父親がもくろんでいたのはコレなんだよ」
「ああ、なるほど……そうだったのか」
父を思ったことはない。代わりの息子を作った時点で自分にとっていい親でないことは明白だった。だが、真実を突きつけられると少しは重い気持ちになるのだなと思った。
いつか偽物から、本物へ戻す。
そのもくろみがあったから、あの男はこの手段を選んだ。
「君は去り行く身。本物にその体を渡すのが、本来あるべきことなのかもしれない。でも僕はそれを問いとしてなげかける。君は……その体を本物に返すかい?」
沈黙が流れる。
自分が近い未来に去る覚悟はあったが、この話は想定外だった。自分はすぐに死ぬことになる。なら本物に返すのが道理。
「……嫌だ」
それでも口を伝って出た言葉は拒絶だった。
「なぜ?」
怒るのでもなく悲しむでもない、ヨルの問い返しが響く。
「俺は、俺が……ベルナールだからだ。もう俺はベルナールを返せない。返したくない。俺の人生は、俺の過ごした時間は、俺にとって本物だから」
罪悪感がこみあげる。
生きたかった、生きるべきだった命が目の前にある。それでもベルナールは歯を食いしばって首を振る。人生で一番のわがままだった。
「……うん、君の返事……ちゃんと聞いたよ」
視界が光で埋まる。目を開けていられずに閉じて、恐る恐る再び目をあけると目の前にいたのは、ヨルではなかった。
「お前……は」
自分と同じ顔の青年が立っている。ヨルの悪ふざけかとも思ったが、その姿から発せられるあたたかな光はさきほど彼が手にしていた魂と同じだった。
「ベルナール、か?」
同じ顔をした彼が、ゆっくり微笑みながら頷いた。
「最後に、お前の答えを聞けてよかった。ベルナール」
「それは……」
「俺の名前じゃない? 何を言っているんだ。お前が自分で言ったろ、自分はベルナール・リィ・クレメンテだと」
ずっと思っていた、本物のベルナールは自分を見てどう思うのだろうかと。
「俺がいまさらお前の人生の先に戻されたって嬉しくない。お前が過ごしてきた、感じてきたことを俺はそのまま同じに思えない。ベルナール、俺はお前じゃない。お前も俺じゃない。俺達は別人だ、だから……返す必要なんてないだろ?」
ベルナールは顔をあげて、彼の顔を正面から見た。
同じ顔、だが別人。
彼はすがすがしい顔で微笑んでいる。
「俺達はここを去るが、魂は世界を巡って帰るべき場所へ帰る。いつか……いつか、俺が再びこの世界に生まれたら――」
三つの光の玉が空へとのぼっていく。ベルナールとヨルと……もうひとつはもしかしたらジャックかもしれない。
『お前が俺のことを覚えていてくれたら、嬉しい』
あたたかな光と言葉がベルナールの体の中へと溶けていく。
真っ白な空間もゆっくりと消えていく。
ベルナールは三つの魂を空に消えゆくまで見届けて――。
「ベルナール様!?」
見慣れた黒髪の少女の顔にほっと瞬いた。
「ようやく偽女神を倒せたのに、急に倒れて気を失わないでくださいよ! 途中で息止まりかけるしっ」
心配そうな顔だったのに、気がついたら急に怒られた。シアがぷんぷんしている横で、ベルナールは自分の心臓に手をあてた。彼女は必死に蘇生処置を繰り返していたらしい。
「……大丈夫、心配しなくていい。どうやら生きる時間をもらえたみたいだから」
帰ったら、はじめての墓参りに行こう。墓標はなくとも祈りは捧げられる。すべてを許してくれた彼らに。




