□49 人は変わるよ
「嗚呼……なぜ」
待ち望んだ騎士の帰還に喜んでいられる時間は、ほんのわずかだった。
かすれるような老人の嘆きが、怨嗟のように耳に響く。ラミィ様によって拘束されていた老人は、枯れた眼からいくすじもの涙を流し、私とベルナール様を睨みつけていた。
「世界は永遠に女神の奴隷となったまま、それでいいというのかね……?」
誰もがその言葉に沈黙した。是とも否とも言えはしない。知らなければ過ぎ去るもので、人の一生とはかくも短いものである。世界のシステムがどうのこうのと気にしている時間などありはしない。苦しいのはいつだって贄に選ばれてしまった不幸な一握りのみである。
理不尽なのか、合理的なのか。ラメラスのやり方があっているのかあっていないのか。しょせんちっぽけな私達は己の願いのみでしか選択できない。
「……ふっ、ははは――そうだ、そうだな……沈黙は答えだ。究極の、選択の一つであろう。ならば、我も最期まで抗おうではないかっ!」
「くっ!?」
「姉さン!」
老人のふりしぼった咆哮が轟き、拘束していたラミィ様を弾き飛ばした。態勢を崩し、瓦礫の床にたたきつけられそうになった彼女を抱きかかえたのはキングだった。躯の体がきしむ音が聞こえる。ラミィ様を抱きしめるキングの背中は丸く、まるで泣き虫の子供のように見えた。
「シア、よそ見をしている場合ではなさそうだ」
私も暴風にあおられたが、ベルナール様にしっかりと抱きとめられているためひっくり返ることはなかった。リーナはルークに、リゼとアギ君はレオルドに守られ怪我をした者はいなさそうで安心する。だが、それも一瞬のことだ。ベルナール様の言う通り、よそ見をしている間もないほど危機的状況は続いていた。
「機械仕掛けの女神よ! 我が魂をくらい、かりそめの命を宿すがいい!」
「あ、あいつ何する気よ!?」
嫌な予感が全身を駆け巡る。誰もが老人の凶行を止める時間がなかった。老人の言葉にこたえるように、機械仕掛けの女神は駆動をはじめ、巨大な手が老人を掴み――。
「リーナ!」
「ふえっ」
ルークが叫ぶ声が聞こえたと同時に私の両目もベルナール様の手によって塞がれた。
酷い音が聞こえた。肉と骨がつぶれる音。ひとつの命が……たぶん、残酷に終わった。視界は奪われたが、音がその光景を想像させてしまう。血の匂いもした……だけど、見えなくてよかった。視界が開放されたときには、老人の姿はなく、血のあとが機械仕掛けの女神の白い手に付着しているのが確認できた。それも白い手にのまれるように消えていき、ソレは心臓を鼓動させるかのような振動をはじめた。
「――おえ」
「ご、ごめんなアギ、咄嗟にリゼの方を」
「いい、リゼねぇが見るよりよかっただろ。俺は、時間あれば大丈夫だし」
残酷な光景を目の当たりにしてしまったのだろう、アギ君は少しふらついていたが引きずりはしなさそうだ。レオルドはどうやらリゼの方を優先したらしいが、真っ青な彼女の顔を見ればおそらくは正解だっただろう。リーナはまだルークにしがみついて震えていた。
あのじじいは、なんてことしてくれたんだ……。
「あれは完全な状態ではない。だが、あの老人をとりこんだことで疑似聖剣の力も宿し、生命エネルギーすらもいくらか充填したようだ。あの様子なら、一度魔王に覚醒したベルナールを殺せばもくろうみどおり膨大なエネルギーを獲得し、シアとリーナをとりこんで新たな女神へと昇華するだろうさ」
身の丈にあわない巨大な鎌を構えて、おばあさまが不快そうに言った。
「ここが正念場でしょう。あの老人の言葉に沈黙でしか返せない、自分の大切なもののために力をふるうのは人間としての私の譲れぬ願いなのだ」
おじいさまがどっしりと拳をかまえておばあさまの横に立った。
「騎士として守護することがその存在意義であり、決意。契約は果たされる、それがどこにいても」
二人の後に続くように、イヴァース副団長が立ち上がった。
私達は大きな力の前に、体がガタついている。そもそも魔王化したベルナール様とやりあった後でもあるのだ、気おされてしまうのは当然のことではあったが、それでも前に進んで立ち上がれる三人はさすがだといえよう。
「魔人どもは、聖なる力の奔流に本調子にはなれないだろうしな」
「――ちっ」
大人しいと思えば、イヴァース副団長の指摘通り、ジョーカー達は全員膝をついていた。確かに聖属性の力が強まったこの場はつらいのだろう。ラミィ様は、老人の一撃にあてられてしまっている。
「わしら三人でこの鉄くずの女神を抑え込んでやろう。だがさすがに御することはできんじゃろう。あとのことは主らに期待するぞ。二人とも覚悟はよいか?」
おばあさまの言葉にこたえ、おじいさまと副団長が頷いた。
「お、おじいさまっ」
三人がなにをしようとしているのか見当がついた。今はそれしかないが、手が震えてしまう。勝手に前に出ようとした体を止めたのは、いつの間にか私の前に回っていたソラさんだった。
「落ち着きなよ、まな板ちゃん。君の役目は今ここで前に出ることじゃない」
「ソラさん……」
彼は手はかしてくれてはいたが、この場においてしばらく沈黙したまま、少し離れてことの成り行きを見守っていた。ありとあらゆることにおいて彼は自由である。だから私は気に留めていなかったが、ここで彼が私を制止することには彼にとって大きな意味があるということだろう。
「正義の騎士君、こっちにおいで」
ソラさんの言葉に私は一回ベルナール様を見たが、彼は首を振った。ソラさんの視線の先とはそれている、ルークも視線に交わらない。誰のことを言っているのかと首を傾げつつ、さらに向けられた先をおっていくと。
「……はあ、なんて皮肉な」
アルヴェライトさんがいた。彼も先に前に行った三人に加勢しようとしていたのか、ナイフを持っていたようだが、ソラさんに問答無用の圧で呼ばれてしまった。
しかしなぜアルヴェライトさんが『正義の騎士』なのだろう? 彼は商人のはずなのに。
「僕は検討違いな呼び名はつけない。遥か昔の君ならともかく、ね」
アルヴェライトさんはとても複雑そうな顔をした。
「さてどうでもいい話は終わりにしよう。今必要なのは、やりたいことをどうやり遂げるかだ。僕はとても息苦しい、それは自由を愛する者にとって一番の敵だ。だからこそ、僕はここにいて手をかしているわけだけど」
自己を中心にして生きている彼にとって良心の呵責などないに等しい。彼らしいといえば彼らしい理由である。
「女神を殺せるのは、いったい誰だと思う?」
「それは……」
女神にとっての天敵はなにかということだろうか。伝承でも古い物語にも女神を害するような登場人物も物も存在していない。そもそもが女神を滅する意味が物語上には存在しないからだ。魔王には勇者と聖剣、そんなわかりやすい仕組みはない。
「困った顔をしているねぇ。まあ、そんなものがあるのなら帝国も……あいつも苦労はしなかっただろう。けどね、理屈として方法はあるんだよ」
「え? 本当に……?」
「精霊、つまりこの世界に属さない異次元の勢力の力を使うことさ」
それは……確かに理屈は通る。ただし、精霊が私達に力をかすかどうかは別として。
「精霊に愛される、精霊使いは存在するけれどそれはただ精霊に溺愛されているだけの加護でしかない。そんなちっぽけな力で女神を倒すことは到底無理さ。ただ、大精霊そのものの力を行使する、またはそれに準ずる力を発揮できれば、不可能じゃない」
だが、実際無理。
レオルドのときのことを思い出す。彼は火の王に好かれ、加護を得たがそのせいで散々な目にあっている。精霊の愛と加護は、人間に寄り添わず破滅を導くことも多いのだ。
「精霊界から出たことのない精霊は意思疎通が難しいけど、こちら側に干渉し、力を貸してくれる精霊も何体か確認されている。たとえば、帝国のアーカーシャとかね。王国にもいるだろう?」
「騎士王オルディエスか……」
「アーカーシャは質問の答えを規則の範囲で応えてくれるが、女神を倒す力は与えてくれない。ゆえにアーカーシャは除外される。けど騎士王オルディエスは誓いさえ通れば、人を越える力を与える。精霊の一方的な溺愛の加護で害される心配もなく、誓いの契約による巨大な力を得られるチャンスがあるわけだね」
なるほど、それは確かに一番目的に近い手段かもしれない。イヴァース副団長が今まさにそれを証明しているようなものだ。彼の力は人間の力では到底到達できない域にあり、その力をもって今、機械仕掛けの女神と戦っている。でも、そんな副団長と魔王の一部であるおばあさま、帝国きっての将軍だったおじいさまですら決定打にはならない状況だ。
カピバラさまは精霊の一種である聖獣だが女神に属している。さすがに呼べない。
「さて、騎士の諸君。君達の誰か一人でいいのだけど、偽りの女神を倒せる契約を誓える者はいるかな?」
「……私はさすがに無理でしょう。一番近いのは、どう考えてもルーク殿だと思いますが?」
「そうだな」
アルヴェライトさんは考える余地もなく、ベルナール様は以前に誓いを失敗している身。確かに私が考えても誓いを立てられそうなのは他にルークしかいない気がするが。どうしてソラさんは彼らに問いかけたのだろう。そんな無駄なことをする人じゃないんだけど。
「心が存在する限り、人は変わるよ。君が正義の盲目者から正義を省みる者になったようにね」
「……」
アルヴェライトさんはソラさんから少し視線をそらした。
「ルーク君は残念ながら大事なものがまだひとつ欠けていると思うから、中途半端な契約を今して欲しくないのが正直なとこかな」
「ルークに欠けてるもの?」
ルークはすでに剣術も剣術を使う意味や心構えも立派にあると思っている。私としては彼の欠けているものがなんなのかわからなかった。
「君も同じだよ、人形君」
「俺は……ルークよりもはるかに欠けているものが多いと思うが」
「違う、そうじゃない。君の欠けていたすべてはもうすでにうまっているよ。なのにいつまでたっても欠けているつもりでいる。君の中のアルベナが誘導したのかもしれないけど、もういい加減気づくべきだね」
ベルナール様はそっと自分の胸に手をあてた。
「……騎士王オルディエスはかつて俺にこう言った」
『そなたの心は虚ろ。まるで穴があいたかのような空虚。人のようであって、人のような様を模する不出来な人形のようである。そなたは、何者か?』
ベルナール様は語る。騎士王オルディエスはすでに自分の本質を見抜いていたのだと。
「もう一度、君自身に問いかけてみなよ。君が一体何者なのか、誰を守りたいと思うのか」
その心は今も虚ろのままなのか。穴があいたかのような空虚なのか。兄を模倣する不出来な人形なのか。ベルナール様は目を閉じて、そして私を見ると少し笑った。




