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□45 あなたはどうなんだ

 人の精神世界は、いくつもの扉で構成されていることがある。その人にとって大切なものを宝箱にそれぞれ分けて保管している感覚だろうか。

 ひとつめの扉は、小さなシアと信頼のおける兄との思い出のような美しい場所だった。ベルナールのことを考えると、その扉一つで終わっている可能性もあったが……。


「たあぁいちょぉぉーー!!」

「どこいったんすかああぁぁぁ!!」


 野太い雄たけびをあげた大の男達がのたうちまわっているさまを見てしまって、ルークは思わず扉を閉めそうになった。


「あ、ルークさんいらっしゃい。また稽古の申し出ですか?」


 そっ閉じしそうになっていると隣から穏やかな声がかかった。振り返ればそこにいたのは副団長の息子であるランディだった。


「ランディ……見覚えがあると思ったら、ここは第一部隊の」


 当然といえば当然だったかもしれない。でも、ルークには彼が部下達のことを本当のところどう思っているのか知ることはできなかった。しかしここに扉が専用であるということはベルナールとしても大切な居場所の一つであると考えていたのだろう。なんだか少し安心した。

 ルークと王国騎士団第一部隊には縁が多い。そもそも彼らはシアに対して懇意にしているし、監視の任務があるとはいえリーゼロッテにもとてもいい距離感で見守ってくれている。その中でもルークは稽古の相手をよく第一部隊の人達に頼んでいた。副団長やベルナールにコネがあったというのもあるが、彼らは仕事の合間に根気よく付き合ってくれる気のいい人たちでもあった。

 さすがに精鋭だけあって、ルークが彼らに勝てたことはまだないが、一本とれたときはそれはもう嬉しかったし、ルークの成長に第一部隊の人達も感涙していた……おおげさなくらい大泣きしていた。人情に厚い人たちでもあって、彼らに認められたいという気持ちもルークは胸の奥に抱いたくらいに彼らは温かい存在だ。

 それはベルナールにとっても同じだったのかもしれない。


「もしかして隊長に用事ですかね? すみません、隊長ここのところ姿を見せていなくて」


 申し訳なさそうな顔のランディにルークは首を振った。


「わかってる。俺も探しているが、たぶん……戻るには時間がかかってるんだと思う」


 ベルナールが精神世界でも大切な場所を避ける理由。ここまで歩いてきている中で、周囲に感じられるこの世界の主の心にどこかルークも共感していた。


「ベル君っていつの間にそんな繊細になったんだろうねぇ~」


 ゆったりとした話し方の女性、第一部隊には一人しかいない美しいその女騎士は、不服そうに窓際で頬杖をついていた。


「……ミレディアさん」

「昔はねぇ~、あいつときたら感情をどこにおとしたのかってくらい無だったのよ。私をあんなに大泣きさせてくれた落とし前はそろそろつけていただきたいわよねぇ~?」


 彼女が、幼馴染に対してどれだけ心配していたか、シアの話からも俺の印象からも察せられる。彼女はこうして彼に対してツンツンしているが、力になりたいし頼って欲しいのだろう。男女の友情が成り立つのかというテーマで争っているのをどこかで見たことがあるが、たぶんこの二人はきっちり成立している。


「ルークくん、あのわからずやのくっそ遅い思春期野郎はね、朴念仁に負けないにぶちんさんだからぶん殴ってでも気づかせてやるべきよ。……私は今、それができないし、役割じゃないからさ」


 そう言うと、ミレディアは剣をルークに投げてよこした。騎士団でよく試合に使われる刃のつぶれた剣だ。


「あなた、まだあいつをタイマンしたことないでしょ?」

「……はい」


 ルークは強く剣を握った。


「任せた」


 ミレディアの言葉に背中を押されるように、ルークはその扉を後にした。





 そのあとはずっと、なにもない空間が広く続いた。彼の景色ある精神世界はとても狭い。未だに彼の大部分が空白のままで、世界を広げようとはしてこなかったのだろう。好きな風景や気に入った店、思い出の旅先。そんな当たり前のように転がっているような些細なものが一切ない。大きく輝く玉は持ち続けても、粒はすぐに捨てて忘れてしまうのだろう。物にまったく執着しないから、彼の部屋はつまらないのだとシアから聞いたことがあったが、こういう彼の質が影響しているのだと思われる。

 ルークも物をあまり持たないが、それは居住を持たないゆえの習慣であって執着するときはする。部屋を持つ今は娯楽でしかない漫画を買って楽しんでいるし、とある漫画市で知り合った作家のお嬢と文通するくらい趣味だって増えた。


 彼にはそれすらない。なにか楽しみで生きているのか、精神世界を歩いてもまったく見えてこないくらいには、空白だ。


 ひたすらになにもない空間を歩いて、そしてたどり着いたのはきっと果て。

 最後の扉だとルークにはわかった。

 ここに、彼はいる。


 一呼吸いれて、ルークは重い扉を開いた。


 そこはとてもひんやりとして薄暗かった。壁は石造りで、ものがほとんどないが鎖と机と椅子が置いてある異様なこの場所は、牢獄であると悟った。

 その場にまったく似つかわしくない彼が、壁にもたれかかるようにして座っていた。顔はうなだれていて、見ることはできない。牢獄ではあったが、彼は鎖に繋がれているわけではなかった。ただ、自主的にそこに座っているようだった。


「……扉、開いてますよ」


 そう声をかけると、ぴくりと彼が反応した。ただ、顔はあげなかった。


「鎖も繋がってない、誰も見張ってもいない。なのにあなたはずっと、そこでそうしているんですか?」

「……ルーク?」

「はい、俺です」


 ようやく顔を上げた。綺麗な顔、男のルークでもうらやましいくらいにかっこいい。でも、今はそれに疲れの色も濃くあった。


「なぜ、ここに」

「あなたを連れ出すために。みんな待っているので」


 ベルナールはもたれかかったまま、ルークの顔を見上げた。その表情はとても懐かしいものを見るような遠い目をしていた。


「……少し予想外だったかな」

「シアが来ると思ってました? 残念でしたね」

「いや、違う。実は……君でほっとしている。ほっと、してしまっている」

「情けない顔っすね」

「かお? なさけないかお、か。鏡があったら見てみたいな。俺がどんな顔をしているのか」

「想像できませんか?」

「わからないんだ。自分の顔が」


 ルークはベルナールの傍に歩み寄って、しゃがんだ。座った彼と目線が同じになる。同じ高さになった、彼の『わからない』顔をじっと見つめた。


「銀色のさらさらの髪に、翡翠の瞳、白い肌、綺麗に整って人としてより美術品みたいな造形」

「……人形みたいか?」


 ルークは首を振った。


「人形はこんな情けない面しないんで」

「酷い言いようだ」

「俺は、あなたと会ったときからあなたを人間だと思ってましたよ。俺を気にかけたり、シアとのデートをつけてたのをからかって遊んだり、季節の行事に参加してくれたり。全部、あなたにとってはどうでもいいと思えるものばかりだったはずだ。でも、実際はそうじゃなかったじゃないですか」


 ベルナールはルークから視線をはずしたりはしなかった。それはルークを鏡として、なにかを確かめるような視線だった。


「あなたは笑ってましたよ。愛想笑いなんかじゃない、子爵ともまったく違う笑顔で。ギルドに来るとき、あなたはいつもどこかわくわくしてましたね。俺が稽古に騎士団を訪ねてきたときもそうだった。容赦なく俺をぶちのめしたときだって、いきいきとしてましたよ。そんなあなたを誰が人形だと思いますか」


 ルークはシアとはまた違った付き合い方をベルナールとしている。だからシアからは見えない側面をルークは垣間見ていた。ベルナールは基本かっこいいが、ルークと稽古をしていたり、ルークをからかっているときは少しだけ子供っぽかったりお兄さんぶったりするのだ。


「間違っていたんだ、最初から」

「……なにを」

「兄の模倣などせずに、ただ人形のままでいればよかった。役割を演じて、そのまま退場していればこんなことには」


 ルークは、ミレディアの言葉を思い出した。思い出して、思い切ってベルナールの胸倉をつかんだ。ちょっとだけ勇気がいったが、ルークも多少腹がたった。


「俺の認識が甘かったかもしれないです。さすがに付き合いの長いミレディアさんにはかないません。あなたなら放っておいてもちゃんとシアを守る騎士に戻ってくれると」


 その言葉にベルナールの瞳は動揺したように震えた。その意味をルークは嫌というほど知っている。『恐怖』だ。力を込めて、強制的にルークはベルナールを立たせた。そして、剣を渡した。


「剣をとれ、ベルナール。今度こそ……勝負を申し込む」


 ルークの手にはすでに、もうひとつの剣が握られていた。


「今はもう、絶対に見極めをあやまらない。あなたはどうなんだ」


 少し、声は震えていたかもしれない。でも、ここでやらなければもう取り戻せないと思った。剣をとってくれるかは賭けだったが。


「見極めを、あやまらないように……か。少し、懐かしいな」


 ベルナールは苦笑すると、剣をとった。


「あのとき、迷っていたのはお前だったが……。今の俺は、お前と剣を合わせるにふさわしい存在だろうか?」

「あなたはいつだって俺の目標で憧れで、倒したい強い騎士です! 今このとき、あなたの心がどれほどもろく崩れ、揺らいでいたとしても俺の気持ちはなにも変わらない。あなたに勝つも負けるもいつだって真剣一本勝負。試合、よろしくお願いします!!」


 深く頭を下げ、どこまでもまっすぐなルークの言葉に、ベルナールの揺らいでいた翡翠の瞳に光がともった。


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