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□44 見極めを、あやまらないように(sideルーク)

 気が付いた時には、ルークはなにもない白い空間に佇んでいた。

 咄嗟の反応だった。悪魔となってしまったベルナールからシアを庇って、それからどうなったのだろうか。あのままでいればルークの体は無残にも切り刻まれてバラバラになるだろう。

 しかし、ルークは自分の死の気配を感じなかった。感じはしなかったが、逆に生身の肉体でもない感覚があった。これは俗にいう精神世界というものだろう。世界を渡るとき、同じような感覚になるから、なんとなく覚えがあった。

 彼の剣と偽の聖剣が打ち合った瞬間だった気がする、この世界に入ったのは。


 ならここは、自分の精神世界というよりはもしかしたら『彼』の精神世界かもしれない。

 それにしても……。


「なんにもないな……」


 人の精神にはたくさんの物事が広がり、転がっているものだった。夢のようなところで並行世界を渡り歩くときのように煩雑で意味不明なことが多い。しかし彼の精神世界と思われるここには本当になにもない。白く、ただ真っ白な空間が、奥もなく、上も下もわからないような一色で覆われていて、煩雑な世界よりもなぜか頭が痛くなった。


 人形。


 ベルナールの正体が告げられたとき、ルークはとくになにも思わなかった。あの人はいつだって良き人であろうとしていたし、こちらのことをよく見てくれる人だった。なら、それ以上に彼を評するものなどルークにはない。自分にとってベルナール・リィ・クレメンテとは、強くて頼もしくかっこいい憧れの騎士で、心のライバルである。

 だからこそ、なにも思わなかった。今後も彼に対してなにか態度を変えることもない。


 果てしなく続くような白い世界は、まるで穢れを知らない赤子のようだ。彼の生きてきた年月を考えれば、ただ白いだけの空間は本来ありえないものであるはず。彼の『心』は必ずどこかにある。ルークには確信があった。感情もない、なにも抱かない人ならば、すべてが誰かの模倣でしかないのなら、ルークは彼に憧れたり嫉妬したりしなかっただろう。


 はじめて彼にあった日のことを思い出した。

 すべてが衝撃的で、一目で絶対にかなわないのだと思ってしまった。それほどまでに強烈な思い出として記憶に残っている。

 必死で彼の背中を追いかけ続けた。

 悔しくてなんども泣いたし、手も血まみれになって痛かったし、騎士団で稽古をつけてもらったときも容赦なくボコボコにされもした。

 それでも彼の背中を追いかけ続けたのは――。



 導かれるように進んだ先にひとつの扉があった。

 迷いなく、ルークはその扉を開いた。


 そこには美しい庭園が広がっていた。白い薔薇が咲いていて、小さな白亜の東屋がある。少し奥の方に豪奢な建物があって、それはいつも遠くから見ているラディス王国の王城の様式にすごくよく似ていた。彼はよく出入りしているだろうし、精神世界の風景に城の中があってもおかしくはない。

 すごく綺麗なところだ。

 たぶん実際も綺麗なところなんだろうが、ここはあまりにも綺麗すぎる。建物は劣化するし、外ならば土やほこりでだいぶあせる。でもここは精神世界、記憶の中の大切なものは色あせず、そしていくらか美化されるものだ。彼にとってここは、本当に汚したくない記憶なのだろう。

 この場所の中で一番目立っていたのが東屋だ。ここがきっと彼の一番……。


「キミ、だーれ?」


 東屋をのぞきこんだら、逆に中から誰かに顔をのぞきこまれた。


「うわ!?」


 精神世界に人がいることは珍しくない。その世界の主が、大切にしているのなら人でも物でも風景でも思い出でもなんでもありだ。


「おもしろい顔~」


 ぷークスクスと意地悪そうに笑う少女の顔に見覚えがある。

 ……13歳くらいのシアだろう。いかにもいたずらっこそうな見た目で、驚いたルークの顔をつんつんする。物怖じしない。


「こらこらシア、初対面の人に失礼なことをしてはいけないよ」


 顔をあげれば、椅子に座った美しい貴公子がお茶を飲んでいた。彼の姿は記憶にすんぶんたがわないクレメンテ子爵だった。

 ここにこの二人がいるのは当然だろう。あきらかに彼にとって大切な人間だ。


「は~い、お兄様」


 ちょこんと子供シアは子爵の向かいに座った。テーブルの上にはお茶菓子セットがあって、湯気が立つ紅茶が二組。甘いお菓子が好きなシアらしいチョイスだ。


「あ、そーだ。赤い髪のおにーさん、ベルナール様を知らない?」

「……いないのか?」

「そうなの! いっつもいないの。お兄様とずーっと待ってるのにいつまでたっても来やしない。いつだって迎え撃つ準備はできてるのに!」


 迎え撃つ?

 疑問に思ってぷんすか怒る彼女を見ると、その手にはいつの間にか長いひもが握られており、その先には天井につるされた水バケツがあった。ひっぱったら落ちる仕組みだろう。

 ……え、まさかシアお前……。


 あまりにも想像がたやすい光景だったせいで、ルークは笑ってしまった。


「な、なんで笑うのよ!? いっとくけど成功してるんだからねっ、一回だけ!」


 絶対一番最初の不意打ちの瞬間だけの一回だろう。じゃなきゃあの人をはめられない。ベルナールは優しいと見せかけて、わざと罠にはまることはあまりしない。ことさらシアには手厳しい一面もあるし、いっぱい作戦をねって作った罠をにこにこしながら乗り越えてるんだろうな……。


 シア虐を存分に楽しんでるふしあるからなぁ、あの人。


 シアのギルドに入ることになったあの日、ルークは決意したことがある。このギルドと彼女をしっかりと守り抜こうと。自分の居場所を守るだけじゃなく、自分に人としての道を示してくれた彼女の支えになりたいと。

 ギルド大会の時も、今回も、何度も俺の背中がちゃんとあると言ってきた。いつも彼女は忘れてしまうから、俺だってここにいるんだとずっと。

 忘れられたくなかった。

 役に立っていたかった。じゃなきゃ、俺がここにいる意味がないような気がしてしまうから。


 なけなしのそんな決意(プライド)が、たまに邪魔をして余裕がなくなる瞬間がある。ポラ村の事件のとき、ギルドを守るのはあんたじゃなくて自分だとベルナールに焦る感情を押し付けたことがある。勝負を申し込むルークに、彼は応えなかった。

 その理由は、あとでルーク自身が身をもって知ることになる。


「見極めを、あやまらないように……か」


 思えばずっとその言葉が心のどこかに重く突き刺さっていた。それはひとつの戒めであり、後悔だ。結果的になにも失わずにすんだとはいえ……ルークは知っているのだ、ありえた可能性の世界を。

 いつだってたやすく道を見失う。願いや思いはとっくの昔に決まっているのに、(わら)ってしまう。


 あなたが迷うことが、あるのだろうか。


 ルークはふとそう思って、歩き出した。彼の大切なものを背に遠く、遠く『逃げ出した』彼の(こころ)を追う。

 ルークは、自分の中にある渡りの力を使いこなしていることを不思議に思わなかった。

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