☆26 だから、強くなる。
朝、目覚めると同室のおっさんがいなかった。
ルークは寝ぼけた眼を擦りながら、ふと外を見ればレオルドが乾布摩擦している姿が映る。
……朝から健康的だな……。
大きな欠伸をひとつ、のんびりと支度を済ませてからもう一度、外を見るとおっさんの隣でシアが準備体操していた。
……あいつも元気だな。
シアの朝が早いことは知っている。いつも自分が起き出す前に台所に立っていて、美味しそうな匂いでルークは目覚めるのだ。それがとても幸せなことだと知ったのはシアのギルドに来てからだった。
親がいた記憶はある。だが、あまり良くはない記憶だった。毎日のように殴られて、怒鳴られて――愛された記憶など一切ない。いつの間にか、ルークは一人ぼっちになっていて浮浪児としてストリートをうろつくことになったのだ。
毎日が地獄だった。生きるのに必死だった。
優しい顔をした人が、優しい人だとは限らなくて。危うく甘い言葉に踊らされてどこかへ売り飛ばされてしまうところだった時もあった。そんな危機を乗り越えるたびに、色々なスキルが身についていってなんとかここまで無事に生き延びた。
自分の価値とはなんなのか。
自分が生きている意味とはなんなのか。
時折、ルークはそんなことを考える。
泥水を啜るような日々に、いったい何の意味があるのかと。
シアと出会って、それがなんなのか少し分かったような気がした。
一人、たった一人でもいい。自分を必要としてくれる人がいるのならそこに意味はあるのだと、思えるようになった。
シアは恩人だ。
居場所をくれた。家族をくれた。暖かい意味をくれた。
自分に剣を扱う高い才があるのなら、誰かを守れる力が手に入るのなら。努力を惜しまない、絶対に強くなって力になってみせる。
そう、思った。
鏡を見て、もう一度自分の姿を確認した。
浮浪者時代は、身だしなみなんか気にしている暇はなかったが今はギルドのメンバーとして恥ずかしくない見た目は必要だと思っている。
ボサボサな赤髪はようやく短く切ってさっぱりして、よく食べて栄養をつけ、鍛えて筋肉も作った。おっさんみたいになるにはまだまだ時間はかかるだろうが、あの立派な筋肉は憧れだ。老師のシゴキで両手は固く剣ダコまみれだが、これはこれで頑張っている勲章みたいなもんだろう。シアが気にして薬と保湿クリームを塗ってくれるおかげでそこまで酷くはなっていなかった。
昔の自分より、だいぶマシ。
ルークにとって、一番怖いのは今の家族を……ギルドを失うことだ。
一度、最高の幸せを知ってしまったら、それを失うのがとても恐ろしい。なかった時になんてもう戻れない。失って一人、外に放りだされたのならもう孤独に生きていける気がしなかった。
だから、強くなる。
誰よりも、なによりも強くなって――守る。
それが、ルークが密かに胸に抱いた『誓い』だった。
実際、ルークはとても努力した。
老師の厳しいシゴキに耐えて、老師自身から『ここまで音を上げず、這ってでもついてきたのはお前さんがはじめてじゃよ』と驚かれたくらいだ。イヴァース副団長や、ジュリアスなども師事していたはずだから、ルークの根性はそれ以上にずば抜けていたのだろう。
その根性に比例するようにルークは、メキメキと実力をつけた。エリートと呼ばれる王国騎士団の訓練に放りだされて模擬試合をし、良い試合をするまでになっていた。一本もぎ取れた時もあった。
だから、自信を持てた。
もっともっと強くなれると、どこまでも行けるんだと思った。
そんな時、ベルナールと会えたのは幸いだったのかもしれない。
彼が貴族であったことは、少々驚きはしたものの納得もした。はじめて会った時から、どこか平民とは違う格というか気品があったし、所作も綺麗だったから。カッコよくて、強そうで、高い身分も持っている。完璧な男。なにもかも自分とは違う存在に、とても眩しく思った。
それとは裏腹に、羨ましくて――――妬ましいとも思った。
老師との修行の中で、老師は『頭の中に仮想の敵を作るといい。気合が入る』そう言われて真っ先に出てきたのはベルナールだった。
無謀なことに彼に勝ちたいと思った自分がいたことにルークは驚いた。
でも、同時に腑に落ちた。
越えられない存在と思いたくない。彼は越えるべき壁なんだと思った。
だから力がついてきた今、どこまで彼に通用するのか確かめたかった。あわよくば一本とれるかもしれないとも思った。だが残念なことに彼は忙しくて断られてしまった。
――今の俺なら、一本とれるかも。いや、とってみせるんだ!
気合が空回りした感が否めないモヤモヤが残る中、ベルナールの放った言葉はルークを少し悩ませた。
『――見極めを誤らないようにな、ルーク』
なにを言われているのか、ルークはよく分からなかった。
学校にも行けておらず、頭が悪いことは認めるところで難しいことを言われても理解ができない。だが、忘れてはいけない言葉のような気がして胸の奥にはずっと引っかかって宙ぶらりんしていた。
「じゃあ、行って来るわね。リーナをよろしく」
「ああ、任せろ」
朝日が昇って、辺りが暖かくなってくる頃、シアとレオルドは聖獣の森へと出発した。
ルークは、若干寂しそうなリーナと一緒に二人を見送ってのんびりと宿の朝食を食べた。今日の朝食メニューは牛の乳と柔らかなパン、それに木苺のジャムを乗せたものと新鮮な葉のサラダ、クルコ鳥の朝採り卵を焼いたものとベーコンだった。ものすごく田舎の小さな村だからと宿にはあまり期待していなかったのに、意外にもおいしくておかわりしてしまった。宿のおばさんは気が良くて、おかわりに笑顔で対応してくれる。シアが多めにお金を置いていっているのもあるんだろうが、村の人達は良い人達ばかりだ。昨日はおっさんと組んだ為、怖がられて警戒されてしまったが追い払われるようなことはなかったのだ。それだけで概ね良い村といえるだろう。
リーナは食べるのが遅いので、ルークが三回目のおかわりを終えると同時に食べ終わった。
村の人達が外に出て賑わいを見せてくる時間帯にさしかかって、ルークとリーナはシアに言われた通り二人で再び情報収集へと出た。
小さな家を通りかかった時、リーナは何かを見つけてルークの手を引っ張った。
「あの、おにーさん……」
「どうした?」
彼女の視線の先には、一人の騎士と真剣な表情で会話している夫婦と婦人がいた。
そういえば、とルークは思い出す。シアとリーナは昨日、子供が行方不明になったという家族に会ったのだった。あの騎士は恐らく連絡を受けた地方騎士だろう。
ルークは心配そうに見つめるリーナの頭を軽く撫でた。
「大丈夫だ、地方騎士が来たなら子供もすぐ見つかるさ」
「……はい」
しかし、子供の捜索に来た割に騎士一人とは……人手が足りていないのだろうか?
ルークは若干気になりつつも、リーナの手を引いて情報を集めに歩き出した。
今日はリーナが一緒だからか、昨日のようなことにはならず比較的順調に村人から話しを聞けたが、シア達が集めてきた情報以上のものはでてこない。
お昼も過ぎた頃だったので、リーナを誘い宿に戻ろうと――そうした時だった。
「きゃあああぁぁ!!!!」
のどかな村に相応しくない女性の甲高い悲鳴が響き渡った。
それはすぐに伝染するようにあちこちから上がり始める。ルークは咄嗟にリーナを抱き上げて走り出した。状況を確かめようと、悲鳴のする方へ向かうと。
「――なん、だ?」
それは黒い靄だった。
一塊になって、レオルドほどの高さの楕円形に伸びている。それが歪に形を変え、村人を襲っていた。大人は呑み込まれると、ぺっと吐き出され力なく地面に倒れた。そして子供は――。
「おがあさぁぁん」
呑み込まれ、吐き出されて動かなくなった母親にしがみ付く幼い子供に黒い靄は襲いかかった。子供はなすすべもなく呑み込まれ、そのまま出てこない。
――大人は吐き出されるのに、子供は呑み込んだままなのか?
ルークは異常事態を目にし、リーナを家の物陰に隠した。
「いいか、リーナここに隠れて動くなよ」
「は、はいです……」
恐怖に震えるリーナを置いて行くのは不安だが、このままでは大事になってしまう。ルークは剣を抜き、再び村人を襲いはじめた黒い靄に向かって行った。
黒い靄は、聖獣の森に現れるはずだったがどうして村にまで現れたのか、そんなことは分からない。これが瘴気とやらならシアが戻って来るまで対処は難しいはずだ。
ひとまずは、なんとか村人を逃がすところまでできれば。ルークはそう思い、黒い靄を牽制しようと動く。
「ここは俺がなんとかする! 早く逃げろ!」
大きな声を出し、村人達を走らせた。
対峙した黒い靄は近くで見ると結構大きい。触れるとヤバいということは聞かされていたので、ルークは生身に当たらないように気をつけながら間合いをとった。
黒い靄は、ルークが簡単に呑み込まれない存在と悟ったのか、村人達に対するものとは明らかに違う行動をとった。
――ぺっ!!
吐き出すかのような形をとると、べしょっと何か黒いドロドロの固まりがそこから現れた。
ズズ……ズズ……。
這うような不気味な音が聞こえる。
しばらくするとそれは二足歩行で立ち上がり、鋭い牙と爪をむき出しにして吠えた。
……見た目は、ずるずるに溶けたドロドロの熊。
酷い悪臭もした。
まるで昔話で見た、不死人――ゾンビのようだ。
ルークは見たこともない化物に剣先を向ける。
得体のしれないものだが、不思議と恐怖はあまり湧いてこない。
厳しい修行もやって来た、強くなってきたと褒められた、エリートの王国騎士からも一本とれている。今は一人しかいないが、一人でも勝てる。
――勝たなくちゃいけない。
その気概で、立ち向かった。
王都の近くの森の魔物にも、リーナの母親を護衛していたあの男も、そして色々な依頼で対峙した敵も倒して来た。
大丈夫だ、俺は強くなった! リーナも村人も皆守れる!
強く地面を蹴り、化物に向かって剣を振った。
一閃は化け物の胴を切り裂いた。
――やったか!?
ルークの素早い動きについていけない様子の化け物は、まともに一撃を受けた。胴に深い傷も負った。だが……。
低い雄叫びをあげると、太い腕と鋭い爪がルークを襲った。
動きは、遅い。
余裕で避けられはしたが、化物がえぐった地面は悪臭を放ちながらドロドロに溶けた。
鼻につく臭いに、頭がクラクラする。
もしかしたら毒が含まれているのかもしれない。袖で口元を抑え、化物から距離をとる。剣が溶けないのはなぜだろうかと、考えたがそういえば装備を整えた時にシアが言っていた。
『ルークの剣、普通の鉄の剣なんだけど丈夫にしといたから』
『丈夫に?』
『そう、ちょっと特別な呪文でね。知り合いに頼んで強化してもらったの。長持ちさせないと、ルークみたいにめちゃくちゃ使ってると劣化も早いしねー』
なんて話していた。
その知り合いとやらには土下座で感謝したいところだ。
「……傷、浅いのか?」
ルークとしてみればかなりの深手に見えるのだが。
しかし、動きはかなり遅いので自分の実力なら負けることはないはずだった。時間を稼いで、もしかしたらシア達が戻ってくるかもしれないし、でなくても村人を逃がせればこちらの勝ちだ。
そう慢心していた。
そのルークの背から、子供の泣き声が響き渡る。慌てて振り返れば、黒い靄が子供を今にも呑み込もうとしているところだった。
そうだ、悲鳴はあちこちから上がっていたんだ。黒い靄は一つじゃない――俺は馬鹿か!! ああ、馬鹿だーー!!
しかしドロドロ熊は動きが遅いとはいえ、こちらに敵意を向け襲ってきている。化け物を放っておけば村人に被害が出る。こちらの黒い靄も動き出すだろう。
ルークの身は一つ。
――ひとつしか、守れないのかっ!?
ルークの足に迷いが生じた。
その間に、家の物陰から小さな影が走り出していた。
「リーナ!?」
耐えられなくなったのだろうか、リーナはルークの言いつけを破り子供の元へと走った。そして手を掴み、引っ張ると二人で一目散に逃げ出した。黒い靄は呑み込み損ねた獲物を追って動き出す。
――くそ! リーナと村人どちらかを選べって言われたら――!!
ルークは、リーナをとるより他なかった。
だが黒い靄の動きは驚くほど速かった。ふわりとリーナ達の足元へすり抜けたかと思えば、二人は何もないところで転んだ。すり抜け様に黒い靄に足をひっかけられたのだろうか、転倒した二人は立ち上がる暇もなく黒い靄に囲まれる。泣き叫ぶリーナより小さい子供をリーナは守ろうとその腕にぎゅっと抱きしめていた。
こっからじゃ間に合わない! 一か八かだ。
ルークは、渾身の力を込めて剣をやり投げの様に投擲した。シアの知り合い特性強化版の鉄の剣は風を切り、ぶれることなく黒い靄に突進した。
しかしそれはするりと通り抜ける。的を失くした剣は無様にも地面に突き刺さっただけに終わった。
「りぃなあぁぁぁ!!」
ルークの悲痛の叫びも虚しく、大きく口のようにぽっかりと空いた黒い穴にリーナと、幼い子供は呑み込まれた。大人の様に子供は吐き出されない。そのまま黒い靄はまん丸い形になった。
ルークは駆け抜け、剣を手に取ると黒い靄に向かった。
剣と同じように通り抜けるだけかもしれない。けれど、なにもしないわけにはいかなかった。あの中に、リーナがいるのだから。
しかし、ルークは黒い靄に辿り着くことさえも許されなかった。
『がああぁぁぁ!!』
鼻につく異臭と獣の雄叫びと共に太い腕が振り下ろされる。
「ぐっ――!!」
咄嗟に避け、ルークは地面を転がった。
ドロドロの熊の化け物が、丸くなった黒い靄を守るように立ち塞がる。
「くそ! どけよっ」
怒りの叫びを喉から響かせ、ルークは剣を化け物に向かって振るった――が。
化け物はルークの剣を掴み、ドロドロの血を流しながらも剣ごとルークを投げ飛ばした。
凄まじい威力で投げ飛ばされたルークは、積まれていた木材に音を立てて突っ込みぐったりと倒れた。なんとか立ち上がろうと手を伸ばしたが、背中に激痛が走り叶わない。
――なん……で……。
化け物の動きは、明らかに先ほどより速くなっていた。
どうして動きが変わったのか、分からない。
分からないが……。
剣、俺の剣は――。
ルークは剣を探した。少し遠くに剣が転がっているのが見えた。
必死にそれに手を伸ばす。
けれど、その手が剣に届くことはなく。
『おにーさん』
リーナの声が聞こえたような気がして、そしてルークは暗闇へと意識を手放したのだった。
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勝てると、思っていた。
一人でも、シアの力がなくたって強くなった気がしていた。
そんなのは、ただのうぬぼれだったというのに。
頑張って、褒められて、どこかいい気になってたんだ。
自分の力なんて、まだちっぽけなものだったのに。
『――見極めを誤らないようにな、ルーク』
誤った。俺は、自分の力を見極め損ねた。
リーナ一人、守れずになにが――――皆守る……だ。
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ガンガンと痛みが走る頭に、重い瞼がゆっくりと開いた。
視点が定まってくると、ルークは自分が柔らかなベッドに寝かされているのだと気が付く。
「――ここは?」
「ルーク!? 気が付いたのね!」
「痛むとこはないか!? なんか飲むか!?」
声を上げれば、視界に飛び込むようにシアとレオルドの顔が映る。二人は酷く心配そうな表情をしていた。
「俺……どうして」
「まだ喋らなくていいわ。ゆっくり体を休めて。ヒールはかけたけど酷い怪我だったんだから……」
「――っ!」
シアの言葉にルークの頭は覚醒し、はっきりと思い出した。
自分が、化物達に敗れたことを。そして――。
「シア……リーナ……は?」
その言葉に二人の表情は悲痛に歪む。
それだけで、あの出来事は夢なんかじゃなかったんだとルークに現実を突きつけた。
申し訳なくて。
情けなくて。
家族に合わせる顔がなくて。
ルークは、声を押し殺して泣いた。




