□37 仲良くしてやってね
「ねえ、シア。私とベル君ってどのくらい似ているだろう?」
それは私がシリウスさんを失い、城へと拠点を移してしばらくした日の出来事。ベルナール様が私の世話係になって、彼の兄であるクレメンテ子爵と会話することが増えた。クレメンテ子爵は優しくて紳士的で、それでいて凝り固まった貴族という概念を壊すほどのユーモアさを持つ方でもあった。だからこそ私は彼に親しみすら覚えたし、口には出さなかったが家族に甘えるように懐いていた。
「兄さまとベルナール様の似ているところ……ですか?」
「そう」
彼から自分を『兄』と呼ぶようにねだられて折れてから私はしばらく彼を『兄さま』と呼んでいた。さすがに彼が子爵をついで私が魔王討伐の旅に出た後はクレメンテ子爵で通しているけれど。
見事に紅茶とクッキーの組み合わせに一本釣りされた私は城の敷地内にある貴族が集まるサロンの庭で彼に付き合いお茶をいただいていた。そんなときに出た不意の話題だったのだ。
「顔の造形以外は……あんまり似てないと思います」
「……ふふ、そう」
微笑むその顔はとても美しい。木漏れ日の下でキラキラと輝く光の粒は彼の美しさを表現しようと一生懸命に舞っているようにすら思える。一目見たときは女性かと思ったくらい線の細い貴公子だが、実際はとても強い(物理)であることはすぐに知った。手のひらほどもある幼虫を素手で捕まえて「貴重な栄養素を含んだワームだ! 見た目のわりに焼くと鶏肉のようにさっぱりとしたおいしい味がするよ」と意気揚々と教えてくれた。私は「へー」って感じだったが、隣にいたベルナール様は気絶した。
「なぜそのようなことを?」
「うーん、よく周囲の人達に私達は瓜二つ、双子のように挙動も似ていると言われるんだよね。私はそう思わないから不思議だったんだ」
「そうなんですか? 兄さまは意地悪しないですし、からかってきませんし、皮肉も言いませんし……むぅ、だんだん腹がたってきました」
「意地悪? ベル君が?」
「そーなんですよっ、もう聞いてください兄さま! 昨日なんて~」
私の愚痴は延々と続いたが、弟が悪く言われているにも関わらず子爵はずっと楽しそうに私の話を聞いていた。彼にとっては弟と小娘が突っつきあいの可愛い喧嘩をしているようなものだったんだろう。私は話し終えると決まって彼は笑顔で。
「これからも弟と仲良くしてやってね」
と言ってきた。あのときは、私はベルナール様と仲良くなれる気があまりしていなくて、心中は「えー」って感じだったのだが、その言葉を口にしたときの彼の顔が微笑み以外の、まるで懇願しているかのような切ないものも混じっていたような気がしていた。だから私は、それにいつも頷いていて。
気が付いたら、長い付き合いになっていた。
いたずらして怒られて、仕返しされて笑って。
令嬢たちとのキャットファイトではトラウマ級のぶちギレをされ。
魔王討伐の旅の前夜、不安で仕方がなかった私の隣に座っていた。
クレフトとうまが合わなくて感情に振り回される日々の中、こまめに送られてくる彼からの手紙だけが楽しみだった。
いつの間にか、笑わない騎士は笑うようになっていて。
いつの間にか、分け隔てなく紳士的に振る舞う彼が私にだけは意地悪するようになっていて。
いつの間にか、自然と傍にいるようになったあの人は。
兄のように思っているのだろうか?
家族のように思っているのだろうか?
……。
……。
私は一度、ベルナール様の手を握ろうとしたことがあった。
シリウスさんがいなくなって、司教様とも離れて、夜の闇がとても怖かった。甘えられる人が欲しかっただけかもしれない。近くにいたのがベルナール様だったからというだけかもしれない。
もしも。
もしもあのとき、手を伸ばした先にいた人がクレメンテ子爵だったのなら、しょうがない子だねと微笑みながら温かく手を握り返してくれたのだろう。だけどベルナール様は。
ベルナール様は、身を引いた。
手をとってはくれなかった。
私はあのときの彼の顔をよく覚えている。たくさんの人の顔を、顔色を見てきた。だからはっきりとわかった。あれは、『拒絶』と『恐怖』だった。
私はそれから彼に手を伸ばしたことがない。手をとってもらえなかったことがショックだったわけじゃない。私が手を伸ばしてしまったことで彼を傷つけてしまった自分が赦せなかった。あんな顔は二度と見たくない。あの顔の理由を私は長らく知ることはできなかったが、存在を消されたと弟のことを知ってからは、察することができた。
きっとあの瞬間、ベルナール様は私とリクを重ねてしまったんだろう。助けることができなかった弟への罪悪感は今もひどく彼を苛んでいる。
「弟を頼む」
聖教会へ出向くとき、子爵は深く頭を下げた。助けに行けない己の立場を彼はどれほど恨んだだろうか。私はその気持ちにこたえたくて、依頼を受けた。色々なことがあったけど、もう少しで彼を取り戻せるのだと思っていたのに。
「ベルナール・クレメンテを討つ覚悟を決めた方がいいかもしれぬ」
おばあさまの言葉が思いのほか私の心をえぐっていた。
そもそも、なぜベルナール様が深い眠りから目覚めなかったのか、その理由もはっきりしないまま。
「シア!」
「っ!」
大きな声で名前を呼ばれて私はハッとした。
私達はすでに地下通路から城へと潜入しようとしていた。
「なにぼーっとしてるんだ? もう次の扉にたどり着く、いつでも戦える準備をしとけって副団長に言われたろ」
ルークの鋭い声音に、私は頬を叩いた。
「ごめん、集中する」
「……ベルナール様のことか?」
ルークの顔は険しかった。大事な作戦中に考えることではなかったと反省したが。
「俺もちょっと心配だけどさ。でも、ベルナール様は大丈夫だと思う」
「ルーク」
「今大丈夫じゃなくても、シアが行ったら大丈夫になる。ベルナール様はそういう人だと思う」
どこか自信のあるような顔だった。
「なんで私が行くと大丈夫になると思うの?」
「……え?」
「え?」
私のアホ面にルークもぽかんとした。
そして。
「え、えっと! あれだ、それ!」
「なに?」
「ベルナール様は――シアの騎士だからだ!」
それはずいぶん前の話だけど……。
――来ないで。
「!!」
恐ろしいほどの拒絶の声が頭に響いた。
これは……。
――来ないで。来ないで。
――あなたはダメ。あなたは嫌い。
アルベナの……声が……。
怨嗟のように響く。
――あなたは死神。彼の死神。
――あなたが彼を殺すだろう。
「ベルナール様は絶対、シアを待ってる!」
耳が、痛い。頭が割れる。
ルークの勇気づける声と。
――お願いよ。もう、彼を忘れて。
泣き叫ぶようなアルベナの拒絶の声が。
交互に。
交互に。
「あ……ぁ……あぁ」
「シア?」
「お姉さま!!」
様子がおかしくなった私の顔を心配そうにのぞき込もうとしたルークを押しのけてリゼが私の両肩をつかんだ。
「アルベナの念に呑み込まれないで! 拒絶を恐れてはダメっ」
拒絶されているとわかっていて、どうやって進めばいいのか。笑顔で手をとってくれる人のところへ行きたいと思ってはいけないのだろうか。嫌いだという相手を同じように嫌えれば楽だ。私とクレフトがそうして壊れたように、嫌って逃げてしまえばいい。
人生は、自分と考えの合う、居心地のいい人と場所と共に歩むべきだ。他人の考えを変えるのは自分の考えを変えるより難しく苦しいのだから。
それが人付き合いのやり方だ。
「お姉さまは、あの人とそうなってもいいの? 離れて、永遠に会えなくなっても後悔はない?」
私は家族が欲しかった。
あったかい、理想の家族が。
私を拒絶しない、受け入れてくれる安心できる居場所が。
「……吐きそう」
「吐いていいわよ。みっともなく吐いちゃって。私もこの間そうしたの、吐いて勇気を出した。私はこれから先を生きたいと思えたから。それはお姉さまたちのおかげだから。いっぱい、がんばれる」
リゼの道はもうまっすぐに先へと進み始めている。すごい子だ。
私は思いっきり吐いてしまった。泣きながら吐いてしまった。
「姉ちゃん、大丈夫そう?」
少し遠くからアギ君の心配そうな声が聞こえた。
「シアは抱えるものが多いからの。根性の出しどきじゃろ、つーかここまできて引き返すこともできんからの、ここは心を鬼にしてケツ叩かんと」
ペルソナおばあさまの厳しい声も聞こえる。リゼが気が付いたようにおばあさまもたぶん、アルベナの声に気が付いているだろう。それでもケツを叩くと言っている。
「なあ、シア。俺にはアルベナの声なんか聞こえねぇけどさ」
ルークがちょんと背中合わせにくっついてきた。
「ギルド大会のときにも言ったろ? そしてそれからずーーーーーっとマジで言い続けてる。お前は聞き流してるかもしれないけどな」
それは……なんだったっけ。
「お前の背中にはなにがある」
「……あ、あぁー」
あったかくて、広くて大きい、たくましい背中がある。
「お前は聞いてるようで聞いてないし、わかってるようでわかってない。お前の背中にはずっと俺がいるし、それが俺の誇りだ。ギルドの最初のメンバーになって、剣士になって、そのあとも情けなく泣いたこともあるし、悔しくてのたうちまわったときもあるし、見損なわれたくなくて意地をはるときもあった! そして今も必死にここにいる。この背中だけは絶対に誰にも譲らない。お前にもだ」
リゼがえーいっと私を押し倒すように肩に力をいれて、私はこてんとルークの背中の上に乗るような形になった。
「えーいっ」
もう一声リゼが気合を入れて私とルークの合わさる背中に自分も乗っけた。
その様はもうおしくらまんじゅうみたいだ。
「私も乗るから、しっかり支えて。落とさないで」
「任せろ」
私とリゼの体重が傾いてもルークはびくともしない。ギルド大会のとき以上にがっしりしている気がする。そうか、あの大会から半年以上は過ぎているのか。
二人の体温があったかい。
リゼの言う通り、取り返したいのなら私は拒絶と向き合わなければいけない。
ああ、半生のうちにこんなにしんどいことが連続することありますかね。
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「なんか姉ちゃんたち、おしくらまんじゅうはじめたけど。あ、リーナも参戦した」
「おっさんも参戦したーい」
「あっちはアオハル中じゃろ、年寄りは若者のために道を切り開かんとな」
「俺は若者どころか未成年だけど」
「あっちに混ざりたかったかの?」
「ううん、遠慮する。ほい、風読みで先のマッピング終わり」
アギによって描かれたマップはヒースが入手したマップとほぼほぼ合致する。
「風は無形でどこまでも吹いていく。こういう地形調査にはぴったりの属性ですな。いやぁ、天才風使いがいてよかった、吾輩楽ちん」
「誉めてくれるのはうれしいけど、もうちょい仕事してよ。ほらほら、ヒース兄ちゃんが手に入れたマップとここ違うじゃん」
「おそらくこのあたりに仕掛けがあるのでは?」
先の道に以上がないかアギとヒースが調べている中、イヴァースは険しい顔でシアを見つめていた。その背を力強い手が叩く。
「イヴァース、お前が思い悩む必要はない」
「グウェン殿……俺は悔しいのです」
「……イヴァース」
「俺は、多くの事実を知っている。他は予想になってしまいますが、ほとんどは大きく外れていないでしょう。だが、それをシアに直接話すことはできません。あなたにも」
「わかっている。レヴィオスとシリウスを見守ることを決めたときから、あの子らにまとわりつく運命をわしは受け入れ支えていく覚悟はできているのだ」
グウェンは胸を抑えた。
「ガードナーがレヴィオスを連れて離反したときから、すべての運命がここに集約するようにできていたのかもしれん。レヴィオスは世界を滅ぼす狂王であると占われた、裏付けるようにあれにはとてつもない能力がある。だが強大な力は本当に世界を滅ぼすものになるのだろうか? イヴァース、わしはレヴィオスの優しさを知っている。あれは、己のためには頑張れぬくせに、他人のためならば血を流すことをいとわない。だからわしは今でもあれをどこかで信じているのだ」
「……ええ、あいつの『父親代わり』であるグウェン殿はそれでいいのです。あなただけはあいつを信じていてほしい。だが俺は違います。俺はあいつの『仲間』です。仲間なんです! だからこそ、俺はどんな理由があろうとも娘を傷つけたことが赦せないのです!」
グウェンはイヴァースの絞り出すような苦し気な声に息が詰まった。そして、そっとそれを見守っていたペルソナは、ちらりとシアの近くの空間を見た。そこにはなにもない。だが、ペルソナにだけはそれが見えていた。
「……まあ、そう思っているのはアレも同じのようじゃの」
シアに寄り添っていたのはルーク達だけではなかった。シアにはもうわからないが、そこにはシリウスと二人の娘が大切なものを守るように傍にいた。




