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□34 幸せになる心(side:リーナ)

「……あれ?」


 気が付けばリーナは一人で別の空間にいた。アルヴェライトの空間転移でリフィーノ将軍のところへ跳ぶ、そういう話だったとリーナは理解していたのだが。


「おねーさん!? おにーさん、レオルドおじさんっ!」


 帝都が襲撃されている状況で、リーナも冷静ではいられなかった。誰もいない恐怖に耐えられなくて声をあげる。


「のんちゃん! シャーリーちゃん、リゼおねーさん……サラさん……アギおにいさん」


 いくら声をあげて名前を呼んでも誰も応えるものはいない。

 寂しい空間だと思った。闇にのまれそうな黒い空間で、果てしなく道が続いているような。霊山で一人だけはぐれたときともまた違った空気感だった。本当にこの世のものとは思えない冷えた世界。

 リーナは身震いした。


 ……まるで――あの世、のような。


 リーナには不思議な力がある。この世とあの世のはざまを見つめられる。まだあちら側にいけないさまよう者の無念さえ、見ることができた。


「あっ!」


 リーナは人の気配を感じて走り出した。気配を察知する能力はルークの方が高いし、実際にはリーナは人が物陰に潜んでいても気づけないことが多い。だが、死したものの気配に関しては誰よりも敏感だった。だが、リーナがその事実に気づく前にその気配のもとへたどり着いてしまった。


「あ……の……」


 誰か人がいたと思ったのだ。だが、それはすぐに間違いだった気が付いた。

 どろどろにとけた顔にひしゃげた骨が浮き出ている。どういう死に方をしたらこうなるのか、リーナにはわからなかった。ただただ異様なその姿に悲鳴すら出ない。

 腐れ落ちた腐肉のような『人間のようなもの』は、リーナにかまわずまっすぐに歩いていく。


「――ここ、は……」


 人間の世界じゃない。

 少なくとも自分はここにいてはいけないのだと、リーナは思った。


「で、でぐちっ」


 ぱたぱたと走り出す。恐怖でどうにかなってしまいそうだった。ひとりぼっちは、慣れていると思っていた。けれどシアと出会い、ギルドに招かれてからリーナは孤独とは程遠い場所にいて……それはもう早いもので一年と少しが経過していた。だからこそ、リーナは暗闇と一人がとても恐ろしかった。


「おねーさん……」


 母親を失い、失意の中でシアに抱きしめられたときに感じたぬくもりをリーナは生涯忘れることはないだろう。あの温かさはリーナにとって太陽のようなものだった。

 今は、ひとり。とても寒い。

 微笑みかけてくれる者も抱きしめてくれる者もいない。


 ……全部、リーナのせい。

 本当はわかっていた。気が付かないふりをし続けていた。守ってもらいたかった。かまって欲しかった。そんな甘えが母を殺したことを……リーナは気が付いていた。


「……おかーさん」


 ごめんさない。

 リーナは暗闇の中で膝を抱えて座り込んでしまった。歩けど歩けど、見知らぬ不気味な闇の回廊。光はおどろおどろしい深緑の炎。さまようものどもは、どれもこれもリーナに見向きもしない人非ざる姿。


 きっと、ここは悪い魂が堕ちるとされる『地獄』なんだとリーナは思った。

 どうしてかはわからないが、リーナは転移のときにここに堕とされてしまった。自分が悪い子だったから。


「りーながへんなこじゃなかったら……おかーさん、しあわせになれたのかな」


 リーナが見た母のオーラはどろどろだった。でも、最初からああではなかった。オーラを曇らせたのは、リーナのせい。その過程をずっとリーナは見ていた。


「幸せなどないよ」


 知らぬ声に呼びかけられてリーナは驚いて顔をあげた。


「――ひっ!」


 誰もリーナのことを気にしていなかったというのに、その一人だけがこちらを見ていた。近づいてリーナの顔を覗き込んでいる。背丈がとても低いのでしゃがむ必要はなく、不気味に燃える深緑の炎を灯したランタンを掲げながら、じっと。それは人の顔がぐしゃぐしゃに崩れたような醜い容姿をしていた。声音はしわがれた老婆のようで、よくよく見ればくずれた顔からも老いた女性のような雰囲気が感じ取れた。


「あの女によぉーく似ている。お前がリーナだね?」

「え? あ、はい…そうです、りーなです」

「あたしの名は、ヴィーダ。深淵の魔女さ」

「しんえんのまじょ、さん? あの、おとぎばなしの……?」


 リーナは深淵の魔女と聞いて、思い出したおとぎ話があった。


「しんえんのまじょは、わるいまじょ。はじまりのゆうしゃさまとせいじょさまにたおされた」

「ああ、現世ではそう伝わっているんだね。あたしは悪い魔女だけど、あたしを殺したのは勇者(エルフィン)でも聖女(メグミ)でもないさ。あの二人はあたしの事情をくんでくれた、感謝してる。心を入れ替えたが、あたしの悪事を赦してくれなかった黒騎士(アルヴェライト)に殺された。それが事実さ」


 黒騎士、アルヴェライト?


「あたしは聖女(メグミ)の命を狙う裏切り者だった。しかるべき最期だっただろうよ。だが、黒騎士(アルヴェライト)は愚直過ぎた。勇者(エルフィン)の頼れる相棒であったはずの彼は、聖女(メグミ)を毛嫌いしていてね、あの子をとても追い詰めた。聖女(メグミ)が死んだのは、あいつのせいだとあたしは今でも思ってるよ。だからあいつが迎えた最期については正直自業自得さ」


 黒騎士エースとはたぶん違う人。

 おとぎ話の方の黒騎士だろう。悪人を処刑していたら、自分が一番の悪人であることに気づいて最期は自分を処刑してしまった人。


「ああ、あの男を思い出したら腹がたってきたね。話がそれたけど、あたしがあんたにしたいのはそんな昔話じゃないよ。あんたの母親から預かりものがあってね」


 黒騎士の名前にひっかかりを覚えつつ、リーナは差し出されたものを受け取った。


「あかいほうせきの、ぺんだんと?」

「夢わたりの巫女がこしらえた一級品の魔道具だ。お前の母は、これと引き換えに『幸せになる心』を失った」

「……え?」

「この先、お前にはこれが絶対に必要になるってさ。だからお前の母は、あたしと深淵の契約を交わした。お代は契約者の一番大切なものだったが、お前を失うのは本末転倒だったらしい。代わりに、己の一番大切な心を差し出した。お前の母は、この契約を交わす直前まで『幸せ』だったのだよ。だからこそ、引き替えられた」


 お前が今、いくら過去の行動を振り返ろうがあれが幸せになることはかっただろうさ。幸せだと感じられる心を失ってしまっていたのだからね。


 この言葉にリーナは言葉を失った。


「しかるべき時が来たら、お前はここにやってくる手筈ではあったが……。ふむ、お前帝国から来たな? ということはやはり――『アルヴェライト』のしわざか」


 不満そうな魔女にリーナはどう返すべきか迷った。


「そのペンダントは大切にしな、お前の母の最後の贈り物だ。これから訪れる苦境を跳ね返す大きな力になるだろう。――さあ、お帰り。帰り道はあちらだよ」


 魔女に示された道の先に、懐かしい光があるような気がした。


「まじょ、さん……」

「生者は振り返っちゃいけないよ。黄泉はいつだって、命を招こうとするんだからね」


 強く言われて、振り返りそうになった頭を前に戻した。


「あんたはひとりぼっちなんかじゃあない。あたしとは違う、望まれて生まれて、愛され、そしてこれからも愛されていく存在だ。なら、あんたはその愛にどう応える? 悩むのはそれだけでいいのさ」


 遠ざかっていく魔女の声は、どこか優しく、どこか震えているようだった。

 おとぎ話の悪い魔女は、ただ孤独なだけだったのかもしれない。


「……おかえりなさい、お嬢さん」

「しょうにんの、おにーさん」


 リーナが続きを口にしようとした瞬間。


「リーナ!!」


 温かい呼び声に胸が震えて、そして心の底から待っていたぬくもりを感じた。ぎゅっとリーナを抱きしめたのはシア。


「おねーさん! おねーさんっ」


 寒い場所から帰ったからか、寂しくて悲しくて、すがりつくように抱きしめ返してしまう。


「やれやれ、これから大変な二人ですが……なんとかするしかないとはいえ、しんどいですな。……アルヴェライト殿、くれぐれも裏切らぬように頼みますよ」


 ヒースは皮肉げに抱き合う二人を見つめるヴェンツァー・アルヴェライトを睨んだ。


「もちろんです。私は……ヴィーダとは違って実は『愚直』な男なので」


 それは自分自身への皮肉のようにアルヴェライトは笑った。

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