☆25 おっさんを信じろ!
王都を出発し、ポラ村へ向かう馬車に揺られること三日。
休憩は何度も挟んでいるが、あまり上等とはいえない馬車なので背中とお尻がかなり痛んだ。その痛みが限界に来そうな頃、ようやく私達はポラ村に到着した。
疲れているはずだが、リーナは真っ先に馬車を降りて辺りの景色を堪能していた。
そのはしゃぐ姿に、連れてきて正解だったかな。と、ほっとする。
本当ならリーナは王都でお留守番の予定だった。仔猫達と共に一階の雑貨屋夫婦に預けようと思ったのだ。リーナは戦うことができないのだし、危ないかもしれない場所に連れて行くのは良くない。そう、リーナに話しをすれば、「りーなは、いっしょにいけないのです?」としょぼーんとされてしまった。思い返せば、リーナはいつも母親に部屋に置いて行かれる日々だったのだ。それでも毎日待ち続け、夜には母親が戻ることが多かったので安心していたが、突然とあの日に母親が消えた。帰ってこなかった。そして私達に会ったのだ。
今はもう、母親はどこにもいない。待っていても帰ってこない。あの子は母親と少しの間離れて、失った事実を今もきっと胸の中で痛んでいるだろう。あの子の中で『待つ』という行為がとても辛いものになってしまった。
本人たっての希望もあったし、なにより王都から出たことがない閉じ籠った生活をしていたリーナに外の世界を見せる良い機会でもあると思った。かなり迷ったが、ルーク達とも相談して連れて行く、という結論に至ったのだ。
ルークとレオルドに荷物を降ろしてもらって、私達は村の入り口に集まった。
「とりあえず宿をとって、荷物を置いてから情報収集といきましょうか」
私の言葉に三人は頷いて、村に一軒しかないという小さな宿屋に部屋を男女別に二つ借り、さっそく村で情報を集めることにした。
ポラ村は前に来た時と同じく、のどかな雰囲気でベルナールが言っていた黒い靄の噂のことなどないかのような平穏さだ。だが、影というものはいつどこで現れるか分からない。噂は真実なのか否か、しっかりと確かめなくては。
私、リーナのペア。ルーク、レオルドのペアに別れて情報を集めた。
リーナと情報収集の為、村を回っていて気が付いたが、リーナが一緒だと村人の口が軽い。私が見た目が地味で人畜無害そうなのもあってだろうが、リーナの笑顔が村人達の警戒心をあっという間に解いてしまうようだ。さすが天使。
「黒い靄? ああ、そういえば木こりのじいさんが言ってたな、聖獣の森に黒い靄が現れたって。神聖な森なのに不気味だ、凶兆なのかもしれないと怯えていたよ」
畑仕事をしていたおじさんを皮切りに、聖獣の森での黒い靄の目撃情報は色々と得ることができた。概ねベルナールが話していた噂と一致する。触れた獣が狂暴化したり、草花が枯れたり――と。やはりまるで瘴気のような現象だ。
実際見たという人にも話を聞けて、彼らはすぐに危険なものと判断し近づかず逃げたらしい。それから森にはしばらく立ち入らないように通達し、地方騎士団の駐在所へ連絡もいれたようだ。それが回ってベルナールの所に来たんだろう。
ラディス王国の騎士団は主に三つに分かれていて、王室警護を務める超エリートな王宮近衛騎士団、王都を中心に守護するエリートな王国騎士団、他地方を巡回して守る平騎士である地方騎士団がいる。地方騎士団は王国騎士団が統括しており、なにかあればすぐに王国騎士団の方に情報が上がってくる。現場で対処できればそう指示が来るし、難しそうであれば王国騎士団が自ら動くことになるのだ。
一通り話も聞き終り、集合場所へ戻ろうと広場へ足を向けるとリーナがそっと私の袖を引いてきた。
「リーナ?」
「……あの、むらのおねーさんが……ないてます」
リーナと視線を合わせると、その先には確かに家の壁に背中を預けて蹲っている女性がいた。その傍には若い男性と、年配の女性もいて二人は蹲る女性を励ますように囲んでいる。
なにか困りごとだろうか。気になって近づいてみると、男性と年配の女性がこちらに気がついた。
「あの、どうかしましたか?」
「あ……その」
男性が言いよどむ。村の人間ではないよそ者に言うべきか迷っているんだろう。リーナはちらりと男性を見てから、テトテトと蹲る女性に近づいてしゃがみ込んだ。
「おねーさん、おなか、いたいですか?」
リーナの心配そうな声が響くと、ぴくりと蹲っていた女性が顔を上げた。彼女はリーナを見て、ハッとした表情を浮かべたと思えば、じわりと両目に涙を溢れさせ泣き始めてしまった。
「ルネス、私の子……どこへ行ってしまったの」
『ルネス』と名前を何度も呼びながらむせび泣く女性に、私は男性を見た。
「もしかして、子供がいなくなったんですか?」
彼は酷く沈鬱な表情を浮かべて頷いた。
「昨日から姿が見えないのです。夕刻までは近所の子供達と遊んでいたようなのですが……」
それからぱったりと目撃情報がない。家にも帰らず、家族は総出で村中を探したがどこにも見当たらないのだという。誘拐を疑ったが、村の人達も怪しい人物は見ていない。小さな村だからよそ者が来ればすぐ分かるのだ。子供が何かに誘われるかのように消えてしまったとしか言いようのない状態に、家族はお手上げ状態となってしまったようだ。
我が子を思い、泣く母親らしい女性をリーナはじっと見つめていた。
もしかしたら、自分の母親を思い出しているのかもしれない。どうにかしてあげたいのは山々だが、現状私達にできることはなにもない。村におらず、どこか外へ行ってしまったのなら手広く捜索してくれる地方騎士団に相談するのが一番だろう。
彼らも地方騎士団に一報を入れている最中なのだと言う。
「早く、子供が見つかるといいですね……」
「はい、すみません旅の方にこのような……」
私は首を振って、励ましの言葉しか言えない自分を歯がゆく思いながらもリーナの手を引いた。少しリーナは後ろ髪を引かれているのか、足取りが重かったがついて来てくれる。思う所は多々あるが、私達は集合場所へと歩いて行った。
集合場所まで来るとルーク達は先に来ていた。その表情はなぜか浮かない。
「ご苦労様……って、なんか暗いわね?」
リーナと共に首を傾げなら聞けば、ルークは深く溜息を吐いた。
「村人に警戒された……。あんまり話聞けなかったんだ」
「マスター、おっさんってそんな怖いか? こんなキュートなおっさんあんまりいないと思うんだが……」
がっくりとうなだれた二人を交互に見た。
片やのっぽのちょい無愛想な剣を装備した青年、片や魔導士ローブを着ているにも関わらず筋骨隆々の我儘ボディが隠せていないムキムキマッチョな194cmの立ち塞がる壁のおっさん。
どうあがいても、怖いコンビだ。
これは、私の人選ミスである。どっちかに天使か、人畜無害な(外見)女を添える必要があったな……。
あと、おっさん。どういう風に鏡を見たらその姿がキュートだと思えるんだ。どうしてそんな自信ありげなんだ。
とりあえず宿の部屋に戻って、私達が得た情報を二人に伝えた。
レオルドは、少し考えてから言葉を口にした。
「やっぱ、聖獣の森は直接調べに行く必要がありそうだな?」
「そうね。村の人の話だと森に黒い靄が現れるのは確かだそうだから」
ということで、聖獣の森へ行くことは決定したのだが。私、ルーク、レオルドはリーナの方を見た。リーナはついて来る気満々なのか鞄の中身を確かめている。
「たおる、おかし、ほうたい、おくすり……」
しっかり者なのは認める所ではあるのだが、やはり瘴気が発生しているかもしれない森に連れて行くのは危険だ。私達は頷き合い、しゃがんでリーナと目線を合わせた。
「ごめんね、リーナ。あなたは森に連れていけないの」
「……だめですか?」
「うん、やっぱり危険だと思うのよね。だからね、リーナは村に残ってもっと情報を集めて欲しいなって」
「じょーほーですか?」
「そうそう。まだ隠れた情報があるかもしれないから……重要な任務よ、お願いできる?」
『重要な任務』を強調して言えば、リーナの表情はぱあっと明るく輝いた。
「りーな、がんばります!」
よし!
リーナの笑顔には村人達もメロメロだったし、問題はないだろう。だが村にリーナ一人というのも心配だ。
「ルーク、居残りしてくれる?」
「俺?」
「ええ、森には私とレオルドで行くわ。レオルドは聖獣の森についての知識もあるみたいだし、調べるにはちょうどいいのよね」
「そうか、分かった。リーナと引き続き情報収集しとけばいいんだな?」
「うん、頼んだ」
次の行動も決まり、今日はもう夕刻が迫っているので一泊してから朝に発つことにした。
村の宿は小さいながらも、なかなか快適で食事もおいしかった。柔らかな自家製パンに村で採れたばかりの野菜を使ったスープ、香ばしく焼き上げたホロ鳥の香草焼きなど、匂いを嗅いだだけで涎がだくだくとでてくるような一品だった。全員でぺろりとそれらを平らげ、お風呂に浸かって少し硬めのベッドで眠り、朝早く私とレオルドは起き出して相方を起こさないよう準備をした。
レオルドは私よりもさらに早く起きたようで、まだ少し肌寒い朝靄の中、宿の外で乾布摩擦などをしていた。朝から健康的で元気だな。
朝日が昇り、周囲が明るく温かくなってきた頃に私達は聖獣の森へと発った。
聖獣の森へは徒歩で行くしかない。片道二時間というのでなかなかに歩くことになる。昔一度通った道、あの頃のことを思い出さずにはいられないが憂鬱さはあまりない、隣を歩くのは大事な仲間だからそんな気分になる必要もないのだ。
二時間かけて適当な雑談をしながら到着した聖獣の森は、前と特に変わった様子はない。静かで、深い木々が広がり、小鳥がさえずる――神聖さを漂わせるような張りつめた緊張感のある空気がある。ただ、少し背筋がぞくりとするような妙な感覚はあった。聖女の力がそうさせるのか、わずかな違和感を確かに感じるのだ。
レオルドと共に慎重に森へと分け入っていく。
聖獣が座するという泉までは小さな道が出来ている。ひとまず森の中を探索する前に、泉まで行ってみようということになった。小道の通りに進んでいく。周囲へと警戒は怠らなかったが、泉につくまでの間は特に何事もなく終わり目的地へと到着した。
小道の終わりは開けた場所になっており、辺り一面透き通った水面が穏やかに風に揺れる美しい泉が広がっている。泉の中央には祠があり、小さな子供が一人入れるくらいの穴が開いていて、その中に聖獣様が住んでいるというお話だった。だがそこまで行く道はなく、泉も中央へ行けば行くほど深くなっているようなので前は祠までは行っていない。とりあえず今回も祈りを捧げて、聖獣様を呼んでみることにした。
「聖獣様、聖獣様、聖女の祈りをどうか聞き届けてください」
膝を付き、頭を垂れて両手を組み粛々としばらく祈った。
レオルドも後ろで静かに、緊張した面持ちで待っていたが、やはりシンと静まり返った泉が何かに反応することはなかった。
「……はあ、やっぱりダメみたいね」
「うーん……」
諦めて立ち上がった私に、レオルドは唸りながら思い出すように言った。
「なんかの文献で見た覚えがあるんだが、聖獣の座する泉は清廉な乙女なら渡ることができるんじゃなかったか?」
「えぇ……本当?」
そんな話があるの?
初耳だったので、問い返した。
「試してみる価値はあるんじゃないか。聖獣、寝てるだけかもしれないぞ?」
確かに呼んで来ないなら、直接寝床である祠まで行けば会える確率が高くなるだろう。だけどその条件に一抹の不安と、嫌な予感がした。『清廉な乙女』なんて誰が決めるのか。清廉さの基準はなんなのか。ものさしがないので行ける行けないの判断がつかないのだ。
「もし落ちても濡れるだけだ、やってみればいい」
「落ちて濡れるのは嫌よ……」
あと、清廉じゃないと証明されるのもなんか腹が立つ。
だがレオルドは空気を読まなかった。
「大丈夫! おっさん、火属性魔法得意だから濡れてもファイアで乾かしてやるよ!」
ドンッ! と気合を入れるつもりだったのか、レオルドが思い切り私の背を大きな手のひらで叩いた。その強すぎる衝撃に耐えきれず、私はたたらを踏みそのまま泉に落ちた。
なんの引っかかりもなく、泉の上に乗るような感覚なども一切なく、私は見事に水しぶきを上げて落ちずぶ濡れとなったのだった。
なんとも言えない空気が流れる中、私は泉から顔を出し硬直しているレオルドを見上げた。
目が合うと、彼はなんともいえない表情をして静かに目を閉じた。
「……清廉さが足りなかったか」
「――うっさいわ!!」
なんか悔しい! 自分が清廉な乙女だなんて思ってはいなかったが、実際に泉に落ちるとやるせない気持ちになる。
レオルドに救助されて泉から上がると、彼は言った通り火の魔法でずぶ濡れの体を乾かしてくれた。かなり大雑把で豪快なファイアの乾燥だったが。どうやらレオルドは出発前に言っていたように、筋肉との会話に成功した? 為か、媒介道具なし……筋肉で魔法を使っているようだ。
焦げそうになったが、服と髪が乾き聖獣は諦めて森の調査を始めようとした時だった。
「……レオルド」
「ああ、おいでなすったな」
私達の視線の先、深い緑の森の中から、不穏な気配が広がってくる。魔力のある人間にしか感じられないだろう肌が粟立つような気持ち悪さだ。
いつの間にか、辺りは鳥の声も聞こえない重苦しい空気で満ちていく。
私は杖を構え、レオルドはファイティングポーズをとった。
ズズ、ズズ。
何かが這うような音が聞こえる。
それはゆっくりと近づいて来て、そして瑞々しい木々を食い散らかすかのように黒い靄がまるで獣の口のように開いて呑み込んだ。あっという間に黒い靄に触れた植物が枯れ果てる。
――おかしい。
その黒い靄の様子を見て、私は違和感を覚えた。
瘴気は普通、形をとらない。霧や靄と同じく、辺りを漂うだけのものだ。だが、これは意志を持ち自在に形を変えて向かってくる。まるで生きているかのようだ。
たちまち現れた黒い靄は私達の目前まで迫ると、ぽっかりと口を開けたような形になり、その中から何かが這い出てきた。
ぐちゃり。
それはまるでヘドロのようだった。だが先に鋭い爪のようなものがあり、四足歩行をする為の前足と後ろ足があるのが分かる。
……ドロドロに溶けた狼。見た目はそんな感じだ。
「レオルド、あれ……見た事ある?」
「……ないな。魔物図鑑全10巻暗記してるが記憶にない」
レオルドの記憶にないなら、あれは普通の魔物じゃないんだろう。正体不明の黒い靄から出てきた化物。最大限の警戒をするに越したことはない。
「あれには直接触らない方がいいわ。援護はするけど、いけそう?」
触らず倒せとは普通の魔導士には簡単な注文だろうが、レオルドにはまだ難しいかもしれない。相手の強さも分からないし、どうしようかと迷っているとレオルドは自信ありげに『にぃ』っと笑った。
「マスター、おっさんを信じろ! おっさんも、『行けるぜ!』って言ってる筋肉を信じる!」
えぇ……。
おっさんを信じるのはいいが、おっさんの筋肉の信用度はいかほどなのか。
それと、援護は筋肉にするべきか、魔力にするべきか悩む。魔導士に筋力アップしてどうするんだ、と思うがレオルドの場合、どちらが現在割合的に上なのか判断に困るのだ。
ええい、どっちもやる!
相手の化け物は、動きが遅くノロノロとしていたので、攻撃力アップのテンションをかけ、魔力アップのマナレインの重ねがけをしても余裕の時間があった。
「うおおお!? さすがマスター、すげぇ力を感じる! よし、行くぞ」
レオルドは力強く地面を蹴り、ドロドロの化け物に向かっていた。
――向かって行った!?
「ちょ、レオルド!? 近づくのは危険――」
止めようとしたが遅かった。
レオルドは化け物に突進し、そのままものすごい勢いで突っ込んでいく。迷いや恐怖など一切感じられなかった。
「ファイア!!」
レオルドの拳から腕全体に炎が広がり強烈なパンチが繰り出され、えぐるように化物の顔面を殴った。凄まじい衝撃だったのか、化物は耐えられず吹き飛ばされ太い木の幹を何本か折って土煙を上げながら地面に転がった。
す、すご……。
聖女の特別な強化魔法がかけられているにしても、恐ろしい威力だ。
レオルドのパンチ力と、ファイアの魔力が合わさり強烈な一撃となったのだろう。普通の魔導士には出来ない所業だ。直接触っちゃいけないという私の忠告もきちんと聞いていて、拳に魔法をかけたのでレオルドは一切化物には触れていないはずだ。
あともう一つ、すごいことがある。
「……レオルド、詠唱は?」
魔法を使うには、ほとんどの場合呪文の詠唱が必要である。私は聖女の力でスキップしたりすることが可能だが、レオルドはまだ魔法を身につけてひと月である。詠唱なしで魔法を安定して扱えるなんて本来なら不可能だ。
「筋肉を媒介にしてるからか、魔法安定の為の詠唱はいらないみたいなんだ。ファイアくらい簡単な魔法ならほぼ詠唱なしで発動可能になってる」
なんかさらっと言っているが、恐らくそれはレオルドの知力と筋肉の成せる業である。改めてこのおっさんの潜在能力には驚かされるわ。
感心しつつも化物の様子を窺うと、レオルドの一撃に倒れ伏した化物は、びくびくと痙攣していた。死んではいないようだ。化物の傷口からは薄く黒い煙のようなものが上り始める。
「瘴気か?」
「分からない……それを確かめる為に、浄化の力を使うね」
もし、女神から与えられた浄化の力が効けば瘴気の可能性が高いけど。普通の瘴気とは違う動きをすることに不安を抱えつつも浄化の魔法を発動させる。
「ラメラスの女神に祈る――聖なる力をこの手に、優しき光の雨にその穢れを祓え」
私の全身を淡い光が包み込み、そして化物の頭上から光の雨が降り注ぐ。化け物は光に悶え苦しむ様子を見せ、しばらく呻き声をあげていたが黒い靄が浄化され、ドロドロの体が光に呑まれていく。
浄化の力が効いている……の?
どんどんと光に包みこまれた化物の体が小さくなっていく。しばらくすると光は自然と霧散した。そこに残ったのは。
「…………子供?」
化物の消えた跡には、リーナより小さい子供が倒れていたのだった。