□30 逃げても地獄、戦っても地獄
私達は聖教会を脱してから目的を見失っている。
世界の仕組みがどうのとか、贄がどうだとか……個人が背負うにはあまりにも重すぎる真実に、目を背けるべきなのか、はたまた女神を打ち倒すようなことをするべきなのか。
女神を倒せば、世界の安定は失われる。いつ、どこでどのような悲惨な大戦が起こるかわからない。そしてそれを起こらないようにすることは、ほぼほぼ無理に近いこともわかっている。人はあまりにも傲慢で、強欲だからだ。女神の贄のシステムが存在するからこそ命は最低限の犠牲だけですんでいる。
己の非業の運命を断ち切るのか。
隣人の笑顔を守るのか。
真実を知った私達はなにかを選び、何かを失わなくてはいけないだろう。それぞれの覚悟を決めるための帝国の旅だった。すべてではないが所要を回り、そして偶然か必然か魔王の一部であるペルソナおばあさまと出会い、この試練の山を経た。
私達が受け、そして乗り越えた試練の中で進むべき道は見いだせただろうか。
「俺は……正直、世界の真実からは目を背けたい。知らないふりをしたまま、確かな平和を家族と共に過ごしたい。この長い未来も」
レオルドは重い口を開いた。たぶん、この場にいるほとんどがそう思っているだろう。ただ、それを口にするには後ろ暗くて。だからこそレオルドが一番先に口火を切ったのだ。彼はそういう男だ。
「女神のシステムはよくできているのよ。生贄がなければ人は平穏を続けられない。ヘイトを一か所に集めて、集団心理を掌握する。かわいそうな子羊は世界のために消費され、人々は忘れ去っていく。もしくは勇者と聖女のように、神格化して美しい物語に仕立て上げ、本質をそらす。そうして長く歴史は続く」
教皇にこの話を聞かされた時、私は嫌悪感と共に納得もしている部分があった。そうでもしなければ人間は勝手に争って滅びるのだ。
……私は結局のところ自分の正体も含め、見て見ぬふりをして生きていくのもいいかと思っている。生活に不都合や仲間になにかない限り、こちらから動く必要なんてない。今後犠牲になる贄のことなど、知らぬ人なら知らん顔していればいい。それで私達の平和は守られる。
知ったがゆえの醜悪が胸に渦巻く。
罪悪感が一生苦しめてくる。
それでも女神に手を出すのはデメリットが大きすぎた。
「……ほかに世界を安定させる方法があれば、話は別だけど」
結局、帝国の技術をもってしてもそれはなさそうで。帝国は打倒女神を掲げているが、それは国が強固で大戦が起こっても高い技術力と能力で対応可能だからである。ラディス王国のような中小国では太刀打ちできない。私達の故郷はあっという間に火の海にのまれることだろう。
「それでも、それでも私は……女神をなんとかしたい。私の呪い、アルベナは贄として使われる。私は道具で世界を守るために私は壊されて殺される」
「うむ、わしもまた魔王であるがゆえ、女神を打倒せねばならん。これは当事者である者の意見。ぬしらがそれを押し通すならば、わしとこの銀の娘は切り捨てられることになるの。わしはそれでもかまわん。いとし子らが安定を望むのは普通のことじゃ」
リゼもおばあさまも恨み言はない。なにをどう選択しても。
リゼもおばあさまも、仲間だ。私が私のために逃げれば、二人の仲間を失う結果になる。女神と敵対しても逃げても、私は絶対に仲間の誰かを失うことになる。
逃げればリゼとおばあさまが。
立ち向かえば……たとえばルーク。心の隅にひとまず置いてある、ライオネル殿下の言葉。ルークを勇者としてまつりあげる話。もしも、もしもどこかでなにかが起きて王国にその魔の手が伸びるとすれば、ライオネル殿下は迷わず選択し、ルークは犠牲になるだろう。国の英雄として。その準備は水面下で確実に進んでいるのだ。本人のあずかり知らぬところで……。
彼が勇者になれば万事解決する。そう思っていたあの頃がとても懐かしい。できれば戻りたい。
それに事実として聖教会側の戦力がとても大きい。女神自身が未知の強さであるし、教皇、そして司教様もいる。司教様の意図は未だにはっきりとはわからないが敵対しているのは事実なので、彼とも戦うことになるだろう。
あきらかに勝算が低い。ここですでに多くの仲間の犠牲が予想できるのだ。
「逃げても地獄、戦っても地獄、か。どれをとろうが後悔のない選択なんかなさそうだな」
ルークが深い息を吐いた。
「帝国にわずかな希望を見出して回ってきた意味は、まったくないわけではないでしょう。少なくともこの山にたどり着き、それぞれに課された試練を乗り越えられたあなた方は、確かな導と力を得たはずです」
重苦しい空気の中、巫女が優しく言った。
「それに希望は――」
巫女がなんかいいことをたぶん言いかけたところで、彼女は息を呑んだ。
「巫女さま?」
「……事態は刻一刻と変化しますね。なんとも忙しいこと」
「うむ、なんとも面倒なことになりそうじゃの」
おばあさまもなにかを察したようだ。私達にはまったくわからないが。
「さて、ことはどうやら皇都で起こっておるようだ。どうする? 感じたものから大きな事態だと思うが……皇都へゆけばもしかすれば、逃げるという選択が消えるかもしれんぞ」
おばあさまの鋭い瞳に私は背筋が凍った。
皇都にはおじいさまや副団長、いまだ眠ったままのベルナール様がいる。戻るべきだ。だが、おばあさまの様子から察するにこの選択はこの先を決める大きな分岐点であることがわかる。
わたし……は。
「もど、もど……り」
戻りたい。素直な気持ちはこれだった。でもここをあやまったら仲間の誰かの気持ちを裏切ることになるかもしれないと思うとのどがすかすかとして言葉がうまくでなかった。
「「「もどります!!」」」
仲間達の声が重なり合った。
「戻るんだろマスター」
「戻りたいって顔にかいてあるもんな」
「りーな、おじいさんたちとあいたいです!」
「ぶじをたしかめないとね!」
皇都に行く気まんまんの仲間たちにまったくの迷いがない。
「暁の獅子のマスター、シアよ。どうする?」
あえて、そういう聞き方をしてきたおばあさまに、私は大きく頷いた。
「戻ります、皇都に」
迷うばかりの弱い私の背中を押すのはいつだって周囲の大切な人々なのだ。




