□29 ちゃんとあったよ
「りーながねているあいだに、そんなことがあったんですね」
巫女の試練から全員が戻ってきたタイミングでリーナが目を覚まし、私たちはそれぞれにリーナを抱きしめた。そして、周囲の状況になんとなく違和感を感じて戸惑うリーナに、説明をしたのだった。
サンドリナ夫人は一人、山頂の空を眺めて物思いにふけっている様子だった。決意したとはいえまだまだ心の整理はついていない状態なのだろう。
「ふむ、予想外なこともあったがおおむね予定通りかの。みな、ひとまわり大きくなって帰ってこれたようじゃ。これから先、教会を敵に回し女神を倒すのか、帝国と組むも独自の道を行くのもお前たちしだい。それを悩めるだけの力は得られたと思うぞ」
ペルソナおばあさまの言葉に、みんなそれぞれ思うところがあるのか静かに頷いた。
この中に、少しはずれた場所とはいえ魔人のキングとジョーカーがいるのは不思議な感じだ。クイーンとジャックの姿がないのはなんとなく察せられたが、エースがいないのに違和感を覚える。彼がいなくなる理由はなさそうなのだが。
「夫人はどうされますか? ここはあの森から遠く離れた帝国ですけど」
「私は……」
夫人は少しだけ考えて。
「シアちゃん、私をギルドに入れてもらうことはできるかしら?」
「え!? ギルドにですか!?」
「だ、ダメかしらやっぱり。特別な力もないし、当然よね……」
しょんぼりしてしまった夫人に私は首を振った。
「そうじゃないです! うちは非戦闘員も募集してますし。ただ、夫人がそれを望むとは思わなくて」
「……私はあの子とちゃんと決着をつけるまではあの屋敷には戻れない。戻るわけにはいかない……でも、あの子と対峙するにも私一人ではとうてい無理なのは目に見えているから……」
そうか、私達と一緒なら魔人と鉢合わせる可能性はとても高い。私はこちらをまっすぐ見つめてくる夫人、サンドリナさんに手を伸ばした。
「では、ギルドの誓いを――」
ギルド、暁の獅子に入るための決まりの誓い。必要なのはその思い一つ。サンドリナさんは、私の手を強く握って、誓ってくれた。
彼女は今日から、ギルドの仲間で家族だ。
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下山の準備と、次の目的と目的地を定めるギルド会議が巫女の社で行われている。だが、リーナは一人で社の外にいた。腕にはのんちゃんを抱えているが、ギルド会議も参加したがるリーナがそれに参加せずに外にいるのは珍しいことだった。
だが、リーナは他に気になることがあったのだ。シア達には散歩だと言っている。心配されたが、巫女が私の目を盗んでリーナに悪さすることはこの地ではできないという言葉もあり、のんちゃんもいるということでリーナの希望は叶えられた。アギがついてこようとしたが丁重にお断りし、そのかたくなな態度にアギもなにかリーナが一人になりたい理由があるのだと察して身を引いた。
そうしてリーナは一人、澄んだ夜空の下を歩いている。
リーナには目的があった。一人になる(のんちゃんはいるが)理由。
「……くろきしさん」
森の影、目を凝らしてもそこに何者かがいることに気がつける者はまれだろう。だがリーナにはそこに誰がいるのかわかっていたし、姿をいつまでたってもあらわさない彼にリーナがあえて一人で会いに行ったのだ。
二人が言葉を交わしたのは、ラミリス伯爵の屋敷で対峙したとき以来だ。あのとき、リーナは珍しく感情を爆発させ、黒騎士に迫った。黒騎士はリーナの言葉に声をつまらせ、返事をクイーンに止められた。
「かなしい……ですか?」
「…………」
人のオーラが見えるリーナには、姿は目にとらえられずとも揺れる心は見えていた。
「くろきしさんは、ふしぎです。じゃっくさんやくいーんさんにはないオーラが、くろきしさんにはあります。くろきしさんのオーラ、りーなはしってます。……きしおーじさまとおなじ、きれいなししゃくさまとおなじです」
「――っ、アぁ……」
泣き声のようなうめき声のような小さな声が漏れ聞こえる。
「かなしくて、なきたいときは、ぎゅってしていっぱいないていいんですよ」
リーナは影に寄り添って座った。そこには黒騎士エースがいて、声を押し殺すように泣いているようだった。
「……リーナ、君は俺が『誰』なのか、『わかって』いたんだね」
リーナは静かに頷いた。
「さいしょはきがつかなかったですけど、あそんでくれたのできづけました……りくおにーさん」
黒騎士の姿が、帝国の騎士リクに変わる。赤い瞳からは涙がこぼれ落ちていく。
「俺は君に酷いことをした。俺を気にする必要はないだろう?」
「くろきしさんがひどいことをしたのは、おかーさんです。りーなはおこっているだけです。だから、ないているおにーさんをなぐさめにきても、いいとおもいます」
リクは泣きながら少し困った顔をした。
「おねーさんたちは、しれんをうけたっていってました。りくおにーさんもしれん、うけたんですね? それでかなしくなりましたか?」
「……うん、そう」
星の輝く夜空をリクは見上げ、リーナもつられるように見上げた。
「俺は君と違って生みの母も、育ての母も……好きじゃないんだ。それどころか恨んですらいる。だから君の気持ちはわからない。あんなことをされても母親を愛そうとすることも、赦そうとすることも。試練で再びあの顔を見た瞬間、俺はあの人を殺めることをためらわなかった。それはいいんだ、それはもういい。俺は結局、正常な人間には戻れず……ベルナール兄上は」
助けを求めた俺に気づいてくれなかった。
「きしおーじさま、きらいです?」
リクは強く首を振った。
「違う、違う! 気づいてくれなくてよかったんだ。助けてなんてくれなくてよかった! 助けを求めた俺が一番の間違いだった。最後の最後に俺はただ、ベルナール兄上に『罪悪感』を植え付けた。あの人の感情は、最初の気持ちはそんなものでいいはずがないのに」
感情が乱れてしまったのか、リクの声量があがる。
リーナは震えるリクの背中を撫でてあげた。
「りくおにーさんは、きしおーじさまがだいすきなのですね」
「あにうえ、だけはっ。あの人だけは幸せであって欲しかった。ちゃんとあったよ、俺がみえてなくても、兄上はずっと優しかったんだ。だから最後に、せめて……でもそれすら」
リーナにはリクが過去になにがあったのか知らない。ベルナールのことも詳しいことも知らない。それでも悲痛な思いだけは突き刺さるように胸に届く。
こんなに綺麗なオーラなのに、なぜ彼は魔人なのだろう。蜃気楼のように歪む赤い黒いオーラが彼の感情の揺れと共にあふれてくる。吞み込まれる。リク自身、己のおそろしい心に対抗できないでいる。
(……やさしい、ひと……なのに)
「リーナ、もういいよ。君は人の気持ちに敏感すぎるんだと思う。共鳴してしまうから、自分がそこに寄り添おうと、理解しようとしてしまう。でもそれはとても危険だ。特に俺のようなやつには」
リクはそっとリーナを押し返した。
「君がどうして『いい子』になったのか、それは生き残るためでもあったし、愛されるためでもあったし……共鳴したからだろう」
「きょーめい?」
「『そうありたい』『そうでなくてはならない』という気持ち。きっと君の母親はずっとそう思ってた。それに君が共鳴して、同じ気持ちになった。『いい子でいなくちゃ』っていう気持ちに」
「…………」
リクは立ち上がり、そして黒騎士の姿に変わった。
「君は君が『誰』なのかわかっている? 自分の芯がどこにあるのか、わかっている? 共鳴と同調だけじゃ、他人のコピーで自分じゃない。君はなにになりたい? どこへ行きたい? 答えが出ないなら、考えて。答えが出たら、俺に教えて……そのときがきっと、俺が君に償えるときだ」
よろよろと歩き出して、森の中に消えていく黒騎士をリーナは見つめていた。
「のー……」
のんちゃんがリーナを心配そうに見上げたが、リーナはまっすぐに森の闇を見つめて。
「だいじょうぶ、のんちゃん。りーな、ほんとうは……ほんとうはぜんぶわかってた。ひとつだけ、おねーさんにうそもついてる。いいこじゃない、いいこじゃないの、りーなは」
「のぉー」
正確には、シアと出会ったときにはその自覚はなかった。だが、多くの時を過ごし、多くの愛情を受け、見守られたリーナは、今だからこそ自覚できてしまったのだ。それはひとつの成長ともいえるし、リーナの試練ともいえた。




