□26 でも素敵です
サンドリナ・クルーレ。
それが彼女の嫁入り前の名前である。クルーレ家は貴族ではあったが、王都に土地はもらえず辺境地方の一部をほかの貴族と共同で治める、しがない男爵の一族だった。クルーレ家の三女として生まれたサンドリナは、年頃となり社交の場に出るようになった。貧乏男爵家のしかも三女を娶ろうという得の少ない行動をとる男はおらず、18歳という成人を迎える年になっても恋人の一人も作ることができなかった。
それでもいい。サンドリナは三女で、結婚を急ぐこともなく両親は多少心配もあっただろうが口を出すことはなかった。
そんなある日。とある社交場でサンドリナは出会うのだ、運命の人――アズラエル・サフィリスに。
「はじめてあの人と出会ったときに、伯爵家の方とはまったく思わなくて……。だってあの人ってば庭で土まみれになって雑草を観察していたのよ? なにをしていらっしゃるのって聞いたら、これは珍しい薬草でなぜここで根をおろして成長しているのか気になって仕方がないというから、その……研究者の方だと思ったの」
屋敷の中の同じような場所を延々と歩いている。メリルと話そうと決意はしても、たどりつけるかはわからない。今はただひたすらメリルを思いながら歩き続けるしかなく、サラはサンドリナと夫との思い出話に花を咲かせていた。
「なかなかアグレッシブな方だったんですね。でも素敵です」
レオルドも学者気質で、現地に自分の足で調査に行くタイプの男である。共通する部分があって、サラは恋バナに夢中になる少女のような顔でサンドリナの話を聞いていた。
「私、野草に興味はなかったのだけどあの人があまりにも夢中になって話すものだから、だんだん興味が出てきてしまって。それにその珍しいという薬草を家の敷地で見たことがあったの、ぽろりとそれを言ったらもう次の日には彼、調査道具を持ってやってきて」
ふふふ、と思い出し笑いがこぼれる夫人。ずっとどこかぎこちなく緊張していた様子だったが、表情がやわらいでいっていた。その心境の変化がもたらしたのか。
「……あ」
同じような景色の廊下が続いていた道が変化をし、扉が現れた。
「この扉は?」
「資料室、です。……懐かしい、今までたどり着けなかったのに」
サンドリナは静かに資料室の扉を開いた。部屋の中にはいくつものショーケースが置かれており、その中にたくさんの草花や鉱石など色々なアイテムが飾られ保管されている。
「これよ、これがあのときの思い出の薬草」
記憶をたよりにサンドリナは思い出深い薬草が保管されたショーケースの前に立った。その薬草はつみたてかのようにみずみずしさを保ったまま保管されている。
「素晴らしい保存状態ですね。魔法ですか?」
レオルドが興味深そうにのぞき込む。
「ええ、夫は魔法が使えましたから。とはいえもっぱらサンプルの鮮度を保ったまま保管することにこだわっていたのでその腕前だけしかあがらなかったみたいだけど」
「なるほど、俺もさすがにここまで精度の高い保存魔法は使えません。すごいなぁ」
じぃーっとくいいるように薬草を見るレオルドは今の状況を全部忘れていそうだ。
「ふふ、レオ君はこれがなんなのかわかるかしら?」
「はい。本当に珍しい薬草ですよ。二十年くらい前まではすでに絶滅してしまったのではないかと言われていたもので、あらゆる痛みをやわらげる鎮痛薬として重宝されているものです。……そうか、これを再発見し種を保護したのはサフィリス伯爵だったんですね」
現在、この薬草が再発見されたおかげで治療法が確立された病があった。サフィリス伯爵の功績は大きかったのだ。
「貴族なのにまったく貴族らしくなかった人。私にたくさんの知らないを教えてくれた人。そんな人に私は恋をして、叶って結婚した。幸せだった、とても。お腹にあの子が宿った日、私は美しい白い花が咲く夢を見たの。それを話したら、彼はきっとこの花だろうって」
ひときわ目立つ場所に飾られた白い花。控え目だが美しい光を放つ純白の花。そのショーケースには、『愛しい娘・メリルの誕生を祝って。冬の2の月、22日』と書かれていた。
「ああ、ホワイト・メリルですね」
「山岳の標高の高い、崖の際に咲く花だそうです。私もこれだと思って、ふふ……安直ですけど子供の名前はメリルにしようとそのとき決めました。おかしなことに私達二人とも男の子が生まれてくる可能性をまったく考えてなくて」
まあ、結果的に生まれてきたのは女の子だったので困ることはなかったようだ。結構夫婦そろって天然なのかもしれないとサラは思った。
「そしてメリルは、雪がしんしんと降り積もる夜、冬の2の月22日に元気な産声と共に誕生しました。あの瞬間の震えるような感動と幸福感を私は忘れることはないでしょう。家族三人これからたくさんの思い出を作りながら同じ時を過ごしていくのだと……けれどすぐにそこに不安が訪れた。あの子の目が、見えていないということをお医者様から告げられたの。よくぶつかる子だとは思っていたのだけれど」
貴族にも、そしてこれは一般の平民にもある現実的な話、育てるのが難しいことが生後一年以内に発覚した場合、女神のもとへお返しするという儀式が存在する。これはとても難しい問題だ。二人も相当悩み、そして『育てる』という決断をした。それが正解だったかどうか、それは当人達にしかわからないことだ。悲惨な未来が待っていたとしても、家族三人で暮らした日々が不幸せだったわけでは決してなかったのだから。
「王都での暮らしは便利だったけれど、多くの雑音があの子を苦しめた。だからあの人がここに屋敷を建てて住むと言い出した時は不安もあったけれど安堵もしたの。これで静かに暮らせると思ったから。ここならあの子を誰も傷つけないと……」
しかし、彼女の期待とは裏腹に事態は最悪の結末に転がった。サンドリナは愛する夫も、愛しい娘も全部失ったのだ。




