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□24 内緒にしておこう

「ジャック……」

「? ……ああ。おかしいね、ヨルの気持ちが理解できないのに涙が流れるなんて。彼がもう少し生き汚い男なら、誰かを恨める人間ならばこんな惨めな最期はなかっただろう。私はそう思う。……ノアから別人格だとしてもかけ離れすぎていて違う意味で驚いている、と言われたことがあったけど、今ならその意味がわかるかな」


 ジャックは指の腹で流れる涙を何度か拭ったが、それが止まることはなかった。


「私が、私でなくなっていく予感がするよ。ヨルがじわじわと本来の体を取り戻そうとしているかのようだ。いや、そもそも私という存在が間違っていたのだから、そう思うのはおかしなことだね」


 私は首を振った。


「昔、しきょ――ある人が言っていました。人は魂が作るのか、肉体が作るのか、それとも記憶が作るのか、と。私はどれなのかと問い返すとその人は『答えの出ない話だ』と言いました。魂はそもそも目に見えないものだし……」

「肉体は……なるほど、『テセウスの船』か」


 『テセウスの船』、その物体を構成するものがすべて入れ替わっても同じであるか? という思考実験の話だ。


「ヨルという肉体が死んで、その中で私は生まれた。ならばそれは私だろうか? ヨルだろうか? ふふ、哲学的な話になってきたね」


 ジャックの涙は止まらない。私の知る、狂気を孕んだジャックの顔と変わらないのに流れる涙だけは別物のように温かいものを感じる。とてもちぐはぐだ。


「でもわかっているよ。私は、私という存在はもうすぐ消えてしまうのだろう。今もどんどんとヨルの記憶に己の自我が塗りつぶされていくのがわかる。巫女は、これが目的だったのかな。ノアも、私がもういらないようだ」


 そうなのかな。巫女様の方はわからないが、ノアがここへジャックを行かせたのはただ彼をヨルに戻そうと考えたとはなんだか思えなかった。ノアは異世界人の魂の集合体だから、一つの意志ではないだろうがただジャックをヨルにしたいのなら、もっと早くできたような気がするのだ。


「あなたがヨルに戻ったら、ジャックの自我は消えるとしてヨルはそこに残るの?」

「残るだろうね。魔人としての肉体が滅ぶわけではないから。ただ私が消えるだけ……でも」

「でも?」

「ヨルがそのあとどうするかはわからない。あの性格だ、魔人のしている実験については君もよく知っているだろう? ノアはあまり強制はしないけど、ヨルがその行いに耐えられるとは思えないな」


 正常な人間ならば目を背けるような実験だ。ヨルが本当にまともな人間ならば魔人であること自体に耐えられないかもしれないのか。


「まあそれは私の知ったことではないね。私の偽りの生は虚無だった。存在している意味も、己の本当の執着も願いも知らぬまま。なんのために生きていたのかと問われれば、なにもなかったと言うしかない。心の底から湧き上がる、なにかの感情に突き動かされるように存在し、消えていく」

「……怖い? 消えるの」

「怖い……? いや、まったく。その先に続くものがなにもない偽りの自我に、私自身もあまり興味がないんだ。なにかを思おうとしてもパズルのピースがはまらずに、端が壊れるのもかまわず無理やり繋いでいた。私は不完全な自我だ、ヨルはきっと魔人として目覚めるとき心の中で激しく抵抗したんだろう。魔人になどなりたくないと。だから酷く壊れた自我が生まれてしまった」


 ヨルの意志に記憶にのまれそうだとジャックは言ったが、ジャックの意志はまだ依然として強いような気がした。


「ヨルは気が弱いから、私を消すのに思ったより時間がかかりそうだね。でも確実に私はいなくなる。私は特に消えることに抵抗はしないから。だから私が私でなくなる前に、シアの大切な人を拾いあげにいってきてあげる」

「そういえばベルナール様を助けるにはクレメンテの血がいるっていってたけど、どうやって? っていうか、ベルナール様が目覚めない原因ってなんなの?」


 ジャックは口を開こうとして、しかし一瞬なにかを思い出したかのようにいったん口をつぐんだ。


「ジャック?」

「……内緒にしておこう」

「え? なんで?」

「ヨルが教えるのはいけないことだと文句を言っていてね。人の気持ちを考えろとかそういう感情かな? 私は別に全部言ってしまってもいいと思うのだけど」


 気になる。すごく気になる。

 だが、ジャックのこの言い方……絶対に聞かない方がいいやつだろう。ベルナール様に対する、もしくは私に対する繊細な問題の可能性がある。


「さて、ではそろそろ帰ろうか。私の試練……というか私を『消滅させる』段取りは終わったわけだし」


 ねぇ? となにもない空をジャックが見つめると巫女様の声が聞こえた。


「ええ、二人とも元の場所へ戻しましょう」


 試練の場が光に包まれ、消えていく。

 ジャックはじっと泣いているソルを見ていた。もう泣いてはいなかったが、別れを惜しむようなその横顔からは、ジャックの面影が少しずつ薄れはじめていた。

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