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□23 本当の願い

 王都にあるクレメンテ家の屋敷は、現在ベルナール様の兄、スィード様が管理している。美しい花々がきちんと整備された居心地の良い空間だが、巫女様に飛ばされた先にたどり着いたこの屋敷はまるで違う。鬱屈とした思い空気が漂うそこは、まるでスィード様が案内した郊外にかまえられたクレメンテ家の別邸のようだ。住んでいる人が違うだけでこれまでも空気が変わるものか。

 これが呪いの影響なのだとしたら肌が粟立つ不気味さが全身を這う。

 夜空には綺麗な三日月。星々はなにもかわらず輝いているのに屋敷の敷地内はまるでお化け屋敷みたいな怖さを感じる。

 どうしよう。あまりにも居心地が悪い。帰りたい。逃げ出したい。ここにいては危険だと全身が警告を出すほどの恐怖。そんな中、ぽつりと立ちつくしている人物に気が付いた。真っ白な髪に真っ白な衣装、すらりとした出で立ちは顔を見なくても誰だかわかった。


「……ジャック?」


 ジャックは静かに足元を見降ろしていた。反応がないのでそっと近づくと、彼はいつも以上に感情のない横顔をしていて、嫌な予感を抱きつつもゆっくりと彼の視線の先を見た。


「――!」


 息が止まった。暗くてよく見えなかった視線の先だったが、月明かりが雲間から差し込んで舞台上の演出のようにそれを照らし出す。

 人が、倒れていた。

 緑の芝が赤く染めあがって、倒れている人が無事ではないことを知らしめる。


「……おや、君もここに来たんだね。君には縁のない場所だと思うけど……」


 もともと生気などないような男だったが、なにもかもが抜け落ちたからっぽの人形のような姿に、なぜだが胸が痛んだ。


「ジャック、これは……」

「私の過去だよ。思い出した……思い出してしまった」


 すっと、ジャックは視線を上に向ける。私もつられて上を見た。そこには高い塔があって、一番上には誰かがいるようだった。しかし、この塔には覚えがない。現在のクレメンテの屋敷にはないものだ。後にとり壊されたのだろうか。


「この日の晩、三日月が美しく輝く夜に一人の男が死んだ。信頼していた兄に裏切られて、彼はあまりに悲しい最期を遂げた」


 月明かりが塔の上の人物を照らした。そこには絶望に顔をゆがめた男が、芝の上に倒れ伏した血まみれの男を見ていた。


「悲劇のはじまりは、たった一つの嫉妬心。代々美しい姿で生まれるクレメンテ家の者達の中で、後継ぎであるはずの長子ソル・クレメンテは平凡な容姿で生まれてきた。美しくないソルに家の者達は醜いと罵った。塔の中に隠されるようにして育てられた彼は数年後、弟と対面する。弟ヨル・クレメンテはこの家にふさわしい美しい容姿を持った子だった。しかしヨルの髪は宵闇のように漆黒で、黒を嫌う貴族はヨルもともに塔へ閉じ込めた。こうして二人は塔の中で協力して生活し生き抜いた。二人は仲の良い兄弟だった。しかし彼らが大人になるころに最悪の転機が訪れる。はやり病でほかの兄弟達が死んでしまったのだ。後継ぎに困った当時の子爵はしぶしぶソルを後継ぎとし外へ出した。ソルが後を継ぐと、彼は弟を塔の外へと出した。これからも二人で協力し、家を守っていこう。二人の絆は確かなもののはずだったんだ。けれどそれはかなわなかった」


 ジャックは塔の上から視線を外すと、芝に倒れ伏した男に近づいて膝をつき、前髪をそっとかきわけた。頭部は血まみれだったが、その美しい容姿は変わらず残っていた。その顔は間違いようもなく……。


「ジャック、あなたやっぱり……」


 セラさんの話を聞いたときから予感はあった。


「そう、私は……『僕』は、ヨル・ラント・クレメンテ。信じていた兄に裏切られ、嫉妬と愛憎に呪い殺されてしまった哀れな男だった」


 前髪をかきわけたヨルの顔は、そのままジャックの顔だった。ただ少しだけ違うのは、ヨルはとても優しそうな面差しをしていて、命の光を失ったうつろな瞳からは涙がこぼれ落ちていた。


「ヨルは最期の瞬間まで兄を心配していたよ。誰よりもクレメンテの呪いの存在に気が付いていたからね。だからかな、ヨルはどんな酷い仕打ちをうけても、愛する人の手によって命を失っても……命の灯が消えるその瞬間まで誰も恨みはしなかった」

「それじゃあどうしてヨルはあなたに……」

「強い心残りがあったんだよ。私も忘れてしまっていた、『僕』の本当の願い、目的が。死んでから魔人になってしまうと生前の記憶がなくなってしまうから、私はずっと間違えた願いのかなえ方をしていた」


 ジャックは魔人の中でもかなり危ない男である。精神の不安定さはもちろん、なにを考えているのかがまったくわからず、異常な行動ばかりが目立つ。彼のすべてが間違いのようにも見えるがジャック本人としてはなにがしかのものに執着をした結果なのだろうか。


「ジャックはヨルの、自分の本当の目的を知ったのね?」

「そうだね。でも正直、私はそれがどうでもいいんだよ。もう彼が私と同じだと思えないから」


 これは死した後に魔人となる弊害なのだろう。もう別人のように二人は乖離してしまっている。


「でも『僕』は私を作ったものの核であることは確かで、離れようにも離れがたい。こんな気分になるのははじめて……かな」


 ジャックはぼうっとしていて、その存在自体が揺らいでいるようにすら感じられた。もはやヨルが偽物でもジャックが偽物でもなく、二人は別々のものであり一つのものなのだ。言葉で表現するのはとても難しいけど。


「……私は他の魔人と違って、明確になにをするべきなのか、なにに執着し堕ちているのかわからなかった。ずっとぼんやりとしたものの中で、一つだけ『女性』へのなにがしかのこだわりがあることだけは感じていたから」


 だからあんな変なアプローチが多かったのかな。私から見ればかなり犯罪だったけど。


「しかしヨルを見て、それは間違いだったと気が付いた。私は女性しか興味がないんじゃなくて、ヨルは女性を嫌悪していたんだ。彼女らのせいで兄はヨルに嫉妬し、最終的にこの終わりを迎えたから。恨んではいないけど、女性たちから受けた残虐な仕打ちは彼にトラウマを与えたんだろうね」


 ヨルの女性へのトラウマが、ジャックという狂気を生んだ。それが答えか。


「世の中、男から女への加虐が目立つものだけど、女から男への加虐がないわけじゃない。でも誰にも言えないよね。そういう世界だもの」


 ヨルがこの屋敷でどんな目にあったのか、私は知らないし知りたくない。クレメンテ家の血に潜むアルベナの呪いの傾向を考えればなんとなく察せられる。ジャックがああなのもなんとなく納得した。


「私が魔人である意味……ヨルの願いは――」

「ジャック?」


 ジャックはヨルの瞳を優しく手で閉じると、私の方へ向き直った。


「ねえ、シア……君は、ベルナールを目覚めさせたいかい?」

「え?」


 ジャックの口からそんな言葉が出るとは思わず、私は唖然としてしまった。


「私ならできるよ、たぶんだけれど。私が『ヨル』で、クレメンテの血を持っているのなら」


 返事に迷っている中、塔の中から男が下りてきてヨルの遺体にすがりついて泣き始めた。懺悔を求めるその悲痛な泣き声に、私は別邸で出会った幽鬼のようになってしまったしわがれた老人を思い出す。ソルは未だに弟への罪悪感で正気を失ってなお、さまよっているのだ。


 ふと、横にいるジャックの顔を見て私は言葉を失った。


 彼は――――泣いていた。

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