□16 お互いの過去
――そして一方、ルークとクレフトの試練もはじまろうとしていた。
「私はただの案内人。過去に起こった出来事から情報を組み上げて落とし込んだ存在です。私はとある人物に似ているかもしれませんが、本当の意味で本人ではありません」
赤い髪の女性は淡々と語った。穏やかな微笑みと声音なのに、どこか異質で……それが彼女が言うように自身がただの『案内人』であるということに終始するのだろう。
「ここは試練の場。己が手に入れたいと思うものを手に入れるための場所。あなたたち二人は役割だけでみれば、同一であり、不同。だからこそ、二人同じ場所が選ばれた」
ルークの隣で小さく舌打ちが聞こえた。クレフトは苦虫をかみつぶしたような顔をしていて、逆にルークは受け入れるように息を吐いた。
「今から二人には『お互いの過去』を追体験してもらいます。そこでなにを見て、何を得て、何を失うのか……あなたたちは二人とも同時に同じものを恐れている。酷ではありますが、必要なことです」
同じものを恐れている。それはルークにとっては少々驚くべき話だった。見やったクレフトとはまったく視線が合わないまま、二人はそれぞれ『案内役』に導かれるように追体験を開始した。
「お前の母? そんなもの、とうの昔にお前を捨て出ていったさ」
冷や水を浴びせるような冷徹な言葉が、ルークの頭上から降ってきた。ルークが視線をあげると、恰幅の良い男が細い目をさらに細くして見下すように言葉を吐き捨てた。
背筋が思わずゾッとする。
ヒキガエルが、ギラギラとした宝飾品をこれでもかと身に飾っていて存在自体が下品と言ってもまったく間違いではない。悪口じゃない、見たままをあらわすとそうなってしまう。
『この人が、あなたの父親。地方貴族アシュリー男爵です。彼が支配するこの土地には良質な宝石を採掘できる鉱山がいくつかあり、アシュリー男爵家は男爵の位でありながら資産は他のどの貴族にも劣らないほどでした。それがおごりとなったのでしょう、彼はその身にすべての私腹をこさえてぶくぶくと肥え醜い存在でした』
案内人の声がどこからか聞こえてきた。
ルークは父親の姿を見たことがなかった。世界線を渡れる夢を見られるようになってからも、ちゃんとは見られなかったのだ。だから屋敷の姿も覚えていなかった。だが、こうして真正面から体験すると悲鳴もあげられないほど恐ろしく感じられた。身長は子供の姿になっているのか、今では滅多に見下ろされることもないが、小さい存在とはこれほどまでに圧力を他人から感じられるものなのだと改めて実感した。
『幼いクレフトは、ふと自分に母親がいないことを不思議に思いました。そして父親に聞いてしまったのです。自分を産んでくれた母親はどこにいるのかと。この家には女性が沢山いました。ほとんどが男爵の愛人でした。自分の面倒をそれなりに見てくれる女性がいたので、彼女が母親だと思っていたのですね。しかし無慈悲にも男爵はクレフトに母親はお前を捨てていったと告げたのです』
それはどれほど幼いクレフトにトラウマを与えたことだろう。今がどうであれ、クレフトだって小さい頃は無垢なときもあった。そんな時期に誰にも寄り添われずに、冷たくあしらわれる痛みはどれほどだろうか。
ルークには両親の記憶はほとんどない。かすかに残っていた男女が口論ばかりして殴られて……の記憶は調べてみたところ実の両親ではなく、最初に拾った夫婦だったのだ。知らなければそれだけ自分が望む理想の家族の妄想ができた。壁一枚隔てた向こう側をうらやみながら、寒さと飢えに震えても夢は見られた。
でもここは、幸せな妄想さえさせてくれない。
王都を彷徨う浮浪児だった方が幸せではないかと思ってしまうほどに、ここは恐ろしい場所だった。
「誕生日おめでとう。私の誇り高き息子よ!」
「兄上、お誕生日おめでとうございます」
「おめでとうございます」
口々に祝われる豪華な誕生日のパーティ。アシュリー家には腹違いの兄弟がたくさんいる。しかし豪勢に祝われるのは正妻の長男である跡継ぎのみ。他の兄弟達は彼に取り入り、こびへつらっておこぼれをいただくハイエナのような存在だった。
クレフトは兄弟の中でも一番下だった。母親の身分が高くなかったことが原因の一つで彼の扱は粗末なものだった。
『クレフトは血筋だけはいい無能な長兄を毛嫌いしていました。事実、クレフトは長兄とは違って頭脳も運動神経もできがよかったのです。しかしまたその事実もアシュリー男爵や長兄には目障りでしかありませんでした』
体験した日々はとてもつらかった。
兄弟達にボロ雑巾のように扱われ、暴力は当たり前……反撃して相手に怪我を負わせればそれはそれで大変な目に合う。折檻で死んでしまうかと思った。
『クレフトはもとより負けず嫌いな気質でした。自分よりも劣るものから虐げられるのが我慢できなかったのです。いつか絶対に見返してやる、とそれだけを生きる糧にしていました。しかし数年経っても、彼の立場が変わることはなく、それどころか悪化の一途を辿りました。クレフトがどれだけ、どの分野で好成績を収めても誰も認めることはなく、家の恥さらしだとなじられました』
どれだけ努力しようが、なにをしようが誰にも認められることはなく、誰の目にもとどまらない。それはどこか作為めいているほど完璧に彼の行く先を封じていた。
まるで呪いだ。
女神が紡ぐ贄の糸は、逃れることが難しい。ここまで徹底しておぜん立てされて子供が素直に成長できるわけがない。
『認めて、愛して、この努力をすごいと誉めて欲しい。誰もが願うことを彼はあまりに過剰に求めるようになりました』
承認欲求の怪物。
彼の歪な性格の一部は、たしかにここで作られた。
「それで家に反発して、王都に来て勇者になったのか。目的はやっぱり復讐……なのかな」
『そうですね、それがあなたの知るクレフトでしょう。ですがその前にもう一つ、彼を最後にどうしようもなく壊した出来事がありました』
……壊した?
最後に案内されたのは、小さな聖堂だった。地方によくある聖教会の支部だろう。
「おや、また来たのですね。今日はどんなお話をしましょうか」
柔和な老人だった。ローブをまとう姿はまさしく聖人で、司教様よりよほどちゃんとしている。聖教会支部で働く神官の一人であった老人は屋敷を抜け出していたクレフトに色々な話をした。教養だったり、道徳だったり、ほんとうに色々な大事なことを。
クレフトは老人を馬鹿にしたような生意気な発言ばかりをする子供だったが、老人は笑っていた。老人はそれがクレフトの精一杯の強がりだと気がついていたのだろう。だからこそ、クレフト少年も老人を慕っていっていた。
老人だけがクレフトを褒めてくれた。たまにその態度を叱ったし、根気よくさとしもした。曲がったものを少しだけ矯正した。この小さな聖教会だけが彼の居場所にもなっていた。
だけど。
『ある日、クレフトがいつものように屋敷を抜け出すと小さな聖教会は黒煙をあげて燃えていました。火の不始末でも自然発火でもない、火付けによる火事。その犯人は明らかでした』
クレフトにいらぬ知識を与えていると男爵は思ったのだろう、彼の最後の居場所を奪った。
そして、それだけでは飽き足らず……。
『燃える聖教会の前に、一つの台がありました。そこに乗せられていたのは、老神官の遺体の首でした』
最悪の晒しあげだった。なにもかも奪われたあげくに大切な人を侮辱した。
もう、穏やかに話を聞く場所はない。
もう、自分を褒めてくれる言葉も、見守ってくれる瞳もない。
笑い声が聞こえてきた。
クレフトが笑っていた。
泣きながら、大声をあげて笑っていた。
それは異様で、不気味で、人が壊れる様というのはこういうことを言うのだろうと思った。
シアがギルド大会のすぐ後に、クレフトのことで少し考えていた俺に言った。
過去になにがあったとしても、私はあいつが嫌いだ、と。それはそうだろう、自分が被った仕打ちは相手にどんな事情があろうと意味をなさない。
当たり前。
それでも過去を知る意味はあったと、ルークは心臓に染み入るようにその光景を受け入れた。




