□2 不可思議な世界そのものであるかのよう
「……おばあさま」
彼女に割り当てられた部屋で、ペルソナおばあさまはのんびりと窓の外を眺めていた。外はもう暗くて、町明かりが煌々とし夜なのに眩しいと感じる。帝国は光源が多い、王国でも王都なら夜でも明るい方だが帝国のように夜空が見えにくいほどまでにはならない。美しいけれど星が見えにくいのはもったいない気もした。
「んー? なんじゃ、今にも泣きだしそうな赤子のような顔をして」
どうして私がこんな顔になっているのか、どうしてここに来たのか、おばあさまはなんとなく察しているような優しい表情だった。
「シンやアギには、あーだこーだ言われたが……それほど深刻でもなかったじゃろ?」
「……そうですね」
大慌てしている大人達が滑稽なくらい子供の方が大人なのかもしれない。
「少し、お話していってもいいですか?」
「少しと言わず、夜通し聞いてやるさ。言うたであろう? お前はわしの孫のようなもんじゃと」
おばあさまがベッドに腰かけると、隣をポンポンと叩いたので私は誘い通りそこに腰を下ろした。
「帝国にきて、たくさんのことを知って……たくさんの問いと答えが溢れました」
情報を得て、知ってはわからなくなり、疑問が解決したようにみえてまた迷宮に迷う。いったりきたり。
「そうじゃの、わしのことを含めてこの世界は隠されたものが多い。隠すだけではなく嘘をたくさん仕込んである。どれが本当で嘘なのか、混乱は多いじゃろう。だが、情報をギルドのメンバーに共有すれこそ、お前が導き出したいくつかの答えを……隠しておるな?」
「……はい」
確信に近いものに気づいた、だけどまだ本当の確定じゃないから誤魔化している。いや、たぶんみんなそれに近い回答を己の中に持っていて、私に直接問いただしていないだけだ。私がまだ、信じたくないと思っている。そうじゃないと思っているから。
「わしはおそらく、この世界の誰よりも世界の真実に近い場所におるじゃろう。そして、誰よりもお前に近い存在であろう……口は固い、その胸の内が軽くなるのなら語ってみせるがよい」
その言葉に私はゆっくりと息を吸い込んだ。
言ってもらわないと喋れないなんて、本当に私は臆病だ。
「私は一体何者なのか。ずっと、ずっと長い間、考えていました。思えば常に私は自分を疑っていた。違和感がどうしても傍にあったんです。施設に入れられる前の記憶がなかったからだろうと思っていました。でも少し違っていたんですね……」
おそらく一番古い記憶。鬼の形相の女。絶対に生きなければならないという呪いのような言葉。その正体が教皇であることを知った。それは嘘ではないだろう。彼女が私の母親の体をのっとって使っている、だから間接的に母親であると笑ったその姿。
でも、でもだ。それだとつじつまが合わないことが判明した。精霊アーカーシャは告げた、私は普通の人間のように生まれいでたわけではないと。突如、そこに現れたのだと。だから母親を名乗る人物がいるのがおかしいことになる。私は母体から生まれていないとあらゆる時の知を持つアーカーシャが言ったのだから間違いはない。
ならなぜ、教皇は私の母親の体を使っているなどと言ったのだろうか。ルークも教皇の顔と私の顔はそっくりだと言っていた。親子であると言われたら、ああなるほどと納得するくらいには……。
「この世界に私は突然あらわれた。母体から産み落とされるのではなく、そこに忽然と。おかしいじゃないですか、この世界の人間は父親と母親がいて、赤子は母親のお腹で育って生まれるんですよ? じゃあ、私はなんだっていうんですか」
「……別の可能性を考えておるか? たとえば……始祖のアルベナの一部であるとか」
「……」
シリウスさんは赤子の姿でうまれたわけじゃない。アルベナから分裂した一部が人の形を成したもの。そうだったら、突如そこにあらわれてもおかしな話ではなくなるけれど。
「お前は違う、アルベナではない。それはわしがはっきりとわかる」
答えはわかりきっていた。私がアルベナであるなら、それこそつじつまの合わないことが増える。私は問題だらけではあっても人間としてしっかりと自我があった。シリウスさんはそれが最初まったくなくて、司教様は大変に苦労したのだ。それとアルベナはアルベナ同士でなにか通じるものがあるらしいが、私はまったく感じられない。だからその可能性は早くに否定している。
「わかりません、全然想像もつかないことがおこっているのかも。……一つ、認めたくないことがあります」
「うむ……」
無意識に震えていた手を、おばあさまは優しく握ってくれた。
「皇帝の城に入れました。皇帝陛下に笑顔で『姉さん』と迎えられました。否定しても否定しても、皇族の血筋でないと開けない扉を開けてしまった私は……完全否定ができない。本来皇帝になるはずだった子供が攫われた。攫ったのはおじいさまの部下であったアドルフ・ガードナー。彼が育てた子は……レヴィオス・ガードナー、司教様……です」
アドルフ・ガードナーの息子は二人いる。けれどシリウスさんはありえない。なら、一人しか残らないじゃないか。司教様が彼の実の息子であったら年齢が合わない、おじいさまはそう言っていた。
「言葉をそのままうのみにすれば、私は……司教様と教皇が使っている女性からうまれた子供ということに……なりますよね」
「……そうじゃの」
今でもここまで口にしても、やはり司教様が父親とは思えない。そう思いたくないだけなのかな。いつまでたってもシリウスさんをお父さんと呼べなないのも。喉の奥に突っかかるのはなぜなのか。
司教様は今……教皇のところにいる、と思っている。私を本気で殺すこともいとわないあの凍るような殺意を思い出してしまう。怖いけど、怖くない司教様。手がかかるおじさんだと世話をやいてしまっていた……親戚のおじさんみたいで、適当にみえてきっちり導いてくれる人だった。
どうしてかな、すごく胸が痛いよ。
信じたくないが、実の親子だったとしたらあんな殺意をぶつけてくるだろうか。なにも言わず、ずっと見守ってくれていたのは、別の目的があったからですか? 司教様。
『シア、君と司教様は親子なのか?』
ベルナール様がはじめて司教様に会った時、彼はそう問いかけた。確かに髪は互いに珍しい黒だったから、そう言ったのかと思ったがベルナール様はそれ以外の部分でも似ていると思った節があったらしい。私は笑い飛ばしたが、司教様は確か。
『俺が父親なわけないだろ。その資格もない』
ああ……そうだ、そう言った。すごく、怖い顔でそう言った。
司教様とシリウスさんどちらを父親にするかと司教様が聞いた時、私は食い気味にシリウスさんと答えた。あの瞬間、司教様は……寂しそうな顔をしていたと思う。シリウスさんも『あれは拗ねてた』とこっそり言ったので見当違いではないはずだ。
だが今思えば、シリウスさんが亡くなって教会を出た後、司教様は少し態度を変えたように思えた瞬間が何度もあった。
もしかして最初は、私が自分の子供だと気づいていなかった?
それともそもそもまた私は違う存在なのだろうか。
「お前は不思議じゃ、シア。人のようであって人ではなく。魔のようであって聖である」
おばあさまの手はあったかい。シリウスさんは冷たい手だったが、アルベナの分裂体とはいえ体温は違うのだろうか。
「陰と陽の混じり合い、神羅万象……不可思議な世界そのものであるかのようじゃ。だが、お前は一人のただの娘であり、父や家族を羨望する寂しい子でもある。その身に抱えるには重すぎる荷物が本来の自由な主の気性に合わぬ、身動きとれぬ姿のなんと悲しい事よ」
おばあさまの手が私の頭を撫でた。
「血の繋がりがすべてではない。愛情と親愛が集えばそこは家族となる……これもまた不思議なこと。始祖のアルベナもまた、己の分裂体達を家族と呼び愛した。ゆえに奪われた悲しみと怒りと憎しみは重く、呪いとなってしまった……。なにも変わらぬ、人もアルベナも。お前がレヴィオスの子であろうとなかろうと、人であろうとなかろうと己が我を通すとよい。心あればこそ、己だけの道が見えるもんじゃて」
「おばあさま……」
私は自分が怖いままだ。得体の知れないものであることが恐ろしい。
それでもなにも変わらないのだとおばあさまは言った。心があるならば、その心に従えと。誰が親であろうとなかろうと、人であろうとなかろうと。私は私として、それが己の道である。
すぐに氷塊するような柔軟な頭はないけれど、私はおばあさまの腕の中に抱きしめられながら、すすり泣いた。
泣きながらそのまま眠ってしまうくらいには、おばあさまは体温が高かった。




