□0 こどものけんか
こんなことをいうと、まわりのおとながへんなかおをするので、りーなはいったことがない。
りーなのおぼろげなきおく、それはやさしいおかーさんのこえ。ここはきっと、おなかのなか。あたたかいばしょで、ただよいながら、りーなはぬくもりと、まどろのみのなかにいた。
たくさんきこえるのは、おかーさんのこえ。だけどもうひとつ、ちがうこえもあった。きっと、それがおとーさん。りーなのきおくは、とぎれとぎれ。それがほんとうなのか、ゆめなのかわからない。ふたりはとても、しあわせそうで、りーながうまれてくるのをたのしみにしていた。
これは、りーなのゆめですか?
それとも、こうあったらいいなっていう、もーそーでしかありませんか?
のんちゃんとであったときにみえた、あのこうけいは……ほんとうにあったことだと、りーなはおもいたいのです。
りーなは、ちゃんとのぞまれてうまれたのですか?
おかーさんと、おとーさんは、りーながうまれて、ほんとうにうれしかったのですか?
どれだけといかけても、もうだれもこたえてくれない。おかーさんとやくそくをしたけれど、ほんとーは、りーな……おとーさんは、もうどこにもいないとおもっていたのです。だって、おかーさんがあれほどくるしんでいたのに、どうしてたすけにこなかったのですか? いきていたのなら、なぜおかーさんといっしょにいてくれなかったのですか?
どうして?
どうして?
あんなにまっていたのに。
おとーさんを、ずっとおかーさんはまっていたのに。
りーなじゃなくて、おとーさんがそばにいたら……おかーさんは、ひとりで、こどくに、しんでいくことはなかったのに。
りーなじゃなかったら。
りーなじゃなかったら。
りーなじゃなかったら……。
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「リーナ!」
「!!」
リーナは暗い淵の中から覚醒し飛び起きた。
額に汗を浮かべ、息が荒い。呆然と周囲を見回せば、あまり見慣れない部屋だがホテルの部屋であることを思い出せた。
「リーナ、だいじょうぶ? すっごく、うなされてたよ?」
心配そうにリーナの顔を覗き込んだのは、同じ部屋に泊っているシャーリーだった。サラも一緒だったが、周囲の警戒や大人だけの会議があって今は部屋にいない。
「だ、だいじょうぶです。しんぱいかけてごめんなさい」
しゅんとしてしまったリーナの手をシャーリーがぎゅっと握った。
「こわかったよね。でもだいじょうぶだよ、パパもママもみんないるから」
もちろんシャーリーもね! と、明るい笑顔を向けてくれるシャーリーにリーナは微笑み返した……だが、それは失敗したようだった。
「リーナ、わらいたくないときは、わらわなくってもいいんだよ? こわいって、ふあんだっていっていいんだよ。それはこどものとっけんって、ママがいってた!」
「……」
リーナはうん、と肯定しようとして喉がつまった。
『わらいたくないときは、わらわなくってもいい』
その言葉の意味が、リーナの中で理解できなかったからだった。
笑っていれば、辛いこともなんでも過ぎ去っていく。リーナの経験では、それが一番だった。嵐をやり過ごすのにそれが最適解だった。リーナは賢く、どうやったら無難に乗り越えられるかを本能で理解していたから。
そんな子供の駄々をリーナは自分の中で受け入れられなかったのだ。
どうしてだろう。母親を失ったと知った時、リーナは感情のままにシアの腕の中で泣くことができたのに、今はできなくなっている。
なんとも言えない複雑な表情を浮かべたリーナに、シャーリーは首を傾げた。
「リーナ?」
「……なんでも、ないのです」
大丈夫。繰り返して、シャーリーと手を繋ぎながら、再び目を閉じた。
シアから聞かされた父親の情報と母親と思わしき人物の情報。リーナの知らないことばかり。自分は本当は何者で、なぜ両親と自分は追われる羽目になったのか。
シアはリーナを仲間として真実をきちんと伝えてくれた。リーナはそれをとても感謝している。いつまでものけ者にされたくない。リーナにはリーナなりのプライドが芽生えていた。
(りーなは、はっさいになってはんぶん。もうはんぶんすぎたらきゅうさいになる)
早く大人にならなくては。
もっと早く時間が流れればいいのに。
「アギお兄さん、お時間だいじょうぶですか? り――私のかいものにつきあってください」
「へ? あれ、どうしたリーナ」
リーナのいつもの愛らしい幼児的な言葉遣いが、たどたどしくもしっかりしたものとなっている。声をかけられたアギが目を丸くした。近くで聞こえてしまったシアは、お玉を落とした。
「本屋さんで、ゆういぎな本を買いたいのです。参考にしますので、おねがいします」
「それはいいんだけど……」
言葉、そう言いかけたのをリーナはしっかりと理解した。
「りー……こほん、私もはっさいと半分なので。そろそろいちにんしょう、りーなはいけませんよね。今からでもれんしゅうするのです」
ピシッと立つリーナは、背筋がまっすぐと伸びていた。このかたくなな顔は、今はどうあがいても動かすことはできない不動のリーナだ。シアはそう察知して、なにか言いたそうな顔をしつつもアギにいくらかお金を渡した。
「……任せた」
「えーっと……うん、なんとか。あーっと、シャーリー! あとシンも一緒に来いよ!」
「わしもいくー! 子供達だけじゃと心配じゃしな!」
なんとなく手に負えない気配を感じたのか、アギはシャーリーとシンへ助けを求め、ペルソナが遊びたい半分でついてきて結果的に子供達四人とペルソナで本屋にでかけることになったのだった。
帝国の本屋はかなり異世界の技術をとりいれており、検索機能なるものが豊富で操作になれないと逆に探しづらいものだが、リーナ、シャーリー、アギはそもそも頭がいいのとシンは帝国で暮らしているため、操作はすぐに覚えてしまって苦労することはなかったが。
「む? これ、これか?」
ビー! ビー!
「ええい! すぐにびーびーと泣きおって! わしのどこが悪いというんじゃーー!」
ペルソナだけがいつまでたっても機械と喧嘩していた。
「ペルソナはほっといていいから」
リーナ達はシンとペルソナの関係については、詳しいことは知らなかったが親しくも冷たくあしらう間柄なのかなとそっとスルーしている。
「それで、リーナはどんな感じのが欲しいんだ? 帝国はずっと移動で活動するだろうし重い本が増えると運ぶの大変になるけど」
「でんししょせきというものが、あるそうなので! タブレットは支給されました」
「へぇ?」
電子書籍というシステムにアギが興味をひかれてリーナから話を聞く中、シャーリーは少し不機嫌そうに椅子に座っていた。
「行かないの?」
「……うん」
足をぶらぶらとさせて、口を尖らせている姿は拗ねている子供そのものである。シャーリーの機嫌は、見た目にすぐにでるのでわかりやすい。
シンは店のタブレットを操作して併設されているカフェメニューを提示した。
「なんか飲む?」
「……いらない」
シンは目を泳がせた。どうやって機嫌をとったらいいのかまったくわからない。シャーリーはついてきたはいいが、本を買う気はないようでアギとリーナから少し距離をとった場所でずっと座っていた。シンは助けを求めようとペルソナに視線を送ったが。
「なんじゃ操作一つ間違えただけでびーびーと! こんの石頭めがー!」
まだ機械とどうでもいいバトルを繰り広げている。使えない。
「……だいじょうぶっていったのに」
「え?」
「リーナ、だいじょうぶっていったのに。……うそつき」
怒っている、というよりは拗ねているという表現が一番しっくりくるのだろう。シンは視線をリーナに向けた。シンはリーナのことをまったく知らない。急に言葉遣いを改めようと考えたのは、年相応な気もしていたが、それは少し違うのかもしれない。
シンはない知恵をたくさん振り絞って考えて、最終的にアギの袖を引っ張った。
「なんだよシン帝国の異世界技術がつまった興味ひかれまくる話を聞いてたところだぞこれからの魔道具の開発とか魔導回路の新たな構築の切り口とか創造の遥か先の突破口を開けるかもしれないこの重要さがわかんねぇーかな!」
「なに言ってるかひとっつもわからないから、アギの話は放っておいて。シャーリーが……」
「んー? あー、拗ねてるかアレ」
「拗ねてる」
少し離れてもシャーリーの拗ねオーラが強い。
「前から思ってはいたんだよな。リーナとシャーリーってタイプが真逆、対照的」
方や親とうまくいかず、最悪な別れ方をしたリーナ。
方や両親から一身に愛情を受け、健やかに育ったシャーリー。
リーナはよく言えば聞き分けがよくて賢く、手のかからない大人っぽい子だ。だが半面、子供らしいわがままや駄々をあまりしない。シャーリーは、年齢にしては頭の回転の速い子ではあるが年相応にわがままも言うし駄々もこねる。ああやって不機嫌な態度をあらわにして周囲を困らせることもリーナはしない。だからリーナは本当の感情がわかりづらい。
「わかりづらいってか……あまりにも抑制しすぎたせいで自分でもわかってなさそうなとこあるんだよなぁ」
「……そうか」
十三・四の男子が二人、幼女二人の静かなるギスギスの気配に戸惑った。シアに『任せた』とか言われたが、かなり困る分野である。いくら天才魔導士アギといっても、繊細な乙女心への理解は疎い。
どうしよう、マジどうしよう。
ペルソナはなんでついてきたと八つ当たりしたいくらいに役に立たない。
「シアねーちゃんにSOS出すか……」
そう思ったが、任せたと言ってきたシアの絶妙な顔をアギは思い出した。
「ダメだ。ダメな気がする。ねーちゃんにも不得意な分野かも」
乙女心がないとか殺されそうなことを一瞬考えたがあの顔はそうじゃない。シアもリーナやシャーリーが抱えているものに対する理解ができない状態なのだろう。たぶんこのギスギスの元凶は親への感情の違いだ。シアには親と深くかかわった経験がない。だから、想像の域をでないものなのだ。
「んーっと、シンは親とか家族とかそういうの――」
「いない」
「え? そうなのか?」
「存在しない」
「そ、そうか」
強めの圧を感じたので、それ以上は聞かなかった。
(ペルソナとの関係もわかんないし、こいつもこいつで色々ありそうだよなぁ。本当に俺ってめぐまれてるっていうか……)
だからこそアギにもちゃんと理解してやることは一生できないだろう。
助けてマスター。
アギは自分のギルドのマスター、エルフレドに胸中でSOSを送った。エルフレドなら、すべてを包みこんで解決しそうな感じがする。でもそれはなぜだろう。エルフレドの家族は普通だ。だからアギとそこまで変わらないはず。だからリーナ側の気持ちは理解できないのではと。だけどエルフレドならやれる気がするのだ。
なんでだ?
「うーん、うーん」
アギが悩み始めたのでシンは首を傾げた。
「アギ?」
「いやぁ、マジでなんも考えつかない。マスターに答え聞きたいな」
そこでポンとアギは明瞭な回答にいきついた。
「あ、聞きゃあいいじゃん」
帝国には遠距離通信というすばらしいものがあるのだから。




