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■23 名残惜しくはあるよ

 アルベナ、それはこの世界にはじめから存在した、この世界の生物である。元々この世界は、どこかにある異世界を模倣して作られたものらしい。だからアルベナには本来必要のない性別がある。始祖のアルベナは、それに加えて細やかな感情も備わっていた。

 延々と分裂していくことで個体数を増やすアルベナだが、分裂体は個性を持つ。同じ細胞で作られていようとも別の個として扱われる。だが繰り返し分裂した個は、どんどんその個性を失っていく。

 始祖のような感情も無意味なものとなる。

 種としての営みも文明もそれほど栄えない。

 それでも始祖だけは、長く生きて分裂体(こどもたち)を慈しみ続けた。


 神は、いつか終わらせるつもりだったらしい。

 ここは実験的に模倣して作られた世界だから、データがとれたらなんの必要性も持たない。営みも文明も進化もしない世界は変化もない。ゆっくりと退化するしかない世界は、ゆるやかに終わる。情を持っていた神はそれを見届けようと思っていた。

 だが、それは結局叶わなかった。

 詳細はわからない。だが、この世界の神は消え去り、代わりに侵略者が来訪した。異世界の女神は無慈悲な刃でゆるやかな終わりを進んでいたアルベナを葬った。

 突然の悲劇に、唯一感情を持っていた始祖は嘆き悲しみ、怒った。その激しい感情は呪いとなって世界を蝕んでいくことになる。


 俺は、おそらく最後のアルベナだ。

 封印がとかれ、彷徨っていたどれかのアルベナの欠片が血を流すように最後の力を振り絞って俺は生まれた。分裂体が死の間際にさらなる分裂体を生むのは本能だ。

 生み落とされてしまった俺は、女神が繁栄させた人間とは見た目こそ似ていてもまったく違うものだった。始祖から幾重もの分裂を繰り返した結果、生物としての個もほとんど失われているはずだ。それでも俺を拾い育てたガードナー夫妻は、とんでもない人間だったようにも思える。

 それともそれが普通なのか。

 理解はどうしても叶わなかった。それでも彼らが俺を『愛して』くれていたという事実は受け止められていた。だから、俺は暴走して『父と母』を殺してしまった時、そこから逃げ出したのだ。

 涙は流れなかった。なぜ逃げ出したのかも本当の意味で理解はしていない。ただ、体が動いたから従った。体の震えが止まらないのも、命を断とうと色々と試したことも……理解できなかった感情が、俺が気がつかなかっただけで確かに存在していたのだろう。ただ生きるだけの生命ならば、己の命を自分の手で終わらせようとは考えない。


 兄が、俺を見つけて、殴って……泣き叫びながら抱きしめてくれた瞬間、俺ははじめて涙を流した。


 それはきっと模倣。

 どこかの世界を模倣して作られた世界のはじまりの生命体であるアルベナは、なにかを模倣する機能(スキル)があるのかもしれない。

 涙を流した理由を俺はいまだに理解していないから。

 見て、(なら)う。人というものを。この新たな世界で古い生命である俺が生きていくために必要なもの。




 だから俺はずっと不思議で、そしてどこか不気味にすら思っていたことがある。

 あの子を娘に迎えて、正面から向き合ったとき……。


 なぜ、『似ている』と思ったのか。

 あの子の目は、視線は人間を模倣するために他人を観察する時の俺の目と同じだ。あの子は気がついていない。処世術の一つだと勘違いしている。


『兄さん、あの子は……』

『お前の予想している通りだと思うぜ。さすがに俺にはそこまではわからないが……アルベナのお前には想像がつくだろ。俺もお前の目がなけりゃ、気がつかなかった』


 レヴィオスは己の右目に宿した元俺の目を眼帯越しにそっと触れた。


『あれは災厄そのものだ』


 この世界の人の子の皮をかぶった災厄だと、兄は呟いた。


『扱う存在を失った兵器が独り歩きしている状態、とも言える』

『……俺に、鞘になれと?』


 兄は黙ってしまって、新たな言葉は紡がれなかった。

 優しい人だ、本当は。だからなにも言えなかった。


 アルベナは世界にとって毒でしかない呪いで、災厄と同一である。

 ならば、兄が例えたあの子の正体は俺と同じだ。ある意味、相応しい親子になったのだろう。


 それでも『幸せ』だったと今でも思うことができる。あの子が娘となってお互いに見様見真似で。ちぐはぐであり、でこぼこであり……不格好であった。

 あの子のはにかんだ笑顔が記憶にこびりついている。

 その笑顔がまた見たくて、俺は色んなことを試したと思う。それはいつもたぶん、どこか間違っていただろうが、あの子はそれでも笑ってくれた。


 これは模倣なんかじゃない。

 俺と、あの子の……自分で見つけ出した唯一の感情であったはずだ。


 だから……賭けた。

 あの子の、『シア』の未来を、その先を開くために。


 普通の方法では死ぬことのできない俺を、とある方法で命を捧げた。あの子の一部に……なって……。




--------------------------------------------------------




 父、シリウスはうなだれたままだった。

 どうしたんだろう、いつも優しい笑顔を浮かべる人のはずなのに。


「疲れてるの?」


 気遣ったが、父は首を振るだけだ。


「シア、シア……わからないのか?」

「? なにが?」


 どうしてそんなことを聞かれるのかわからない。きょとんとすれば、父は今にもかき消えそうな声で再び問いかけた。


「……メアと、セリは……元気かな?」

「もちろん元気よ? この間、手紙も貰ったし、メアとはちょっと前に会ったじゃない」


 教会で修行していたときに仲良くなった神官のお姉さん二人。今でもこまめに連絡を取り合っている。


「そこから……か。そうか、俺が死なないのならあれもなかったことに……」


 ブツブツと呟いているが、私には全部は聞こえない。


「変なお父さん。ちゃんとご飯食べてよね!」


 背中をぽんと叩くと、私は他のメンバーを呼ぶために屋敷中を歩き回った。

 いつも通りの光景だ。本拠地はラディス王国だけど、今はおじいちゃんの家に遊びに来ていて、ギルドのみんなとつかの間の休暇中。数日たったら、王国に戻る予定だ。

 全員に声をかけて、食堂に戻ろうと一階へ足を向けて……ふと、奥の部屋が気になった。なにかに引き寄せられるかのように私は二階の一番奥の部屋に入った。


「……誰もいない」


 それはそうだ、この部屋は誰にも割り当てられていないのだから。


「あれ……?」


 なんでだろう、私いつの間にか湯をはった桶とタオルを持っていた。まるで誰もいないベッドに看病をしなくてはいけない人間がいるかのように。

 いないのに。


 誰も、いないのに。


「なんで?」


 ぼろぼろと涙が溢れてこぼれていく。


「シリウスさんがいるのに、メアもセリも生きているのに。ギルドのみんなもいるのに」


 なにを悲しむことがあるのだろう?


「幸せ、ヲ 作ったのにニ。完璧ナ、シアワセ セ ヲ あるのに ニ ニ ――」


 視界が歪む、なぜ。

 幸せなはずなのに、なぜ。

 涙を流すのは、なぜ。


 私は。


「シアっ!!」


 力強い声が響いて歪む世界の天井をを仰いだ。


「……ルーク?」


 その声はルークの声だった。毎日のように聞いている、彼の声。


「手を伸ばせ! 戻ってきてくれ!」


 戻る? どこに?


「お願い――だからっ。こっちの、≪お前が進んできた世界≫に」


 嫌だ、嫌だよ。

 ルークに言われても、そんな恐ろしい……シリウスさんが死んだ世界に。


 シリウスさん。


 そう言ってハッとした。そうだったね、私……シリウスさんのことお父さんだなんて呼んだことなかったや。

 嗚呼、そこはなんて残酷な世界だ。


「ここも……≪本当≫の世界ではあるんだよね?」

「――そうだ。でも!」


 いつの間にか部屋にルークの姿が現れていた。とても悲しそうな顔だった。泣き出しそうな顔だった。


「この世界には、代わりにベルナール様がいない!」

「……あっちが立たないとこっちが立たないとか、都合のいい世界はないもんだねぇ」


 頭がようやく晴れてきた。

 いつから私は、そしてどうやって世界線を越えたのか。


「戻りたくない、か?」

「名残惜しくはあるよ、さすがに」


 変なことになっているのに気がつくことさえできれば、やけに冷静になれた。

 やっぱりもう無理なんだなと。シリウスさんが生きている世界線は。


「でもなんでルークがこっちに?」

「あー、うん……それは後でな」


 歯切れが悪いが、ここで問いただすことではない。

 私は世界線を再び越える感覚を味わいながら、震える視線を誤魔化す為に目を閉じた。


 無意識に、世界線を越えるなんて。

 私という存在は、自分で思っている以上に……絶望的なものかもしれない。

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