■10 まったく似てない
「シア」
準備が整い、おじいさまが手配してくれた車が到着したところで、玄関ホールで待機していた私におじいさまが声をかけた。
「どうかしましたか?」
「いや、たいしたことじゃないんだが……。リクとは十年ほどの付き合いにはなるが、連絡をとりあっていたとはいえ三年ほど離れて暮らしていた」
ああ、と思い出した。
おじいさまは、シリウスさんや司教様、そして私を心配して王国に滞在していたという話を聞いた。直接会うことはなかったが、ずっと見守っていてくれていたに違いない。
「私の元へ来るのは、わけありの者ばかりだ。話したくないことがあるのならば、無理に聞いたりはしない。だからあれが、どこの誰だったのかも私は知らなかった」
おじいさまは、シリウスさん達を屋敷に置いたことをきっかけに身元不明でも、助けのいる者達を一時的に預かっていたようだ。リフィーノ姓を与えることはなくても、少なくとも一時は家族。おじいさまのような優しい人は、もう赤の他人だと切り離せないのだろう。
「屋敷に来たときから、リクは大人しく手のかからない子供だったが……ひとつのわがままも言わないのが少し気になっていた。シリウスとレヴィオスが手がかかりすぎたというのもあるが」
若干の遠い目。
あの二人は絶対にヤンチャだっただろうからなぁ。いくつか穴の開いた壁が見つかってルークとレオルドが修理したが、おじいさまの話によるとあれは昔、二人が作ったもののようだ。
「たまに、本当にごくまれに、なにがきっかけかはわからないが突然人が変わったように暴力的になることがあるんだ」
「え? 彼がですか?」
物腰丁寧で穏やかな表情をあまり崩さない好青年な印象だったので、驚いて目を見開いた。
「色々とあったのだろうと、あまりそのあたりは刺激しないようにしてきたが、いつなんどきそうなるか私には予想がつかない。なにごともなく終わるとは思うが、一応念のために伝えておく」
「……わかりました。気を付けておきます」
なにがきっかけでそうなるのかわからない以上、気を付けようもないが心の準備だけはしておこう。
出発前に少し気になる話を聞いたが、私達は予定通り車に乗って皇都観光をはじめたのだった。
帝国、特に皇都は皇帝が住むという皇都中心区に聳え立つ巨大な城以外は、王国では見ることができない建築様式の建物がずらりと並ぶ。皇帝の城は重厚感たっぷりな黒っぽい色合いのお城だが、他は四角い箱のような形の建物が連なっていた。
「皇都中央区は帝国の政治の中心でもあり、経済の中心でもあり、皇帝が住む場所でもある。一番セキュリティの強い区画ではあるけど、おじいさまのように昔ながらのお屋敷だと少々甘くなる。警備は手薄になるけど、おじいさまほどの腕の持ち主ならそうそう危ない事にはならないだろうね。だからこそ、『わけあり』の避難所というわけ」
リクが、車内で丁寧に解説してくれる。車もスピードは緩めで進み、ぐるりと城の外壁だというコースを回った。建物自体はまったく面白みはない。箱だもの。デザイン性をごっそりとそぎ落とし、空間を最大限に施設に利用している。
けどデザイン性のある建物がないわけじゃなく、公園や美術館といったそれなりの場所で美しいと王国民でも思えるような建築物が飾られていた。
次に訪れたのが、工業商業区画。お店が多いのかと思ったが、看板はあれど人の姿はあまりない。
「買い物は大抵オンラインで済ませてしまうから、わざわざ歩いて店頭に買い物に来る客は少ないかな。販売員のほとんどはアンドロイドだよ」
おんらいん。というものがよくわからないが、離れた場所から商品を注文し、配達してくれるシステムがあるそうだ。
工場区画はかなり広く、すべてがアンドロイドによるオート作業らしいので見どころがなくて通り過ぎたが、通り過ぎるにもかなり時間がかかった。
工場区画を抜けると、農業プラントが広がり、作物を育てる場所が地平線まで伸びる。帝国は年中寒い方で、冬季は外に出るのも厳しいくらいの環境になるそうだ。だが農業プラントは徹底的に温度調整がされ、年中色々な作物が育てられるらしい。品種改良も進んでおり、味、栄養、病気への抵抗力などが向上、効率的な生産がされている。ゆえに帝国には王国のような飢えで苦しむ子供がいないのだ。
飢饉がない、というのはとても幸せなことである。
あまりにも広い帝国。地下の案内は今回しきれないとのことで地上だけ一通り回ったが、工場区画と農業プラントは空間転移装置を使用した。王国ではかなりお値段のかかる手段だが、帝国は広すぎるので転移装置による移動は普通で、使用も無料!
「と、ぱぱっとご案内してしまいましたが、なんとなく雰囲気は掴んでいただけましたか?」
夕方も近づく頃、私達は自然公園で休憩をかねた感想会をはじめていた。自然公園には、いたるところにワゴンと呼ばれる小さな露店のようなものがあり、そこで手軽に軽食が購入できる。帝国のお金を持っていないのでリクに払ってもらうことになったが、なんと帝国民は紙幣や硬貨を持ち歩かず、すべて支払いはスマホで済ませるらしい。
ぴ、としてぴ、である。
え? それで払えてるの? 不思議な光景だった。
「この公園には帝国の歴史を感じられる仕掛けが沢山あるので、散策するには楽しいかもしれないですね」
「おぉ、公園でお散歩か、いいわね。こうしてみると公園内だとそこそこ人間が歩いているのね」
アンドロイドとあまり見分けがつかないが、ちゃんと観察すれば違いがあるので生きた人間が存在していることを発見できる。街中では人間は少なく感じたが、公園内はむしろ人間の方が多いと思う。
「公園は憩いの場ですからね。遊具も多いですし、人手は自然と多くなります」
せっかくなので、私達も時間が来るまで公園内を散策することにした。
公園の中央に位置するだろう、広々とした噴水広場には立派な銅像が立ち、綺麗な彫刻がほどこされた噴水から水が噴き出している。
「きゃー! すごいわ、こんなおっきいのシャーリーはじめてみた!」
「てっぺんがみえないです!」
子供達が大興奮で噴水を見上げた。私も精一杯背伸びしたが、高すぎて上の方があまり見えない。
「帝国の建国者、大賢者アオバ様の銅像ですね。大小さまざまなものが各地にありますよ」
「あ、あれアオバさんだったのか……」
大賢者アオバといえば、あの失礼極まりないソラさんの父親で、異世界からの来訪者で、はじまりの聖女メグミさんのお兄さんだ。
クレメンテ子爵のところでお目にかかったことはあったが。
「あのー、なんていうか本人とまったく似ていないのですが?」
銅像はどう見てもローブを纏ったおじいさんで、本物とは似ても似つかない。
「シアさんは本物と会ったことが?」
「ええ、ちょっとだけですけど」
あなたの昔のご実家で、とは空気読めなさすぎるので言えないけども。
「大賢者アオバ様は、もはや伝説上の存在ですからね。実在していますし、ご存命であるという話もありますが、ご本人があまりにも表舞台に顔を出さないので像も想像で作られたのでしょう」
そういえば、クレメンテ子爵も言っていた。アオバさんはかなりの人嫌いだと。人付き合いが苦手とか、陰の者とかそういうものとも違う、嫌悪を抱くほどの嫌いなんだと。
「帝国内に賢者の塔があるそうですが、誰も行き方を知らず、お会いするのは至難の業だと聞いたことがあります」
賢者の塔、か。
あれ、そういえば私、前にソラさんに行き方を教えてもらったような……。帝国に来れたし、メグミさんの件もある。アオバさんとはどうにかしてお会いしたいとは思うけど。初対面でも思いっきり思ったのが、あ、私あんまり好かれてなさそう……だったしな。あれは、私がというよりもすべての人間に対してああなんだろうと思う。普通に会話できる子爵のスキルが凄いだけだ。
「きゃ!?」
シャーリーちゃんの悲鳴が聞こえて、私とリクが慌てて振り返るとシャーリーちゃんとリーナがずぶ濡れになっていた。
「リーナ、シャーリーちゃん!? 大丈夫――」
ばしゃん!
「おわっぷ!?」
水が飛んできた。おそらく噴水からだが、どうやって? 魔法の気配は感じなかった。
「なに?」
「……」
混乱したが、とりあえずリーナとシャーリーちゃんを助けに走った。私よりも二人を相手に水が激しく飛んできている。どういう仕掛けかわからないが、子供達を狙っているのは確かだ。
「二人とも!」
「「おねーさん!!」」
二人ともなにがなんだかわからず、半泣き状態だ。可哀そうに、これでは風邪をひいてしまう。
「……大丈夫ですか?」
二人を抱きしめて水攻撃から守っていると、リクが来てくれた。そのときにはもう、攻撃はやんでいた。
「もう、大丈夫みたい。いったいなんだったの?」
周囲を見ても、特に変化はない。少し不気味なのは、水を浴びせられたというのに周囲の人間はこちらにまったくの無関心だということだ。こちらを気にしてもいいと思うのだが。
「帝国人は、たいてい不干渉ですから。帰りましょう、その恰好では風邪をひきます」
優しい口調だったし、声も抑えていた。だが、目を見た瞬間、濡れた寒さよりも内側が冷えた。赤い瞳は深淵をのぞくかのように暗くて。
おじいさまの言葉を思い出した。なにがきっかけでそうなるのかわからない。身構えたが、彼が暴れ出すようなことはなかった。
だけどずっと、私は凍りついたような寒気を感じ続けた。
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赤い。
赤い。
赤い。
視界いっぱいに、赤い。
足元に、汚い赤い液体をまき散らすゴミが落ちている。
ゴミは、痛い痛いとわめいている。
うるさかったので、思い切り踏んだら声が聞こえなくなった。
「……ああ、君はまた……。すぐに私刑にしてはいけないと言っているのに」
背後から、知った声が聞こえた。穏やかで優しげだが、まったく気持ちがない言葉。男か女かわからない存在が、やれやれと首を振っていた。
「子供を、小さい女の子をいたぶろうとするニンゲン、に、生キル価値があるト?」
「落ち着きなさい。人の言葉を失いかけていますよ」
そっと口元に手を当てた。
気が触れると、うまく言葉を話せなくなる。
あのときから、ずっと。
「噴水から、子供だけを狙ってドローンで攻撃してきました。いたずら目的であることは明白でしたが、性質が悪い。外国人だというだけで標的にする、弱そうな見た目の子供を狙う。嫌いなんですよ、そういうの。今回みたいなのは、警備も動きませんし……」
そう思ったら、気がついたら居場所を突き止めて、私刑してしまった。そう言うと、色々とあやふやなその人は、「そう」と呟いた。
「君は正義感のある優しい子です。それは確か、だけど君はもう――――」
その言葉に、なにも返すことはできない。その通りだから。
「その死体、ちゃんと片付けるんですよ。ああ、そう君に頼みたいことがあったんです。……シアと会わせてもらえますか? すごく楽しみにしているので早めにお願いしたいのですが、どうでしょう……リク」
リクは、迷うことなく答えた。
「もちろんです、ノア」