■8 昔話をして
午前中に長く空けていたという屋敷の掃除や片付けをそれなりこなし、昼食を食べたあとおじいさまが言っていた人物が屋敷を訪ねてきた。
玄関ホールで出迎えたのは、私とおじいさま。他のメンバーは各々自由にしている。
「お帰りなさい、おじいさま。ご健勝そうでなによりです」
「ああ、リク……お前も元気そうでよかった」
おじいさまは訪ねてきた青年に向かって、穏やかな表情をみせる。家族に向けられるような温かな眼差しだった。彼を身内と言っているのだからそういう関係があるのだろうとわかってはいたが、彼の姿を見た瞬間、私の頭はそれどころではなくなっていた。
ぽかーーーーん、と口を開けたアホ面をさらして唖然とした顔の私に青年は首を傾げた。
「おじいさま、こちらの女性が?」
「うむ、私の孫にあたる……シアだ。仲良くしてやってくれ。歳も確か……同じ19歳だったな」
「どうも、はじめましてシアさん。帝国騎士を務めるリクと申します。おじいさまには昔からよくお世話になっていて――シアさん?」
ぽかーーーーん、から抜け出せない私。
なぜファーストネームしか名乗らないのかとか、他もろもろ返さなければならない返事があるはずなのに、まったく口と頭が回らない。
……ありえないほどに……。
「……美人さんですね」
アホな面からは、アホな言葉しかでてこないんだと今、はっきりと理解した。
濡れたように艶やかな黒い髪に、濃く鮮やかな赤い瞳。肌は騎士として戦闘に参加しているとは思えないほど綺麗で白い。顔の造形は本当に作り物のように完璧に整っている。
「え、あ、ありがとうございます……」
美人な青年、リクに困った顔をされた。
黒い髪。帝国ではさほど珍しくないのだと聞かされているし、ここに来るまでに黒髪の人物はいくらか見かけていた。ありがちな奇異の目にさらされることはなかった。ラディス王国は田舎では少々視線を奪いがちだったが、王都あたりでは東方の血筋だと思われるくらいなのでさほどさらされることはない……偏見は多少あるけど。
「黒髪もですけど、赤い目も印象的で綺麗です」
アホなことを言った自覚はあったので、褒めちぎっとこうと会話を進めたがこの言葉に、リクの赤い目が揺らいだ。
「俺はこの目……気持ち悪いと思いますけどね。悪魔みたいで」
ハッとして私は慌てて謝罪した。
そういえばそうだ。赤い目はそもそもあまりよくない意味で言われがちである。悪魔病もそうだが、色が似ている、同じというだけで酷い迫害すら起こるものだ。本人がどのような目にあったかはわからないが、突っ込んでいい話題でないのは一目瞭然である。
「褒めてくれたのにすみません。目の色以外は素直に受け取っておきます」
困り眉で微笑むリクは、心臓がぎゅっとするほど美しい。ベルナール様で慣れてなかったら心臓発作で気絶しそうだ。
……ベルナール様?
「あれ?」
黒髪に赤い目の綺麗な男子……私、このすごく特徴的な色と見た目をした人物を前に見たことがなかったか?
一瞬で脳に電気が走るかのごとく記憶が蘇った。
ベルナール様の部屋で隠されるように写真立ての中に封じられた写真。そこに写っていたのは、ベルナール様達によく似た黒い髪と赤い目をした綺麗な少年だった。
目の前の青年と、記憶の中に残る写真の少年を重ね合わせた。
そのまま……写真の少年が成長したあとに見える容姿。
私は目を閉じた。
「あの、変なお願いします。私の名前、もう一度言ってくれませんか?」
「え?」
「お願いします」
目をつむって、彼の声に耳をそばだてる。
二人の不思議そうな気配を感じたが、ややあって。
「シアさん」
「呼び捨てで」
「……シア?」
「気安く」
「……シア」
閉ざされた視界の中で、確かにベルナール様の顔が浮かんだ。
「――おあああああぁぁぁぁぁーーーー!!」
もうどうしていいかわからず、私は奇声をあげながら玄関ホールで転がり回るという奇行まで披露してしまうのだった。
「まさかシアさんが、俺の素性を知っているとは思いませんでした」
奇声と奇行をしばらく行った後、落ち着いた私はよくわかっていないおじいさまと、なんとなく理由を察したリクに応接間に連れて行かれて座らせられた。
「あの、やっぱりあなたは……」
「はい。俺の本名はリク・ラウ・クレメンテです。この家名を名乗ることは禁じられましたが……まあ、帝国でそう名乗ったところで問題はないでしょうね。……好き好んで名乗りたい家名ではないですが」
闇が深そうだ。
好き好んで名乗りたい家名ではない、そう呟くように言った彼の赤い目が暗く沈んで背中がぞわりと震えた。そういえば、ジャックも同じ目の色だった。沈んだ赤が彼と同じものを宿したような錯覚に陥って急激に怖くなる。
「なるほど、クレメンテか……。私が預かったときからお前はなにも言わなかったが」
「クレメンテに縁を切られましたし、すがる意味もなかったので」
感情がみえない、抑揚のない声でクレメンテの名を言う彼に、私はクレメンテの人物を思い返した。
……頭が痛い。
「あなたは……兄う――クレメンテ子爵兄弟と親しいのでしょうか?」
兄上達、と言おうとして頭を振り言い直したリクに切ないものを感じる。彼の態度を見るにクレメンテ家やご両親にしこりはあっても、子爵やベルナール様を憎んではいないようだ。
「懇意にしてもらっています。ベルナール様には昔、護衛をしてもらっていた時期もあって……」
「……目的とはずれますが、今後の仕事の話の前に……昔話をしてもらっても?」
「ええ、もちろん」
『いなかった』ことにされたクレメンテ兄弟の末の子。かろうじて生き残った彼の今後を考えて、子爵達は一切彼についての情報を遮断し、その縁を切った。今どこでなにをしていて、ちゃんと生きて幸せでいるのか……なにひとつ知ることはできない。
リクは、私のつたない昔話に静かに耳を傾けた。
その表情は、今にも泣きそうだったり、かみしめるように幸せそうだったりしていて。私は思い出の欠片だってこぼさないように、彼に伝えたのだった。
「ありがとうございます。今まで……生きていたかいがありました」
穏やかに微笑むその顔は、子爵そっくりだ。
「あの、ベルナール様は今、二階の奥の部屋で寝ていて――」
「会いませんよ。……会えません。ベルナール様が目を覚まされたら、俺は細心の注意を払って顔を出さないようにしますし、彼もきっと知らない振りをするでしょう。それがお互いのためです」
今はただの、帝国の騎士リクでしかない。そうきっぱりと言い放った。私は言葉に詰まったが、こちらがとやかく言う問題じゃない。
「それでは、本題に入りましょう。今後の方針ですが――」
「シア、ゴミってどこにまとめて――あ!! ベルナール様、目ぇ覚ましたんっすね! 良かった。あれ? ベルナール様、髪染めた?」
屋敷を掃除していてくれていたルークが顔を出して、リクを見るなり勘違いしてしまった。まあ、容姿はかなり似ているからね。
「はじめまして、帝国騎士リクと申します」
「え? ベルナール様じゃない?」
「他人の空似ですね」
さらっとしらをきる。どうやらこのことは事情を知る私とおじいさまくらいにしか話さない気らしい。本人の意向を尊重して、私もおじいさまも口を閉じた。
「おねーさん、もうあそべます?」
「おねーさん、シャーリーたちとあそぼー!」
「シアちゃん、夕飯のことなんだけど」
「マスター! ちょっと壁が傷んでるとこが」
ぞろぞろと集まってきた仲間達全員に勘違いされたことで、リクは固めた笑顔で。
「他人の空似ですね」
を繰り返し言う羽目になった。
イヴァース副団長だけは、黙ったままおっかない顔をしていたけれど……。なにか感づいたのかもしれない。
「人間ってめんどくさいよね」
「あれ、コハク君?」
「どーも」
リクが仲間達に見つかってつかまってしまったので、私はいったん外に出ていた。お庭が綺麗だったから、ちょっと気分転換に散策しようとしたのだ。リクが解放されたら、今後について難しい顔して話し合いをしなければいけない。
それに可愛らしい乙女二人が『きしおーじさま、ぱーとつー』にはしゃいでしまったんですよねぇ。あれはなかなか解放されない気がする。
「ジャックと一緒に行ったんじゃ?」
「いや、俺は残ることになってんの。連絡係がいないと困るでしょ、ジャックの方は居場所知られるわけにはいかないし」
それもそうだ。
「じゃあ、コハク君のお部屋もお願いしないと」
「部屋はいい。庭で寝る」
「庭!? 大丈夫だよ、部屋はいっぱいあるしおじいさまも部屋を使ってくれた方が助かるって言ってたし」
「人間用の部屋って落ち着かないんだよね。土の中、穴に入ってる方が快適」
そんなバカな、と思っているとコハク君が変身した……黒蛇に。
「ほぎゃあ!?」
蛇にはいい思い出がない。ぞわぞわと背筋に悪寒を感じてしまうのは間違いなくジャックのせいだ。
「俺の正体は蛇。いわゆる使い魔ってやつだからさ、気を遣わなくていいよ。庭に住む許可とご飯くれればそれでいいから」
「そ、そう……。おじいさまには伝えておくね」
以前ジャックは蛇を使った魔術を披露したが、蛇が使い魔だったのか。コハク君が蛇の使い魔ということはメノウちゃんも同じだろう。二人がギルド大会でそういう次元にいないと言っていたのは、使い魔だったからだったのか。
「……俺、クレメンテの匂い嫌いなんだよね」
「コハク君?」
「なんでもない。じゃ、そういうことで用があったら庭で呼んで」
するりと草陰に入ってコハク君の姿は見えなくなった。




