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■0 世界を捨てた日

!!注意!!

暴力表現、虐待表現があります。ご注意ください。














 今、どれだけあの日のことを振り返ろうとも、明確な答えは出ない。




 日本のとある場所で生を受けた。中流家庭のごくごく普通の日本人。ただ、周囲の家庭よりも両親が不仲だった。それは妹が生まれた少し後から、急激に酷くなっていった。

 俺は毎日激しい口論を繰り返す両親から隠れて、妹と共にまともに用意されない食事のかわりにわずかに残った菓子をわけあって飢えをしのいだりもしていた。

 喧嘩が多くなればなるほど、激化すればするほど、両親の機嫌は悪くなりあたりも強くなる。常にイライラしている二人に、俺達はずっと怯えていた。

 両親は直接暴力こそは振るわなかったが、物にあたることは多く、両親に少しでも逆らえば物が飛んでくることはあった。必要最低限の物しか買い与えられず、お金はそこそこあったはずだが二人とも己のイライラを抑えるためか、自分の娯楽のためにお金を使った。両親共働き、金を稼いでいるのは両親だ。親がなににお金を使おうが文句は言えないんだと思っていた。親の義務とかそういうのは、特に頭にはなくて俺はまっさきに母親に媚を売るのを覚えた。従順に、ゴマをすって、成績も落とさず、スポーツも活躍し、自慢の息子に。そうすればお小遣いが少しばかりもらえた。その少ないお小遣いで自分と妹のものを買った。


 俺は人より器用ではあった。

 でも、気質的には媚売りやゴマをする行為は精神をすり減らせた。

 なぜ、俺はこんな卑しいことをしてまで生きている?

 この先ずっと俺は両親に媚びへつらいながら小さな金を掴んでいくのか?


 自我が芽生えていけばいくほど、プライドに押しつぶされる。

 それでもまともに生きるためには、せめて中学を卒業するまでは親に頼るほかなかった。俺が中学を卒業する前に両親はさすがに離婚し、俺は父親に引き取られた。妹は母親の方へ。夫婦を終わらせた二人は、少しは落ち着いて会話ができるようになったが長年二人から与えられ続けた恐怖感はなかったことにはならなかった。ふとしたことで、体が反応する。それが父親の目にはわずらわしくうつったのか、それとも自分のしてきたことへの罪悪感から逃れようとしたのか、離婚前には振るわれなかった直接的な暴力がはじまった。

 離婚協議で話し合って決めた、定期的に母親と妹に会う為の会。最初は出ていた。母親はともかく妹には会いたかったから。妹とは連絡をとっていたし、いつも会いたいというメッセージが送られてくる。あちらもあまり母親とはうまくいっていないことも綴られていた。だからできるだけ、少しでも妹のためになれれば、そして自分も少しの安らぎが欲しくて妹に会えるその日を毎年楽しみにしていた。

 だが、父親からの暴力が多くなるにつれて母親の方へ逃げ出すことを恐れたのか、父親は俺に脅しをかけるようになった。あちらがなにか感づけば、父親はなにをするかわからない。あの頃には仕事もなにもかもうまくいかなくなった父親は深酒が多くなり、意思疎通もまともにできなくなっていて、妹へ危害が及ぶことを恐れ、俺は年に数回しかない妹に会える機会を失うしかなかった。


『お兄ちゃん、どこへ行ったら幸せになれると思う?』


 短いメッセージ。妹からだった。

 突然の脈絡のないメッセージに、俺は戸惑った。だけど妹の心境は痛いほど理解できた。その疑問はいつも俺の中にもあったに違いない。


『さあ。どこにもないかもな』


 酷い返信だったと思う。でもこれでも、この返事を送るのにかなり時間をゆうした。何時間も考えて、考えて、考えて。でも、思いつかなかった。大人になって、両親の手から逃げられればもう少しはなんとかなるかもしれない。けれど親はずっといつまでも親であり、二人になにかあれば駆け付けなくてはいけないし、もしかしたら病気や老いで介護が必要になることもあるかもしれない。そうなれば面倒をみるのはこちらだ。

 あまりにもひどい仕打ちをした両親の面倒をみなくてはいけない。

 どんな地獄だろう。


 すべてを捨てて、逃げられる場所なんてない。日本はそういうふうにはできていない。血のつながりの呪縛に最後までつきまとわれる。


 だから『どこにもない』が、辿り着いてしまった答えだった。


『ごめんね。変なこと聞いちゃった。今年は会える?』


 妹は俺の答えに対して、反応はしなかった。あの子は画面の向こうでなにを思っただろうか。


『たぶん』


 会えない。

 痛む頬を抑えた。思い切り殴られた頬は赤黒く腫れている。俺の素行が良ければ近隣住民に虐待を疑われただろう。だが俺の素行は悪かった。悪くなるようにした。できる限り父親の傍にいたくなくて夜も外を出歩いていれば治安の悪いことに遭遇することは多い。殴り合いの喧嘩は日常茶飯になり、俺の怪我を心配する人間はいない。だからこそ父親は安心していた。

 安心して、俺を殴っていた。


 俺も誰かに助けを求めればよかっただろう。だけどまだ子供でしかなかった俺は父親の支離滅裂な脅しに恐怖し、妹を人質にとられているかのような錯覚をずっとしていた。

 どこにもいけない。

 なにもできない。


 どうして俺は、まだみっともなく生きている?


『お兄ちゃんへ。京都に行きたい』


『は? なんで京都?』


『神隠しがあるから』


『意味が分からない』


『神様がね、ここじゃないどこかに連れて行ってくれるんだ。今よりはましな場所かもしれない』


『神様が連れて行く場所なんて、たいてい死後の世界だろ』


『天国みたいなところだったら、それでも楽しいかも?』


『どうした? なにかあったのか?』


 唐突で意味不明なメッセージはたまにきていた。だが今回はそこに不穏な要素が入る。

 しばらく返信がなかった。どんどん不安になっていっていると、ようやく返信が返ってきた。


『今年も食事会に来なかったくせに! お兄ちゃんのバカ!!』


 俺は携帯を床に落として、膝から崩れ落ちた。




 嗚呼、なんて惨めなんだろう。


 なんて無力なんだろう。



 気がつけばふらふらと夜の街を歩いていた。

 肩がぶつかれば難癖をつけてくる不良と出くわす。殴り合って傷ついて、鼻血を流しながら意識はもうろうとしていた。高校生になった俺は体もそこそこできていたし、きっと喧嘩なれした今なら父親を殴り倒すこともできるんだろう。だが、それができない。

 怖い。

 恐怖がもう体にしみついて、どうにもならない。


 どこにも逃げられない。

 縛られる。縛られる。縛られる。


 ビルのモニターから、アニメのCMが流れていた。ヒロイックな音楽、どんなことにも立ち向かう主人公。約束されたような明るい未来。

 自然と涙が溢れた。

 現実は残酷だ。

 綴られる物語のようにうまくなんていかない。どんな敵にも打ち勝つ強さなんて持ち合わせない。憧れはそこにあっても、絶対に辿り着けないことを知っている。だから幼いころから夢も見られなかった。


 無意識に持ってきた携帯が震えていることに気がついた。

 のろのろと電話をかけてきている相手を確かめた。液晶に映し出されるのは母親の文字。気になって電話に出た。普段ならかかってきても絶対にでないが、妹のことがある。


「……もしもし」

「アオバ! ねえ、メグミがそっちに来てない?」

「え……?」


 少し焦ったような母親の声。母親と妹はうまくいってなさそうだが、父親の態度よりはマシで妹、メグミがいつもの時間に家に帰っていないと心配して電話をかけてきていた。


「こっちには……来てない……たぶん」


 しまったと、俺は早々に電話を切って家に戻った。ふらふらと街に出て一日以上はたっている。メグミがあの後、こっちに来たとしたらもうこちらに着いていてもおかしくない。もしあの父親に一対一で会いでもしたら。

 背筋がゾッとする。

 食事会に行くときは酒を抜いていく。だからまともな会話になっているが、普段から深酒が多い父親の素行をメグミは知らない。

 無我夢中で走って家に帰った。

 だがメグミはいなかった。父親は酒に酔って眠っていて、誰かがきた形跡がなかった。それには一応安堵しながらも、ならメグミはどこへ行ったんだ? と思考を巡らせた。

 色々と考えて、一回京都へ行こうかと思ったが、あれは咄嗟の思い付きでそんなに深く京都について考えていたわけじゃないだろう。もう一つ思い浮かんだ俺は電車に飛び乗った。



 両親が離婚する前、二人で通っていた小学校。まともな思い出はここにしかない。両親を刺激しないように空気を読むことに対してはベテランみたいなものだった俺とメグミは、友達づきあいはそこそこうまくやっていた。だから、嫌な思い出がここにはあまりなかった。

 俺は導かれるように屋上へあがった。

 そして。


 メグミは落ちていった。

 フェンスを乗り越えて。恐ろしい光景だった。四肢を切り裂かれるような痛みが全身を走ったかのようだった。


『この世界を捨てませんか?』


『別の世界へ行きませんか?』


『この世界は、君にふさわしいですか?』


『連れて行ってあげますよ。ここではない、別の世界へ』


 耳鳴りがする。

 なにかが這いずり回るかのような誘いが頭を巡る。


「世界? どうでもいい! メグミを、メグミを助けないとっ」


『妹を助けたい? でも彼女は落ちてしまいました。メグミはもうどこにもいませんね』


『では、こうしましょう。あなたが別の世界へ渡るのならば、飛び降りる前の時間軸に戻し、彼女を助けましょう』


 助かる? メグミが?

 わらをもすがる思いだった。この声にの正体がなんなのかなど考える時間もなかった。頭の中にあるのは、落ちていくメグミの姿だけ。


「メグミが助かるなら、どこへでも行ってやる! こんなクソくらえな世界、捨てても後悔なんてない!」


 気がつけば、俺は本当に異世界に来ていた。

 この世界で生きていくための力も授かっていた。でもそんなことはどうでもいい。本当にメグミは助かったのだろうか。それだけがずっと心残りだった。


 いくらか時間がたって、俺が賢者と呼ばれ始めるころにメグミと再会した。

 再会、してしまった。

 血の気が引く思いだった。


 どうして?

 なぜ? メグミがこちらにいる?


 メグミは聖女という称号を得て、勇者や旅の仲間達と旅をしていた。あんなに楽しそうに笑うメグミを見るのははじめてだった。

 メグミも世界を捨てたのだ。

 生まれた世界を。

 どこにもいけない、どこにも居場所のない世界を。


 それは果たして本当に幸せになれる選択だったのだろうか。

 俺はずっと疑問を抱いていた。

 子供の頃から夢をみられなかった弊害か、すべてが嘘くさく思える。


 だからこそメグミとは距離を置いた。

 旅の仲間達は、メグミにとってとても心地のいい場所になっていた。わざわざ突く必要はなかったのだ。旅の仲間に誘われたが、ついてはいかない。俺は知らなくてはいけなかった。


 俺達をこちら側へ引き寄せた存在の正体を。


 そして残酷な真実を目の前にしたとき、俺は――。




 己のすべてをかけて、復讐することを決意した。

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