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*38 泣くな

「司教様って、私のこと嫌いなんですかね……」


 なにげなく、そう呟いた午後の勉強時間。

 聖女に選ばれたばかりの、自覚なんて微塵もなかったあの頃。育ちが悪いせいで基本知識すら欠けていた私に親身になって勉強や作法を教えてくれたのはシリウスさんだった。

 養父、養女の間柄となったが、お互いまだまだ距離があった頃で、よそよそしくもあり、親子とはなんぞやということを学んでいた、手さぐりに。

 シリウスさんはまだ良かったのだ。彼は彼で歩み寄ろうとしてくれていたし、実は内面は粗暴で暴力的な怖い部分があると察しつつも、不器用で不格好な優しさと物腰の柔らかさを演じてくれていた。仲良くなる努力を必死にしてくれているのが、目に見えて理解できたのだ。


 私は幼少のころの生活が原因で、周囲の大人達が自分になにを望み、なにを嫌っているのかを察する能力に長けていた。人によっては対する態度が多少変わることもあるが、聞き分けが良く面倒が少ない態度が一番評価が高い傾向にあるので大した違いではなかった。一般的にいい子の基準が満たされていれば、余計な面倒を被ることもなく、世渡りは順調に上手くいったのだ。

 毎日、毎日、研究し続けて……いつの間にか自然とそれができてしまうようになっていた。だから、私は大人に嫌われたことがほとんどなかったのである。


「どうしたの? シア、急にそんなこと」

「司教様、ずぅーーっと怒ってますよね?」

「ん? そうかな?」


 ちらりとシリウスさんが部屋の奥を見た。勉強場所はいつも教会内にある図書室で、司教様も頻繁に出入りしていた。彼は見た目にそぐわず読書家である。司教様は私と目が合うと睨みつけるような顔をしてから出ていくのだ。

 怖すぎてこの頃は本気で粗相しないように緊張感を常に持っていたくらい。


「ご機嫌ではないけど、怒ってはいないんじゃないかな」

「えぇー……?」


 この時点では知らなかったが、シリウスさんと司教様は義兄弟で二十年以上共に生活してきている。だからこその心情理解だったが、私にそれができるわけもない。

 私は多くの大人にとっての『いい子』だったはずだ。シリウスさんも基本的にニコニコしているし、他の神官達も優しい人が多い。メアとセリも年上だが、友人のように付き合ってくれた。

 だけど司教様だけはダメだったのだ。どんなにいい子の振りをしようともニコリともしないし、逆にさらに怖い顔になる。付き合い方がわからず、あれだけ途方に暮れたのは司教様がはじめてだった。


「泣け」


 だからこそ、名を『シア』とつけられたとき、そう言われて私は胸の奥が震えた。熱いような冷たいような激しいなにかの感情が己の中にあったことを知った。司教様は不器用だ。言葉がいつだって足りない。それを補うようにシリウスさんがぎゅっと抱きしめてくれた。


 もっと自分に自由でいていいんだと、教えてもらった。

 あのとき、私は自分で自分を縛っていた鎖を砕いてもらったんだ。


「ねえ、シア……なにをしているのかな?」

「あ、シリウスさん! しぃー! 今とても大事な仕込みの最中なんですっ」

「仕込み?」

「はい! 笑い茸爆弾を作ったので、司教様がこの仕掛けを踏むとですね、胞子が飛び出して笑いが止まらなくなってしまうという――」


 作戦を聞いたシリウスさんが、ニッコリと笑った。


「シア、それは面白そうだね。私も手伝いたいなぁ」

「いいですよ! 一緒に司教様をぎゃふんと言わせましょう!」

「ぎゃふん……ということは、なにか司教様へ不満があるのかな?」

「聞いてくださいよ、シリウスさん! 司教様ってば昨日――」


 デリカシーのない司教様へ、あらゆる対抗手段を打っていたらイタズラな仕掛けが上手くなっていたし、それがとても楽しいことだと知ってしまった。それが私で、私ですら知らなかった自分の一面だった。作戦を練って、シリウスさんと計画を実行し、圧倒的強者な司教様にバレてこってり絞られるなんて毎度のことで。

 でも、怖さの中にそうでもないものが多くて。

 あ、今司教様って結構楽しんでるのかなって……思えて。



 シリウスさんがいなくなって。

 耐えられなくなって、教会を出て。

 司教様をずっと避け続けてきた。

 リーナの件で、久しぶりに司教様に会ったときは、なにも変わってないと思っていたけれど、もしかしたら少しずつなにかが変わっていたのかもしれない。契約のことを考えれば、今更かもしれないけれど。





「司教様」


 少しだけ昔の記憶を思い出していた。

 あまりにも衝撃的過ぎて、逃避してしまいたくなる。だが目の前に敵として立つ男は、間違いなくあの司教様なのだ。


「情けねぇ面だな」

「さすがに、誰だってこうなると思いますけど」

「だが、お前は別に俺のこと好きじゃないだろ」


 そうですね。

 なんて皮肉のひとつも言葉にならない。とんでもなく空振りな渇いた空気しか口から出なかった。さすがに情けなさ過ぎる。

 好きか嫌いかで司教様をわけたことはないかもしれない。どっちともとれる気持ちが私にはあるからだ。けれど恐ろしいほどの威圧感には理由があったし、ここまでのことを考えれば彼はただただあまり対人が関係が上手くないだけなのだろう。

 だからこそ、私はこうなってかなりショックを受けている。


「……シア、泣くな」


 強く言われて、体の芯がピリリとした。

 あのときと、逆のことを言うんですね。


「お前はもう、ただの他人に都合のいい人形じゃねぇ。ひとつのギルドを形成し、その長となった。守るべきものが、守りたいものがすでに明確に存在している」


 私の背後には、司教様の攻撃により倒れて立ち上がれない仲間達がいる。


「泣くな。理由はすでにお前の中にある」


 本当に言葉が少なすぎて、怒ってやりたい。

 契約の内容とか、色々と気になるところは多いが今やるべきことはそれじゃない。


「めちゃくちゃ言ってやりたいことが多いんですけど」

「悪いな、説教は嫌いだ」

「そんなだからそんな大人になるんですよ」


 悪態をつけば、司教様は少しだけ顔を緩ませた。


「嫌な大人だろ。そんな大人に立ち向かってこそガキの革命だ」

「19歳なんでお酒も飲める大人ですよ、いつまでも子供扱いはやめて欲しいもんですね」

「……ああ」


 司教様の黒い剣が彼自身の足先前に突き立てられた。


「そういや……そうか」


 今、気づいたみたいに言う。そんなことはないはずだ。司教様は面倒くさがりながらも誕生日会の席にちゃっかりいたり、……素直じゃない方法でプレゼントくれたりしていたじゃないか。なんでそんな顔をするの。


「本当なら、大人になる前に……シリウスに知られる前に」


 急速に魔力が高まる。司教様の持つ魔力は強大だとわかってはいた。だが実際目の前にすると強い、だけではすまされない潰されるほどの重い魔力に呼吸も身動きさえもできなくさせられる。


「誰の記憶にも残らないように、殺すつもりだったってのにな」


 司教様の鋭利な刃のような言葉と共に、彼の周囲には無数の黒い剣が具現化した。何本の剣で戦うというのだろうか。一つ一つが高濃度の魔力で作られた魔剣だ。一本作り出すだけでもすべての魔力を持っていかれそうなのに。

 やっぱり覚醒者である司教様は別格だ。


「司教様の考えてること、私にはまったくわかりませんけどっ!」


 別人だから他人の気持ちなんて全部わかりっこない。司教様が本当に私が嫌いで本当は殺そうとしてたとか言葉の意味をド直球に受け取ることもできるし、いつものなんか足りない状態なんだろうなってちょっと察することもできるし。

 でも今は詳しく話す気が微塵もなさそうだというのは確かだ。だからここはどう死なずにみんなで逃げるかを一生懸命考えなくてはならない。


 泣くな。

 と、司教様は言ったのだから。


「全身、全霊っの! 絶対防御(シールド)おおおおお!!」


 もう全部の魔力出尽くすくらいの勢いで司教様の刃から自分と仲間達を守るためにシールドを展開した。同時に無数の黒い刃が降り注ぐ。

 本気で殺すつもりの攻撃だ。だからこちらは絶対に死なないようにできる限りの守りをする。ここは聖域、女神の力が強い。私の力は聖女の力によって強化され、今まで大きな力となっていた。だけど女神から与えられた聖女の力は使えない。使いたくないし、教皇が制御もしているだろう。だから自分の力だけでほとんど展開しているようなもんだった……はずだ。


「え?」


 自分の聖魔法と聖女の力を完全に切り離すことは難しいことは前の一件でわかっている。シリウスさんが封じなければどうしても聖女の力は発揮されてしまう。だが、今回はシリウスさんはおそらくいないし、聖女の力もあったとしても弱いものになっていると思っていた。

 だが。


「……防ぎきったか」


 あの黒い刃の猛攻を防いだ。

 温かく眩しい光のカーテンが私達を包み込み、守っている。

 これは!


「メグミさんの力!?」


 彼女の力がどんなもので、どういう風に使うのかわからなかったが、どうやら私の術に直接作用されるものらしい。


「ま、まさかはじまりの聖女の――異界の神の力!?」


 教皇すらも驚愕していた。完全に予想外だったようだ。


「いいもんもらったみたいだな。だが、そう何度も防げるか?」


 司教様がもう一度構える。黒い刃は無数にうみだされていく。司教様の魔力は底なしだとでもいうのだろうか。

 さすがにまずい。

 メグミさんの力が発動したとはいえ、魔力の量自体は自前だ。先にこっちが枯渇する。


「くっ、それでも最後まで絶対に」


 再び頭上から降りそそいだ黒い刃に、決死の覚悟でシールドを展開しようとして。

 轟音と共に、聖域の白い空間が壊された。


 なにに?


 ガラガラと崩れ落ちていく光の壁の先から、白い手が伸びてきて私の頭上を覆った。


「な、なんで……?」


 誰もが予想できなかった人物の乱入に、しばらく空気は凍り付き、そして。


「まさか、契約を破棄するつもりなの!? ――墓守!!」


 甲高い声で教皇が怒号を飛ばしたのは……聖域を破壊して現れた、魔人キングだった。

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[良い点] 契約とは!? 悪い宇宙生物に騙されてない? 「僕と契約して(ry 本人の意思までねじ曲げるものではなさそうですし その気になれば本人から破棄できるものと分かったわけですが
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