*33 世界を滅ぼさせたりしない
「ぐごーーー、ぐがーーーー」
のんきないびきが聞こえてくる。
テーブルには一目見ただけでヤバイとわかるくらいの量の、空の酒瓶が並んでいた。しかし床に転がって大の字で寝ている大男、レオルドはそれを飲んだわけではない。
「……おっさん、酒の匂いだけで酔ったんか」
呆れ顔のルーク。
お酒に弱いにもほどがある。
リーナはお酒の酷い匂いが充満する前に、隣の部屋で寝ている。お子様にはもう遅い時間だ。リゼもジュース組だったし、教皇様と顔を合わせ続けるのは嫌だったろうからリーナと一緒に隣で待機している。最初の一、二時間くらいは針の筵にいるみたいな酷い顔色で教皇様とお話……というか一方的な教皇様からのお話だったが、をしていたからリゼはリゼでがんばった。
酒の宴になって三時間、生き残っているのは私とルークだけだ。
ルークは自分のペースを死守し、お酒が回り過ぎないように気を配っている。私と教皇様は。
「ふふふふ、お酒はおいしいわねぇ」
「はははは、本当おいしいですねぇ」
満面の笑みで互いに飲むペースの速さと度数の強さで煽り合っている。お酒の席に参加する回数はまだぜんぜん少ない方だが、ラミィ様との一件でどれくらいの強さ、どれくらいの速さなら体に異常がでないか、そこそこわかっているから、私としては無茶な飲み方はしていない。
他の人には無茶だろうけど……。
ルークはつられないようにこっちをまったく見ないし、うっかりペースにのまれた数人の大神官が全員倒れて緊急搬送されていった。
「ねぇねぇシアちゃん、こっちのおつまみもこのお酒で飲むとうまみがあがるのよぉ~」
「あぁいいですねぇ、おいしいです~」
たぶんどっちも酔っ払いだ。
できあがってはいる。
だけど倒れない。いい感じに、いい気分で盛り上がっている。ここで水を飲んで十分くらい休憩したら互いに素面になれるだろう。
ルークに言わせれば人間にはありえないくらいの化け物的体質、だそうだ。
ルークが上手にお酒が飲めるのは、私達がラミィ様のところで修行をしたあのとき、別行動で老師と修行していたときに身につけたそうで、酒におぼれない、酔いにくい、酔ってもしっかりいざというとき戦えるように訓練したらしい。
あとで知ったが、ジュリアス様が言うにはルークはそこそこお酒は強い方だとか。なのに平均的に見えるのは周囲に馬鹿みたいに酒豪が揃っているのと、その酒豪の中に数人化け物がいるからである。
司教様がちゃんと酔っているところは見たことないし、そんな司教様に言わせればシリウスさんはそれ以上らしいから化け物の上にはさらにヤバイ化け物がいるのだ。シリウスさんは厳密には人間じゃないから括りに入れていいかわからないけど。
んー、お酒を飲んでみてわかったが、変なものが混入されているわけではなさそうだ。
普通に美味しいお酒で、宴が進んでいる。
この教皇様が、ただ美味しくお酒を飲むためだけに私達全員を集めたわけではないと思うのだが。絶対なにか裏があるはずなのだ。
さらに一時間経過。
日付をまたぎ、私もそろそろ眠いなぁとなってくる時間。これまで最後までねばっていたルークが船をこぎはじめた。君はよくがんばったよ……私も眠い。酔いからではなく、純粋に眠気で。
ぐらぐらして、ルークがゆっくりと寝入った。
「……教皇様、そろそろいい時間ですし、皆も眠ってしまったのでお開きにしませんか?」
「そうねぇ」
まだまだ飲み足りなさそうな教皇様は残念そうに周囲を見回した。
私と教皇様しか生き残っていない惨状に溜息だ。
「ふふ、それにしても想像以上に飲めるのね、あなた」
「私も最初にお酒を飲んだときは、こんなに飲めるとは思いませんでした。自分の底がまったく見えないですし」
「そう……面白いわね」
「面白い……?」
残念そうな顔から一変、教皇様は楽し気に微笑んだ。
「あなたの母親も、底が見えないくらい飲める人だったから。親子ってそのあたりも似るものなのかしら?」
その言葉に背筋がゾッとした。
咄嗟に耳を塞ごうとして、笑顔の教皇様に手首をやんわり掴まれた。強くされたわけじゃない、けれど青ざめた私の顔を見ている教皇様の笑顔は深くなるばかりで、自然と掴まれた両手が震える。
「あなたの父親も、あなたの母親以上に飲める人。どちらも底なしの酒豪、そう考えれば娘にもそのあたりが遺伝していても不思議はないわねぇ?」
聞きたくない。
聞きたくない。
でも震えて抑えられた手を振りほどけない。
「ねぇ、なぜ私がこれだけ飲めるかわかるかしら? 実はね、私、昔はお酒なんてまったく飲めなかったの。飲めるようになったのは……そう、十九年くらい前からかしら? 前に使っていた体が、うまく動かなくなってしまったの。そりゃあ、何十年も使っていたら古くなってしまうものね、当たり前だわ。だから次に乗り換えたのだけど、新しい体はとてもお酒がおいしく飲める体だったの。ああ、でも三つ前の体はそこそこ飲める方だったわね」
なにを……言ってるの?
「人間は本当に不便よね。自前の体が一つしかない。不健康になって病気になったり、寿命で老いて死んでしまう。次なんてない」
「当たり前……です! そんなの一つ限りしかないに決まってる。人間は着替えられる洋服じゃない……」
「ふふ、私にとって人間なんて着替えられる洋服よ? 可愛かったり、綺麗なお洋服だったらなおさら素敵、気分があがるわよね」
にこにこと、笑う顔が怖い。
その言葉の意味を考えれば考えるほど、恐ろしくなる。
「あなたは……人間、なのですか?」
耐えきれなくて、疑問が口から出てしまった。
頭ではもう答えがわかっているだろう。
でもそれを理解したくなくて、つい出てしまった言葉だった。
教皇様は少し、なんと言おうか迷うようなそぶりを見せて、そして言った。
「人間、ではないわね。使っている体は人間だけど、中身の話をしているなら人間ではないでしょう」
「じゃあ、一体……」
「――――――」
「え?」
聞き取れない言葉だった。
おおよそ人が口にできる発音でもない。
「ごめんなさいね、この世界の人間には聞き取れないでしょう。そうねぇ、この世界に直訳してしまえば『女神の一部』または『管理者』かしら?」
言っている意味が理解できず、頭が真っ白になっていると教皇様が掴んでいた手を引いた。咄嗟に抵抗しようと思ったが、体がふいの浮遊感に襲われ、見知らぬ空間に放り出されてしまった。
「――っ!? ここは」
飛ばされた場所で急いで周囲を見回せば、白い空間がどこまでも続く場所だった。人が生活するような物もなく、あるとしたら空中に大量に浮かんだ……棺。
「ここは光の地下墓地。秘密の地下墓地。選ばれし乙女だけが眠れる場所であり、言葉を選ばないのであれば私の『クローゼット』」
「クローゼット……」
彼女の体が、彼女の言う通り着せ替えられる洋服のようなものならば、ここに浮かぶ棺の中身はまさしくクローゼットの中の洋服なのだろう。
レオルドが見つけてきた、もう一つの大きな未知なる空間。それはきっと、ここだったのだ。
「私の体になれる者はそう多くはないの。様々な条件がいる。その条件のすべてが合う者が聖女。女神の声を聞くことのできる稀なる美しき魂の持ち主。彼女達は使命を果たし、女神の元へと導かれる。そして抜け殻は私がこの世界の調和を保つ為に使う。そうして成り立つの、永遠に滅びない世界が」
声が出せなかった。
突然の情報量に、もう頭が爆発しそうである。
「でもね、不測の事態っていつでも起こりうるのよ。いくら完璧に近いくらいに女神が運命を紡いでも、どこからかほころびが生まれる。この体だってそう。本当ならこの体の持ち主が真の聖女となるはずだった。なのに、邪魔をされた! 覚醒者の男にっ! 異世界の血を覚醒させた者は女神でも操れない。だからわざわざ次代に繋げたのに、生まれた娘は無能だった。私はとても落胆したのよ、シア。でも私は諦めなかったわ、世界を滅ぼさせたりしない。あなたを大事に大事に育てて、自力で立てるようになった頃に私はあなたに試練を課した」
『死なないで、死んでしまわないで。生きて、どれほど辛いことがあなたの身に起きようとも、けっして死んではいけない』
頭にあの日の言葉が蘇る。
頭が痛くなる。
忘れていた、忘れていたかった、鬼のような形相の女の本当の顔を思い出した。
金色の柔らかな長い髪。
穏やかに微笑む女。
私と……似た顔。
どうして、はっきりと覚えていなかったその女の顔を鬼のような形相だと思っていたのか。今ならわかる。私はきっと最初から本当はわかっていたのだ。彼女こそが、己を揺るがすなによりも恐ろしい存在だということを。
「あなたはたくさんのことを経験した。人として大きく成長し、聖女としての器もできた。女神の力の一部も入れられた。だからここへ迎えようとしたのに……再び邪魔をされたせいで、あなたは不完全になってしまった。でもまだ遅くはない。ここで女神の声を聞きましょう? 大丈夫、大事にするわ。中身はあなたの母親ではないけど、体はあなたの母親だもの」
誰か。
誰か。
なんでもいい。
嘘でもいい。
こんな馬鹿げた話は、真実ではないと。
叫んでくれ。




