☆16 昔取った杵柄になんぞ負けるか
司教様がいる聖教会≪サン・マリアベージュ≫大聖堂は王都の西に位置する。
こちらは住宅や商店などが立ち並ぶ場所とは離れた、緑の多い公園などが広がる一角である。大聖堂奥には墓地もあり、王都の人々のほとんどがここに骨を埋めることになっていた。
カフェを出た私達はさっそくリーナに会うため、大聖堂のある西区に馬車で向かった。
道中、ルークはどこか嬉しそうでそわそわしている。離れ離れになって久しい妹との再会を待ち焦がれるお兄ちゃんみたいだ。かくいう私も同じような心境である。
あの時、置いて来て本当に良かったのか。
リーナの願いよりも、倫理観に基づいた判断をするべきだったんじゃないか。
迷いは今もある。
正直、なにが正しいかなんて分からない。
ただ、あの子が泣いていなければいいな。
そんなことばかり考えていた。
ガタゴトと馬車に揺られてしばらくすると、西区画に入り辺りは緑に囲まれる景色になった。もう少しで大聖堂だろうというところで、なぜが馬が嘶き、馬車が止まった。
怪訝に思ったベルナールが、小窓から御者に声をかけた。
「どうした?」
「ああ、いえ……大聖堂の前に人だかりがありまして」
そう言われ、私達が窓から外を確認すると御者の言う通り大聖堂の前に多くの人々が集まっていた。道行く人も皆、大聖堂に向かって走って行く。
「物資や食べ物の配給でもやってるのか?」
「いや、今日の予定にはなかったと思うが……」
ルークの言葉にベルナールが首を振った。
大聖堂の配給は日が決まっている。別の日になることは災害時など以外ではほとんどない為、ベルナールは首を傾げていた。
「とにかくこの人出だと馬車じゃ近づけないわね。降りて行きましょう」
私の言葉に二人とも頷き、御者にお金を払って馬車を降り、さっそくベルナールは通りがかりの女性に声をかけた。
「すまない、少し聞きたいんだが大聖堂の人だかりは一体どうしたんだ?」
「今、忙し――あっ!」
声をかけられた年若い女性は、ベルナールの顔を視界に映すと途端に真っ赤になった。
「忙しいのか? それはすまなかった。別の人に尋ねよう」
「いえいえ! 私がっ、私がお答えいたしますわ!!」
さらりと別の方を見るベルナールに女性は慌てて頷く。
ベルナールは満足そうに微笑んだ。
……まったく、この確信犯め。
わざわざ妙齢の女性を選んで、断られる確率を下げたな。これだからイケメンは。
私とルークのじと目などなんのその、ベルナールの口は軽やかに言葉を紡ぐ。
「ありがとう。どうやらお嬢さんも大聖堂に用事のようだが?」
「ええ! 私も家族から今さっき教えてもらったのであれですが、どうやら大聖堂前で配給の質と量を賭け、司教様とゲンさんが大勝負をするそうなんです!」
「……司教様が?」
ベルナールが呆れたような表情になる。
私も自然にそうなった。
ルークだけがまだよくわかっていない。
「司教様とゲンさん? って人が大勝負ってどういうことだ?」
「はあ、騎士様素敵ですね! お名前をお伺いしても?」
「いや、名を名乗るほどの者ではないよ」
ルークの問いをまるっと無視した女性は、どうやらベルナールしか目に入ってないようだ。彼は彼で面倒なことになりたくないので、適当なことを抜かす。
お前、騎士団の部隊長だろ。名乗るほどの名持ってるだろ。これだからイケメンは。
見ろ、可哀想にルークがちょっと涙目だぞ。
ここは私がギルドの家族として慰めよう。
「安心なさいルーク、少なくとも私はあれより君の方が好きよ」
「……シアに言われてもあんまり――」
慰めたのになんとも言えない顔をされたので、思いっきり頬をつねってやった。
これだから男はーー!!
そんなことをしている間にベルナールは女性を適当にあしらい、私達に向き直ると。
「面倒なことになっているようだが、どのみち司教様に会わなければリーナちゃんとも面会できないだろう。行こうか」
早歩きでその場を去ろうとする。
ちらりと周囲を見れば、女性達がわらわら集まり始めていた。女性専用吸引機かなんかだろうか。私達も面倒事は御免なのでそそくさとその場から立ち去った。
石造りの荘厳な大聖堂は、とても神秘的で美しい芸術的な彫刻が彫られている建物だ。ラメラスの女神を始め、天界の主だった神や神獣などがその優美さを誇っている。そんな静謐な大聖堂の前に似つかわしくない怒号と歓声、そしてなぜか黄色い声まで飛び交っていた。
大聖堂前まで辿り着いた私達は、人混みを掻き分けて前列に出ると頭の痛くなるような光景が目に飛び込んできた。
「クソ司教ー! 今日こそはもっと美味い飯の配給もろもろを要求させてもらうぞー!」
大聖堂前に陣取るのは、御年九十はいっていそうなおじいさんと……。
「あん!? クソじじいがなにほざいてやがる。ただほど美味い飯があるか、大人しく体に優しい粥でも食ってろ!」
大聖堂の階段にふんぞりかえった様子で腰掛ける、黒い衣装を纏った隻眼の強面な男。
その男の姿を目にして、私とベルナールは頭を抱えた。
なにやってんの、あの人……。
「きゃあ、ゲンさんがんばってー!」
「あたしら年寄りの希望の星ー!」
どうやら黄色い声は、ゲンさんと呼ばれるおじいさんを応援するおばあさま軍団が発生源のようだ。それに混ざるように司教様を応援する声も聞こえる。
「うおおおお、おかしらぁぁぁ! そんなじーさんなんぞ、一発蹴散らしてくだせぇぇぇ!」
「我らがおかしらぁぁ!!」
こっちはかなり野太いけど。
「な、なんだ? あいつら……まるで賊みたいな――」
「賊だな」
「そうね、海賊ね」
もう突っ込む気も起きない。
ルークがなにか聞きたそうにしていたが、目の前の二人が動き出したので注意はそっちにいった。
「元王宮近衛騎士副団長、このゲンザハーク・レリオスがお相手申す!!」
おじいさんが杖をすらりと抜くと、隠し刃が現れた。あの杖は剣だったようだ。きらりと光る刃は、鋭く斬れそうで偽物には見えない。
対する隻眼の強面な男、司教様はやれやれと立ち上がった。
「昔取った杵柄になんぞ負けるか」
腰から木の杖を取り出した。
明らかにやる気がない。
まあ、女神に仕える聖教会の司教なのだから間違っても光物は出せないのだけど。
その態度が勘にさわったのか、おじいさんが地団太踏んだ。
「名乗りをあげんかこのクソ司教!」
「ああ? めんどくせーな。……ハルマードの大海を荒らして回った飛揚跋扈の大海賊――あ、間違えた。なんちゃらの女神に仕える聖教会所属司教レヴィオス・ガードナー」
間違えちゃいけないところを思いっきり間違えたし、女神の名前を忘却している。
昔から何度も思ったが、なにがどう間違ってこの男が司教様などという地位に納まっているのか聖教会上層部に問いただしたい。
「いざ、尋常に勝負じゃあーー!!」
おじいさん、ゲンザハークがよぼよぼの見た目とは打って変わった俊敏な動きで司教様、レヴィオスの元へ駆けあがった。
あっという間に間合いを詰めると、ゲンさんの杖の剣がレヴィオスの喉元へと襲いかかる。それを難なく彼は杖で迎え撃った。
「ふん、さすがは過去に蛮勇を轟かせただけのことはある! じゃが、わしは負けんぞ!」
激しい打ち合いが始まった。
最初は余裕のある様子だった司教様も目が真剣みを帯びてきた。ゲンさんもさすがは大昔に王宮近衛騎士を務めただけはある。動きも剣捌きも尋常ではない。あんな老体でよく動けるものだ。
隣のルークやベルナールまでいつの間にか試合に魅入って手に汗握っていた。
声援と黄色い声が響く中、力強い一撃が双方から繰り出され。
キンッ!
高い音を立てながら、杖の剣と木の杖がどちらも宙に舞って地面に落ちた。
「この勝負、引き分けーー!!」
わあっと歓声が上がった。
鼓膜が痛いくらいの音量だ。
ゲンさんは少々不服そうに弾かれた杖の剣を拾って鞘に収めた。
「また引き分けか、悔しいの。わしがもっと若けりゃなぁ……。すまなんだ可愛い淑女達よ」
「そんなことありませんわゲンさん!」
「ゲンさんカッコいい!」
「ゲンさん素敵!」
お歳を召した淑女達が熱い。
彼女達の声援の中、しごく面倒臭そうに司教様は杖をとって頭をかいた。
「まあ、質やら量は相談しとく。あんたの活躍は多くの人間を活気づかせるからな」
そう言うと、ちらりとこちらに視線を移して来た。
目が合った私は、そそっと目を反らす。
「……どうやら客が来たようだ。お開きにさせてもらうぞ」
司教様が手を打つと、賊のような柄の悪い男達が見物客を散らしていく。
ゲンさんは、やれやれと杖をついてこちらに近づき、通り過ぎようとして――。
「ん? ――おや」
ちらりとルークの顔を見上げた。
「ふん? ふんふん……なるほどのぉ」
「なんだ?」
ルークの全身を観察するように見てくるゲンさんにルークが首を傾げる。
怪訝な顔の私達にゲンさんはご機嫌な様子で笑った。
「いやなに、久しぶりに面白いものを見つけたと思ってのー。気にせんといてくれ、じゃあの」
杖をついているのに足取りは速く、スタスタと歩き去って行くゲンさんの背中を見送ると、穏やかな笑顔を浮かべた神官がやってきて声をかけてきた。
「聖女殿、そして王国騎士ベルナール殿とお見受けします。司教様がお待ちですのでこちらへ」
振り返れば司教様の姿はもう消えており、ちらほらと一般人がいるだけだ。
リーナだけに会って終わりとはいかない。
司教様に何を言われるか今から怖いが、聖女解雇の件も報告しなくてはいけないだろう。知らないってことはないだろうし。行くのが嫌で後回しにしていたのが今になっただけだ。
「よし、行くわよ!」
パンッと頬を叩いて気合を入れると、ルーク、ベルナールを伴って荘厳な大聖堂へと足を踏み入れた。