*24 黒き聖女
「教皇様は……悪魔が、どういう存在か……ご存じなんですか?」
それは核心ともいえる質問だった。
様々な違和感のある出来事。今まで教えられてきた知識とはまったく別の答えが確かに存在している。あれこれ遠回りな質問をするよりも、真っすぐ突いていくことにした。
そんな質問にも教皇様の穏やかな表情は崩れない。
「知っていますよ」
もちろん、と。
「それは、広く大陸に伝わっているものと同じですか? それとも違いますか?」
「違うでしょうね」
悪びれた様子など少しもない。
大陸に広がる伝承、女神と悪魔の話は教会の聖典にも綴られている。その内容が、真実として大陸に浸透し、時には悪魔病と忌み嫌われる病を患った人々が不当な扱いを受けてきた。
「教会の在り方を今更どうこう言うつもりはないですけど……」
必要性を感じることは多くある。人は強くはないから、司教様の説法や教え、学びは多くの糧になってきた。それらに救われた人もきっと多い。本質はなんであれ、女神を信仰し、人々に教えを説く行為を否定なんてできるわけがない。
ただ、個人的には文句や恨み言の一つくらい抱いてもいいだろう。
「ここにはじめて来た時から、ずっと強烈に抱いている違和感があります」
睨むように教皇様を見ると、すっとぼけたような穏やかな顔が小首を傾げた。
「狂信者、行き過ぎた信仰心と言いましょうか。それを抱く人間はいます。盲目に、ひたすらに、顧みることも忘れた人。純粋すぎるがゆえに、女神に傾倒してしまった人。私は聖女の力を得て、教会に属したこともあり、精神疾患の患者さんと接触する時間がそれなりにありました。専門家ではありませんから、断言はできませんでしたが……やっぱり異常なんですよ、ここに住んでいる教会関係者は」
ずっと背筋が寒かった。人のようでいて人であることを忘れてしまったかのような人々。司教様は、狂信者と口を滑らせていたが、それよりももっと根深いなにかがありそうだと思った。思えば、クレメンテ家別邸に現れたあの仮面の人も似たような感じだったのだ。
聖騎士達にも、同じ傾向がみられる。職務を全うしているだけだと思えばそうでもあるが、あそこまで完璧に感情を抑制できるものなのだろうか?
「そう、そこまで気づけるのね。人は、簡単なきっかけでも狂えるものだから、あまり気にしないと思っていたわ」
お茶が進まない私に対して、教皇様はのんびりと二杯目をカップに注いでいく。
「試し、というものがあるの」
「試し?」
「試練、ともいうかしら。ほら、精霊術士なんかは精霊に試練を与えられて、乗り越えれば力を借りられる。それと似たような形で、司祭以上の人間には女神から試しが与えられるの。厳しい試しを越えて、女神から認められればここに住まう栄誉が与えられる。女神に認められた使者として。その栄誉を求めて、彼らは試しを受けるわ。そして女神に資質を認められた者が、ここで……絶対的女神の使徒となるの」
言葉の声音に背筋が震えた。
上位の存在から力を与えられるときは、なにがしかの試練や代償がいることは多い。女神の試しもそんなものの一つに違いない。だけど、他のものよりも別の怖さを感じた。
女神に認められるための資質とは?
それがあるから絶対的女神の使徒となるというのなら。
「それは別名、奴隷と言いませんか?」
教皇様はにっこりと笑った。
「絶対に裏切らない兵隊ほど、重宝するものはないわよね」
言いやがった。
数は力だ。個々の能力が低かろうが、数がそろえば立派な力なのだ。そしてそのすべてが女神に絶対忠誠を誓う者達ならば、スパイも潜り込めない。
絶対的カリスマ性を持つ将が強いのは、内部崩壊をさせられる余地がほとんどないからだ。
厄介なのはそんな彼らに今更、あなた達はよく働く奴隷としか見られていませんよ! と伝えたところでこちらが危ない目に遭うだけだということ。
「奇跡の力って、素敵で魅力的よね。誰だって憧れて、あの力があればと目をキラキラさせます。他を救う力があれば、誰かを助けようと思うでしょう。そして助けられた人々はこう思うんです。素晴らしい力、優しい人って。感謝の言葉を捧げて頭を垂れる、奇跡の魅力はあらゆる人の心を掴むのです。ねぇ、聖女様?」
今すぐ自分の頭をかち割りたくなった。
自分の中にある女神の力が気持ち悪い。教皇様はもうはっきりと言っているのだ、聖女の力はすなわち……人々の心を惑わせ、狂わせるための引き金なのだと。
「人々の恒久の平和、安寧、幸せを紡ぎ続けるためのシステム。大陸に強大な敵が現れれば、戦争をしていた国同士も手を取り合える。そして、女神の剣『聖剣』に選ばれし勇者と、女神のごとき輝きを持つ奇跡の聖女が仲間と共に悪を打倒する。平和が訪れる……いずれ人々が英雄達の光を忘れ、失い、瘴気が溢れて再び悪が再生するまで」
「……魔王……とは、それでは……すなわち」
口の中が渇く。
勇者と聖女が現れて、魔王を倒す。当然の流れを、どうして今まで当然だと思っていたのだろうか。どうして誰も魔王の『本当の正体』を暴こうとしなかったのだろうか。
何度も復活する、魔王のことを。
私は……なにも知らずにのんきに新たに勇者が選ばれたら、それを手助けすれば聖女としての責務は果たせるだろうと考えていた。いや、それで果たせる。教会の思惑通りには。
「今代は想定通りに進まなかった点も多々ありましたが、それは些細なことでしかないの。修正はすでに行われているわ。勇者も新しい人物が近く選ばれるでしょう」
勇者のすげ替えは、簡単なのだと司教様が以前少し言っていた気がする。本当に物のように言うのだなと思った。
「シア、あなたは歴代をさかのぼっても例のない聖女よ。女神の想定していた人物を指名せず、踏み台として用意していた男を勇者に選んでしまうなんて……」
「…………は?」
思いがけない言葉に頭が真っ白になった。
教皇様の言葉には色々と違う疑問点も吹き出していたが、一気に隅にいってしまった。
「選出されたのは三人。そこから聖女が勇者を指名することで、選ばれし者としての箔がつく。だから選ばせる方式なの。あのとき選出された三人は、ベルナール、リンス王子、そしてクレフト。ベルナールは最初からありえなかった。悪魔の血を引く一族を女神の力は絶対に選ばない。そしてこの中で一番勇者にふさわしかったのはリンス王子。私達の想定では、リンス王子が勇者になる予定だった。そしてクレフトは踏み台用。≪そういう風に用意≫した。彼こそがシアと勇者となったリンス王子の最初の試練……クレフトは勇者にならなければいけない醜い理由があった、だからこそ強く勇者の称号を欲する。あなた達はそうした悪を倒して、絆を深める……予定だったのよ」
教皇様は、はあっと溜息をつく。
そんな溜息をつかれても困る。この人は……なにを言ってるの?
「なのに女神のお告げを無視したのか、聞こえていなかったのか……なぜかクレフトを勇者にして、いらない苦労を背負って、一年間も遠回りしてあげくの果てにギルド大会のあの結末。まぁ、結果的に≪彼≫が英雄のような扱いになってくれて、すげ替えがやりやすくなったのは、怪我の功名かしら」
「それって――まさか、本当にルークを新しい勇者にするつもりですか!?」
「そうね、このままだとその方が楽ね。雑に言えば、勇者の選出はあまり複雑ではないから」
混乱する。
頭がもう沸騰寸前だ。情報が多すぎて、どれから消化したらいいのかわからない。
「待って、待ってでもおかしい! 確かに私は勇者を指名したけど、女神の声もはっきり聞こえてなんてなかったから能力とかで決めたけど! でも、それでも聖剣はクレフトを勇者にしたのよ!?」
女神の意思でなかったのなら、どうして聖剣は認めたの?
「聖剣は道具にすぎないし、飾りみたいなもの。そこに勇者としての強い感情があれば……そう勇者に対するどんな感情でも強いとしたのなら、聖剣は手に入れられる。女神のお告げを聞く聖女が、そもそも女神の意思と違う勇者を選ぶことはないのだから」
「……女神の声……なんて、お告げ……なんて」
聞いたこともない。
唐突に聖女だと言われて、シリウスさんが亡くなって奇跡の力が発動した。誰かに教わったとか、導かれたとかそんな感覚はなかった。
できるようになったから使ってた。
だからこそ、いつ使えなくなってもいいように聖魔法の力を磨いていた。
「どうしてシアに女神の声が聞こえないのか、私にもわからない。あなたはずっと疑っていたわね。本当に自分が≪聖女≫なのか、と。奇跡の力を使いながらもずっと疑っていた。力は力、信仰は信仰、自分は自分。全部分けていた。女神の声が聞こえないからそうなったのか、それとも元々そういう考えの持ち主だったから女神の力が染まり切らずに中途半端になったのか」
だからこそ、と教皇様はこちらへと両手を広げた。
「私の子になれば、ここにいれば、光に染めてあげられると思ったの。あなたは黒い、聖女に選ばれるだけの理由が絶対にあるはずなのに、今までで存在しなかった黒き聖女。醜く歪んだ、はずれとして世界からはじき出された子。でもここにいれば、私の子になれば今からでも≪更生≫は可能なのよ。美しく生まれ変わりましょう? そうすれば誰からも望まれる光の聖女になれる。死しても長く語り継がれる英雄譚の一つに、きっとなれるわ」
それが一番幸せで、幸福で、間違いのない方法なのだと疑わない教皇様の笑顔は、今までで一番慈愛に満ちたものだった。




