☆15 デートしようか
私達が転移で現場を脱出して、リーナと別れてから一週間が過ぎた。
ルークとクエストをこなして彼のレベルアップを手伝ったり、小さな依頼をこなしたり、気にしていた彼の身なりを整えたり。私達は少し忙しい日常に戻っている。ふとギルドの前を見れば、小さな女の子の蹲った幻影が見える時があった。
でも、あの子は――リーナはいない。
ほんの少しの間、一緒に行動していただけだったのにまるで自分の一部がなくなってしまったかのように寂しかった。
ルークはあの後、あからさまに口数が少ない。
私に対して、少し怒っているのかもしれない。
でも彼も彼でリーナの思いを汲んでいて、誰も責められずに押し黙っているようにも見えた。
これは複雑な問題だ。
リーナのお母さんは騎士団に捕縛され、確実に牢獄行きだろう。
罪の重さによっては、死罪が言い渡される可能性もある。その時リーナは、どうするんだろうか。
――そして、私はどうしたいんだろうか。
……考えるまでもない。
リーナは、ギルドに報酬を渡していないのだから、報酬を受け取りに行くのは正当な理由だ。
――いや、そんなのはただの言い訳。
私が、リーナに会いたいだけだ。約束したんだから、絶対に会いに行く。
だけどどうやってリーナに会おうか。もしも母親と一緒にいるのであれば牢獄を管理する騎士団を通さないといけない。面会を求めるには相応の理由が必要だが、いくら私達にとって正当な理由でもリーナとの間にあるのはお菓子での報酬で書面で交わされた依頼ではなかった。事情が事情だったので文書として残さなかったのだ。
それでは面会の許可は下りない。そもそもリーナが牢獄にいるのかも分からない。罪のないリーナを牢に放り込むほどこの国の騎士は冷たくないのだ。リーナが無理を言って入っている可能性はゼロではないけれど……。
とにかくリーナの情報が必要だった。
それとなくベルナールにでも接触できればどうにかとも思っていたのだが、こういう時に限って見当たらない。
リーナとの再会の目途が立たないまま、また静かな朝食の時間が来た。
少しだけ賑やかになったあの時の時間がひどく懐かしい。
黙ったままのルークが、もぐもぐと朝からかなりの量を平らげていく。
ここ数日で、顔色も健康的になってきた気がするから成果はありそうだ。
「……筋トレする」
「……うん」
個室は狭いのでルークは受付がある部屋の隅で最近は筋トレをし始めた。副団長から筋肉をつけてこいと言われているからがんばっているんだろうけどまだ適当な肉がないから効果は薄いだろう。怪我をしない程度にと注意はしているが彼も彼で動いていないと気が休まらないのだろう。副団長からはもう少しで先生の方が手配できそうだと文面が届いている。
私はコーヒーを淹れて、読書を始めた。
昨日は、かなり無理な行程でモンスター退治をしたので今日はお休みにするつもりなのだ。といってもルークはトレーニングしているけど。
そんな静かな、静かすぎる時間がゆっくり流れる。
カチカチと、時計の音を聞きながらどこか集中しきれない意識の中、唐突に玄関の扉がノックされた。
依頼人だろうかと、慌てて本を置いて出迎えると、そこに立っていたのは。
「……ベルナール様?」
銀髪の麗しい美形騎士、ベルナールが笑顔で立っていた。
やっと会えた待ち人ではあったが、私はその笑顔にびくりと背筋が震える。
穏やかな心境の時に浮かべる笑顔とは少し違う、数日前に勇者に向かって放った予言の時と同じような怖い笑顔だった。
「やあ、シア。――――ちょっと、デートしようか」
背筋に冷や汗がダラダラ流れた。
この台詞は一度、聖女修行時代……彼が私の護衛についていた時に言われたことがある。デートといえば恋人同士の男女がする甘い恒例行事だが、ベルナールが私に対して使う時は意味が違う。
甘い雰囲気なんざ微塵もない。
ベルナールは私に対してなにか怒っており、それを追求しに来たのだ。
それが私の予想通りの話なら。
「わかりました、行きます。――ルークも一緒にいいですか?」
「もちろん」
私達の会話を聞いていたであろうルークが怪訝な顔をして立ち上がった。
「……デートに別の男同伴とか聞いた事ねぇーよ」
「いいのよ、ベルナール様とのデートなら」
「必要なら何人でもお相手しよう。……さて、昼も近い。昼食がまだならついでに食べに行こうか、おごるよ」
「わーい、やったー。いくわよ、ルーク」
「あ、おい……」
よく分かっていないルークを引き摺りながら、大人しくベルナールについて行くことになった。
大通りから少し外れた小道にあるカフェに入ると、ベルナールはいくつか店主と会話を交わしてから私達は奥の個室に案内された。
室内は少し狭いが、可愛らしい小物が置いてある癒し空間となっている。
「騎士団でも時折使わせてもらっている場所だ。信用のある店だから安心していい」
私達は席に着き、料理を注文して当たり障りのない話をしながら料理を待つ。その間、ルークは居心地悪そうにしていた。
料理が揃うと、ベルナールは『合図があるまで部屋に近づかないように』と人払いをし、ようやく本題に入ることになった。
「お前達は、リーナという少女を知っているな」
その名前に、料理に手をつけていた私達の動きが止まる。
そろりとベルナールの顔を見た。
綺麗なその顔はやはりちょっと怒っているように見える。
「俺はシアならば、と見逃した。最近は物騒だとも言ったし、不用意なこともしないようにと忠告もした。シアは危険な場所に無暗に突っ込んでいくような子じゃなかったからな」
目が泳ぐ。
これはばれている。私達が先に密売人のアジトに乗り込んだこと。
リーナは現場に残っているし、ベルナールは一度リーナを連れた私達に会っている。だから彼はそう推測はできるだろう。
ただ、確実な証拠はないはずだ。
私達がそこにいたという確かなものはなにも。
迂闊な事は言えない。私達の身の潔白は確かだけどそれを証明するのに何日も騎士団に拘束されるはめになる。こちらは弱小ギルド、日々の生活だってあるのに立ち行かなくなってしまう。
「確かにリーナとは知り合いです。うちの依頼人でしたから。あの子は探していた猫を無事に見つけて別れたので」
「――ほう?」
ベルナールの背にゆらっとした何かが見えた気がしたが、見ないふりをした。
怖くない、怖くない。
怖いのは失敗して、自分もルークも、そしてリーナを失う事だ。
思い切って、私は最高の笑顔の演技をかました。
「実はあの子から依頼の報酬をいただいていないのです。不幸な行き違いで――なのでベルナール様、もし知っていたら教えていただけませんか? リーナの居場所を」
ベルナールは私をじっと見て黙った。
ルークも話の行く先を静かに聞いている。
長く静寂が続いたが、やがてベルナールは深い溜息をついた。
「シア、お前な……こちらがどれほど心配したか分かっているのか?」
困ったような、そんな顔でこちらを見る。
まったく……といった雰囲気に、私は彼の言わんとしているところを察した。
ベルナールには確信があるが証拠がないから不問にしてやるということらしい。ぽろっと零してたらどうなってたかは分からないが。
ベルナールは顔ほど甘くはない。
「……そうですね、怒り心頭でデートに誘うくらいにはご心配をおかけしたと」
最初のデートの誘いの時もそうだった。
ちょっと無茶をしてベルナールに気のある令嬢を蹴散らした時に、顔に傷を負った。あの後に鬼気迫る誘いを受けたのだ。美味しいものをおごってもらってからの心底胃の痛くなるデート内容だった。
「今回の件は、お前達が思っているより深刻なものだったんだ。あの場所に『彼ら』がいなかったのは不幸中の幸いだ」
「彼ら?」
「……詳しいことは民間人のお前達には話せないが――そうだな、先にリーナちゃんの話をしよう。彼女はあの後、騎士団に一度保護されてから最終的に聖教会の司教様預かりになっている」
「司教様……」
聖教会とは、このリーム大陸全土で信仰されているラメラスの女神を祀る宗教団体だ。ここラディス王国もラメラスの女神を信仰しており、聖教会の神殿も建てられている。彼らは国の弱者、病人や孤児、浮浪者などに手を差し伸べる慈善活動も行っている。リーナが聖教会の司教預かりになったのは納得できた。
「……でもリーナ、あの子かなり抵抗したんじゃ?」
「いいや、大人しく言う事を聞いていたぞ」
――おかしいな。
リーナはあの時、お母さんと一緒にいることを強く希望した。
だから私は連れて行くという決断ができず、今こうしているのだ。
なのに、リーナは大人しく騎士団に従ったのか? 私達が転移した後、なにかあったんだろうか……。
「あの子に会う会わないは自由だが、これだけは言っておく」
ベルナールはトンと軽くテーブルを拳で叩くと、釘をさすように私を見つめた。
「絶対に、密売の件には深入りするな」
あまりにも強い口調だったので、逆に気になってしまうが彼がこう言うのだからかなりの危険度なんだろう。私達のアジト侵入も一歩間違えればとても危険だったのだ。
私としても危険はできるだけ避けたい。リーナと会えるのなら、密売の方は別に手を出す気もない。それこそ騎士団の管轄だ。
でもちょっと好奇心がうずいた。
「もし、深入りしたら?」
なんて聞いて、私はがっつり後悔した。
ベルナールの笑顔が、女神よりも美しく輝く。
「次はデートじゃなくて、求婚してやろう」
薔薇の花束と指輪を持ってな。
と言うベルナールに、私は笑顔で固まった。
ルークは隣でぼそっと。
「……どういう脅し文句だよ……」
などと呆れた台詞を吐いた。
ベルナールはそれには少し笑って。
「まあ、半分冗談だが」
「半分は本気なのかよ……」
半分は本気なのね……。
ルークは声に出して、私は心の中で突っ込んだ。ベルナールはやると言ったらやる人だ。人が一番ダメージをくらう嫌がらせで急所に当ててくる。気のない求婚をされたら私はどうしたらいいのか。断っても受け入れても私の体力と精神力はゴリゴリ削られるし、世のお嬢さん方を敵に回すことになる。月のない夜にご注意だ。
本気で止めて欲しい。
「リーナちゃんに会うなら、俺も行こう。司教様に報告もあるしな」
若干遠い目をしていたらベルナールがそう言ってきた。
司教様、という単語に改めて張本人を思い出し私は苦い顔になる。
「相変わらず司教様の話をするとすごい顔をするな、シア」
「えー、そーですかあ? ふつーですよー」
「あからさまに嫌がってるじゃないか」
苦笑するベルナールと苦々しい顔の私を交互に見たルークが、首を傾げた。
「なにがそんなに嫌なんだ? 司教様って優しい感じのおじいさんだろ?」
「……ルークが司教様にお世話になったのって何年前?」
「え? えーっと、五年くらい前まではしょっちゅう……。まだまともに働けなくて配給貰ってたし。さすがにここ数年は教会の世話にならないようにがんばって働いて食いつないだが」
「ならルークが知らないのも無理はないな。司教様は四年ほど前に代替わりしたんだ」
「そうなのか。新しい人はどんな人なんだ? シアが嫌がるくらい問題の人なのか?」
私達は黙った。
口で説明するのは簡単だ。一言でかたがつく。だがその単語と司教様という名の印象は真逆であるが為に信じられない。自分の目で見て、現実を受け入れていただくしかないのだ。私も最初に会った時にそうだった。『ちょっと……いやすごく怖い――げふんげふん、変わったお人だけど大丈夫、殺され――ごふん、無事に済むはずだよ』と案内された時は、処刑台に登る気分だった。端々に滲み出る単語が怖すぎる。
そして面と向かい合った司教様を見て、私は気絶した。
できれば会いたくない。でもリーナがそこにいるなら行かないという選択肢はない。
あとなー、聖女の件で絶対なんか言われるしな……。
司教様になにか言われることを想像するだけでも背筋が寒い。
私とベルナールは視線を交わし、そしてにっこりと笑った。
「すごい司教様よ、ルークも絶対拝み倒したくなるわ」
「そうだな。丸坊主になるくらい拝みたくなるな」
ははははは。
ルークは私達をうろんな目で見て、冷めてしまったオムライスを突いた。
「なんか嫌な予感がするからしっかり食べてく……」
さすがルーク、だてに危険察知能力は高くない。
しっかり食べて、しっかり精神を保っておかないと司教様との対面は成し得ないだろう。
私も久しぶりに会うので、英気を養おうと料理に手をつけた。